家族
その後の僕は、目まぐるしい展開への心労からか寝室に着いた途端ぱたりと眠ってしまった。
翌朝目覚めたときには、ベッドのヘッドボード上の窓から差し込む光が、布団を暖めていた。
隣に眠っていたはずのルシアン様はいなくて、起き上がった時の姿勢のまま辺りを見回した。
「夢だった…?」
「…ふっ…夢じゃないよ」
自分しかいないと思っていたから、斜め後ろから聞こえてきた声に飛び跳ねる。
声を抑えるようにして笑うルシアン様は、隣の部屋と繋がっている扉から入ってきていたようだ。
「い、いつの間に…!」
「君がまだ寝ているかと思ってこっそり入ってきたんだ。驚かせてごめんね」
「いえ、ちょっとびっくりしただけで…あの、それは?」
ルシアン様の横には、蓋が被せられた銀皿と牛乳の入った瓶が乗ったカートがあった。
「あぁ、朝食を持ってきたんだ。一緒に食べよう」
「え…!すみません!ありがとうございます」
昨日の介抱から、僕は色々やって貰いすぎじゃないか。申し訳なく思うが、ルシアン様が楽しそうなので何も言わずに世話を焼かれることにする。
ルシアン様はカートを押して部屋の隅に置かれた小さな机の脇に着ける。
カート上の蓋を開けて現れたのは、分厚いハムとチーズがたっぷり挟まれたホットサンドだった。
二人とも椅子に座って手を合わせ、それを食べ始める。
「わ、美味しい!さすが宮廷の料理人ですね!」
「いつも君が美味しいと言っていた菓子があるだろう?その作者に作らせたんだよ。気に入って貰えてよかった」
「あぁ…!それなら、いつもありがとうございますって伝えに行かなきゃですね」
「きっと喜ぶよ」
そんな会話をしながら、ゆったりとした時間を過ごした。朝食を食べ終えてひと息ついた頃、部屋のドアがコンコンと控えめな音を立てた。
来訪者を知らせるその音に、ルシアン様は凄く嫌そうに眉を顰めたものの、スッと立ち上がってドアへ向かった。
ドアから首上だけを覗かせる姿勢で、向かいにいる誰かと話をするルシアン様。成り行きを見守る僕がじっと静かに待っていると、話を終えたルシアン様がこちらを向いてこう声掛けた。
「すまないエルヴァン。私も君もしなければならないことがたくさんありすぎて、午前中は別行動になりそうなのだが…大丈夫かい?」
「そうなのですね…分かりました」
昨日の今日で、早速離れ離れになるだなんて。まだまだお話したいことが多すぎて、声に寂しさが滲んでしまった。
するとそれを察したルシアン様が、僕を抱き寄せて息を吐いた。
「はぁ、そんなに寂しそうな顔をされると離れられなくなってしまうじゃないか…ランチまでには必ず君を迎えに行くから、待っていてくれるかい?」
「はい、待ってますね」
背中に回した手でギュッと抱き締め返す。
するといつの間に入ってきていたのか、白髪を後ろに撫でつけた執事が咳払いをして僕らを咎めた。
「ルシアン様。時間がないのです、早く着替えて出発してください。でないとそのお約束も守れませんよ?」
「…ロールス。少しは空気をだな…」
「読んでいては間に合わないと申しておるでしょうが!いいから早くなさってください。エルヴァン様も、お召し物をお持ちするので少々お待ちくださいね」
よほど気心知れた仲なのだろう。執事のロールスさんはルシアン様を叱咤しながら急かし、僕にはにっこりと笑った。
「は、はい。ありがとうございます」
「これからエルヴァン様に付いてもらうメイドが持ってくるはずなのですが…あ、来ましたよ」
ロールスさんはドアから顔を出して廊下を眺めながらそう言った。
僕付きのメイド、と聞いて不安が心を過ぎる。昨日までただの平民だった僕に専属のメイドだなんて、思考が着いていかないのだ。
ドキドキしながらドアを見つめていると、トタトタと走る音が近づいてきて、はあはあと息を上げた女の子が部屋へ飛び込んできた。
「はぁ…はぁ…す、すみません…遅く、なりました…」
「だ、大丈夫ですか?」
あまりの息の上がりように思わず声をかける。しかし、ロールスさんは厳しい表情で溜息を吐いた。
「リリ…遅刻したうえに入室の許可取りもなし、あなたはメイドとして仕事をしてきた十年間、何を学んできたのですか!」
「すみませぇん…」
肩くらいまで伸びたふわふわの髪を乱したまま、リリというメイドは肩を落とした。
ロールスさんが段々前のめりになりながら叱るのと対照的に、正座させられたリリはどんどんと小さく丸まっていく。
「ま、まぁまぁ…そう怒らずに。時間も無いのでしょう?」
「エルヴァン様、お優しいのは貴方様の美点です。ですがこういう失態を叱る勇気を持っていないとですね…」
「おい、ロールス。そこまでにしろ。いきなりこの城に連れてこられたエルヴァンに、これ以上の負担を強いるつもりか?」
ルシアン様の低い低い声に、ロールスさんがハッとしたような顔で止まった。
「すみません、エルヴァン様。老人のお節介が行き過ぎてしまい…申し訳ありません」
そう言って、本当に申し訳なさそうな顔をしたロールスさんが頭を下げた。
「そんな、顔をあげてください!ロールスさんの仰ることは正しいと思います。僕、頑張りますね」
笑顔でそう伝えれば、ロールスさんもほっとしたような笑顔で応えてくれた。ルシアン様も満足そうに笑っている。
それを横で見ていたリリが、なんだかキラキラした瞳を僕に向けて口を開いた。
「エルヴァン様…私は貴方にお仕えできて幸運です!ポメル男爵家次女リリ!齢18!身を粉にして働かせていただきます!」
バッと頭を下げたリリを唖然と見つめた三人。
顔を上げたリリはそんな僕たちを見てオロオロしだして、ルシアン様が吹き出したのを皮切りに部屋が笑いに包まれた。リリは変わらずオロオロとしていたけれど。
(この子となら仲良くやっていけそうだ)
安心した僕は、目に涙を浮かべ始めたリリを微笑んで眺めた。
明るくなった雰囲気の中、その場は収められた。
着替えが終わって、ルシアン様がロールスさんと共に部屋を出ていったあと、僕とリリも部屋を出た。
「ねぇ、リリ。今から何をしに行くの?」
「えぇとですね、まずエルヴァン様のお洋服を創るための採寸と、デザイン選びを行います」
「えぇ、僕デザインなんて何がいいのか分からないよ」
「ご安心ください、リリも手伝わせていただきますので!それに、どうしてもエルヴァン様のお洋服選びを手伝いたいと仰っている方がいまして…」
「そ、そんな奇特な人がいるの?」
一体どこの誰なんだ、と首を傾げる思いで目的の部屋の扉を開いた。
「やぁ、エルヴァン!昨日は殿下に変なことをされなかったかい?」
「スノリア様?!」
僕と目が合った途端、笑みを浮かべてこちらに近づいてくるスノリア様。心配そうにしながら僕の肩に手を置くのを、目を見開いて眺めた。
「やだなぁエルヴァン、君はもう僕の義弟だよ?お兄様と呼んでくれ!」
「そ、そんな急に言われても…」
キラキラとした瞳で“お兄様”呼びを催促する姿は、薬室で働いていたときとは別人に見える。あまりの変わり様に、僕が弟になることにそんなに浮かれているのか…?と若干自意識過剰なことを思ってしまった。
だが確かに、慣れないし恐れ多い気持ちは拭えないけど、義兄弟になるのに他人行儀ではいけないだろう。僕は思い切ってその名を呼んでみた。
「す、スノリア兄様…?」
「…!あぁそうだよ、僕が君の兄様だ!」
感極まった様子のスノリア様に飛びつくように抱きしめられ、ぐりぐりと頭を撫でられた。僕は諦めて、主人に過剰に可愛がられる猫のようにされるがままになった。
「あ、あの、兄様?とりあえず落ち着いてください…!」
「あ、あぁごめんね、昨日から少し気分が高揚していて…やっとできた弟なんだ」
嬉しそうに微笑むスノリア様は、たしかエルランド家唯一の嫡子だったはずだ。だからこそ今回僕を迎えることが許されたし、スノリア様も弟ができることを切望していたらしい。
「あの、本当に僕でよかったんですか?」
そう尋ねると、スノリア様は少し怒ったように言った。
「昨夜も言っただろう?君がいいと思ったから、父にも陛下にも掛け合ったし殿下にも協力したんだ」
続いてリリがスノリア様の言葉にうんうんと頷きながら話した。
「そうですよ、エルヴァン様!昨夜の所作は充分に貴族たり得るものでしたし、私たち下位貴族の令嬢はエルヴァン様のことをすごく応援しているんです」
「そ、そうなの?」
「はい!というのも、下位貴族が王家に入れることはまずないんです。エルヴァン様のように運命の番でもない限り、上位貴族たちの競争を見守るだけ。彼女たちに見下されているのに耐えることしかできないんです。そんな中、貴族位すら持っていなかったエルヴァン様が王子妃として認められたあの御姿は、私たちにとって希望そのものでした」
手を合わせてうっとりと語る姿に、むず痒さを覚える。けれどその話に胸が熱くなったりもした。
「それにです、あの公爵令嬢や伯爵令嬢の顔見ました?!あんなに私たちを馬鹿にしていたのに、殿下が彼女たちに目もくれずエルヴァン様を選ばれたときの悔しそうな顔!!すっっきりしました…!」
熱心に語りかけられても、昨日の僕はフェロモンで惚けていたせいで、あの光景を何となくしか覚えていない。苦笑いで誤魔化しながら、彼女の熱い眼差しを受け止めた。
「まぁそういうことだ。私たちの企みは全て上手くいって、君は僕の義弟になり、殿下の婚約者になった。どうだい?最高に幸せな未来だろう」
あの日と同じ得意げな笑顔。僕の兄様になってくれた人。
「ふふっ、匿ってくださいって言っただけなのに、本当の家族にして貰っちゃいましたね」
すごく胸が熱くなって、僕はやっと、縛られるだけのものじゃない“家族”を得ることができたのかもしれないと思った。
(父さん、母さん…これでやっと、安心してもらえるかな)
体は弱かったけど芯があって優しい母さん、あんな義母に騙されるほど抜けてたけど誰より僕のことを想ってくれていた父さん。
二人が居なくなって独りになってしまった僕の世界が、やっと明るい光を差した気がした。
「これからよろしくね、兄様」
「…僕の弟が可愛すぎる、ねぇリリ?」
「はい、スノリア様…これは本格的に、リリも護衛術を習った方が良さそうですね」
「あぁそうだね…よろしく頼むよ、リリ」
真剣な顔をして頷き合う二人が、どうしてそんな話をしているのか全く分からなかった。
「あ、あの…?」
「とりあえず今はこの可愛いエルヴァンに似合う服を探さなきゃね!」
「はい!スノリア様!」
困惑する僕を置き去りに、何故か結託を強めた二人が服を漁り始めた。
僕はといえば、その後の着せ替え祭りに何とか着いていきながら、あっという間に数時間を過ごしていたのだった。
そうして沢山の服を着せられた結果、ほぼ全てが僕の部屋のクローゼットに収まることになった。今は僕の茶髪と琥珀味のある白金の瞳が際立つようにと、シルバーグレーのスーツを着ている。
時刻は既に12時半。そろそろルシアン様が迎えに来るらしいので、リリや兄様と話しながらそのときを待っていた。
やがて現れたルシアン様はなんだかお疲れの様子だったけど、僕らを見て笑顔を浮かべた。
「すまない、遅くなってしまったね」
そう言ってぎゅっと抱きすくめられた。突然のことにびっくりして固まったままそれを享受していると、呆れたような顔の兄様が口を開いた。
「またあなたは人目もはばからずに…」
「えっ、あ…ル、ルシアン様!!恥ずかしいです…!」
慌てふためいていると、兄様は今度は少し驚いたような顔をした。そしてなぜかフッと笑って、からかうような声を出した。
「殿下のアピールがやっと通じるようになったようで…良かったですね?」
「あぁ、そうなんだ。ありがとう」
「な、何の話ですか…!?」
腕の中で暴れても離してもらえない。無駄な抵抗だと悟って、おとなしく抱きしめられていることにした。
じっとしていると、ルシアン様の温かくていい香りが強く感じられる。ホッとするような鼓動が高まるような不思議な感覚が心地よい。
思わず応えるように腕を掴んでしまった。
「…はぁ、イチャイチャしてる暇はありませんよ、殿下。父たちが待ってます」
「え、エルランド侯爵が?!」
「今から昼食をかねて顔合わせするんだよ」
「そんな大事なことは早く言ってください!行きましょう!」
「落ち着いてエルヴァン、まだ時間には間に合うから」
そうだとしても、だ。侯爵様たちを待たせる訳には行かないだろう。
しかし僕以外の二人はそう焦った様子もなく、若干のギャップを感じながらも、その腕を引っ張って会場へ向かった。
昼食会場に着いたとき、侯爵と夫人はにこやかに僕らを迎えてくれた。
「ルシアン殿下、この度はこうして対面の場を用意してくださりありがとうございます。…してスノリアよ、そちらが?」
「はい、父上。こちらがこの度我が家の第二子となってもらうエルヴァンです」
「初めまして、エルヴァンです。昨日は御挨拶に向かうことが出来ずすみません」
「…聞いていた通り、とてもしっかりした子だ。改めて、我がエルランド家は君を歓迎するよ」
そう言って差し出された手を握ると、シワの寄った手がぎゅっと握り返してくれた。
大きくて暖かい、父の手だった。それに無性に涙がこみ上げ、それを必死に飲み込んで笑う。
「ありがとうございます!」
「はは、そう堅苦しくしなくていい。私はもう君の父なのだ。父上と呼んでくれていいのだよ?」
「…ち、父上」
さすが親子、侯爵は兄様と同じようなことを言った。それに苦笑しながら僕も同じように応えた。
すると、侯爵の横に立っていた夫人が扇子の裏で小さく笑ってから口を開いた。
「あら、貴方ばかりずるいわ。私のことも母上と呼んでちょうだいね」
「は、はい、母上…!」
微笑みながら僕を見る二人の視線に照れてしまう。僕が視線を右往左往していると、ルシアン様が嬉しそうに言った。
「仲良くやっていけそうでなによりだ。そろそろ食事の方も準備が出来そうだし、座って待とうか」
それからは王宮の美味しい食事を前に、互いのこれまでとこれからの話をした。
侯爵家の人間としての僕はまだあまり想像がつかないけれど、僕を信じてくれたルシアン様と兄様、沢山の人たちのためにこれから頑張ろうと決心した。




