### Section2-2:「謎汁って何よ」
下水道から這い出てきた時、俺は気づいた。
この世界には、腹が減るという概念がちゃんと存在している。
「うーん、やっぱりお腹空いたなあ」
俺が呟くと、アリシアが呆れたような顔をした。
「あなたって、状況を理解してるの?」
「してますよ。逃亡者で、追われてて、お腹が空いてる」
「最後のは関係ないでしょ」
(それに、もう三日も牢屋の謎汁しか飲んでないし)
「謎汁って何よ」
「牢屋で出てた、得体の知れない液体です」
俺たちは森の端っこで、町を見下ろしていた。石造りの建物が立ち並ぶ、中世風の町並み。
「あそこで食べ物を調達するのね」
「でも、顔がバレてるかもしれないから、変装が必要」
アリシアがローブの中から、小さな瓶を取り出した。
「髪の色を変える薬。三時間ぐらいで元に戻る」
(便利だなあ、この世界の魔法って)
「便利だけど、高いのよ」
アリシアが俺の髪に液体をつけた。ひんやりとして、不思議な感触だ。
「あなたは商人の息子、私は妹ね」
(妹か。アリシアが妹ってのも、なんか新鮮だな)
「新鮮って何よ」
「君ってしっかりしてるから、妹って感じじゃないなって」
「失礼ね。私だって、可愛い妹ぐらいできるわよ」
「試しに、可愛い妹やってみてください」
アリシアが声のトーンを変えた。
「お、お兄ちゃん……お腹空いちゃった」
(うわあ、なんか変な感じ)
「変な感じって何よ!」
髪の色が茶色に変わった。
「よし、これで準備完了」
俺たちは町の入り口に向かった。守衛が身分証を確認して、あっさりと通してくれた。
「意外と簡単でしたね」
「変装の効果よ」
町の中は賑やかだった。パン屋で黒パンとチーズパンを買って、広場で食べ始める。
「やった、やっと食べ物が手に入った」
久しぶりのまともな食べ物だ。
(この子も、実はお腹空いてたんだな)
「当然よ。私だって人間なんだから」
その時だった。
「おい、あいつらを見ろ」
広場の向こうから、三人の男がこちらを見ている。ガラの悪そうな連中だ。
「ああ、あの茶髪の男、さっきから独り言ばっかり言ってる」
(独り言って、俺のことか?)
「心の声が聞こえてるのよ」
アリシアが慌てたように言った。
三人の男が、こちらに向かって歩いてきた。
「おい、そこの兄ちゃん。さっきから独り言言ってるが、何か企んでないか?」
(これ、どう答えればいいんだ?)
「どう答えるって、何をだ?」
男の一人が眉をひそめた。
「お前、人の心を読んでるだろ。盗賊の仲間か?」
(人の心を読んでるって、そういう発想になるのか)
「そういう発想って、どういうことだ!」
男の一人が俺の胸ぐらを掴んだ。
「やめてください。お兄ちゃんは病気なんです」
アリシアが慌てて割って入った。
「心の声が、勝手に口から出ちゃう病気で……」
(病気扱いか)
「病気扱いって、今も言ったろ! やっぱり盗賊だ!」
「町の守備隊を呼ぼう」
「逃げましょう」
アリシアが俺の手を掴んだ。
「でも、パンが……」
「パンより命が大事でしょ」
俺たちは走り出した。後ろから、男たちが追いかけてくる。
「待て、盗賊!」
「盗賊じゃないです!」
(なんで盗賊だと心を読めることになるんだ?)
「心を読めたら、人の財産の在り処が分かるからよ」
アリシアが走りながら説明した。
「なるほど、そういうことか」
町の人たちが騒ぎ始めた。
「盗賊よ、盗賊が現れたわ」
「守備隊はどこにいるの」
(なんか、大変なことになってきた)
「大変なことになってきたって、あなたのせいでしょ」
前方から守備隊らしき兵士たちが現れた。
「そこまでだ」
「やばい、挟み撃ちだ」
「俺たちは盗賊じゃありません」
「なら、なぜ逃げる」
「逃げたのは、誤解されたからです」
(誤解っていうか、実際に心の声は聞こえてるんだけど)
「実際に聞こえてるって、やっぱり盗賊じゃないか」
兵士の一人が剣を抜いた。
「違います。これは病気です」
(読めるんだよなあ、これが)
「読めるって、自分で言うな」
アリシアが俺の脇腹を肘で突いた。
「とにかく、大人しく来い」
兵士たちが俺たちを取り囲んだ。
(せっかく脱獄したのに、意味がなかった)
「意味がなかったって、まだ諦めるには早いわよ」
アリシアが小声で言った。
「私に任せて」
アリシアが懐から、小さな球体を取り出した。
「煙玉よ」
アリシアが球体を地面に叩きつけた。瞬間、白い煙が立ちこめる。
「今よ、走って!」
俺たちは再び走り出した。
(この子、一体何者なんだ?)
「後で説明するから、今は走りなさい」
煙の向こうから、兵士たちの怒声が聞こえてくる。
俺たちの逃亡劇は、まだまだ続きそうだった。