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『AI神殿の排熱』 ――クラウドを信じる者ほど、紙の地図を持った――

✦『AI神殿の排熱』


――クラウドを信じる者ほど、

 紙の地図を持った――


………


AIは、人間を支配しなかった。


その前に、

人間の町の電気と水を、

静かに予約し始めた。


ヨーロッパでは、

五月の空の下で線路が曲がった。


アスファルトは靴にくっつき、

列車の冷房は止まり、

乗客は線路脇へ逃げた。


その同じ夜、

Xには奇妙な投稿が

流れ続けていた。


「データセンターができてから、

 夜の音が変わった」


「AIを冷やす水はあるのに、

 うちの町は節水しろって?」


「太陽フレア警報。

 GPSが変。怖い」


「都会にいると

 頭がずっと曇っている」


「クラウドって、

 結局どこかの町の

 電気を食ってるんだろ?」


高校一年生のゆづきは、

最初、それを陰謀論だと思った。


だが、

六十七歳の祖父は言った。


「全部を信じるな。

 でも、全部を笑うな」


「庶民の悲鳴はな、

 たいてい統計より

 先に現場へ届いとる」


その瞬間、

ゆづきは気づいた。


これは

AIの話では

ない。


これは

電磁波の話でも

ない。


これは

熱波の話だけでも

ない。


これは、

人類が電気に近づきすぎた

物語である。


………


★15章目次


■第1章

 アスファルトが靴にくっついた朝


■第2章

 クラウドは空にない


■第3章

 AI神殿は夜も眠らない


■第4章

 Xに流れた庶民の悲鳴


■第5章

 東京は電子レンジではない


■第6章

 ふるさとの庭には風があった


■第7章

 太陽フレアは

 犯人ではなかった


■第8章

 ホルムズ海峡は 

 冷房のスイッチだった


■第9章

 午後二時、

 誰の電気を止めないか


■第10章

 データセンター住民説明会


■第11章

 ノイズ地価


■第12章

 スマホの現在地が消えた日


■第13章

 クラウドを信じる者ほど、

 紙の地図を持った


■第14章

 Z世代の二重OS


■第15章

 雲の下の地面を忘れるな


❥Z世代のあなたへ


★あとがき

 ホームズとワトソンの

 やすきよ漫才風


 ――AIは賢い。

  でも水筒は持っとけ――


………


■第1章

 アスファルトが

 靴にくっついた朝


ヨーロッパのニュース映像は、

最初、映画の予告編に見えた。


線路が曲がっていた。


鉄のレールが、

まるで

暑さに耐えきれなくなった

蛇のように、

横へうねっていた。


次の映像では、

女性が靴の裏を見せていた。


黒いアスファルトが、

べっとりと靴底に張りついていた。


「道路が、

 柔らかくなっています」


ニュースキャスターの声が、

妙に冷静だった。


ゆづきは、

朝食のトーストを持ったまま

固まった。


「道路って、溶けるの?」


テレビの前で

新聞を読んでいた祖父が、

メガネを少し下げて言った。


「溶けるというより、

 固かったものが、

 固くいられなくなったんじゃ」


「道路が?」


「道路だけじゃない。

 線路も、電力も、冷房も、

 人間の体もじゃ」


ヨーロッパでは、

五月なのに熱波が来ていた。


季節が一か月、二か月、

先走ったような暑さだった。


列車は止まり、

冷房のない車両では

乗客が息苦しさを訴えた。


学校は閉まり、

道路は一部で通行制限になり、

観光客は

リゾート地のホテルから

出られなかった。


ゆづきはスマホを開いた。


Xには、

ニュースより先に悲鳴が流れていた。


【作中SNS投稿】

「パリ発の列車、

 冷房なしで止まった。

 車内がオーブン。

 子どもが泣いてる」


【作中SNS投稿】

「靴にアスファルトついた。

 これ道路じゃなくて 

 黒いガムじゃん」


【作中SNS投稿】

「線路が曲がるって何?

  昭和のSFかと思ったら

 現実だった」


ゆづきは思わず言った。


「世界、

 ちょっと壊れてない?」


祖父は新聞をたたんだ。


「壊れたんじゃない。

 限界が見え始めたんじゃ」


「何の限界?」


祖父はテレビ画面を指さした。


「安い電気。

 安い冷房。

 安い道路。

 安い移動。

 安いクラウド。


 それを全部、

 当たり前だと思ってきた

 文明の限界じゃ」


ゆづきは黙った。


アスファルトが靴にくっつく。


それは、

遠いヨーロッパの

珍事件ではなかった。


便利だと思っていた地面が、

太陽に正体を暴かれた

瞬間だった。


………


■第2章

 クラウドは空にない


その夜、

ゆづきはAIに聞いた。


「ヨーロッパ熱波と

 データセンターは

 関係ありますか?」


AIはすぐに答えた。


熱波。

電力需要。

冷却。

データセンター。

電力網。

水資源。

地域負担。


きれいな文章だった。


でも、祖父は言った。


「きれいすぎる文章には、

 だいたい床下が抜けとる」


「床下?」


祖父はタブレットに

一枚の写真を出した。


灰色の巨大な建物。


窓は少ない。

フェンスに囲まれている。

外には大きな冷却設備。

横には変電設備。

近くには太い送電線。


「これがAIの体じゃ」


「これ、倉庫じゃないの?」


「データセンターじゃ」


ゆづきは画面を拡大した。


「AIって、

 こんなところにいるの?」


「いるというより、

 ここで電気を食っとる」


「AIが?」


「そうじゃ。

 AIは言葉を出す前に、

 電気を食う。

 熱を出す。

 水で冷やされる」


ゆづきはスマホを見た。


スマホは薄かった。

軽かった。

指先で動いた。


だが、その向こうには、


✲町ひとつ分の電気を食う

 巨大な箱がある


祖父は言った。


「クラウドは空に浮かんどらん。

 どこかの町の地面に建っとる」


ゆづきはその言葉を

ノートに書いた。


クラウドは空にない。

AIは雲ではない。

AIは地上の獣である。


………


■第3章

 AI神殿は夜も眠らない


翌日の昼休み、

ゆづきは友達のミナに話した。


「AIって、

 神殿みたいなんだって」


ミナは

おにぎりを食べながら言った。


「神殿?」


「みんなが質問を捧げる

 場所。

 返ってくる答えが

 神託。


 でも、

 線香の煙じゃなくて

 排熱が出る」


ミナは一瞬ぽかんとして、

それから笑った。


「それ、怖いけど分かる」


ゆづきはスマホで記事を見せた。


AIデータセンター。

電力消費。

冷却水。

送電網。

地域反発。

住民説明会。


ミナの顔から笑いが消えた。


「AIって、

 便利なアプリじゃないんだね」


「うん」


「めっちゃ物理じゃん」


「おじいちゃんが言ってた。

 AIは空じゃなくて、

 床下インフラだって」


ミナは少し黙ったあと、

小さな声で言った。


「じゃあさ、 

 私たちがAIで画像作ったり、

 文章作ったりするたびに、

 どこかで電気が

 使われてるってこと?」


「たぶん」


「どこかの町で?」


「うん」


「どこかの水で冷やして?」


「うん」


ミナは自分のスマホを見た。


「軽すぎると、

 重さが分からないね」


ゆづきはその一言にぞくっとした。


AIの答えは軽い。


でも、

その軽さは、

どこかの町の重さの上に乗っていた。


………


■第4章

 Xに流れた庶民の悲鳴


その夜、

Xにはさらに奇妙な投稿が増えていた。


【作中SNS投稿】

「データセンターができてから

 夜中に低い音がする。

 耳じゃなくて

 骨で聞こえる感じ」


【作中SNS投稿】

「市は節水しろって言うのに、

 AI施設は水を使う。

 納得できる説明がない」


【作中SNS投稿】

「電気代が上がった。

 AIの未来のために、 

 こっちの冷房を 

 我慢しろってこと?」


【作中SNS投稿】

「都会にいると

 頭がぼーっとする。

 田舎に帰ると治る。

 これ何?」


【作中SNS投稿】

「太陽フレア警報出てる日に

 GPSが変。

 全部クラウドに預けるの

 怖すぎ」


ゆづきは言った。


「これ、全部本当なのかな」


祖父は腕を組んだ。


「全部を本当とは言えん」


「じゃあ嘘?」


「全部を嘘とも言えん」


「またそれ?」


祖父は紙に丸を描いた。


中央に、

“電磁波”

と書いた。


その周りに、

水不足。

電気代。

排熱。

低周波音。

睡眠不足。

熱波。

都市過密。

AI格差。

送電線。

冷房。

データセンター。

太陽フレア。


と書いた。


「庶民はな、

 この全部をまとめて、

 “電磁波が怖い”と

 叫んどるのかもしれん」


「電磁波って言葉が 

 間違ってるかもしれない

 ってこと?」


「正確な原因名では

 ないかもしれん。

 でも、

 生活の痛みの名前としては、

 かなり強い」


ゆづきはその丸を見つめた。


SNSは雑だ。

怒りっぽい。

間違いも多い。

煽りもある。


でも、

そこには確かに、

人間の生の温度があった。


テレビより早く、

論文より荒く、

現場の不安が叫んでいた。


祖父は言った。


「庶民の悲鳴は、

 原因の名前を間違える。


 でも、

 苦しんどる場所は

 間違えんことがある」


その言葉は、

ゆづきの胸に残った。


………


■第5章

 東京は電子レンジではない


週末、

ゆづきは祖父と東京へ行った。


駅前に出た瞬間、

空気が違った。


人。

人。

人。


スマホ。

イヤホン。

広告音。

電車の振動。

室外機の熱。

タクシー。

配送車。

信号。

高層ビル。

Wi-Fi。

基地局。

自動改札。

監視カメラ。

LED看板。


ゆづきは思わず言った。


「空気が濃い」


祖父は笑った。


「人口密度だけじゃない。

 刺激密度じゃ」


✲「刺激密度?」


「熱、光、音、通知、

 通信、排熱、人混み。

 全部の密度じゃ」


東京は

電子レンジではない。


祖父は

そうはっきり言った。


「電磁波で

 人間がそのまま焼かれとる、

 そんな単純な話ではない」


「じゃあ大丈夫なの?」


「大丈夫とも言い切れん」


「何が怖いの?」


祖父は駅前の人波を見た。


「逃げ場が少ないことじゃ」


ビルの隙間は狭い。

風は弱い。

夜も明るい。

音は止まらない。

スマホは鳴る。

電車は混む。

アスファルトは熱を持つ。


電磁波だけではない。


都市は、

熱と音と光と情報の

蒸し器だった。


ゆづきはつぶやいた。


「便利って、

 濃すぎると疲れるんだね」


祖父はうなずいた。


「便利さも、

 密度が高すぎると毒になる」


………


■第6章

 ふるさとの庭には風があった


その翌週、

祖父はふるさとの郊外を

Eバイクで走った。


田んぼ。

用水路。

庭のある家。

空の広さ。

家と家の間の風。


東京では、家と家の隙間が

三十センチほどしかない

場所もある。


だがふるさとには、

まだ余白があった。


その夜、

祖父はゆづきに言った。


「田舎の庭はな、 

 ただの庭じゃない」


「何なの?」


「文明の余白じゃ」


「また難しい」


「熱を逃がす。

 音を逃がす。

 光を逃がす。

 人間の神経を逃がす。


 庭とは、

 そういうものじゃ」


ゆづきはノートに書いた。


低刺激プレミアム。

低依存プレミアム。

文明の余白。


昔は、

東京の方が価値があると

思われていた。


仕事がある。

店がある。

病院がある。

学校がある。

情報がある。


だが、

熱波と電力不安と

データセンター乱立の時代には、

別の価値が生まれる。


眠れること。

風が通ること。

夜が暗いこと。

水に近いこと。

停電しても階段で暮らせること。

近所の人の顔が分かること。


ゆづきは思った。


未来の高級住宅は、

最上階のタワマンではなく、

真夏の夜に眠れる家かもしれない。


………


■第7章

 太陽フレアは犯人ではなかった


その夜、

太陽フレア警報が流れた。


Xはざわついた。


【作中SNS投稿】

「太陽フレア来るらしい。

 GPS大丈夫?」


【作中SNS投稿】

「スマホ決済に頼りすぎてる社会、

 太陽に一発でやられそう」


【作中SNS投稿】

「気温40度、電力逼迫、

 太陽フレア。

 もう地球のサーバー

 落ちかけてるだろ」


ゆづきは祖父に聞いた。


「太陽フレアって、

 熱波の犯人なの?」


祖父は首を振った。


「犯人にすると話が雑になる」


「じゃあ関係ない?」


「関係ないと言うと、

 今度は話が浅くなる」


「どっち?」


「太陽フレアは、

 ヨーロッパの熱波を

 直接作った犯人ではない。


 でも、通信、GPS、衛星、

 電力網を揺らすことはある」


「つまり?」


祖父は窓の外を見た。


「熱波で弱った都市の神経を、

 宇宙から叩くことはある」


ゆづきは黙った。


熱波。

都市。

AI。

データセンター。

電力。

GPS。

宇宙天気。


全部が一本の神経のように

つながっている。


祖父は言った。


「太陽は犯人ではなかった。

 だが、弱った文明へ 

 ノックはした」


ゆづきはその言葉を

ノートに書いた。


………


■第8章

 ホルムズ海峡は

 冷房のスイッチだった


祖父は世界地図を広げた。


「ゆづき、

 ホルムズ海峡はどこじゃ?」


「中東のここ」


「そう。

 石油とガスの通り道じゃ」


「それがAIと関係あるの?」


「ある。

 ものすごくある」


祖父は矢印を書いた。


ホルムズ海峡。

LNG。

重油。

軽油。

発電所。

冷房。

データセンター。

冷凍倉庫。

鉄道。

病院。


「熱波が来る。

 冷房が必要になる。

 冷房には電気がいる。

 電気には燃料がいる。

 燃料には海峡がいる」


ゆづきは地図を見た。


「じゃあホルムズ海峡が詰まると」


「部屋の冷房にも響く」


「遠すぎる海なのに?」


「遠い海ほど、

 台所や寝室につながっとる」


祖父は続けた。


「AIも同じじゃ。


 AIを冷やすには

 電気がいる。


 データセンターには

 安定電力がいる。


 冷却にも水がいる」


ゆづきは小さく言った。


「クラウドって、

 海峡にもつながってるんだ」


「そうじゃ。

 雲の下には、海もある」


………


■第9章

 午後二時、

 誰の電気を止めないか


真夏の午後二時。


政府は節電を呼びかけた。


「不要不急の電力使用を

 控えてください」


「高齢者の冷房は

 我慢しないでください」


「企業はピーク時の電力使用を

 調整してください」


SNSは荒れた。


【作中SNS投稿】

「高齢者は冷房つけろ、

 企業は節電しろ、

 データセンターはどうするの?」


【作中SNS投稿】

「AI画像生成は

 不要不急じゃないの?」


【作中SNS投稿】

「病院とデータセンター、

 非常時にどっち優先?」


【作中SNS投稿】

「私たちが

 冷房28度で我慢してる横で、

 AIはキンキンに

 冷やされてるの?」


テレビ討論で専門家が言った。


「非常時には

 電力の優先順位を

 社会全体で議論する

 必要があります」


ゆづきは祖父に聞いた。


「データセンターって、

 止められないの?」


「全部は止められん。

 金融、医療、行政、通信。

 いろんなものが

 クラウドに乗っとる」


「でも、

 AIの遊びみたいな  

 使い方もあるよね」


「そこが問題じゃ」


祖父は低い声で言った。


「これからの政治は、

 税金だけではない」


「何なの?」


「真夏の午後二時、

 誰の電気を止めないかじゃ」


ゆづきの背中に、

冷たいものが走った。


✲電力配分権


その言葉は、

まだニュースには

出ていなかった。


でも、

未来の争点になる匂いがした。


………


■第10章

 データセンター住民説明会


地方都市で、

巨大データセンターの

住民説明会が開かれた。


企業側は笑顔だった。


「地域経済に貢献します」

「最新の冷却技術を採用します」

「再生可能エネルギーも活用します」

「雇用も生まれます」


だが、

会場の空気は重かった。


農家の男性が立った。


「水は

 どれくらい使うんですか?」


高齢の女性が続けた。


「停電の時、

 うちの病院とデータセンター、

 どちらに電気が行くんですか?」


若い父親が聞いた。


「雇用は何人ですか。

 この巨大な施設で、

 地元の若者は

 何人働けるんですか?」


会場がざわついた。


一人の高校生が立った。


「AIは便利です。

 僕も使っています。


 でも、

 僕たちの町が

 AIの排熱だけを

 引き受けるのは嫌です」


企業担当者の笑顔が

少し固まった。


高校生は続けた。


「建てるなら、

 契約してください。


 水の使用量を

 公開してください。


 災害時に  

 病院へ電力を回す協定を

 結んでください。


 排熱を

 地域で使ってください。


 地元の高校に電気と

 冷却技術の授業を

 作ってください」


祖父は

そのニュースを見て言った。


「この子は分かっとる」


ゆづきは聞いた。


「何を?」


「反対だけじゃない。

 契約じゃ」


「AI神殿と町の契約?」


「そうじゃ。

 神殿を建てるなら、

 門前町にも水と仕事を返せ、

 ということじゃ」


………


■第11章

 ノイズ地価


不動産サイトに、

新しい表示が追加された。


駅徒歩。

築年数。

家賃。

日当たり。

災害リスク。


そして、


✲ノイズ指数


夜間騒音。

送電線距離。

データセンター距離。

基地局密度。

風の抜け。

夜間照度。

停電復旧優先度。

冷房避難所までの距離。


ゆづきは驚いた。


「こんなの、昔からあった?」


祖父は首を振った。


「なかった。

 でも、これから出てくる」


「駅近より大事なの?」


「人によってはな」


昔は、

駅に近い部屋が強かった。


でも今は、

駅近の部屋ほど暑い。

騒がしい。

光が強い。

室外機が多い。

夜も眠れない。


地方の少し不便な家が、

急に価値を持ち始めた。


夜が暗い。

風が抜ける。

庭がある。

水に近い。

人の顔が見える。

停電しても外に出られる。


祖父は言った。


「昔は駅近が高かった。


 これからは、

 朝まで眠れる町が

 高くなるかもしれん」


ゆづきは思った。


地価とは、

土地の値段ではなかった。


人間がどれだけ

安心して眠れるかの値段だった。


………


■第12章

 スマホの現在地が消えた日


太陽フレア警報の翌日、

大きな事故は起きなかった。


でも、

小さな異変はあった。


ゆづきのスマホ地図が、

一瞬だけ

現在地を見失った。


駅前にいるのに、

アプリ上では 

川の向こうにいた。


ミナからメッセージが来た。


「私も地図変。

 駅の反対側にいることに

 なってる」


コンビニでは、

決済端末が

一時的に遅くなった。


駅では、

外国人観光客が

スマホを見つめて困っていた。


大事件ではない。


でも、人間がどれほど

位置情報に頼っているかが

見えた。


祖父は

カバンから紙の地図を出した。


ゆづきは吹き出した。


「おじいちゃん、紙地図って」


「笑うな。

 紙はバッテリー切れせん」


「昭和すぎる」


「昭和は停電に強いんじゃ」


その紙地図は、

その日だけ妙に頼もしく見えた。


ゆづきは家に帰ると、

小さな防災ポーチを作った。


現金。

紙の地図。

家族の電話番号を書いた紙。

小さなメモ帳。

ペン。

水。

飴。

モバイルバッテリー。

小型ライト。


AIを捨てるわけではない。

スマホを疑うわけでもない。


ただ、

もう一本の道を持つ。


………


■第13章

 クラウドを信じる者ほど、

 紙の地図を持った


ゆづきは学校で発表した。


テーマは、

「Z世代の

 デジタル・プレッパー」。


クラスがざわついた。


「プレッパーって、

 地下室に缶詰積む人でしょ?」


ゆづきは首を振った。


「昔のプレッパーは

 そうかもしれない。


 でも、

 これからのプレッパーは違う」


スクリーンに映した。


スマホ決済+現金。

Googleマップ+紙地図。

クラウド保存+紙の控え。

AI+自分のメモ。

EV+自転車。

SNS+近所の顔。

ネット通販+地元商店。

冷房+日陰と風。


「デジタルを

 捨てるんじゃない。

 デジタルが止まった時の

 退路を持つ」


ミナが小さく拍手した。


ゆづきは続けた。


「クラウドを信じる者ほど、 

 紙の地図を持つ。

 これは古い考えじゃない。

 これが新しい考えです」


教室が静かになった。


誰も笑わなかった。


なぜなら、みんな少しだけ

思い当たっていたからだ。


スマホが使えないだけで、

自分たちは

駅から家に帰れるのか。


AIがないだけで、

自分の言葉で説明できるのか。


決済が落ちた時、

何かを買えるのか。


ゆづきは言った。


「未来に進むなら、

 退路も持つべきです」


………


■第14章

 Z世代の二重OS


ゆづきは、

自分たちに必要な力を

二つに分けた。


ひとつは、

デジタルOS。


AIを使う力。

英語で読む力。

Xの投稿を疑う力。

データを見る力。

宇宙天気を見る力。

電力需給を見る力。

物流を見る力。

金融を見る力。


もうひとつは、

身体OS。


歩く力。

眠る力。

暑さを避ける力。

水を持つ習慣。

紙に書く力。

料理する力。

近所の人と話す力。

自転車に乗る力。

現金を持つ判断。

体調の違和感に気づく力。


AIを使う脳。

停電でも生きる体。


ゆづきは言った。


「これから強い人は、

 AIに詳しい人だけじゃない。


 AIが止まった時にも、

 落ち着いて動ける人です」


祖父はその発表を聞いて、

少し目を細めた。


「よう言うた」


「おじいちゃんの

 受け売りだけどね」


「受け売りでもええ。

 未来へ渡せば、

 それは知恵になる」


ゆづきは笑った。


「じゃあ、

 私は未来の押し売り?」


祖父も笑った。


「押し売りではない。

 善知識じゃ」


………


■第15章

 雲の下の地面を忘れるな


その夜、

ゆづきは小説を書き始めた。


タイトルは、


『AI神殿の排熱』


主人公は高校生。

相棒は六十七歳の祖父。


舞台は、ヨーロッパ熱波と

日本の地方都市。


敵はAIではない。

太陽でもない。

電磁波でもない。


本当の敵は、

便利さの裏側を見ないまま、

全部をクラウドに預けてしまう 

人間の油断だった。


ゆづきは冒頭を書いた。


AIは、 

人間を支配しなかった。


その前に、

人間の町の電気と水を、

静かに予約し始めた。


祖父がのぞき込んだ。


「なかなか怖いな」


「怖い方が読まれるでしょ」


「たしかに」


「でも最後は希望にしたい」


「それがええ」


ゆづきは最後にこう書いた。


クラウドを使え。

しかし、

雲の下の地面を忘れるな。


AIを使え。

しかし、AIが止まった夜に、

自分の足で帰れる人間であれ。


未来は怖い。


でも、

怖いと知った人間だけが、

未来に備えることができる。


………


❥Z世代のあなたへ


AIを怖がらなくていい。


AIは、

あなたの味方になる。


勉強を助ける。

文章を助ける。

絵を助ける。

翻訳を助ける。

孤独な夜の相談相手にもなる。


でも、

ひとつだけ忘れないでほしい。


AIは空に浮かぶ魔法ではない。


どこかの町の地面に、

データセンターがある。


そこには、

電気が流れている。

水が回っている。

熱が出ている。

変圧器が唸っている。

冷却ファンが回っている。

その町に住む人がいる。


あなたがAIを使うたび、

どこかで小さな電気が流れる。


だから、

AIを使うな、ではない。


AIの地面を見ろ。


クラウドを使いながら、

紙の地図も持て。


スマホ決済を使いながら、

少しの現金も持て。


AIに聞きながら、

自分の体調にも聞け。


都会で働きながら、

風の抜ける場所を知れ。


デジタルで速くなりながら、

アナログの退路を捨てるな。


これからの強さは、

一つの便利さに

全部を預けることではない。


二本足で立つこと。


AIを使う脳。

停電でも生きる体。


その二つを持つあなたは、

きっと次の時代を歩いていける。


………


★あとがき

 ホームズとワトソンの

 やすきよ漫才風


 ――AIは賢い。

  でも水筒は持っとけ――


ワトソン

「ホームズさん、

 今回の事件、

 結局犯人は誰なんですか?


 太陽フレアですか?

 データセンターですか?

 電磁波ですか?

 ホルムズ海峡ですか?」


ホームズ

「ワトソン君、

 君は相変わらず

 犯人を一人にしたがるね」


ワトソン

「推理小説なら

 犯人一人でお願いしますよ!

 読者も混乱しますやん!」


ホームズ

「今回の犯人は一人ではない」


ワトソン

「出た!

 また難しいやつ!」


ホームズ

「便利さの裏側を見なかった

 人類の油断だ」


ワトソン

「うわ、急に説教臭い!

 読者がスマホ閉じますよ!」


ホームズ

「では簡単に言おう」


ワトソン

「お願いします」


ホームズ

「AIに質問しすぎて、

 電気代と水道代を見忘れた」


ワトソン

「急に家計簿になった!」


ホームズ

「AIは賢い。

 だがAIは水筒を持っていない」


ワトソン

「AIが水筒持ってたら、 

 それはそれで怖いですわ!」


ホームズ

「しかし、

 AIを冷やす水は必要だ」


ワトソン

「なるほど。

 AIは頭はいいけど、

 汗っかきなんですね」


ホームズ

「そういうことだ」


ワトソン

「ほな、Z世代は

 どうしたらええんですか?」


ホームズ

「AIを使え」


ワトソン

「お、そこは前向き」


ホームズ

「だが、

 AIが止まった時の道も持て」


ワトソン

「スマホと紙地図、 

 両方持てってことですか?」


ホームズ

「そうだ」


ワトソン

「キャッシュレスと現金も?」


ホームズ

「そうだ」


ワトソン

「クラウド保存と紙メモも?」


ホームズ

「そうだ」


ワトソン

「都会の仕事と、

 地方の逃げ道も?」


ホームズ

「その通り」


ワトソン

「未来って、 

 ハイテクなのか 

 昭和なのか分かりませんね」


ホームズ

「未来とは、

 最先端と古道具が

 同じカバンに入る時代だ」


ワトソン

「かっこいいこと  

 言うてますけど、

 要するに?」


ホームズ

「AIを使うなら、

 水を飲め。


 クラウドを使うなら、

 地面を見ろ。


 スマホを持つなら、

 足腰も鍛えろ」


ワトソン

「最後だけラジオ体操!」


ホームズ

「文明が止まった時、

 最後に頼れるのは足腰だ」


ワトソン

「ほな、ホームズさん。

 次の事件現場へは

 自転車で行きましょう」


ホームズ

「いいだろう。

 ただし電動アシストだけでなく、

 普通の自転車も

 一台用意しておきたまえ」


ワトソン

「出た!

 デジタル・プレッパー探偵!」


ホームズ

「クラウドを信じる者ほど、

 紙の地図を持つ。

 それが次の時代の推理術だ」


ワトソン

「最後に一言!」


ホームズ

「AIは未来を教えてくれる。

 だが、

 未来まで歩いていく足は、

 君自身のものだ」


ワトソン

「うまい!

 でもホームズさん、

 水筒忘れてますよ!」


ホームズ

「……ワトソン君」


ワトソン

「何ですか?」


ホームズ

「それが今回、

 最大の伏線だった」


ワトソン

「最後の最後に水筒オチかい!」


二人は笑った。


その笑い声の向こうで、

データセンターは

まだ静かに唸っていた。


けれど、

ゆづきのカバンには、

スマホと、

紙の地図と、

小さな水筒が入っていた。


未来は怖い。


でも、

怖いだけではない。


ちゃんと見れば、

ちゃんと備えれば、

ちゃんと笑えれば、


人間はまだ歩いていける。


クラウドを使え。

しかし、

雲の下の地面を忘れるな。

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