表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
163/163

『君の値段は、誰が決めた?』 ――人間のすべてに値札が付く時代――

✦『君の値段は、誰が決めた?』


――人間のすべてに値札が付く時代――


………


AIは、

世界中のものに値段を付けた。


服。


食事。


時間。


顔。


怒り。


思い出。


そして最後に、


僕と孫の名前へ、

値札を貼った。


その朝、


ゆづきは、

学校へ行けなくなった。


………


★目次


■第1章

 学校から鉛筆が消えた


■第2章

 答えはある。問いがない


■第3章

 三階だけの家


■第4章

 百冊目の心のノート


■第5章

 質問の中に犯人がいた


■第6章

 AIが洗った意見


■第7章

 選手は賭けの部品になった


■第8章

 怒りに値段が付く


■第9章

 顔が履歴書を追い越した


■第10章

 人間が検索タグになる


■第11章

 最後のクリックを盗め


■第12章

 親切なAIの手数料


■第13章

 夢の国から子どもが消える


■第14章

 世界で一番安い国宝


■第15章

 鉛筆だけが値札を付けなかった


❥Z世代のあなたに


★あとがき


………


■第1章

 学校から鉛筆が消えた


発表会まで、

あと十五日。


午前七時。


ゆづきは制服を着たまま、

食卓の前で動かなかった。


「学校、行かんのか?」


僕が聞くと、


ゆづきはスマートフォンを

差し出した。


画面には、


僕の名前と、

ゆづきの学校名が書かれていた。


その下に、


大きな文字が並んでいた。


【高校生がAIで日本破壊計画を作成】


僕は目を疑った。


「何じゃ、これは」


「昨日の探究発表」


ゆづきの声が震えた。


「おじいちゃんと作った文章を、

 途中まで投稿したんよ」


僕らが書いたのは、


AIへ聞く質問によって、

答えが変わるという話だった。


政権を攻撃する話ではない。


国を壊す計画でもない。


だが、


誰かが一部分だけを切り取り、


別の見出しを付けた。


投稿は一晩で広がった。


学校にも電話が入った。


友達からも、


「政治活動をしとるん?」


と聞かれた。


「発表会、やめる」


ゆづきが言った。


「逃げるんか?」


僕は思わず言った。


ゆづきが顔を上げた。


「おじいちゃんは、

 学校へ行かんでええから

 言えるんよ」


その言葉は、

胸に刺さった。


僕は、


また昔と同じことをしていた。


正しいことを言えば、

相手は動く。


そう思い込んでいた。


会社で部下へ、


「やればできる」


と言っていた頃と同じだった。


できない事情を、

見ようとしていなかった。


僕は黙った。


食卓の上には、


ゆづきのタブレットと、


僕の古い鉛筆が置かれていた。


「発表会まで十五日ある」


僕は言った。


「その間に調べよう」


「何を?」


「誰が、わしらの言葉へ

 値札を付けたのか」


ゆづきは答えなかった。


ただ、


学校のタブレットを閉じた。


画面が消えると、


部屋の中まで

少し暗くなった。


………


■第2章

 答えはある。問いがない


発表会まで、

あと十四日。


ゆづきの探究課題は、


「AI時代に必要な教育」


だった。


先生は言った。


「自分で問いを立てなさい」


けれど、


ゆづきは何を問えばよいか

分からなかった。


「AIに聞けばええが…」


僕が言うと、


ゆづきは僕をにらんだ。


「昨日のことで、

 まだ懲りてないん?」


「使うなとは言うとらん」


「じゃあ、どう使うん?」


僕は答えられなかった。


ゆづきはAIへ入力した。


『地方の人口減少について、

 探究レポートを

 書いてください』


三秒後。


原因。


問題点。


解決案。


参考資料。


立派な文章が出た。


「できた」


「何が?」


「レポート」


「人口が一万人減るのは、

 大きいんか、小さいんか?」


「え?」


「百万人の町と、

 二万人の町では違うじゃろ」


ゆづきは黙った。


AIは答えを作った。


だが、


その答えを測る物差しは、

ゆづきの中になかった。


「知らんことを調べるのが、

 探究じゃないん?」


「知らんことが何か分かるには、

 少しは知っとかんといけん」


知識がないまま、


自由に考えろと言われても、


自由ではない。


ただの迷子だ。


ノルウェーでは、

学校のデジタル化が早く進んだ。


しかしPISA 2022で、


数学の基礎水準に達した

15歳の割合は69%だった。


約31%は、

最低基準に届かなかった。


数学、読解、科学の平均成績も、

2018年より下がった。


もちろん、


全部がタブレットのせいではない。


コロナ禍。


家庭環境。


教師不足。


原因は一つではない。


それでも、


デジタルを入れれば

自動的に賢くなるわけではない。


そのことだけは、

はっきりしていた。


「日本も紙へ戻るんかな」


ゆづきが聞いた。


「昔へ戻るんじゃない」


僕は答えた。


「順番を直すんじゃ」


………


■第3章

 三階だけの家


発表会まで、

あと十三日。


僕は紙に、

家の絵を描いた。


土台。


一階。


二階。


三階。


「何これ?」


「教育じゃ」


「家にしか見えんよ」


「国語と数学が土台じゃ」


読む。


書く。


数える。


比べる。


疑う。


一階は、

基本的な知識。


二階は、


その知識を使って

自分で考える力。


「じゃあ、三階は?」


「探究学習やAIじゃ」


ゆづきは笑った。


「AIって最上階なん?」


「便利な展望台じゃ」


AIを使えば、


一人では見えなかった景色を

見ることができる。


知らない国。


難しい論文。


外国語のニュース。


だが、


土台も一階もないまま、


三階だけ空中へ置くことはできない。


見た目が立派でも、


少し揺れれば落ちる。


OECD全体では、

PISA 2022の数学成績が2018年から

約15点低下した。


読解力も約10点下がった。


OECDは、これまでに

例のない低下だとしている。


その時代に、


AIだけが急速に賢くなった。


「人間ができんことを、

 AIがやってくれるなら、

 それでよくない?」


ゆづきが聞いた。


「包丁がよく切れるようになったら、

 料理人はいらんか?」


「いる」


「自動車が自動運転になったら、

 運転の練習はいらんか?」


「いるかもしれない…」


「同じじゃ」


AIは、


基礎学力の代わりではない。


基礎学力の上に、

三階を建てる道具だ。


「土台が弱かったら?」


「間違った答えも、

 立派な文章になる」


僕は、

ゆづきのタブレットを指さした。


「一番怖いのは、

 間違っているのに、

 正しそうに見える家じゃ」


………


■第4章

 百冊目の心のノート


発表会まで、

あと十二日。


ゆづきは、

押し入れから古い箱を出した。


中には、


僕のノートが詰まっていた。


「本当に百冊ある」


「数えたんか」


「九十八、九十九、百」


ゆづきは最後の一冊を開いた。


若い頃、


僕は会社の数字ばかり書いた。


売上。


順位。


件数。


手数料。


ノルマ。


客と話す。


急いでメモする。


次の客へ行く。


また数字を書く。


文字は、


気持ちを伝えるものではなく、


成績を残す記号になった。


そのうち、


年賀状の宛名さえ

うまく書けなくなった。


頭では分かる。


だが、


手が思うように動かない。


僕は、


自分の手と心の間にあった道を

失った気がした。


そこで始めたのが、


心のノートだった。


本。


新聞。


詩。


物語。


心へ残った文章を、

鉛筆で書き写した。


一冊。


十冊。


五十冊。


百冊。


「何の役に立ったん?」


ゆづきが聞いた。


「すぐ役に立つことばかり

 考えとったから、

 壊れたんじゃ」


僕は答えた。


鉛筆は遅い。


一文字ずつしか進まない。


間違えたら消す。


もう一度書く。


だから、


心が置き去りにならない。


百冊目を書き終えた頃、


戻ってきたのは

字だけではなかった。


急がず考える力。


人の言葉を受け止める力。


自分が傷ついていると

気づく力。


自分の人生を、


自分の言葉で見る力。


ゆづきが、

一つの文章を指さした。


人間の価値は、

他人の付けた値札では決まらない。


「これ、

 おじいちゃんが書いたん?」


「誰かの言葉を

 書き写したんじゃろ」


「覚えてないん?」


「覚えとらん」


僕は笑った。


「でも百回くらい救われた」


………


■第5章

質問の中に犯人がいた


発表会まで、

あと十一日。


炎上の原因になった文章を、

僕らはもう一度確認した。


最初の投稿には、

こう書かれていた。


ChatGPTに、


日本を破滅させる政治家なら

何をするかと聞いた。


すると、


現在の政権が行っている政策と

完全に一致した。


「これを見て、

 私が発表に使ったんよ」


ゆづきが言った。


「おじいちゃんも、

 面白いと言ったじゃろ」


「言った」


「じゃあ、

 私だけの失敗じゃないよね」


胸が痛んだ。


僕は、


孫の失敗を直す側に

立っていた。


だが、


最初に面白がったのは僕だった。


「わしも間違えた」


そう言うと、


ゆづきの顔が少し緩んだ。


僕は同じAIへ、

反対の質問をした。


日本を立て直す政治家なら、

何をするべきですか。


AIは答えた。


国内産業へ投資する。


防衛力を整える。


エネルギーを確保する。


教育を立て直す。


外国人制度を整える。


新しい技術を育てる。


ゆづきが画面を見比べた。


「壊す方と、

 救う方が同じじゃん」


僕は台所の包丁を指さした。


「これは何に使う?」


「料理」


「人を傷つけることもできる」


「できる」


「良い道具か、悪い道具か?」


「使い方しだい」


「政策も同じじゃ」


産業への投資は、


新しい工場や仕事を作る。


だが、


無駄な事業へ使えば、

借金だけが残る。


防衛力は、


相手に攻撃を思いとどまらせる。


だが、


やり方を間違えれば、

緊張を高める。


同じ政策でも、


目的。


規模。


方法。


結果。


誰が得て、

誰が負担するか。


それによって、

薬にも毒にもなる。


AIは、


質問の前提に沿って

文章を作る。


日本を壊すにはどうするか。


そう聞けば、


悪い結果を並べる。


日本を救うにはどうするか。


そう聞けば、


良い結果を並べる。


「AIが嘘をついたん?」


「違う」


僕は答えた。


「質問した人が、

 答えの向きを先に決めとったんじゃ」


誰が日本を壊したのか。


そう聞けば、


壊した犯人がいる前提で

答えが始まる。


なぜ失敗したのか。


そう聞けば、


失敗した前提で

理由が並ぶ。


AIの中に、

犯人がいたのではない。


質問の中に、


犯人も、


判決も、


最初から書かれていた。


………


■第6章

 AIが洗った意見


発表会まで、

あと十日。


僕は、


自分たちを炎上させた投稿を

何度も読んだ。


文章はうまかった。


短い。


強い。


数字もある。


専門家の分析のように見える。


だが、


書いた人の名前はなかった。


「AIで作った文章かもしれん」


僕が言うと、


ゆづきは首を振った。


「それだけで悪いとは言えんよ」


「そうじゃな」


「おじいちゃんも、

 AIと小説を書いとる」


僕は黙った。


AIが悪いのではない。


問題は、


自分の怒りをAIへ入れ、


整った文章にして、


中立的な分析へ見せることだ。


人間の偏見を、


AIで洗う。


僕はそれを、


「意見のAI洗浄」


と名付けた。


世界経済フォーラムの

2025年版リスク報告では、


誤情報と偽情報が、

二年連続で短期的な世界リスクの

首位になった。


調査には、

世界の専門家900人以上が参加した。


「昔もデマはあったじゃろ?」


ゆづきが言った。


「あった」


「何が違うん?」


「速さと量じゃ」


昔は、


嘘を書くにも時間がかかった。


今は、


一人が百通りの見出しを作れる。


右の人には、

右向きの文章。


左の人には、

左向きの文章。


怒っている人には、

もっと怒れる文章。


不安な人には、

もっと怖くなる文章。


AIは真実を一つにするのではなく、


各陣営へ、


使いやすい武器を

大量に渡すことがある。


僕はふと、


証券会社時代を思い出した。


客へ商品を買ってもらうため、


良い材料ばかりを強く話した。


危険も説明した。


だが、


声の大きさは同じではなかった。


「わしも似たことをしとった」


「何を?」


「客に買ってほしい答えへ、

 話を向けとった」


AIだけが、


人を誘導しているのではない。


人間は昔から、


相手を動かすために

言葉を使ってきた。


AIは、


その速度と量を

増やしただけだった。


………


■第7章

 選手は賭けの部品になった


発表会まで、

あと九日。


サッカーの試合で、


世界的な選手が

決定的なシュートを外した。


試合後、


選手のSNSには

罵声が集まった。


下手くそ。


国へ帰れ。


お前のせいで金を失った。


最後の一文が、

昔とは違っていた。


「応援しとったんじゃないん?」


ゆづきが聞いた。


「金を賭けとったんじゃろ」


今のスポーツ賭博は、


勝敗だけではない。


誰が点を取るか。


シュートを何本打つか。


カードを何枚もらうか。


一人の選手の記録にも、

金を賭ける。


NCAAの2025年調査では、


米国の大学男子1部

バスケットボール選手の36%が、


賭けに関係する人物から

SNSで嫌がらせを受けたと答えた。


三人に一人以上だ。


以前の観客は、


自分のチームに

勝ってほしいと思った。


一部の賭博客は、


自分の数字どおりに

動けと思う。


チームが勝っても、


自分の賭けが外れれば、

選手を責める。


「それ、応援じゃないね」


「注文じゃ」


「誰への?」


「選手の体への注文じゃ」


速く走れ。


点を取れ。


反則するな。


あと一本打て。


人間の体へ、


細かく値札が付く。


スポーツは応援から、


金融取引へ近づいた。


選手は人間ではなく、


配当を出す部品に

され始めていた。


………


■第8章

 怒りに値段が付く


発表会まで、

あと八日。


ゆづきが聞いた。


「賭け事が、

 人種差別を作ったん?」


「違う」


人種差別は、


スポーツ賭博より前からあった。


移民への反感。


植民地支配の歴史。


肌の色への偏見。


誰を国民と認めるかという争い。


だが、


古い差別へ、


賭けで失った金が加わる。


2025年6月。


五輪で三つの金メダルを取った

米国の陸上選手、


ギャビー・トーマスが、


競技場で男から

何度も暴言を浴びせられた。


男は彼女を追い回し、


集中を乱した。


その後、


自分が賭けに勝ったのは、


彼女を妨害したからだと

SNSで自慢した。


獲得した金は、

約1000ドルだった。


賭博会社FanDuelは、

その男を利用停止にした。


「選手を苦しめて、

 千ドル?」


ゆづきが言った。


「人の心にも、

 値札を付けたんじゃ」


賭けに負ける。


腹が立つ。


選手のSNSへ行く。


暴言を書く。


反論が集まる。


閲覧数が増える。


また広告が表示される。


差別語そのものへ、


直接値段が付くわけではない。


だが、


怒りで人が画面から離れない時間には、

広告価値がある。


「怒った人は金を失う」


ゆづきが言った。


「選手は傷つく」


「それでも、

 画面の周りでは金が動く」


昔の差別は、


人間を傷つけた。


今の差別は、


人間を傷つけながら、


閲覧数と広告と

次の賭けを生む。


憎しみではなく、


憎しみから目を離せない時間が、


商品になったのだ。


………


■第9章

 顔が履歴書を追い越した


発表会まで、

あと七日。


ロシア人の女性モデルが、


ノルウェー代表の

アーリング・ハーランド選手に似ていると

話題になった。


母親が投稿した短い動画。


金色の髪。


鋭い目。


同じような表情。


動画は400万回以上見られた。


彼女は以前から、


ユニクロやダイソンなどの

仕事を経験したモデルだった。


だが、


世界中に知られたきっかけは、


履歴書ではなかった。


有名選手に似ていたからだ。


「似とるだけで、

 仕事になるん?」


「昔からある」


僕は答えた。


ものまね。


映画。


舞台。


広告。


昔の戦では、


武将によく似た人物を

影武者にしたという物語も残る。


現代の政治家についても、


「あの映像は本人ではない」


という影武者説が

ネットへ流れることがある。


ただし、


確かな証拠のない噂も多い。


本当に別人なのか。


撮影角度の違いか。


年齢による変化か。


加工された映像か。


外からは確かめられない。


「本当に影武者がいるかが、

 大事なんじゃないん?」


「それだけじゃない」


本物を偽物だと思わせる。


偽物を本物だと思わせる。


どちらも、


人の判断を壊す。


生成AIは、


顔だけでなく、


声。


口の動き。


表情。


話し方まで作る。


昔の影武者は、


本物の命を守った。


今の偽物は、


本物が何十年もかけて築いた

信用を借りる。


有名人の顔で、


今だけ。


必ず増える。


誰でも儲かる。


そう語らせれば、


投資詐欺にも使える。


「動画を全部疑うん?」


「顔ではなく、

 出どころを見るんじゃ」


誰が投稿したのか。


本人の公式発表にあるか。


別の報道機関が確認したか。


すぐ送金させようとしていないか。


必ず儲かると言っていないか。


動画の中の顔ではなく、


動画の外にある証拠を見る。


似ていることが、

仕事になる。


同時に、


似せられることが、

危険になる。


顔は、


自分が誰かを示すものから、


誰かが利益を得るために使う

パスワードへ変わり始めていた。


………


■第10章

 人間が検索タグになる


発表会まで、

あと六日。


僕がAIと一緒に書いた小説が、


少しだけ読まれるようになった。


67歳。


AI小説。


やり直し。


検索すると、


その三つが僕の横へ並んだ。


感想も届いた。


「67歳からでも、

 新しいことを始められるんですね」


「心のノートの話を、

 また書いてください」


「元気な高齢者の成功物語が

 読みたいです」


うれしかった。


長い間、


誰にも使われなかった経験が、


初めて誰かの役に立った。


だが、


別の作品を書くと、

反応は弱かった。


若者の貧困。


地方の金融。


教育。


戦争。


伝統工芸。


読者は、


僕が書きたい話より、


一度売れた僕を

求めるようになった。


もっと苦労を語れ。


もっと感動させろ。


もっと高齢者らしく笑わせろ。


もっとAIを使え。


もっと人生を売れ。


「小説、やめる?」


ゆづきが聞いた。


「やめん」


「じゃあ、

 家族の話も全部書くん?」


「全部は書かん」


「誰が決めるん?」


「僕が決める」


ゆづきの表情が変わった。


「私が出てくる話も?」


僕は答えられなかった。


自分の人生を書く自由と、


他人の人生を

勝手に売らない責任。


それは同じではない。


「ゆづきの話は、

 ゆづきに聞く」


僕は言った。


「今さら?」


「今さらじゃ」


「遅いよ」


「遅くても、

 聞かんよりはええ」


ゆづきは、

少しだけ笑った。


検索タグは、


人間を見つけやすくする。


だが、


人間全部を

説明することはできない。


そして、


自分の人生を売る時、


他人の人生まで

箱へ入れてはいけない。


………


■第11章

 最後のクリックを盗め


発表会まで、

あと五日。


ある女性が、


ネットで二万円の靴を

買おうとしていた。


最初に読んだのは、


何足もの靴を実際に試した

比較記事だった。


女性は、


その記事のリンクから店へ行き、


靴を買い物かごへ入れた。


普通なら、


紹介料は記事を書いた会社へ入る。


その会社が、


客を店へ連れてきたからだ。


ところが、


女性の端末には、


別の買い物アプリが

入っていた。


今回は使っていない。


割引も受けていない。


それでも支払い直前に、


アプリが裏側で

自分の紹介コードを付けた。


店の記録は変わる。


この客を連れてきたのは、


比較記事ではなく、


買い物アプリです。


紹介料も、

買い物アプリへ移る。


「何もしてないのに?」


ゆづきが聞いた。


「手柄だけ取る」


ブルームバーグの報道では、


買い物アプリPhiaについて、


このような

成果の付け替えにつながる動作が

50以上の小売サイトで

確認されたとされた。


Phia側は、


故意ではなくコード上の問題で、

指摘後に修正したと説明した。


「証券会社で言えばな」


僕は言った。


「客を見つけた営業マンがおる」


何度も説明する。


相談に乗る。


客が買うと決める。


ところが、


注文の直前だけ

別の営業マンが現れる。


担当者の名前を

自分へ書き換える。


仕事はしていない。


だが、


手数料実績だけ取る。


「商品を盗んだんじゃなくて、

 誰かの仕事を盗んだんじゃな」


「そうじゃ」


昔の泥棒は、


金や商品を盗んだ。


今の泥棒は、


客を連れてきたという

記録を盗む。


最後のクリックは、


ただの一回の操作ではない。


誰の手柄かを決める、


値札の付いた一票だった。


………


■第12章

 親切なAIの手数料


発表会まで、

あと四日。


「一番安い靴を探して」


ゆづきがAIへ頼んだ。


AIは三つの商品を出した。


一番上の商品を

買おうとした時、


僕は聞いた。


「なぜ、それが一番上なんじゃ?」


「おすすめだから」


「誰におすすめなんじゃ?」


ゆづきの指が止まった。


利用者におすすめなのか。


販売店におすすめなのか。


広告主におすすめなのか。


AI会社へ紹介料が入るから

おすすめなのか。


画面には書かれていない。


「一番安いなら、

 それでよくない?」


「送料は?」


「あ」


「返品できるんか?」


「分からん」


「広告商品じゃないんか?」


「分からん」


AIは、


中立の執事の顔をしている。


だが背中には、


販売員の名札が

付いているかもしれない。


将来は、


人間が商品を探さなくなる。


AIが探す。


比較する。


店を選ぶ。


支払う。


企業は、


人間を説得する前に、


AIの推薦順位へ

入り込もうとする。


検索対策の次は、


AI推薦対策だ。


「便利になるのは、

 悪いことなん?」


「便利は悪くない」


僕は答えた。


「便利になった分だけ、

 理由が見えにくくなるんじゃ」


昔は、


店員の顔を見て

信用を決めた。


これからは、


顔のないAIの後ろにある

手数料表を読む力がいる。


おすすめを聞く前に、


誰がその答えで儲かるのか。


それを聞く時代になる。


………


■第13章

 夢の国から子どもが消える


発表会まで、

あと三日。


僕はゆづきを、

テーマパークへ誘った。


「発表が終わったら、

 一緒に行くか?」


ゆづきは料金を調べた。


入園券。


交通費。


食事。


有料の優先サービス。


グッズ。


宿泊費。


「高いな」


僕は思わず言った。


「誘った人が、

 先に驚かんでよ」


東京ディズニーリゾートでは、


2026年3月期の

一人当たり売上高が、


過去最高の1万8403円になった。


値上げが悪いわけではない。


物価も人件費も上がる。


混雑が減れば、

快適になる。


高く払う人へ、


特別な体験を売るのも

立派な経営だ。


だが、


子どもの頃に行けない人が増えれば、


十年後、二十年後の

大人の客はどうなるのだろう。


家族と来た。


制服で友達と来た。


恋人と来た。


親になり、


子どもを連れて戻った。


その思い出が、


長い顧客関係を作っていた。


「行かんでも、

 動画で見られるよ」


ゆづきが言った。


「動画で見た花火と、

 隣で見た花火は同じか?」


「違う」


文化の入口を高くすれば、


今の売上は増える。


だが、


未来の思い出を

先に使ってしまう。


「夢の国ってさ」


ゆづきが言った。


「夢を持っとる人が行く場所

 じゃなくて、


 夢を買える人が

 行く場所になるんかな…」


黒字は正しい。


しかし、


子どもの入口を閉じた黒字は、


未来の前借りかもしれなかった。


………


■第14章

 世界で一番安い国宝


発表会まで、

あと二日。


僕らは、


古い漆器工房を訪ねた。


職人は、


一つの椀へ

何度も漆を塗っていた。


塗る。


乾かす。


研ぐ。


また塗る。


一つの椀へ、


何人もの手と

長い時間が入る。


だが、


日本では高いと売れない。


値段を下げる。


職人の収入が減る。


後継者が来ない。


技術が消える。


日本で国が指定する

伝統的工芸品は、


2025年10月時点で244品目ある。


技術がないのではない。


売り方がない。


英語。


写真。


デザイン。


契約。


海外配送。


修理サービス。


富裕層への販路。


その全部をつなぐ人が少ない。


海外の料理人が、


一つの椀を

八百ドルで買いたいと言った。


職人は顔をしかめた。


「そんな値段を取ったら、

 詐欺じゃ」


ゆづきが聞いた。


「安く売って、

 後継者が消える方が、

 この椀に対する詐欺じゃないん?」


職人は黙った。


「お嬢ちゃん」


しばらくして、

職人が言った。


「高く売れたら、

 若い人が来ると思うか?」


ゆづきは答えられなかった。


高く売るだけでは、


後継者は育たない。


教える時間。


安定した給料。


住む場所。


失敗できる期間。


そこまで作らなければ、

技術は続かない。


世界の富裕層が買うのは、


単なる器ではない。


直しながら受け継ぐ文化。


職人が積み重ねた時間。


百年後へ渡す可能性。


日本に足りないのは、


技術を守れという言葉ではない。


技術を、


世界が理解できる価値へ

翻訳する仕組みだった。


僕は椀を手に取った。


軽かった。


だが、


何百年もの重さがあった。


世界で一番安い国宝が、


僕の手の中にあった。


………


■第15章

 鉛筆だけが値札を付けなかった


発表会当日。


ゆづきは制服を着て、


玄関の前に立った。


「怖い?」


僕が聞いた。


「怖い」


「やめてもええ」


ゆづきが僕を見た。


「十五日前は、

 逃げるんかって言ったじゃろ」


「間違えたんじゃ」


「簡単に認めるね」


「67年生きたら、

 間違いの在庫だけは多い」


ゆづきが笑った。


学校の発表会。


教室には、


生徒。


先生。


保護者。


そして、


炎上した投稿を見た人もいた。


ゆづきは壇上へ立った。


最初の画面には、


あの見出しを映した。


【高校生がAIで日本破壊計画を作成】


教室が静かになった。


「これは、

 私の発表を切り取った投稿です」


ゆづきは言った。


「でも、

 投稿した人だけが

 悪いとは思いません」


僕は驚いた。


「私も、

 強い言葉の方が

 読んでもらえると思っていました」


「AIが言った」


「完全一致した」


「日本が壊される」


「そう書けば、

 みんなが見ると思いました」


教室の後ろで、


先生がうつむいた。


「私は、正しいことを伝えたいと

 言いながら、

 先に結論を決めていました」


次の画面。


69%。


36%。


1万8403円。


244品目。


十五日間で見た数字が並んだ。


「数字は、

 人を説得してくれます」


「でも、

 数字だけでは、

 人間全部を説明できません」


「選手の36%が攻撃を受けても、

 一人一人の怖さは

 36%ではありません」


「一人当たり売上高が上がっても、

 行けなかった子どもの思い出は

 決算書に出ません」


「伝統工芸が244品目あっても、

 最後の一人が辞めた痛みは

 244分の1ではありません」


ゆづきは、


最後の画面を消した。


何も映っていない

白いスクリーンになった。


そして、


ポケットから鉛筆を出した。


「AIは、

 何でも答えてくれます」


「SNSは、

 何でも裁けます」


「市場は、

 何にでも値段を付けます」


「でも、何を信じるか?」


「何を売るか?」


「何を守るか?」


「どこで立ち止まるか?」


「それだけは、

 人間が決めなければなりません」


ゆづきは、


一枚の紙を読み上げた。


誰が悪いのか。


その一文には、

線が引かれていた。


下には、


別の問いが書かれていた。


僕は、

何を見落としているのか。


教室は静かだった。


拍手は、


すぐには起きなかった。


僕は、


その沈黙がうれしかった。


みんなが、


少しだけ立ち止まったからだ。


やがて、


一人が手をたたいた。


次に、


もう一人。


拍手は、


大きくはなかった。


だが、


炎上の通知音より、

ずっと長く残った。


その夜。


僕は百冊目のノートを開いた。


昔の文字があった。


人間の価値は、


他人が付けた値札では

決まらない。


僕はその下へ、


新しい一文を書いた。


AIは、


世界中のものに値段を付けた。


けれど、


鉛筆だけは、


僕を採点しなかった。


………


❥Z世代のあなたに


AIを使わないでください。


そんなことを、

僕は言いたくない。


AIは便利だ。


速い。


広い。


一人では読めなかった世界を、

見せてくれる。


けれど、


AIへ質問する前に、


一度だけ考えてほしい。


その質問の中に、


自分の欲しい答えが

入っていないか。


AIがおすすめした商品を買う前に、


一度だけ考えてほしい。


その答えで、


誰が手数料を受け取るのか。


SNSで誰かを責める前に、


一度だけ考えてほしい。


自分の怒りが、


誰かの広告収入になっていないか。


フォロワー数。


学歴。


顔。


年収。


再生回数。


偏差値。


誰かが付けた数字は、


君の一部分を

測ることはできる。


けれど、


君の全部を

測ることはできない。


国語は、


テストのためだけにあるのではない。


誰かの言葉に

だまされないためにある。


数学は、


公式を覚えるためだけにあるのではない。


誰かの数字に

だまされないためにある。


鉛筆は、


昔の道具ではない。


自分の心が、


どこで止まったかを

確かめる道具だ。


AIは世界を広げる。


鉛筆は、


広がりすぎた世界の中で、


自分を見失わないためにある。


君の値段を、


AIだけに決めさせないでほしい。


SNSだけに決めさせないでほしい。


会社だけに決めさせないでほしい。


学校だけに決めさせないでほしい。


そして、


自分で自分を

安売りしないでほしい。


君の価値は、


誰かが貼った

一枚の札ではない。


君が何を守り、


誰に渡し、


どこで間違い、


何度やり直したか。


その積み重ねの中にある。


………


★あとがき


――ホームズとワトソンの、

 やすきよ漫才風・最後の推理――


「ホームズ」


「何だね、ワトソン君」


「AIが、

 私の値段を判定しました」


「ほう。いくらだった?」


「時価総額三兆円です」


「君のどこに、

 三兆円の価値があるんだ」


「伸びしろです」


「67歳で、

 どこまで伸びるつもりだ!」


「身長はもう無理です」


「会社の成長の話だ!」


「ではホームズ。


 君の値段も、

 AIに聞いてみましょう」


「必要ない。


 私は世界最高の名探偵だ」


「結果が出ました」


「いくらだ?」


「月額980円です」


「安いな!」


「広告付きプランです」


「私の推理中に広告を流すな!」


「殺人事件の途中ですが、


 ここでおすすめの

 完全犯罪セットをご紹介します」


「売るな!」


「今なら紹介コード、


 WATSON10で十%引きです」


「最後のクリックを盗むな!」


「では、

 夢の国へ行きましょう」


「急だな」


「夢の国なら、


 人間に値札は付きません」


「入園券に付いているだろう!」


「では、

 漆塗りの椀を買います」


「いくらだ?」


「八百ドルです」


「高い!」


「安く売ったら、

 職人が消えるんですよ」


「急に本質を突くな!」


「それでは最後に質問です」


「何だね」


「AIが人間より賢くなったら、


 人間は何をすれば

 いいんでしょう?」


ホームズは、


しばらく黙った。


そして、


鉛筆を一本取り出した。


「自分で考えたことを、


 自分の手で、


 一行だけ書けばいい」


「さすがホームズ」


「ただし、

 ワトソン君」


「何です?」


「君の文章は長すぎる」


「誰と小説を書いとると

 思っとるんですか!」


「私ではないのか?」


「パティちゃんです」


「私は脇役だったのか!」


「しかも月額980円です」


「まだ言うか!」


二人の笑い声が、


古い部屋へ響いた。


机の上には、


スマートフォンと、


一本の鉛筆が並んでいた。


どちらが正しいわけでもない。


どちらか一つを、


捨てる必要もない。


ただ、


最後に自分の名前を書くのは、


人間の手だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ