### Section2-1:「筒抜けよ、筒抜け」
地下通路は、思っていたよりもずっと狭かった。
頭をぶつけながら這いずるように進む俺の後ろで、アリシアがため息をついている。
「もう少し静かに移動できないの?」
「無理です。天井低すぎじゃないですか」
(なんで地下通路なんて知ってたんだ、この子。怪しい)
「怪しいって何よ」
アリシアの声が、とげとげしい。
「いや、そういう意味じゃなくて……」
(女の子を怒らせる才能だけは、転生しても健在らしい)
「失礼ね」
「すみません。俺の心の声、聞こえちゃってるみたいで……」
「筒抜けよ、筒抜け」
俺たちは薄暗い通路を、膝をついたまま進んでいく。
「ねえ、アリシア。君は、なんで俺を助けてくれたの?」
アリシアが振り返った。金髪が、ローブの隙間から揺れている。
「理由を聞いて、どうするつもり?」
「お礼とか……」
「お礼はいらない」
(この子、俺の『声』が聞こえてたって言ってたし)
「だから、それが理由よ」
アリシアが立ち止まった。
「あなたの声が、聞こえなくなったら困るから」
(まさか、俺の心の声を聞くのが趣味? 変な趣味だな)
「変な趣味って何よ!」
「つもりじゃないなら、黙って歩きなさい」
しばらく無言で進んでいると、遠くから足音が聞こえてきた。
「やばい、追いつかれた」
「当然でしょ。あなたがうるさいから」
(この子、結構きついことを言うなあ。性格はあんまり可愛くないのかも)
「性格が可愛くないって、あんた……私の性格の何が悪いっていうのよ」
(もうちょっと愛想が良いほうが、男子にはモテるんじゃないかなって)
「モテる必要なんてないわ。私は別に、男の人に好かれたいと思ってない」
「そうなんですか」
「第一、男の人なんて信用できないし」
その時、足音がぐっと近づいてきた。
「とにかく、急ぎましょう」
「出口はどこにあるんですか?」
「この先に、古い下水道との合流地点がある」
「下水道って、汚くないですか」
「文句を言ってる場合?」
(この子、なんで俺よりも逃走に慣れてるんだ?)
「慣れてるわけじゃない。準備をしただけよ……あなたを助け出すための準備」
(三日間で、そこまで準備できるものなのか?)
「三日間あれば、十分よ」
通路の向こうに、明かりが見えてきた。俺たちは這い出るようにして、少し広い空間に出た。
「よかった、やっと立ち上がれる」
でも、確かににおいがする。
「我慢しなさい。あなたのために逃げてるんだから」
(なんで俺なんかのために、ここまでしてくれるんだろう)
「俺なんかって、何よ」
「自分のことを『俺なんか』って言うの、やめなさい。聞いてて、気分が悪くなる」
「あなたは、あなたよ。『なんか』じゃない」
(なんか、照れるな)
「照れてる場合じゃないでしょ」
アリシアが歩き出した。
「ねえ、君の能力って、何なの?」
「『聖言解読』って呼ばれてる」
「聖言解読?」
「神様の言葉を読み取る能力」
(俺の心の声が神様の言葉? そんなバカな)
「バカじゃない。あなたの声は、確かに『聖言』の性質を持ってる」
「聖言の性質って……」
「この世界に『書かれていない言葉』よ」
「書かれていない言葉って、どういうことですか?」
「後で説明する。今は、とにかく逃げることが先決」
下水道の奥から、また足音が聞こえてきた。
「まだ追いかけてくるんですね」
「当然よ。あなたは『世界最高レベルの危険人物』なんだから」
(世界最高レベルの危険人物って、俺が? ただの高校生なのに?)
「ただの高校生じゃないわ」
アリシアが立ち止まって、俺を見た。
「あなたは、この世界にとって『例外』なのよ」
「例外?」
「存在してはいけない、イレギュラーな存在」
(そんな大層なものなのか、俺って)
「大層よ。だから、私があなたを守らなくちゃいけないの」
「守るって……」
「あなたの声を、私以外の誰にも聞かせたくないから」
その言葉に、胸がどきっとした。
(この子、もしかして俺のことを……)
「勘違いしないで。変な意味じゃないから」
「とにかく、早く行きましょう」
アリシアが駆け出した。俺も慌てて後を追いかける。
「アリシア、この先に出口は?」
「ある。街の外れの森」
(森か。そこまで行けば、何とか逃げ切れるかな)
「逃げ切れる」
アリシアが振り返って、にっと笑った。
「私を信じなさい」
その笑顔を見た瞬間、安心した。
(やっぱり不思議だ。初対面なのに、なんでこんなに必死に助けてくれるんだろう)
「初対面じゃないわよ」
「え?」
「あなたの声、三日前からずっと聞いてたもの」
(三日前から? 牢屋にいる時の?)
「そう。あなたが牢屋で考えてたこと、全部聞いてた」
「全部って……」
(まさか、あの恥ずかしい妄想とかも?)
「恥ずかしい妄想って何よ」
「何でもないです」
「じゃあ、聞かないでおいてあげる」
アリシアがくすっと笑った。
「でも、あなたって面白いのね。普通の人は、心の中でもっと取り繕うものよ。でも、あなたは全部そのまま」
(それって褒め言葉なのか?)
「褒め言葉よ。私は、そういうあなたが好き」
心臓が止まりそうになった。
(好きって、どういう意味で?)
「どういう意味って……」
アリシアの頬が、薄っすらと赤くなった。
「そ、それは……」
その時、後ろから大きな声が響いた。
「見つけたぞ!」
追手が、ついに下水道まで追いついてきた。
「走りましょう!」
アリシアが俺の手を掴んで、走り出した。
今度こそ、本当の逃走劇の始まりだった。