### Section2-3:「書かれた運命?」
煙から逃げ出した俺たちは、町外れの廃屋で一息ついていた。
古い風車小屋らしく、中は埃っぽくて薄暗い。でも、とりあえず追手からは逃れられたようだ。
「はあ、はあ……やっと、休める」
俺は床にへたり込んだ。
「お疲れさま」
アリシアが水筒を差し出してくれた。変装用の髪色変化薬は、もう効果が切れている。
「それにしても、すごい準備でしたね」
「当然よ。計画は入念にやらないと」
(この子、本当にしっかりしてるなあ)
「しっかりしてるって、当たり前でしょ」
「いや、褒めてるんですよ。俺なんて、何の準備もなしに異世界に来ちゃったんですから」
(まあ、準備できるわけないんだけど)
「準備できるわけないって、そりゃそうよね」
アリシアがくすっと笑った。
「転生に準備なんて、普通はできないもの」
「あんた、転生について詳しいんですか?」
「少しね。この世界では、転生者はたまにいるから」
「珍しくないんですか?」
「年に数人はいるわ。でも、大抵は処刑されるか、奴隷にされるか」
(うわあ、やっぱり地獄だ、この世界)
「地獄って言うけど、あなたは運が良かったのよ」
「運が良かった?」
「あなたの『オートモノローグ』は特別だから」
アリシアが少し考えてから答えた。
「この世界には、『書かれた運命』というものがある」
「書かれた運命?」
「神様が決めた、みんなの人生のシナリオみたいなもの。でも、あなたの『声』は、そのシナリオに書かれていない」
(よく分からないけど、なんかすごそうだ)
「すごそうって、本当にすごいのよ」
アリシアの目が輝いた。
「『書かれていない声』は、世界そのものを変える力があるの」
「世界を変えるって、大げさじゃないですか?」
「大げさじゃない。あなたがいるだけで、周りの人の『運命』が少しずつ変わっていく」
(なんか、責任重大だなあ)
「責任重大って、そうよ。だから、私があなたを守らなくちゃいけないの」
「守るって……」
「あなた一人じゃ、絶対に生きていけないもの」
その言葉に、なんだかムッとした。
「そんなことないですよ。俺だって、一応大人なんですから」
「大人?」
アリシアが俺を見た。その視線が、なんだか上から目線っぽい。
「あなた、この世界の通貨、分かる?」
「えーっと……」
「魔法の使い方は?」
「使えませんけど……」
「ほら、全然だめじゃない」
アリシアが呆れたように言った。
(確かに、何も知らないなあ)
「何も知らないどころの話じゃないわよ。あなた、常識がなさすぎ」
「だから、私が教えてあげるって言ってるの」
アリシアがため息をついた。
「本当に、手のかかる人ね」
(でも、なんで俺なんかの面倒を見てくれるんだろう)
「俺なんかって、また言った」
アリシアが眉をひそめた。
「自分のことを『なんか』って言うのは、やめなさい」
「でも、実際に俺なんて……」
「実際に俺なんて、何よ」
アリシアが立ち上がった。
「あなた、自分のことを軽く見すぎ」
「『俺なんか』って言葉、今日だけで十二回言ったのよ」
「そんなに言ってましたか?」
「言ってた」
アリシアが俺の前に座った。
「あなたが自分を否定するたびに、私も悲しくなるの」
「悲しくなる?」
「だって、私にとって大切な人が、自分を大切にしてくれないんだもの」
(大切な人って、俺のこと?)
「そうよ、あなたのこと」
アリシアの頬が、少し赤くなった。
「私にとって、あなたはとても大切な存在なの」
「どうして?」
「あなたの『声』を聞いていると、なんだか安心するの」
アリシアが小さく言った。
「今まで、誰の声を聞いても、こんな気持ちになったことはなかった」
(安心って、俺の心の声で?)
「そう。あなたの心の声は、とても優しいの」
「優しいって……」
「嘘をつかないし、人を傷つけようとしないし、いつも正直」
アリシアが俺を見つめた。
「そんな人、この世界にはいないのよ」
「この世界の人は、みんな『書かれた役割』を演じてる。本当の自分を隠して生きてる」
「書かれた役割?」
「神様が決めた『設定』みたいなもの。でも、あなたにはそれがない」
(設定がないって、それって良いことなのか?)
「良いことよ」
アリシアが微笑んだ。
「だって、あなたは本当の自分でいられるから」
その笑顔を見た瞬間、胸が暖かくなった。
(この子、笑うとすごく可愛いんだな)
「可愛いって……」
アリシアの頬が、また赤くなった。
「そんなこと、いきなり言わないでよ」
「あ、すみません。心の声だから……」
「心の声でも恥ずかしいの」
アリシアが手で顔を隠した。
「謝らなくていいの。ただ、もう少し考えてから思考しなさい」
「考えてから思考って、矛盾してませんか?」
「矛盾してるわね」
アリシアがくすっと笑った。
「でも、あなたと話してると、つい変なことを言っちゃうの」
(変なことって、それって俺のせい?)
「あなたのせいよ」
アリシアがもう一度笑った。
「でも、嫌じゃない。むしろ、楽しいかも」
アリシアが立ち上がった。
「さあ、そろそろ行きましょう。日が暮れる前に、安全な場所を見つけないと」
「安全な場所って、どこですか?」
「知り合いの隠れ家があるの。そこなら、しばらく身を隠せる」
(知り合いって、この子にも仲間がいるのか)
「仲間っていうか、同じような境遇の人ね」
アリシアが荷物をまとめ始めた。
「あの人も、『普通じゃない』人だから」
「どんな人なんですか?」
「会えば分かるわ。でも、ちょっと変わった人だから、驚かないでね」
「変わったって、どれくらい?」
「そうね……あなたの十倍くらい変わってる」
(俺の十倍って、どんな人だ)
「楽しみにしてなさい」
アリシアがいたずらっぽく笑った。
その笑顔を見ていると、なんだか希望が湧いてきた。この世界は確かに地獄かもしれないけど、こんなふうに笑ってくれる人がいるなら、案外悪くないのかもしれない。
(アリシアと一緒なら、きっと大丈夫だ)
「大丈夫よ」
アリシアが頷いた。
「私たち、もう相棒なんだから」
「相棒?」
「そう、相棒」
アリシアが手を差し出した。
「よろしく、ナユタ」
「よろしく、アリシア」
俺たちは握手をした。
まだ相棒未満かもしれないけど、確かに何かが始まった気がした。