人生リスタート
最近の僕の口癖は「疲れた」である。
仕事、家事、仕事、家事、仕事…僕の生活に休みという文字が挟まれたのはいつが最後だっただろうか。もう覚えていないほど前だ。
僕、エルヴァンが住んでいるのは、このグレイシル王国の王都城下町。そして職場は町の中心にそびえ立つ王城である。
普通の人なら、僕の疲れの原因は仕事にあると思うだろう?しかし真実はそうではない。
王宮薬室で新米薬師として働いている僕は、日々忙しいながらも楽しく仕事をしているのだ。むしろそこでの仕事と患者さんたちとの会話が癒しだと言ってもいい。
僕の場合問題があるのは家庭の方だ。
今はもう亡くなった父が再婚相手として連れてきた女性とその娘たちは、仕事もせずに僕の稼ぎと父の残した遺産で贅沢三昧、一日中家にいるのに家事もしない。どこのお貴族様だと言いたくなるような生活をしているのだ。
そして案の定、僕は召使いの如く使いっ走りにされている。もうあの家庭には僕の家族なんて一人もいないのに、法で縛られた義家族との生活から抜け出すことが出来ないでいる。
(はぁ…仕事中に嫌なこと考えちゃった)
「エルヴァン、どうしたんだい?ため息なんかついて」
「主任…」
ため息を吐きながら薬草を練っていると、この薬室で唯一の貴族であるスノリア=エルランド様が心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
スノリア様は、侯爵位という高い身分を与えられた家の出身でありながら、僕のような平民にも分け隔てなく接してくれる優しいお方だ。そしてΩである僕を、実力を買ったと言って雇ってくれた恩人でもある。
「主任は若くて地位もあるのに、ご自身の力で王様を説得して、この場所を作られたんですよね?すごいなぁ…僕も自立したい」
「ははっ、急にどうしたんだい?エルヴァンは充分凄いじゃないか。この薬室で薬を処方できるのは僕と君だけだ。独立できる腕は既にあるよ」
優しく笑って慰めてくれる主任が天使に見えてくる。たしかに僕は、自力で薬学を勉強して、その努力と知識を買われてここに雇って貰えた。
でも結局、お店を持つためのお金もなければ、義家族に気付かれずに家から逃げ出せるほどの時間もない。
(僕は一生このまま、あの人たちの召使いなのかな…)
また大きな溜め息を吐いて机に伏した。
「まったく、どうしたんだ今日は…あぁほら、患者さんがおいでだよ。しっかりしなさい」
主任がそう言って扉を見たその時、たしかにノックの音が聞こえた。
僕は憂鬱な気分を切り替えて、小走りで近寄った扉を開けた。
「はーい」
「やぁエルヴァン。今日は美味しいモンブランを持ってきたよ」
「ルカ様!わぁ、嬉しいです!」
扉を開けた先にいたのは、最近よくこの薬室に訪れるルカ様だった。ルカ様はαで、週に一度くらいの頻度で抑制剤を貰いに来るのだ。
その栗色の髪と焦げ茶の瞳はありふれた色だとは思えないほど美しく、いつも扉を開けるたびにこの扉は異界と繋がってるのではないかと錯覚してしまうくらいだ。
「エルヴァン、どうしたんだい?なんだか元気が無さそうだ」
眉を下げたルカ様が僕の頬をするりと撫でて顎をつかみ、上向けられた目線がかち合った。
「分かっちゃいましたか…へへ、なんか今日はナーバスな気分で」
「…そっか。何かあったら聞くからね」
茶化して笑った僕を見たルカ様は心配そうな顔を崩さぬまま、それでも笑い返してくれた。
(ルカ様、やっぱり優しいなぁ…)
ルカ様のこういう気遣いに、いつも胸が熱くなってギューッとするんだ。嬉しいのに苦しい感じがするこの感じは何なんだろう?僕は未だにその答えが分からないでいる。
一時見つめあっていると、主任が僕とルカ様の間に割入ってきた。
「あぁもう、そこそこ!入り口でイチャイチャと…」
「ふふ、すみません」
「?ルカ様は心配して下さってただけですよ」
主任は何を言っているのだろうか。イチャイチャとはもっとこう…すごいやつのことだと思う。
そう思って否定すると、主任は神妙な顔をしてルカ様を見た。ルカ様はそんな主任を無視して、僕をいつもの場所へ促した。
薬室の一角には、テーブルの高さほどの腰壁の上に半ドーム状の窓が広がった、半分テラスのような席がある。スノリア様のこだわりで、この特殊な窓がある部屋をわざわざ薬室にしてもらったらしい。
僕たち薬師は、患者さんにより親身に寄り添えるように、お茶会のようなことをしたりするのだ。最近の僕は、その時間のほとんどをルカ様と過ごしている。
「わ、このモンブランすっごく美味しそうですね!お高かったんじゃ…?」
「大丈夫だよ、僕が君に食べて欲しくて持ってきたんだから気にしないで」
「じゃあ…遠慮なく!」
僕は大口を開けてパクッと一口いただいた。
ルカ様はそんな僕を楽しそうに眺めている。
(いつも見られてるんだけど、やっぱり慣れないな…)
「んん、これ真ん中のやつメレンゲクッキーですか?美味しいです!」
「あぁ、うちのパティシエの自慢の一品だ。サクサクのメレンゲクッキーとマロンペーストが合うだろう?」
ルカ様の言う通り、ふたつの食感と甘さがマッチしていてすごく美味しい。
「ルカ様が持ってきてくださるお菓子はいつも美味しいですね!僕、もう他の方のスイーツ食べられなくなっちゃいそうです」
「気に入ってもらえて嬉しいよ。また沢山持ってくるから楽しみにしてて」
「僕の舌が肥えちゃいますよぉ」
そんなことを言いながら笑いあって、今日も楽しいひとときは瞬く間に過ぎていった。
「じゃあ、また来るね」
「はい。あ、お薬ちゃんと飲んでくださいね!お大事に!」
去っていく背中を名残惜しい気持ちで見つめながら、迫り来る退勤時間にまた僕は憂鬱な気持ちになるのだった。
◇◇◇
「はぁ…帰りたくないなぁ」
毎日毎日、何もしない義母と義姉の世話ばかり。
なぜ僕がその理不尽に為す術なく屈しているのかというと、それは僕の第二次性に原因があった。
この世界には、α、β、Ωという男女と別の性が存在する。そして僕は男でも妊娠できるというΩだ。
その特徴から印象付く通り、男性Ωは体の線も女性的で小柄な人が多く、僕も例に漏れない。
そして何より厄介なのがその発情期であり、抑制剤を飲まなければαを誘うフェロモンを振りまくことになる。僕が逃げ出せない最大の理由はそれだった。
父が死んで少し経った頃、毎月父が買ってきてくれていた抑制剤が切れ、義母にそれを伝えたことがあった。そのころはまだ猫かぶった義母しか知らなかったから、警戒もなにもなかった。
今となってはそれが悪手でしかなかったと理解できる。事ある毎に『お前が逃げ出したらΩ専用の奴隷商人に情報を売る』と散々脅されているのだ。
そして情報を売られれば、どこかに身を潜めていても必ず捕まってしまうだろう。Ωはその高い繁殖能力と、αと交わればほぼ確実にαの子供が産まれるという実しやかな情報によって、奴隷市場での価値がとても高くなっているからだ。商人たちは血眼になって探すはずだ。
バレないように逃げ出そうとしても、一日中家にいる彼女たちにはすぐバレる。そしたら情報を売られて、奴隷行き確定だ。町のどこに監視の目があるか分からないから、日中の仕事をしている時間に逃げ出すのも難しかった。
「僕がΩじゃなければ…」
とぼとぼと帰路を歩きながら、もう何度目かも分からない言葉を呟く。
僕は自身の性が嫌いだ。そして誰彼構わず誘惑するそのフェロモンはもっと嫌いだ。
なりたくてなったわけじゃないのに「淫乱だ」とか「獣のようだ」とか言われなければならないのが悔しくて仕方ない。だから僕は薬学を学ぼうと思った。おかげで抑制剤を自分で作れるようになったし、仕事にも就けた。
けれど磨いたその腕も、僕の現状を打破するには頼りないものでしかなかった。
(あの人たちが夜居なくなる時間さえあれば…)
そう考えてふと前を見ると、なにやら民衆、特に女性が寄り集まって騒がしい場所があった。
(あれは…掲示板?)
気になってその輪に潜り込んでみると、騒ぎの中心はひとつの掲示物のようだった。
「すごいわ!まさか私たちもこれに参加することになるなんて!」
「やだぁ、選ばれたらどうしましょう!」
「すごい玉の輿じゃない!張り切って準備しなきゃ!」
(なんだなんだ?女の子たちがすごく盛り上がってるけど…)
「えーと…『王宮で開かれるパーティへの招待状』?」
その掲示物を読んで、女の子たちがなんであんなに騒いでいるのか分かった。
なんでも、このグレイシル王国の第二王子、ルシアン=カスタニエ=グレイシル様が婚約者を見つけるためのパーティを開くらしい。
この国の王族の仕来りで、20歳までに婚約者を決められなかった王子は皆このパーティを開くことになっている。国中の成人女性と男性Ωは、平民だろうがもれなくみんな参加できるのだ。
(あー…これは義姉さんたちがドレス仕立てろってうるさいやつだ…)
そして、僕が行くことは許して貰えないだろう。億が一にも僕が選ばれてしまえば困るのはあの人たちだ。
(じゃあその日は僕一人かぁ…ん?)
そうだ、僕一人だ。一夜中僕にはあの人たちの監視の目が無くなる。
(もしかして、逃げられる!?)
一夜もあればあの人たちの包囲網を抜けられるだろう。その後はどこか遠くの街で薬師として雇ってもらって、お金が貯まったら自分の店を作る。
僕にとってあまりにも理想的な生活だ。
突如として現れたチャンスに、僕は目を煌めかせた。
「あら、もしかしてあなたΩの方?」
「え!?あ、はい、そうですけど…」
横で掲示板を見ていた女性が突然話しかけてきた。あまりに目を光らせているから、僕がこのパーティ自体に心躍らせているのだと思われたのだろう。実際はその後の新しい人生に、なのだけど。
「ふふ、そんなに警戒しないで?私恋人いるから、このパーティにはそんなに乗り気でないの」
「あ、そうなんですね…」
「困ったものよね、未婚の若い女性はみんな参加しなきゃならないなんて」
「たしかに…行きたくない人もいますよね」
国中の女性に人気なルシアン様の婚約者選びだから、みんな行きたがるようなイメージしかなかった。
「そんなこと考えもしなかったって顔ね?ふふ、それほどルシアン殿下が好きってことかしら」
「え、えぇ?!いや僕は…」
「照れなくていいのよ。応援してるわね」
そう言って女性は手を振り去っていった。
なんだかとんでもない勘違いをされたけれど、どうせ僕はもうすぐこの町を出るし…まぁいいか。
(ルシアン殿下…あなたのパーティ、利用させていただきます!)
職場の仲間たちやルカ様と会えなくなるのは寂しいけれど、落ち着いたら手紙を出したりしよう。
縛られてばかりの僕の人生、必ず変えてみせると決心した。
◇◇◇
それから僕は、着々と準備を重ねた。
バレないように少しずつ荷物をまとめ、家を出たあとの逃走経路もチェック。
そして何より大切なのは、薬室のみんなへの挨拶と仕事の引き継ぎ。全てをパーティ当日までに終わらせなければいけなかった。
まず最初に声をかけたのは主任だった。パーティの日を境に仕事を辞めると伝えたら、主任は最初、興奮したように不思議なことを尋ねた。
「そうかそうか、おめでとう!エルヴァンが結婚か…たまにはここにも顔を出すんだよ。それにしてもあの方はほんとに我慢が効かないなぁ、計画より早く言ってしまうだなんて」
「…?あの、僕結婚はしませんよ?」
「…え?」
結婚、あの方、我慢、計画…?と何一つピンと来ないことを語られて、僕はとても困惑した。一方主任は、僕の返答を聞いた途端、顔を真っ青に染め上げて固まってしまった。そして数秒固まった後、今にも泣きそうな顔で僕の方を揺さぶった。
「エルヴァン、もしかしてパーティには行かないつもりかい?!」
「は、はい」
「なんてこった…!どうしてそんなことになったんだ!今ここで全て話しなさい!」
あまりの剣幕に押されながら、僕はこれからの計画を話した。いつも穏やかな主任には珍しく、義家族の話をするときはとても嫌そうな顔をし、逃げ出す計画の話をするときはとても切羽詰まったような顔をした。まさに百面相である。
「そうか、君はとても辛い思いをしてきたんだね…気付いてやれなくてすまなかった」
「いや、違うんです!ここでの日々は僕にとって癒しで…本当に楽しかったんです。だから気付けなくて当然です」
「ここが君の支えになれていたのなら良かった。それでもね、君の家族の所業は許されたものではない。すぐに処罰も可能だけど…どうしたい?」
「それは…大丈夫です。あの人たちがああなったのには、父が甘かったのも僕が弱かったのも原因としてあります。だから、僕がいなくなったあと苦しむくらいが罰としてちょうどいいと思うんです。更正の機会があっていいはず…へへ、甘いですかね」
「そんなことないさ。君の優しさは素晴らしいものだと僕は思うよ」
主任の笑顔がまた天使に見えて、僕は泣きそうになった。こんなに素晴らしい方の下で働けたことを、僕は一生誇りに思うことだろう。
「それはそうとして…エルヴァン、君は好きな人はいるかい?」
「へ?い、いないですよそんな!」
「そうか…僕はてっきり、ルカ殿のことが好きなのかと思っていたけど」
「ルカ様のことが、好き?」
顔が沸騰したように熱くなった。
僕がルカ様のことを好きだなんて、恐れ多すぎて考えたこともなかった。それに、僕は恋がどんなものなのか知らない。
「ルカ様といると、楽しくて嬉しいのに胸がギュッとなるんです…これは“好き”なんですか?」
「…びっくりしたよ、惚気かと思ったね」
「そんなつもりは…!え、でも、僕なんかがルカ様を…」
「気持ちに気付いてなかったんだね…道理で未練が無さそうだったわけだ」
ルカ様が好きだと気付いてしまった。主任が言うように、普通ならこの気持ちに気づいた時点でこの町にも未練が出来るのかもしれない。でも僕はそうではなかった。
だって、僕なんかきっと相手にもされないだろう。自分で作った薬のおかげでβだと思われてるだろうし、Ωだと分かってもこんな目も髪も薄茶色の平々凡々男じゃ見向きもされないかもしれない。
「ここを離れること、自分で伝えられるかい?難しそうなら僕が伝えておくけど」
「…お願いします」
僕が自分で伝えることは出来ないと思った。今は未練がなくても一緒にいたい気持ちが強くなって、決意が揺らぎそうだったから。
パーティの日までにたくさん思い出を作って、それを全部抱えて行こう。一生寂しくならないように。
「この町を出たいというのが君の最後のわがままか…寂しくなるな。僕にもできる限りの協力をさせてくれ」
「主任…ありがとうございます」
そうして主任は、僕が町から出るために馬車を貸そうと言ってくれた。その好意をありがたく受け取って、僕と主任は馬車との落合場所などを決めた。
「エルヴァン、最後に聞かせてくれ。本当にこれが君の一番の望みだと…最高な未来だと、断言できるかい?」
そう言われた僕の脳裏には、この薬室や同僚たち、そしてルカ様が浮かんだ。みんながいない生活…最高だといえば嘘になる。
けど僕は今、その嘘を吐くことしか出来なかった。
「はい」
「そうか」
そう言ってふわっと笑った主任が、小さく何かを呟いた。
「…僕のやるべきことは決まったよ」
僕にはそれが聞こえなかったけど、聞き返しても主任が答えてくれることはなかった。




