第5話
わたくしの告白を聞いても、カイウス公爵の表情は変わらなかった。
彼はただ静かに、わたくしの恐怖と向き合っているようだった。
「力そのものに、善悪はない」
やがて、彼は落ち着いた声で言った。
「火が暖をもたらすこともあれば、全てを焼き尽くすこともあるように、ただそこに在るだけだ。それをどう使うかは、持ち主である君次第だ」
「ですが、わたくしには、制御が……」
「だから、私がいる」
その言葉は、力強く、揺るぎない響きを持っていた。
「君一人で背負う必要はない。俺がお前の奔流を受け止め、正しい流れへと導いてやる。信じろ」
まっすぐに、わたくしの瞳を見つめてくる紫水晶。
その奥に宿る光には、一片の嘘も、疑いもなかった。
彼は、本気でそう言ってくれている。
帝国最強の魔術師が、このわたくしのために。
心の奥底で、固く凍りついていた何かが、ポロリと溶け出すのを感じた。
(この人なら……この人なら、信じても、いいのかもしれない)
わたくしは、震える手で、腕輪の留め金に指をかけた。
何年も外したことのない、肌の一部と化していたそれを、ゆっくりと引き離す。
カチリ、と。
小さな金属音が、やけに大きく部屋に響いた。
腕輪が、わたくしの肌から完全に離れた、その瞬間――。
ゴオオオオオッ!!
凄まじい嵐が、わたくしの内から爆発した。
解放された魔力は、蒼白い光の奔流となって部屋の中を吹き荒れる。
本棚から分厚い魔導書が何冊も吹き飛ばされ、窓ガラスがビリビリと悲鳴を上げた。
立っていることさえままならないほどの、圧倒的な力の奔流。
「きゃっ……!」
これが、わたくしの、本当の力……?
恐怖で目を閉じたわたくしの身体を、ふわりと、大きな何かが包み込んだ。
「――案ずるな。ここにいる」
耳元で、カイウス公爵の声がした。
気づけば、わたくしは彼の腕の中に抱き寄せられていた。
彼の身体から、穏やかで、それでいて強大な魔力が流れ込み、わたくしの荒れ狂う力を優しく鎮めていくのが分かる。
まるで、嵐の夜に、頑丈な砦の中へ避難したような、絶対的な安心感。
やがて、嵐は過ぎ去った。
蒼白い光は収まり、部屋には静けさが戻る。
けれど、先程までとは明らかに空気が違っていた。
部屋を満たす濃密な魔力は、全てわたくしから発せられているものだと、肌で感じられた。
恐る恐る目を開けると、カイウス公爵の顔が、すぐ間近にあった。
彼の紫の瞳が、驚きと……そして、隠しきれない歓喜の色を浮かべて、わたくしを見つめている。
「……すごいな。これほどとは」
彼の腕の中からそっと身体を離すと、わたくしは自分の両手を見つめた。
何も変わらない、ただの令嬢の手。
だが、この手の中に、今しがた部屋を揺るがすほどの力が眠っていたのだ。
「これが……わたくし……?」
「そうだ。それが、エリアーヌ・フォン・クライフォルト。君の本当の姿だ」
カイウス公爵は、床に落ちていた一輪挿しを拾い上げた。
その中に入っていたのは、蕾のまま萎れかけていた一輪の白い花だった。
彼はそれを、わたくしの前に差し出す。
「その花に、触れてみろ。先程感じた、君の内なる力の流れを、ほんの少しだけ、この花に注ぐイメージで」
言われるがまま、おそるおそる、萎れた花に指先で触れる。
さっきとは違う。
暴走させるのではなく、分け与えるような、優しい気持ちで。
すると、信じられないことが起こった。
わたくしの指先から、淡い、金色の光が放たれる。
その光を浴びた蕾が、見る見るうちに瑞々しさを取り戻し……やがて、ふわり、と。
美しい白い花を、咲かせたのだ。
「まあ……!」
枯らすことしかできないと思っていたわたくしの力が、花を、咲かせた。
破壊ではなく、創造を。
死ではなく、生命を。
涙が、ぽろぽろと頬を伝って落ちる。
それは、悲しみや悔しさの涙ではなかった。
生まれて初めて感じる、歓喜の涙だった。
「君の力は、何かを終わらせるための力ではない。何かを始めるための、生命の力だ」
カイウス公爵は、咲いたばかりのその白い花をそっと摘むと、わたくしの髪に優しく挿してくれた。
「ようこそ、エリアーヌ。今日から、君の本当の人生が始まる」
その声は、どこまでも優しかった。
わたくしは、ただ頷くことしかできなかった。
この人の手を取って、本当によかったと。
心から、そう思った。
これから始まるであろう厳しい訓練も、この人が側にいてくれるなら、きっと乗り越えられる。
紫水晶の瞳に導かれる先に、きっと、輝かしい未来が待っている。
そんな確信にも似た想いが、わたくしの胸を満たしていくのだった。




