愛の檻、用意しました。
新田 葉月様の開催する『君に捧ぐ愛の檻企画』です!
ヤンデレ初挑戦なので、温かい目で……。
春うらら。なんてどの世代が使用するかも分からない言葉で、春の訪れを感じてみました。
春と言えば、活気があって、勢いの盛んな時期とか言いますけど、実際はどうなんでしょう? 暦上は五月も春に入っているのに、五月病なんてものも在る訳ですし。
「五月病……かあ」
誰にともなくそんな事を、呟いてみました。
アレも、五月病……いえ、アレの場合は六月病の仲間……なんて無いですが、でもその類いだと良いのですが。
☆ ★ ☆
「――あ、先輩! おはようございます!」
いつも通りの月曜日。いつもの通学路を使う私に突如、そんな声がかかりました。
……いえ、私が話しかけられたという自覚はあまり無かったのですが。
明らかに誰も居ない道。
もう……私しか居ませんもの。
「え、えっと……」
聞き覚えのある、嫌な声だったので内心ビクビクしながらも、私は振り返りました。声は、後ろから聞こえて来たのです。
そして、そこに立っていたのは――
「おはようございます!」
「………………は、春人……君?」
「わぁっ……! 覚えててくれたんですか!? 嬉しいなぁ……」
――私よりも少しだけ低い背丈には、そのとろけるような笑顔が似合っていて。子犬みたいに喜ぶ彼の小柄な身体には、尻尾が生えていても違和感なんて無いでしょう。
かつて――とは言っても去年の話ですが――私がまだ中学校に通っていた時に、とてもなついて来た後輩です。
忘れられる筈がありません。
「僕、先輩と同じ高校に通えるようになったんです!」
こんな――
「だから……また、仲良くしてもらいたいなぁ……あはは」
――危険人物。
照れ笑いの表情を浮かべる彼に、私は催涙スプレーをぶっかけて、ついでに缶を彼に投げつけて走りました。
「何でそんな酷い事を……」と思われても仕方がありませんが、彼のような悪魔には、こうするしか無いんです。
――逃げなくちゃ。
どうやら彼から離れる為に選んだこの難関高校も、意味を成さなかったようです。
☆ ★ ☆
「はあっはあっはあっ……」
全速力で学校まで逃げ込んだ私は、上靴に履き替える時間すらも惜しんで、上靴を手に教室へ駆け込みました。
「し、栞……おはよう。どうしたの? す、凄い汗だよ?」
「はあっ……お、おはよう、ちょっと……はあっ、家に忘れ物っして……!」
息も絶え絶えに説明をする私に、友人の梨子は「わ、分かった分かった!」と状況を何となく理解してくれました。
……もちろん、あの悪魔の事は分からない筈ですが。
「始業式から忘れ物だなんて……気を付けなよ?」
「う、うんっ…………ってあれ? 今日始業式?」
「だ、大丈夫!?」
さっきの事が衝撃的過ぎて、うっかりしていました。流石の梨子も驚きを隠せないようです。
――『僕、先輩と同じ高校に通えるようになったんです!』
ああ……ゾワッとしました。思い出しただけで。
彼の声を、姿を、あの笑顔を思い出すだけで胸糞悪いです。吐き気がします。
周りから見た彼は、可愛らしい顔立ちで弟っぽく、まさに可愛いアイドル的な存在なのでしょう。けれど、それは知らないから。
彼の裏を。
好きになった女は必ず手中に、という独占欲。そしてその為なら相手に彼氏がいようとも構わないという、自己中心的考え。
表の顔は、あくまでも『仮面』なんです。彼の場合。そして裏が、本性。
私も、彼の被害者なんです。
☆ ★ ☆
去年の六月の話です。
私には彼氏と呼べる存在が居たのです。付き合うきっかけとなったのは、その頃に席が隣同士になり、お互いに興味を持ったから。
結果告白をしてくれたのは彼の方でした。正直、こんな地味女で良いのでしょうか? と疑問にも思えましたが、答えは即オーケー。
所謂、リア充になったんです。
一緒に登下校を共にし、お昼ご飯も一緒に食べ、時には彼の為にお弁当を作った事もありました。
幸せな毎日。充実した、楽しい日々でした。
――桜井春人という少年に出会うまでは。
あの日、私は先生と進路についての相談会のようなものがあった為に、一人で帰る事になったんです。
玄関で靴を履き替え、ザァザァと降っている雨に溜め息を吐き、外に出ようとしました。
仕方がありません、梅雨時期なんですから。我慢我慢。
――そう思い昇降口の扉に手をかけた私の目に飛び込んで来た、一人の少年。
傘が無いのか、帰るに帰れないという表情をしていました。
でも、どうしてでしょう? 梅雨なのに傘を持っていないだなんて、おかしな話です。
――だから――だからなのでしょう。
私が――話しかけてしまったのは。
「傘、無いんですか?」
「……え?」
出会いは、これだけのものでした。
彼は何でも、傘が壊れた友人に傘をあげたら無くなった――との事。
優しいんだな……と、素直にそう思えるくらい、好印象な少年でした。なので私は何も迷わずに彼に傘を渡し、走ってずぶ濡れになりました。
――それが、悪夢の始まりになるとも知らないで。
彼とのファーストコンタクトから数日が経ち、彼は再び私の前にやって来ました。
「あっ先輩! やっと会えた……! この間は傘、ありがとうございました!」
彼は、放課後に私が数学のノートを教室に取りに行くと、現れたのです。
誰も居ない放課後。静まり返った教室。部活動だって始まっている時間帯。
それなのに、どうして――
――どうして彼は現れたのでしょう?
まるで、見ていたかのようなタイミングでした。
それでもあの頃の私は特に気にもせず、「大丈夫ですよ……あ、傘、返しに来てくれたんですね」と、普通に答えていたのだから驚きです。
おかしいのに。
全部が、おかしいのに。
「い、いえ! 傘、本当にありがとうございました! あ、あの先輩――」
「あっ……ごめんなさい、彼氏が待ってるので、失礼しますね。わざわざありがとう」
不必要な言葉を発してしまった為に。
要らない情報を口にしてしまった為に。
――「彼氏が待っている」だなんて、言ってしまった為に。
「――――――」
彼の表情が、明らかに曇った。
☆ ★ ☆
今思えば、アレは悲惨でした。
その後の私と元彼はまるで破滅の道を進むようで。
そう、春人君が私にベタベタとくっついて来たので、元彼は居場所を無くし、破局となりました。
春人君……だなんて、呼びたくはありませんね。やっぱり悪魔と呼びましょう。
リア充から一転して再び地味女へとランクダウンした私は、酷いくらいに落ち込んでいました。
――それくらいに、元彼の事が好きだったのです。
だから、だからこそ――悪魔の事は許せませんでした。
しかしそんな事はお構い無しで、悪魔は尚も私にベタベタと、まるでスライムのようにくっついて来ました。
悪魔は、私が嫌な顔をすればする程に、距離を縮めて来ました。おぞましかったです。もしかしたら自覚が無かったのでしょうか? 自分が、私達が別れる原因になったという自覚が。
「はあ……」
思い出したくもない過去を、思い出してしまいました。気分はドン底です。
今日は始業式で学校も早く終わるので、さっさと帰ってゆっくり休む事にしました。あくまでも、予定ですが。
予定は未定ですが。
「――先輩!」
あくまでも、私が思い描いた理想でしかないのです。現実は――
――そう簡単には、狂ってくれない。
「……な、何の用ですか」
「嫌だなぁ先輩……折角同じ高校に通えるんだから、一緒に帰りましょうよ!」
朝の事もあるので、かなり恐怖感を抱いている私に、悪魔は朝以上の爽やかスマイルを振り撒いています。
……周りで悪魔の笑顔にノックアウトされている女子に今すぐ渡したいくらい。
「私、急いでるのでっ……」
催涙スプレーはもう無いので、攻撃を諦めて走り出そうとしました。
が――。
「――待って先輩!」
悪魔に、手首を掴まれてしまいました。
必死に抵抗しようとする私に、悪魔は耳元で囁きました。
「――先輩、もう――逃がしません」
その言葉を聞いて、私は悪魔に攻撃をしようと足を出しました。――しかし、小柄な身体にはスルリとかわされてしまい、逆に手首を掴まれている私が体勢を崩してしまったのです。
――ああもう、止めて。
心の中でそう必死に叫びました。けれどそんな悲痛な声が悪魔に聞こえるはずもなく。
「先輩――」
どこから取り出したのか、私は悪魔の手にしたハンカチで鼻と口を覆われてしまいました。
――待って――これって、クロロ――
絶え絶えになる意識の中で、最後に聞こえて来た悪魔の言葉。
「先輩――これでもう、僕のモノだ」
私はもう、助からないような気さえして来ました――。
☆ ★ ☆
どうしてこんな目に遭わなくてはいけないのでしょう……どうして、私なのでしょう。
悪魔に傘を貸しただけで元彼とは別れさせられ、幸せな毎日を奪われてしまいました。
どうして――?
「んぅ……」
激しい頭痛に目を覚ますと、そこは真っ暗な世界でした。
何も見えない、暗黒世界。それに、とても狭い。
私は高校二年生ではまだ成長の余地がある方なのですが、それでも足を畳んでやっと入れるスペースです。
――どうやら私は、どこかも分からないような場所に、正座で押し込められてしまったようです。
助けを――呼ばなくちゃ。
「だっ、誰かいませんか! 助けて!!」
ここはどこなの? 私は――どこにいるの?
抑え切れない恐怖感や孤独感、そして不安感に押し潰されそうになりながら、私は叫び続けたました。
そして――聞こえて来た――音。
――ガララッ。
その途端に、目の前に在ったと思われる、いくつもの半楕円形の穴から差し込んで来る、眩い光。
え――? この形……もしかして――。
跳び箱の……中?
そう思い頭上に目を遣ると――ピラミッドのような形をしていました。……ああ、間違いありません。
「先輩、気が付いたんだ」
追い討ちをかけるようにして聞こえて来たのは、助けが来たと思い込んでいた私を突き落とすには、十分の威力を持っていました。
ああ――悪魔だ。
「こ、ここから出して!」
きっと周りにも跳び箱が置いてあるのでしょう。私が押し込められていた跳び箱は、私が散々暴れてもびくともしませんでしたから。
嫌だ――こんなところに放置されるのは――!
「へえ……出してほしいんだ?」
化けの皮が剥がれたのか、敬語も使わない悪魔が、少しずつ近付いて来るのが穴から見えます。
どうして私は――こんなのに助けを求めたのでしょう? 助けてもらえる筈なんて無いのに――。
「ふふふ……そっかぁ、出してほしいんだぁ?」
それでもこの絶望的な状況をどうにかしたいが為に、私は嫌味たらしい悪魔に「当たり前でしょう!」と叫んでいました。
叫ぶしか、無かったんです。
「出してあげようか?」
叫んで、他の助けを待つしか無かったんです。
悪魔は――狂ってるんだから。
去年の六月から。
私が狂わせたんだから。
助けてくれる筈なんて――無いに決まってます。
そう――思っていました。
――グッ――ガラガラ――!
音を立てて、頭上の何かが後ろへ崩れ落ちました。そして開けた視界に映る、悪魔の光彩を無くした笑顔。
周りには予想通り、他にも跳び箱が置いてあったりマットが置いてあったりと、どうやらここはどこかの体育倉庫らしいです。
――助――かった?
「せーんぱい、おはよう」
動揺であたふたとしている私に、悪魔は真っ黒な笑みを見せています。……ああ、助かるだなんて馬鹿げた事、考えなければ良かったです。
この笑顔がまた、私をドン底に突き落としました。
「先輩、もう僕のモノだからね」
「こ、来ないで! どうして――」
その時私は、叫びました。
もう、色々と諦めて、一番の疑問を。
――どうして、こんな事をしたのか。
「どう……して?」
私の問いかけを聞いた悪魔は、ピクリと固まり、わずかに俯きました。
そして少しの時間が経って見えたその顔は――
――やっぱり狂っているようでした。
「どうしてだと……? 僕がこんなにも先輩を想っているのに……どうして?」
ぶつぶつと、こんなに近くに居る私にも聞こえるか聞こえないかの声を発する悪魔が、本当に恐怖でした。
「どうしてどうしてどうしてどうして……先輩は僕の事、嫌いだったの? どうして? ねェ、どうして?」
「そ、そんなの、私を――」
「――クソみたいな元彼と別れさせたから? でもどうして? 僕は先輩の為にやったのに」
どうして先輩は――
「――僕に告白してくれなかったの?」
……思考が停止しました。
話が噛み合わないです。ずれてる狂ってるおかしい。
「僕は先輩しか見てなかったのに! どうして先輩は他の奴なんて見てたんだ! あの日、どうして僕の告白を遮って彼氏のところに行った!?」
僕の告白を……遮って?
「な、何の事……?」
「はぁ!? 何の事だぁ……! ふざけるな……忘れたなんて言わせない……! あの日、僕が傘を返しに行った時に、僕は――!」
『あ、あの先輩――』
『あっ……ごめんなさい、彼氏が待ってるので、失礼しますね』
う、嘘でしょう……? たったそれだけの事で私は、ここまでされていたなんて――嘘ですよね?
「僕がどれだけ傷付いたか……大好きな人に置き去りにされて、どれだけ……!」
「………………」
もう、何も言えませんでした。
「だから先輩にも同じ苦しみを味わわせたんだ。僕だけを見てほしくて。僕だけの先輩になってほしくて」
歪んだ笑みを浮かべて、更に距離を詰める悪魔を前にして、私は――ただ、震えていました。
こんなの……人間じゃない。これじゃあまるで本物の……悪魔みたいじゃないですか。
「先輩……ねぇ先輩。要らないと思わない? 僕の先輩に手を出す下等動物なんて。そんなの――」
そう前置きをして悪魔は、一気に捲し立てました。
「消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ……!」
恐怖戦慄奇怪悚然戦々恐々畏怖恐懼。
私に思い付くありったけの言葉を並べても足りないくらいの、怖さでした。私の足は――全身はガクガクと震え、立つどころか動く事すら出来ません。
しかし悪魔は続けます――。
「ああ……でももうどうでも良いや……。先輩、今、僕が先輩をその箱から出すよ」
そう言って、今までは背中に隠れていた両手が、私に伸びました。
――瞬間、ギラリと光った、何か。
「ふふふ……檻を作るんだ。鈍感な先輩が気がつかないくらい広い檻を……」
「やっ、やめ――!」
☆ ★ ☆
「先輩……大丈夫だよ……。僕が先輩の檻になるから……ね」
今はもう使われていない体育倉庫で、一人の少年は甲高い声で笑った。
その顔は血にまみれ、美しい筈の容姿が台無しになってしまっている。
「せーんぱい……」
少年が呼ぶ先には、もう誰もいない。
在るのは、元は何かだったと思われる、肉片だけ。
「僕ね、本当に先輩の事好きだったんだよ。あの日、傘を貸してくれて……一目惚れだったんだよ? でも先輩は、僕だから声をかけてくれた訳じゃなかったんだね……」
少年は、血塗れになった自分の身体を見て、呟く。
「でもまあどうでも良い……もう、先輩は僕のモノなんだから。先輩はもう、誰の目にも留まらない……僕だけの、先輩だからね」
そうして少年は、クルリと踵を返した。
「また明日も来るからね。先輩の美味しいトコは、僕が全部……食べてあげる」
ペロリと舌舐めずりをした少年は、最後に血塗れの口で告げた――。
「――大好きだよ、先輩」