### Section5-2:「貴様の存在そのものが『世界への冒涜』なのだ」
ザカリが立ち上がろうとした瞬間、馬車の空気がピンと張り詰めた。
でも、馬車の天井は低くて、彼も完全には立てない。中腰のまま剣に手をかけている。
「ナユタ・クロウフェザー」
ザカリの声が低く響いた。
「貴様を『静語牢』へ送り返す。今度こそ、処刑台まで歩いてもらうぞ」
「ちょっと待ってくださいよ」
俺は手足を縛られたまま、座ったまま必死に訴えた。
「俺たち、何も悪いことしてませんって」
「悪いことをしていない?」
ザカリが苦笑いした。
「貴様の存在そのものが『世界への冒涜』なのだ」
(いや、大げさすぎでしょ。俺また何かやっちゃいました?)
「また何かやった、だと?」
ザカリが困惑した顔になった。
「貴様は自覚がないのか。この三日間で起きた異変の数々、全て貴様が原因だ……予言書の文字の変化、古代遺跡からの光の柱も観測されておる。そして貴様と『聖言解読者』との出会い」
アリシアがびくっと震えた。
「あ……」
「そうだ、アリシア・リューンライト。貴様も同罪だ」
ザカリがアリシアを指さした。中腰なので、指差す手も微妙に曲がっている。
「冒涜なんかじゃないわ」
アリシアが震え声で言い返した。
「私達は、ただ真実を知りたかっただけよ」
「真実? 貴様のような小娘に、何が分かるというのだ」
(小娘って、ひどい言い方だな。アリシアはちゃんと考えて行動してるのに)
「それに、俺たちだって勝手に巻き込まれただけですよ」
「転生者は皆、そう言う」
ザカリが冷たく呟いた。
「『この世界なら俺TSUEEE』『チートスキルで美少女ハーレム作る』『俺また何かやっちゃいました?』……皆、同じことを言う」
ザカリの剣が鞘から抜かれた。白銀の刀身が、馬車の中に冷たい光を落とす。
「結果は同じだ。世界は乱れ、秩序は崩れる」
「でも、それって本当に悪いことなんですか?」
俺の問いに、ザカリの動きが止まった。
「その秩序って、人を殺すことで保たれてる秩序でしょ?」
(モノローグ持ちを皆殺しにして、それで平和って言えるのかな)
「モノローグ持ちを皆殺し……」
ザカリの顔に、僅かな動揺が浮かんだ。
「俺は……必要な犠牲を……」
「必要な犠牲って、人の命ですよ?」
俺は座ったまま身を乗り出した。
「たった一人、たった一つのスキルのために、その人の人生を全部奪うなんて、やっぱり間違ってると思います」
「では、どうしろというのだ」
ザカリの剣先が俺の首元に向けられた。
「世界が滅ぶまで放置しろとでも言うのか」
「滅びませんよ、そんなの」
(だって、俺だってアリシアだって、普通に生活してるだけじゃん)
「貴様は……本当に、ただ生活がしたいだけなのか?」
「そうですよ。当たり前じゃないですか」
俺は真っ直ぐにザカリを見つめた。
「強くなりたいとか、偉くなりたいとか、そういうのじゃなくて。ただ、アリシアと一緒に、平和に暮らせればそれで十分です」
ザカリの剣が震えた。
「だが……過去の記録では……」
「過去は過去でしょ」
(この人も、本当は分かってるんじゃないかな。人を殺すのが嫌だって)
「人を殺すのが嫌……」
ザカリの声が掠れた。
「俺は……騎士として……」
「騎士だからって、人を守らなくていい理由にはならないでしょ」
その時だった。
馬車が急に揺れて、中腰のザカリの体勢が大きく崩れた。
「うわあっ」
剣を持ったまま倒れそうになるザカリ。その剣先が、俺じゃなくて——
「あぶない!」
アリシアが身を投げ出した。
縛られた体で、俺を庇うように。
「アリシア!」
ザクリ、という鈍い音がした。
アリシアの左肩に、剣が深く突き刺さっていた。
「あ……あああ……」
アリシアの顔が真っ青になった。血が、彼女の服を赤く染めている。
「アリシア! アリシア!」
(なんで、なんでアリシアが。俺を庇って、俺なんかのために)
「済まん、俺は……」
ザカリが青ざめて剣を抜いた。アリシアの血が、刀身を滴り落ちる。
「だ、大丈夫よ……ちょっと、切っただけ……」
アリシアが笑おうとしたが、顔が痛みで歪んでいる。
その瞬間だった。
俺の中で、何かが弾けた。
「ふざけるな」
俺の声が、今まで聞いたことのないくらい低く響いた。
「ふざけるなよ、ザカリ」
(アリシアが、俺を庇って。俺なんかのために、こんな目に遭わせて)
「アリシアに何してくれてるんだ」
縛られた手を無理やり引っ張って、俺は座ったまま上体を起こした。縄が食い込んで痛いが、そんなのどうでもよかった。
「貴様……その目は……」
ザカリが後ずさった。
(怒ってる。俺、今めちゃくちゃ怒ってる。アリシアを傷つけられて、頭に血が上ってる)
「頭に血が上って……」
ザカリが呟いた。
「貴様、怒りを抱いているのか」
「当たり前だろ」
俺は怒鳴った。
「大事な人を傷つけられて、怒らないわけないだろ」
「大事な人……」
「そうだよ。アリシアは俺の大事な人だ」
(この人がどんな事情を抱えてようが、どんな正義を信じてようが、アリシアを傷つけることは許さない)
「許さない……」
ザカリの剣が、がたがたと震えた。
「貴様は……本当に、他者のために怒ることができる転生者なのか」
「できるに決まってるだろ」
俺はザカリを睨みつけた。
「君が何を守ろうとしているのかは分からない。でも、俺にも守りたいものがある」
「守りたいもの……」
ザカリの顔に、混乱の色が浮かんだ。
「過去の転生者は、皆自分のことしか考えなかった」
「俺は過去の転生者じゃない」
俺は真っ直ぐに言った。
「俺は俺だ。ナユタ・クロウフェザーだ」
(アリシアのために怒れる。ミラさんのために悲しめる。そういう俺だ)
「他者のために怒り、他者のために悲しむ……」
ザカリが剣を下ろした。
「そんな転生者は……前例がない」
「前例がないなら、作ればいいでしょ」
俺は、叫ぶアリシアの傍に膝をついた。
「アリシア、本当に大丈夫?」
「ええ……思ったより、浅い傷よ」
アリシアが弱々しく微笑んだ。
「でも、血が、止まらない……」
「え?」
見ると、アリシアの傷口から血がどくどくと流れている。さっきより酷くなってる。
「おい、これ、やばくないか?」
ザカリが慌てて駆け寄った。
「すまん、動脈を傷つけてしまったようだ」
「動脈って、それ、やばいやつじゃん!」
(アリシア、死んじゃうの? そんなの絶対に嫌だ)
「死なせはしない」
ザカリが懐から小さな水晶の小瓶を取り出した。中で金色の液体が煌めいている。
「これは……『エリクサー』。魔王戦でも使わずに取っておいた、最後の一本だ」
ザカリが栓を開けて、アリシアの口元に持っていく。
「飲め。すぐに治る」
アリシアがエリクサーを飲むと、傷が光に包まれて見る見るうちに塞がっていく。
「すげー……」
「伝説級の回復薬だ」
ザカリがほっと息をついた。空になった小瓶を見つめて、複雑な表情を浮かべる。
「もう大丈夫だ。完全に治った」
「よかった……」
俺は心の底から安堵した。
(アリシアが無事で、本当によかった)
「本当によかった……」
ザカリが俺を見つめた。
「貴様は……本当に、彼女のことを……」
「大切に思ってます」
俺は迷わず答えた。
「アリシアは俺の一番大事な人です」
アリシアの頬が、ほんのり赤くなった。
「ナユタ……しかし」
ザカリが浅い呼吸を繰り返す。まだ緊張は解けない。
「俺は……それでも世界調和の為に……」
馬車の中に、冷たい沈黙が流れている。
大剣がナユタの首筋にあてがわれる。そして。