第4話
ヴァレンシュタイン公爵の居城は、北方の険しい山脈に抱かれるようにして建っていた。
夜空に浮かぶその姿は、まるで夜の闇そのものが形を成したかのように荘厳で、人を寄せ付けない威厳を放っている。
城の中は、外見の印象とは裏腹に、静謐な空気に満ちていた。
どこもかしこも塵一つなく磨き上げられ、ひんやりとした石の壁を、ランプの柔らかな光が照らしている。
「長旅で疲れただろう。まずは部屋へ案内させる」
公爵の言葉に従い、侍女に案内された客室は、王宮の一室よりも広く、趣味の良い調度品で整えられていた。
けれど、わたくしは少しも落ち着かなかった。
(これから、どうなってしまうのだろう……)
不安と期待が入り混じったまま夜を明かし、翌朝。
わたくしは、城の最上階にあるという公爵の私室へと招かれた。
そこは、壁一面が巨大な本棚で埋め尽くされた、書庫のような部屋だった。
古びた革の匂いと、インクのかすかな香り。
窓の外には、壮大な山々の景色が広がっている。
「よく眠れたか」
窓辺の椅子に腰かけていたカイウス公爵が、こちらを振り返った。
朝日に照らされた彼の横顔は、彫刻のように美しかった。
「はい、お気遣い痛み入ります」
「では、本題に入ろう。エリアーヌ嬢、君が長年身につけているその腕輪を、外して見せてくれないか」
彼の視線が、わたくしの左手首へと注がれる。
亡き祖母の形見である、銀の腕輪。
「これは……お守りです。わたくしの魔力が暴走しないようにと、祖母が……」
「ああ。それは、ただのお守りではない。『魔力抑制の封印具』だ。それも、古代魔法を用いて作られた、極めて強力なな」
封印具――その言葉に、息を呑んだ。
「君の魔力は、言わば制御不能な奔流だ。あまりに強大で、純粋すぎるが故に、幼い君の身体では到底御しきれなかった。だから君の祖母は、その力の大部分をこの腕輪に封じ込めたのだろう。君自身を守るために」
彼の説明は、にわかには信じがたいものだった。
わたくしが、無能なのではなく、力が強大すぎた?
「そんな……。だって、わたくしは魔力測定の水晶を、光らせることしか……」
「当たり前だ。川の水をコップで測ろうとするようなものだからな。規格外の力は、規格内の道具では測れん」
カイウス公爵は立ち上がると、わたくしの目の前に来た。
そして、諭すように言葉を続ける。
「だが、いつまでも奔流を堰き止めておくわけにはいかん。いずれ堤は決壊する。そうなる前に、君は自分の力の本当の姿を知り、それを制御する方法を学ばねばならない」
さあ、外すんだ。
彼の紫の瞳が、そう促している。
けれど、わたくしの身体は動かなかった。
指先が、氷のように冷たくなっていく。
(だめ……外しちゃ、だめ……!)
脳裏に、忘れたくても忘れられない光景が蘇る。
あれは、まだわたくしが7歳だった頃。
お母様が大切に育てていた、中庭の白い薔薇。
その美しさに触れたくて、ほんの少しだけ、魔力を通してみようと思ったのだ。
次の瞬間、わたくしの指先から溢れ出た力は、美しい花弁を黒い塵に変え、瑞々しかった葉を枯れさせ、緑の蔦をみるみるうちに腐らせてしまった。
ほんの一瞬で、あれほど見事だった薔薇園が、死の世界へと変貌してしまったのだ。
『なんて子なの! お前は、美しいものを壊すことしかできないのね!』
お母様の絶叫が、今も耳の奥でこだましている。
わたくしの力は、何かを生み出すのではなく、ただ破壊し、枯らすだけの、忌まわしい力なのだと。
そう、思い知らされた瞬間だった。
「怖いか」
カイウス公爵の声が、わたくしを過去の悪夢から引き戻した。
気づけば、わたくしは恐怖で全身を小刻みに震わせていた。
「……はい。わたくしの力は、きっと、何かを傷つけるための力ですから……」
絞り出した声は、涙で濡れていた。




