第2話
「――くだらない茶番だ」
静寂を破ったのは、カイウス公爵の低く、静かな声だった。
それは誰に向けたものともつかない呟きだったが、その場にいた全員の耳に、明確に届いた。
エドワード殿下の顔が、屈辱に赤く染まる。
「ヴァレンシュタイン公爵! 今、何と……!」
しかし、カイウス公爵は王子を一瞥だにしない。
彼の紫水晶の瞳は、ただまっすぐに、わたくしだけを捉えていた。
わたくしは、混乱していた。
なぜ、あのカイウス公爵が?
彼とわたくしには、何の接点もないはずだ。
クリスティーナが、震える声で殿下の腕にしがみつく。
「まあ、酷い……。殿下の真剣なお気持ちを、茶番だなんて……」
そのわざとらしい仕草が、逆に人々の意識を現実に引き戻した。
そうだ、これは茶番などではない。
クライフォルト家の『無能』令嬢が、第二王子に婚約破棄をされるという、当然の結末なのだ。
(もう、いい。これ以上、みっともない姿を晒すわけにはいかない)
わたくしは、クライフォルト伯爵令嬢としての最後の誇りをかき集めた。
背筋を伸ばし、震える膝に力を込める。
そして、エドワード殿下に向かって、淑女の礼法の最も丁寧な形をとった。
「殿下のお考え、よく分かりました。これまで、長きにわたりお世話になりました。エドワード殿下とクリスティーナ様の未来に、神のご加護があらんことを」
感情を押し殺し、完璧な微笑みを顔に貼り付ける。
心の中では、硝子の破片が散らばるように、プライドが粉々に砕け散っていた。
さあ、これで終わりだ。
早くこの場から立ち去ろう。
そう思って身を翻した、その時だった。
すっと、目の前に影が差した。
気づけば、カイウス公爵がわたくしの目の前に立っていた。
「……っ」
あまりの近さに息を呑む。
見上げるほどの長身。近くで見ると、彼の瞳の紫色は吸い込まれそうなほどに深い。
彼の存在そのものが、濃密な魔力の塊のようだった。
周囲が、再び息を呑む気配がする。
カイウス公爵が、わたくしに何を?
彼は、ゆっくりとわたくしに手を差し伸べた。
その指が、わたくしが身につけているお守りの腕輪に、そっと触れる。
それは、唯一の味方であった亡き祖母の形見。
魔力の暴走を抑えてくれると信じて、肌身離さずつけている、古びた銀の腕輪だ。
「その腕輪……」
カイウス公爵が、何かを呟く。
そして、彼はわたくしの目を見て、はっきりと告げた。
「クライフォルト令嬢。あなたの“力”は、そのような男に測れるものではない」
――え?
「ましてや、そんな子供騙しの玩具で価値が決まるものでもない」
彼の視線が、王子たちが使っていた魔力測定器の方へ流れる。
その言葉の意味が、わたくしには理解できなかった。
『無能』で、『出来損ない』のわたくしに、“力”があるというの?
エドワード殿下が、怒りに顔を歪ませて叫ぶ。
「何を馬鹿なことを! その女は『測定不能』の出来損ないだぞ! 公爵、あなたも見る目がないらしいな!」
その罵声に対し、カイウス公爵は初めて、氷のような視線を王子に向けた。
「見る目がないのは、貴殿の方だろう」
その声には、絶対零度の冷気が宿っていた。
「真の才能とは、凡人の物差しでは測れん。その程度のことも分からず、女の価値すら見誤るとは……王族の名が泣くな」
それは、誰にも言えぬ痛烈な皮肉。
王子は「ぐっ……!」と息を詰まらせ、言葉を失う。
カイウス公爵は、もはや彼らには興味がないとばかりに、再びわたくしへと向き直った。
「エリアーヌ・フォン・クライフォルト令嬢」
初めて、彼はわたくしの名を呼んだ。
その声が、不思議と荒れ狂う心に静けさをもたらす。
「今宵は不愉快だったろう。私の城へ来るといい。貴女のその『測定不能』の力が、一体何であるのか。私が、直々に教えてやろう」
その申し出は、あまりにも唐突で、信じがたいものだった。
周囲の貴族たちは、もはや何が起きているのか理解できず、ただ呆然と立ち尽くしている。
わたくしは、彼の紫水晶の瞳を見つめ返した。
その奥に、嘲笑でも、憐憫でもない、何か確かな光が宿っているように見えた。
この人は、わたくしの何を知っているというのだろう。
なぜ、わたくしに、このような言葉をかけてくれるのだろう。
疑問が渦巻く。
けれど、それ以上に。
暗い絶望の淵に垂らされた、一本の蜘蛛の糸のように。
この手を伸ばせば、何かが変わるのかもしれないという、淡い、淡い希望が、砕け散った心の中に、微かに芽生えるのを、わたくしは感じていた。




