第7話
カイウス公爵が使役する、伝説の魔獣グリフォンに乗って、わたくしたちは王都の上空に到達した。
眼下に広がる光景に、思わず息を呑む。
かつてあれほど美しかった王都は、不気味な黒い瘴気に覆われ、まるで死の街のように静まり返っていた。
建物は色を失い、木々は枯れ、生命の気配がほとんど感じられない。
「酷い……」
「中心は王城だ。そこから瘴気が流れ出している」
カイウス公爵の言葉に頷き、わたくしは覚悟を決めた。
グリフォンが急降下し、王城の中庭へと降り立つ。
そこには、絶望的な光景が広がっていた。
騎士も、魔術師も、皆、瘴気に当てられて倒れ伏している。
そんな中、玉座の間からよろめき出てきたのは、憔悴しきったエドワード殿下と、彼に寄り添うクリスティーナだった。
「き、貴様らか! ヴァレンシュタイン公爵……それに、エリアーヌ!? なぜお前がここに!」
エドワード殿下は、わたくしの姿を認めると、驚愕に目を見開いた。
「今さら何の用だ! お前のような『無能』に、できることなど何もない! 嘲笑いにでも来たのか!」
彼は、この期に及んで、まだそんなことを言う。
その隣で、クリスティーナが震える声で囁いた。
「殿下、もしかして……エリアーヌ様が、この瘴気を? 殿方を奪われた腹いせに……」
(……ああ、そう。どこまでも、あなたたちはそうなのですね)
もはや、怒りさえ湧いてこなかった。
ただ、深い憐れみを感じるだけ。
わたくしは彼らを一瞥すると、カイウス公爵に向き直った。
彼は、ただ静かに頷いてくれる。
『お前の好きにやれ』と、その瞳が語っていた。
わたくしは一歩前に出ると、両手を広げ、天を仰いだ。
そして、意識を集中させる。
わたくしの内なる魔力の奔流。
それを、ただ解放するのではない。
明確な意志を乗せるのだ。
(お願い、わたくしの力。この大地を、人々を、癒して――!)
祈りと共に、全身全霊の魔力を解き放つ。
わたくしの身体から放たれたのは、もはや蒼白い光ではなかった。
闇を祓い、生命を祝福する、温かな黄金色の光。
その光は、天高く昇ると、無数の光の雨となって、王都全域に降り注ぎ始めた。
光の雫が瘴気に触れると、ジュッ、と音を立てて黒い霧が浄化されていく。
枯れた木々には新芽が芽吹き、色を失った建物は元の輝きを取り戻していく。
倒れていた人々が、ゆっくりと身を起こし始める。
「な……なんだ、これは……」
エドワード殿下が、呆然と呟いた。
わたくしの黄金の光は、彼らを、そして暴走する『嘆きの聖杯』をも包み込んでいく。
聖杯から溢れ出ていた呪いの気配が、みるみるうちに霧散していくのが分かった。
「信じられん……あの古代遺物の呪いを、鎮めるだと……?」
クリスティーナが、恐怖に引きつった顔でわたくしを見ている。
やがて、最後の瘴気が完全に消え去り、王都には嘘のように清浄な空気が戻った。
空には、美しい虹がかかっている。
わたくしは、ゆっくりと目を開けた。
膨大な魔力を使ったせいで、少しだけ眩暈がする。
その身体を、背後からカイウス公爵がそっと支えてくれた。
「見事だ、エリアーヌ」
その声を聞いて、わたくしは安堵の笑みを浮かべた。
意識を取り戻した人々が、何が起きたのかを理解し、こちらを見ている。
驚愕、感謝、そして、畏敬。
かつてわたくしを『無能』と蔑んだその瞳に、今は、神を見るかのような光が宿っていた。
誰かが、震える声で呟いた。
「……聖女様だ」
その声は、波のように広がっていく。
「国を救ってくださった、救国の聖女様だ!」
やがて、それは熱狂的な歓声へと変わった。
わたくしは、ただ呆然と、その光景を眺めていた。
これが、わたくしの本当の力。
そして、わたくしが選んだ、力の使い方。
皮肉なものだ。
わたくしを絶望の淵に追いやったこの場所で、わたくしは、自分自身の本当の価値を、証明することになったのだから。
***
熱狂が少しずつ落ち着きを取り戻し始めた頃、衛兵に連行されてきた父、クライフォルト伯爵が、わたくしの前に引き据えられた。
彼は、わが身可愛さに、瘴気が発生するやいなや、一人だけ馬車で王都から逃げ出そうとしていたらしい。
「エ、エリアーヌ……お、お前……」
父は、わたくしを見て言葉を失っている。
その瞳に浮かぶのは、後悔か、それとも恐怖か。
そこへ、カイウス公爵が静かな、しかし威厳に満ちた声で告げた。
「エドワード王子、クリスティーナ・バートン、そしてクライフォルト伯爵。貴殿らには、国家転覆未遂の罪を問う」
その言葉に、三人の顔が真っ青になった。
「ば、馬鹿な! 俺は王子だぞ! 誰が俺を裁くというのだ!」
エドワード殿下が喚き散らす。
「エリアーヌ! お前からも何か言え! この私を、お前の父を、見捨てる気か!」
父が、見苦しく懇願してくる。
わたくしは、冷たい視線で彼らを見つめた。
そして、はっきりと告げる。
「わたくしは、もうあなたの娘ではありません。あなたが『出来損ない』と捨てた、ただのエリアーヌです」
「なっ……!」
「そしてエドワード殿下。あなたも、もはや王子ではありません。王家の権威を失墜させ、国を滅ぼしかけた大罪人です」
わたくしの言葉に、周囲の貴族や騎士たちが、そうだ、そうだ、と頷いている。
もはや、彼らの味方をする者など、どこにもいなかった。
「そんな……嘘よ……わたくしは、未来の王妃に……」
クリスティーナが、その場にへたり込んだ。
カイウス公爵が、冷徹に最後通告を突きつける。
「沙汰は、追って陛下が下されるだろう。だが、これだけは言っておく。貴殿らが、エリアーヌにした仕打ちの報いは、必ず受けてもらう」
その言葉は、彼らの未来が、決して明るいものではないことを示唆していた。
絶望に染まる三人の顔を、わたくしは、もう何の感情もなく見つめていた。
彼らの時代は、終わったのだ。
そして、わたくしの新しい人生が、今、まさに始まろうとしている。
わたくしを心から信じ、愛してくれる、たった一人の男性と共に。
黄金の光に照らされた王都で、わたくしは、カイウス公爵の隣に、誇りを持って立っていた。




