AIは段差で止まった【その①】 ――百軒ばあさんと、整頓されたリーク――
◆AIは段差で止まった【その①】
――百軒ばあさんと、整頓されたリーク――
ほんまに怖い未来いうんは、
空からピカピカ降ってくるんじゃない。
白い配達ロボットの形をして、
古いアパートの前まで来る。
そして、
たった五センチの段差で止まる。
百軒ばあさんは笑った。
「なんじゃ、この役立たずの機械は」
近所に住む六十七歳の元証券マンのおじいちゃんは、
その段差を見て、こう言った。
「違うで、ばあさん。
五センチの段差やない。
五十年分の放置が、
未来を止めたんじゃ」
AIは壊れていない。
Amazonも、
住宅会社も、
子どもたちも、
まだ何も爆発させていない。
けれどテレビは言う。
「合意近い」
「市場に安心感」
「影響は限定的」
「物流正常化へ」
その見出しだけを見て、
人々は胸をなでおろす。
だが、
段差は消えない。
雨漏りは止まらない。
修繕部品は届かない。
若者の社員証は戻らない。
子どものスマホ画面では、
AIの年齢確認が、
ひげを描いた十二歳にだまされている。
未来は来た。
でも、
その未来を通す床が、
この国にはまだなかった。
………
★目次
■第一章 五センチではなく、五十年
■第二章 家賃は入る、請求書は育つ
■第三章 社員証が消えた朝
■第四章 株価は笑い、社員証は泣く
■第五章 家は安くなったんじゃない、小さくなったんだ
■第六章 三十五年、解約できないサブスク
■第七章 雨漏りは昨日から来る
■第八章 AI先生、ぼくは何歳ですか
■第九章 顔を出さないと遊べない国
■第十章 Amazonの血管
■第十一章 令和の配給所は配送管理画面だった
■第十二章 合意近い、という麻酔
■第十三章 ニュースは窓ではなく、額縁になる
■第十四章 ロボットが来ないアパート
■第十五章 土地はあるが、未来が通れない
■第十六章 古い成功体験にも、含み損がある
■第十七章 未来を呼ぶには、足元を直すことじゃ
………
■第一章 五センチではなく、五十年
百軒ばあさんのアパートの前で、
一台の白い配達ロボットが止まった。
小さな冷蔵庫みたいな形をしていた。
六つの車輪。
丸い目のようなカメラ。
お腹の中には、
近所の高校生が注文したハンバーガーとポテトが入っていた。
ロボットは、
アパートの前まで来た。
あと三メートル。
ほんの少し進めば、
玄関前の受け取り場所に着く。
ところが、
ロボットは止まった。
ピコン。
小さな電子音が鳴った。
ピコン。
もう一度鳴った。
ロボットの前には、
五センチほどの段差があった。
人間なら、
足を少し上げれば越えられる。
自転車なら、
ハンドルを少し持ち上げれば越えられる。
配達員なら、
「よいしょ」と言って通れる。
でも、
ロボットは止まった。
安全のために止まった。
無理に進めば、
倒れるかもしれない。
荷物が壊れるかもしれない。
人にぶつかるかもしれない。
だから止まった。
百軒ばあさんは、
二階のベランダからそれを見下ろしていた。
「なんじゃ、あの役立たずの機械は。
段差くらい越えられんのか」
その声を聞いて、
近所に住む六十七歳の元証券会社勤務のおじいちゃんが、
杖をつきながら笑った。
「違うで、ばあさん」
「何が違うんじゃ」
「止まったんはロボットやない。
この町の未来じゃ」
百軒ばあさんは鼻で笑った。
「また始まった。
あんたは昔から大げさなんよ。
株屋は何でも暴落じゃ、危機じゃ言うて人を怖がらせる」
おじいちゃんは、
ロボットの前にしゃがみ込んだ。
段差を指でなぞった。
古いコンクリート。
ひび割れ。
雨水で削れた角。
昔、誰かが適当に直した跡。
「AIは令和なんじゃ。
でも歩道は昭和のままなんじゃ」
「歩道が昭和で何が悪い」
「悪いとは言うとらん。
ただな、ばあさん。
未来いうんは、スマホの画面の中だけに来るんやない。
歩道の上を転がって来るんじゃ。
歩道がボロい町には、未来も入って来られん」
百軒ばあさんは、
まだ分かったような分からんような顔をしていた。
おじいちゃんは、
段差を杖で軽く叩いた。
「五センチの段差ではない。
五十年分の放置じゃ」
その時、
二階の高校生が窓から顔を出した。
「おーい、俺のポテトまだ?」
ロボットは返事をしない。
ただ、
五センチの段差の前で、
じっと止まっていた。
おじいちゃんはつぶやいた。
「ラストワンマイルやない。
これからは、ラストワン段差の時代じゃ」
百軒ばあさんは、
まだ笑っていた。
だが、
その笑いは、
ほんの少しだけ硬かった。
………
■第二章 家賃は入る、請求書は育つ
百軒ばあさんは、
本当に百軒の貸家を持っていた。
正確には、
一戸建て、古いアパート、長屋、店舗付き住宅を合わせて、
九十八戸と二軒の倉庫。
本人はいつも言っていた。
「百軒じゃ。
細かいことはええ。
百軒ばあさんで通っとるんじゃけ」
百軒ばあさんの家は、
昔からの地主だった。
祖父の代には田んぼ。
父の代には駐車場。
夫の代にはアパート。
そして、ばあさんの代には家賃王国。
失われた三十年。
デフレ。
低金利。
土地担保。
相続税対策。
銀行の笑顔。
この言葉が、
百軒ばあさんを大きくした。
銀行員は言った。
「奥様、土地を眠らせておくのはもったいないですよ」
税理士は言った。
「借入を使えば相続税対策になります」
建設会社は言った。
「今なら金利も低いです」
百軒ばあさんは思った。
わたしは賢い。
わたしは時代を読んだ。
わたしは家を守った。
しかし、
元証券マンのおじいちゃんから見ると、
それは少し違っていた。
「ばあさん。
あんたは家を増やしたんやない。
未来の修繕請求書を増やしたんじゃ」
「また縁起でもないことを言う」
「百軒あるいうことは、
百個の屋根がある。
百個の給湯器がある。
百個のトイレがある。
百個のエアコンがある。
百個の雨漏りの入口がある」
「家賃も百軒分あるわ」
「そこが罠じゃ。
家賃は毎月入る。
修繕はある日まとめて来る」
百軒ばあさんは黙った。
昔は、
修繕費も安かった。
屋根職人もいた。
水道屋もすぐ来た。
給湯器もすぐ入った。
エアコンも安かった。
若者も文句を言わなかった。
だが今は違う。
職人は足りない。
材料は高い。
足場代は高い。
給湯器は納期が読めない。
若者はスマホで相場を調べる。
借主は国交省のガイドラインまで知っている。
おじいちゃんは言った。
「ばあさん。
家賃は入る。
請求書は育つ」
「なんじゃ、その言い方は」
「木みたいなもんじゃ。
見えんところで根が伸びる。
屋根の請求書。
給湯器の請求書。
水道管の請求書。
エアコンの請求書。
毎月の家賃に安心しとる間に、
見えん請求書が床下で育っとる」
百軒ばあさんは、
ムッとした顔をした。
「土地は裏切らん」
おじいちゃんは静かに答えた。
「土地は裏切らんかもしれん。
でも建物は毎年古くなる」
その言葉を聞いた時、
百軒ばあさんのスマホが鳴った。
ニュース速報だった。
「中東情勢、終戦へ期待。
市場に安心感」
百軒ばあさんは、
ほっとした顔をした。
「ほら見い。
世界も落ち着く言うとるじゃないか」
おじいちゃんは、
その見出しを見て、
少しだけ眉をひそめた。
「見出しは落ち着いとる。
でも現場が落ち着いたとは限らん」
「また疑う」
「相場ではな、
一番きれいな見出しほど、
誰かが先に包装しとることがあるんじゃ」
………
■第三章 社員証が消えた朝
その春、
百軒ばあさんの七号棟に住む若者が、
会社を辞めた。
いや、
正確には辞めさせられた。
名前は蒼太。
二十八歳。
都内のIT企業で働いていた。
黒いリュック。
白いスニーカー。
いつも眠そうな顔。
百軒ばあさんは、
最初こう思っていた。
「最近の若いもんは根性がない。
せっかくIT会社に入ったのに」
ところが蒼太は、
おじいちゃんにこう言った。
「会社、儲かってたんです」
「ほう」
「売上も伸びてました。
AI関連の投資も増えてました。
株価も上がってました。
なのに、僕の部署は半分になりました」
おじいちゃんは目を細めた。
「なるほどな」
「不況じゃないんです。
赤字でもないんです。
なのに切られたんです」
蒼太は、
紙袋から社員証を出した。
もう返却済みで、
今は手元に残ったストラップだけだった。
「僕ら、何だったんですかね」
おじいちゃんは言った。
「蒼太くん。
昔のリストラは、会社が弱った時に起きた。
今のリストラは、会社が強くなるために起きる」
「どういうことですか」
「AIに置き換えられる仕事が見えたんじゃ。
会社は人を捨てたんやない。
人間の型番を交換し始めたんじゃ」
蒼太は黙った。
百軒ばあさんは、
横から口を出した。
「型番?
人間を電化製品みたいに言うな」
おじいちゃんは首を振った。
「わしが言うとるんやない。
時代がそういう顔をし始めたんじゃ」
蒼太の仕事は、
問い合わせ対応、
社内資料作成、
簡単なデータ整理、
会議メモ、
営業メールの下書き。
AIが得意な仕事だった。
会社は、
十人の部署を三人にした。
残った三人は、
AIを使いこなせる人間だった。
蒼太は言った。
「会社は僕を嫌いだったわけじゃないんです。
ただ、僕がいなくても回ると分かったんです」
おじいちゃんは、
ぽつりと言った。
「それが一番きついんじゃ」
その日の夕方、
蒼太は七号棟のポストを見た。
求人広告が入っていた。
介護。
警備。
配達。
倉庫作業。
IT企業の求人は、
なかった。
おじいちゃんは、
その紙を見て言った。
「求人票はゼロになったんやない。
若者が入れる棚だけ、
静かに空になっとるんじゃ」
蒼太は言った。
「会社って、人を育てる場所じゃなかったんですか」
おじいちゃんは、
少し寂しそうに笑った。
「昔はそう言えた。
でもこれからは、
育てる前に選別する会社が増えるかもしれん」
百軒ばあさんは、
その言葉を嫌がった。
「人間は野菜や魚じゃないんじゃ。
選別なんかされてたまるか」
おじいちゃんはうなずいた。
「そうじゃ。
だからこそ、
選別される側に立たんために、
何が起きとるか見なきゃいけん」
蒼太は、
社員証のストラップを握りしめた。
それはもう、
どこのドアも開けなかった。
………
■第四章 株価は笑い、社員証は泣く
百軒ばあさんは、
株のことは分からなかった。
ただ、
おじいちゃんが元証券マンだったので、
ニュースを見ながらよく聞いた。
「あの会社、人を切ったのに株が上がっとる。
なんでじゃ」
おじいちゃんは答えた。
「人件費が減るからじゃ」
「人を切って喜ぶんか」
「市場は冷たい。
泣き声は聞かん。
数字を見る」
「薄情な世界じゃ」
「そうじゃ。
でも、それを見んと時代を読み違える」
AI投資をする会社は買われる。
人員削減で利益率が上がる会社も買われる。
中間管理職を減らす会社も買われる。
会社の中では、
誰かが荷物をまとめている。
株式市場では、
チャートが上を向いている。
百軒ばあさんは言った。
「そんなの、おかしいじゃろ」
おじいちゃんはうなずいた。
「おかしい。
でも、相場ではよくある。
株価は笑い、
社員証は泣く」
蒼太は苦笑いした。
「その言い方、きついですね」
「きつい現実は、
やわらかい言葉で包むと見えんようになる」
おじいちゃんは続けた。
「株価は未来を見る。
社員証は今日を失う。
この二つが同じ会社の中で起きるんじゃ」
百軒ばあさんは言った。
「未来を見るなら、人も見ればええじゃないか」
「そこが問題じゃ。
市場の未来には人間の顔が映らんことがある」
蒼太が言った。
「じゃあ、僕は市場から見ると、何ですか」
おじいちゃんは少し黙った。
「コストじゃ」
蒼太は笑おうとしたが、
笑えなかった。
百軒ばあさんは怒った。
「そんなもん、人間に言う言葉じゃない」
「その通りじゃ。
でも決算書にはそう出る」
おじいちゃんは、
百軒ばあさんのアパートを見上げた。
「ばあさん。
これも同じじゃ。
あんたは家を資産として見とる。
でも借主から見れば、
住み心地じゃ。
銀行から見れば担保じゃ。
修繕業者から見れば工事現場じゃ。
同じものでも、見る人で名前が変わる」
百軒ばあさんは、
少しだけ考え込んだ。
自分が資産だと思っていた家は、
誰かには寒い部屋かもしれない。
誰かには階段のきついアパートかもしれない。
誰かには、
ロボットが来ない古い住所かもしれない。
………
■第五章 家は安くなったんじゃない、小さくなったんだ
ある朝、
おじいちゃんは新聞を読んでいた。
米国の新築住宅販売価格の中央値が、
三月に大きく下がったという記事だった。
三十八万七千四百ドル。
前月から二万一千六百ドルの下落。
百軒ばあさんは言った。
「家が安くなったんなら、ええことじゃないか」
おじいちゃんは首を振った。
「違う。
家が安くなったんやない。
買える人が減ったから、
売れる価格帯へ家が寄ってきたんじゃ」
「どう違うんじゃ」
「高い家が売れにくい。
金利が高い。
ローンが重い。
だから住宅会社は、
客が月々払える家を出す」
「ええことじゃろ」
「表だけ見ればな。
でも中身を見ると、
家が小さくなる。
土地が狭くなる。
設備が落ちる。
庭が消える。
収納が減る。
駅から遠くなる」
百軒ばあさんは腕を組んだ。
「つまり」
おじいちゃんは言った。
「家は安くなったんじゃない。
夢の坪数が減ったんじゃ」
その言葉を、
蒼太がスマホにメモした。
「それ、刺さりますね」
おじいちゃんは笑った。
「小説に使えそうじゃろ」
近所の若い夫婦が、
建売住宅のチラシを持って相談に来た。
月々七万円台。
頭金ゼロ。
家賃並み。
子育て世帯にぴったり。
百軒ばあさんは言った。
「ええじゃないか。
若いうちに家は持つもんじゃ」
おじいちゃんは、
チラシをじっと見た。
駅から徒歩二十七分。
駐車場一台。
庭なし。
外構別。
修繕保証は十年。
周辺道路は狭い。
近くのバスは一時間に二本。
「これは家じゃ。
でも生活の逃げ道が細い」
若い夫婦は黙った。
おじいちゃんは言った。
「マイホームは夢に見える。
でも今は、
三十五年解約できないサブスクでもあるんじゃ」
百軒ばあさんは言った。
「家をそんな言い方するな。
家は家族の城じゃ」
おじいちゃんは静かに答えた。
「城にも維持費がいる。
城壁が壊れたら直さにゃいけん。
水道が漏れたら直さにゃいけん。
城は夢だけでは守れん」
若い夫婦は、
チラシを折りたたんだ。
紙の上では夢だった。
でも、
折り目の中から、
未来の請求書が少し見えた気がした。
………
■第六章 三十五年、解約できないサブスク
若い夫婦の名前は、
亮太と美咲だった。
二人とも三十代前半。
亮太は物流会社勤務。
美咲は保育士。
二人には、
三歳の娘がいた。
家が欲しかった。
賃貸の家賃は上がる。
子どもは大きくなる。
親からも言われる。
「家賃を払うくらいなら買った方がいい」
百軒ばあさんも言った。
「その通りじゃ。
家は持っとかんと」
だが、
おじいちゃんは紙に書き出した。
住宅ローン。
固定資産税。
火災保険。
地震保険。
修繕費。
給湯器交換。
外壁。
屋根。
配管。
エアコン。
車。
ガソリン。
駐車場。
通勤時間。
そして言った。
「家は買った日がゴールやない。
請求書のスタートじゃ」
美咲はつぶやいた。
「家って、そんなに怖いものなんですか」
おじいちゃんは首を振った。
「怖いんやない。
知らずに買うのが怖い」
百軒ばあさんは、
面白くなさそうに言った。
「あんたは何でも買う前から怖がらせる」
「違う。
買うなら知って買えという話じゃ」
亮太は言った。
「でも、家賃ももったいないんです」
おじいちゃんはうなずいた。
「それも本当。
だから単純に買うなとは言わん。
ただし、
家賃は逃げられる固定費。
住宅ローンは逃げにくい固定費。
そこが違う」
百軒ばあさんが言った。
「昔はみんな家を買ったんじゃ」
おじいちゃんは静かに答えた。
「昔は給料も上がると思えた。
金利も違う。
人口も違う。
職人もいた。
修繕費も今ほど怖くなかった」
美咲は、
娘の手を握った。
「この子が大きくなる頃、
この家は資産になるんでしょうか」
おじいちゃんは、
少しだけ黙った。
「資産になる家もある。
請求書になる家もある。
これからは、
家を買う時代やなくて、
直せる家を選ぶ時代じゃ」
百軒ばあさんは言った。
「直せる家?」
「そうじゃ。
屋根を直せる。
配管を替えられる。
職人が来る。
部品が手に入る。
高齢になっても住める。
ベビーカーも車いすも通れる。
ロボット配送も来られる。
そういう家じゃ」
亮太はチラシを見た。
「じゃあ、この家は」
おじいちゃんは、
少し困った顔をした。
「安い理由を、
よく見た方がええ」
百軒ばあさんは、
その言葉が胸に引っかかった。
自分の百軒の家は、
安く貸しているから入居者がいるのか。
それとも、
古さを家賃でごまかしているだけなのか。
おじいちゃんは言った。
「住宅ローンは、
家を買う契約ではない。
未来の自分を縛る契約でもあるんじゃ」
美咲は、
娘の手をさらに強く握った。
………
【その②へ続く】




