「父さん」と呼ばずに「パパ」と呼びなさい!!
「ただいまー」
自宅の引き戸を開けながら、森山 毅は気だるそうな声で帰りの挨拶をした。気だるそうにはしているものの、その声は凛としつつもどこか少年らしさを感じる綺麗な声だった。切れ長の目に赤茶の髪、清潔感溢れる制服から身なりの整った「優等生」という言葉がよく似合う少年だった。
「おー、おかえりー」
玄関から入ってすぐ右、居間の方から間延びした声が聞こえた。声質からして声の主は中年。少年の声とは対照的な、平たく言うと「オッサン」の声だった。その声を聞いて毅は肩を竦め、重い足取りで居間の方へと歩いていった。
「親父、また飲んでるのかよ」
居間の入り口に掛けられた暖簾をくぐり、毅は居間のちゃぶ台に缶ビールを置いて畳座敷の上に座りながらテレビを見ている「ナマモノ」に話しかけた。
ナマモノという表現は正しかった。なぜならそれは人の形とは思えないほど酷く歪で生々しく生物的な名状しがたい恐怖は感じないものの、えーと、つまりヘンテコなナマモノだったからだ。
「いいじゃないか、たまの休みなんだからパパの好きにさせてくれよぉ」
体と思われるぶよぶよした緑色の物体の先端から生えている二本の触覚が毅の方へと向いた。細い線の上に重量バランスを無視したような大きな目玉が付き、その目玉を覆う薄い膜が人間のまぶたのように世話しなくパチパチしている。おそらく乾燥するのを防いでいるのだろう。
「だからって日がな一日酒飲んでんじゃねえよ。メシの準備くらいしてくれたんだろうな」
散らばっている空き缶を空き缶専用ポリ袋に投げ入れながら、毅はため息混じりに「親父」と呼ぶナマモノに聞いた。
「あ! ごめん、すっかり忘れてた!」
グニグニと慌てたようにナマモノは全身を波立たせるとテレビを消してブニョブニョと台所へと向かおうとした。
「いいよいいよ。俺やるから座ってろって」
「いやいやパパがやるからカイザーは待っていなさい」
「本名で呼ぶな!! いいから座ってろよ!!」
毅に一喝されてナマモノは落ち込んだようにぬらぬらとスライムの如く居間へと戻り、入れ替わって毅が台所に立った。先ほどまで整っていた顔立ちは感情的な人相になっており、何故か耳の先が尖がっていた。
森山 毅の父親である森山 慧水は勿論というかやっぱりというか見た目通り「宇宙人」である。どれくらい宇宙人かと言うと眼球からつま先(があるか分からないが)まで全て天然物の宇宙人だ。彼は息子である毅と築20年になる一軒家で細々と暮らしている。
趣味はガーデニングと酒を飲みながらのテレビ視聴。特技は「世界を救うこと」で、毅が生まれる前は何度か地球の危機を救ったらしい。好きなものはチーズかまぼこと毅と亡くなった奥さんという、どこにでも居そうなお父さんだった。中身は、だが。
似ても似つかないが毅とはれっきとした親子であり、ちゃんとDNAが一致している。その証拠に、毅は極度に感情的になると耳が尖り超能力を使う事が出来るようになるのだ。ちなみに彼の本来の名前は「ヌォルリィ・ヤメァ・カイザー」であり、毅というのは日本名である。
だが毅が学校で感情的になる事はない。例え不良に呼び出され一方的に殴られても平然な顔をしているしヤンデレな彼女(と一方的に思われている)に醜悪なる手作りクッキーをプレゼントされても嫌な顔をしない。何故なら、毅が感情的になるほどの悩みは彼の「父親」にあり、その他の事は「悩み」になるほど「重要な事」ではなかったからだ。
「親父、今日は職安行ったのかよ」
「えー、あー。行ってない」
「ハァ!? 昨日行くって言ったじゃねえか!!」
オムライスを作りながら、手に持ったケチャップを握り潰す勢いで毅は慧水へと向いた。鬼のような形相の息子に小さな悲鳴を上げて慧水は頭を抱えるように目玉の付いた触角をぬらぬらした腕みたいな物で抑えた。
「だ、だってパパは昔、海の向こうのデッカイ国にいる栗筋斗雲とかいう偉い人を助けた事があって、その人から国をあげて援助しますって言われてるからお金には困ってないし……いっかなーって」
「あーそりゃ生活保護的なお金は貰ってるけどね。けどそれは家の金であって親父個人のお金じゃないって昨日言ったよな!! 自分の酒代くらい自分で稼ぐって言ったのはどこのどなたでしたっけ!?」
息子の追及に慧水はしゅんとした面持ちでしおしおと縮こまっていた。そう、毅の悩みはこの自堕落な父をどうにかして社会復帰させる事だったのだ。先ほど「たまの休み」と言っていたのは彼が「仕事」という名のパトロールを定期的に行っているからだったりするが、勿論そんな行為はボランティアなのでぶっちゃけ森山家は「家長が無収入」という世紀末状態だった。
毅が作ったオムライスを食べながら、慧水は先ほど怒られた事を忘れたようにテレビを見ていた。毅は毅で不機嫌そうにオムライスを食べている。
その雰囲気に落ち着かなくなったのか、慧水はテレビを消して毅の方へと向き直った。
「なぁ毅」
「なんだよ」
冷たい態度をしつつも父親の言葉に耳を貸す毅に、慧水は優しげな目を向けて話し出した。
「なぁ毅。お前にとってパパは、そりゃ自堕落なパパに写るだろう。それは確かに、すまないと思っている。だがな、毅。だからと言って、お前がパパを嫌いになっても、ママの事を嫌いにならないで欲しい。ママは、お前が生まれるのと引き換えに命を落としたが生まれるその瞬間まで、お前の事を気にかけていたんだ」
昔を懐かしむように、慧水は仏壇に写る亡くなった妻の遺影を見た。遺影にはブロンド色の髪をした整った顔立ちの英国人女性が写っていた。それを手に取り、慧水はプルプルと涙を堪えながら話を続けた。
「ママとは、異種間での恋でそれはもう反発された。だがそれでも、それでもママは、パパの、パパの子どもが欲しいと……パパを、パパを愛していると、ママは言ってくれたんだ……そして、そしてお前を授かった時に、ママは、ママはそれはもう」
「親父、前口上いいから今日は酒は出さないし明日は職安行けよ」
「あ、ハイ」
毅の言葉に慧水は遺影を元に戻すとちゃぶ台にそそくさと戻り、オムライスの余りを食べた。ため息を一つ吐きながら、毅は遺影の母親を見つめながら思った。なんでまた遺影の写真変わっているんだろう、と。
息子の悩みを知らず、森山家の夜は更けて行った。