第1話
きらびやかなシャンデリアの光が、磨き上げられた大理石の床に乱反射している。
優雅なワルツの音色と、貴族たちの楽しげな談笑。
王宮の夜会は、甘い花の香りと虚栄心で満ち満ちていた。
そんな華やかな喧騒の中で、わたくし、エリアーヌ・フォン・クライフォルトは、一人だけ分厚い氷の中に閉じ込められたような感覚に陥っていた。
「エリアーヌ。お前との婚約を、今この時をもって破棄させてもらう」
目の前に立つ婚約者、エドワード第二王子の声は、氷のように冷たく、何の感情も宿していなかった。
彼の美しい青い瞳が、路傍の石でも見るかのように、わたくしを映している。
(ああ、やはり……この日が、来てしまったのですね)
心のどこかで、ずっと予感していた。
それでも、実際にその言葉を突きつけられると、心臓が握り潰されるような痛みが走る。
指先から急速に血の気が引き、夜会のためにと仕立てたばかりの豪奢なドレスの感触さえ、遠くなっていく。
「な……なぜ、でございますか、エドワード殿下。わたくし、至らない点があったのでしたら――」
絞り出した声は、自分でも情けないほどに震えていた。
殿下は、そんなわたくしを鼻で笑う。
「なぜ、だと? よくもそんな口が利けたものだ。お前は魔力の基礎制御すら、ろくにできぬではないか」
その言葉は、鋭い刃となってわたくしの胸を抉った。
周囲から、抑えきれない嘲笑と囁き声が聞こえてくる。
「まあ、やはり……クライフォルト家のお荷物令嬢」
「魔力を持たぬも同然の『無能』だものね。殿下がお気の毒だわ」
石を投げつけられているようだ。
フードの無いこの場所では、その悪意から身を守る術もない。
わたくしたち貴族にとって、魔力は絶対的な価値を持つ。
クライフォルト伯爵家は、代々優秀な魔術師を輩出してきた名門。
それなのに、わたくしは生まれつき魔力の制御が極端に苦手だった。
必死に努力した。
血の滲むような訓練を重ね、魔術書を読み漁り、来る日も来る日も祈りを捧げた。
王太子妃教育も、他の誰よりも真面目に取り組んできた自負がある。
けれど、結果はいつも同じ。
わたくしが魔力を使おうとすると、それは制御を離れて暴走し、グラスを割ったり、小さな火事を起こしたりするだけだった。
魔力量を測定する水晶に至っては、わたくしが触れると微かに光るだけで、正確な数値を一度も示したことがない。
『測定不能』――それは事実上の『無能』の烙印だった。
「わたくしの隣に立つ女は、完璧でなければならんのだ。その点、クリスティーナは素晴らしい。彼女こそ、私の隣に立つにふさわしい淑女だ」
殿下がそう言って腕を差し出すと、彼の背後から、一人の可憐な令嬢が姿を現した。
淡いピンクのドレスに身を包んだ、クリスティーナ・バートン男爵令嬢。
潤んだ瞳でわたくしを見つめ、守ってあげたいと思わせる儚げな雰囲気を纏っている。
「エリアーヌ様、申し訳ありません……! わたくし、殿下のお心をお断りすることができなくて……」
(よく言うわ。殿下に甘い言葉を囁き、わたくしの悪評を吹き込んでいたのは、どこの誰だったかしら)
心の中で毒づいても、もう遅い。
わたくしは、この茶番の敗者なのだから。
意識が遠のきそうだ。
世界がぐにゃりと歪み、人々の嘲笑が不快な残響となって頭に響く。
(誰か……助けて……)
そんなありえない願望が胸をよぎった、その時だった。
カツン、と。
静かだが、全ての喧騒を打ち消すほどに澄んだ靴音が、ホールに響き渡った。
ざわめきが、嘘のように静まる。
視線が、音の主へと一斉に注がれる。
そこに立っていたのは、漆黒の軍服に身を包んだ一人の男性だった。
夜の闇を溶かし込んだような黒髪と、全てを見透かすかのような鋭い紫水晶の瞳。
その圧倒的な存在感に、誰もが息を呑む。
カイウス・フォン・ヴァレンシュタイン公爵。
帝国最強の魔術師にして、冷徹無比と噂される、北方の領地を治める若き当主。
彼は、社交の場にほとんど顔を出さないことで有名だった。
その彼が、なぜここに?
カイウス公爵は、誰にも目もくれず、ただ静かにこちらを見つめていた。
その凍てつくような視線は、まるで――。
(まるで、わたくしの魂の奥底を、覗き込んでいるかのようだわ)
わたくしは、その紫の瞳から、なぜか目が離せなくなっていた。




