始まり
乙女ゲームの悪役令嬢には役割がある。
ヒロインのための踏み台となり、そして表舞台から消えること。
もし悪役令嬢に転生したら、この役割を果たさないといけない。そうしないと、ゲームの抑止の力とシナリオの強制力が働き、強引な補正がかけられてしまう。
そう、私のように。
悪役令嬢にならずに済んだと思ったら。
この世界は残酷な決断を迫ったのだ。
だから今日、私は死ぬことにした。
両親と使用人の多くが、秋休みを過ごすため、別荘へ行っている。その留守中を使い、屋根のスレート(石板)のメンテナンスを行うことにしていた。よって別荘に行かなかった使用人も、帰省したり休暇をとっている。ゆえに真夜中の屋敷に人はいない。
でも私はこの秋休みの最中、婚約者の屋敷に滞在することになっていた。よって首都に残っていたのだ。そしてこの日、友人の令嬢とお泊りをするからと、婚約者の屋敷ではなく、私が向かった先は――。
留守宅になっている屋敷、そう公爵邸だ。
日没と同時に私は自室のベッドで眠り、真夜中に起床する。極力明かりを押さえ、行動を開始だ。
天蓋付きのベッド、カーテン、そしてベッド周りには何冊かの本。サイドテーブルには香油やポプリが置かれていた。
貴族の寝室は燃えやすいものが揃っている。
壁紙も壁に飾られた絵画も。
いい燃料となるだろう。
ゆっくりマッチを擦ると、淡いオレンジと赤がグラデーションした、温かみのある炎がともる。
これは死をもたらす業火ではない。
終わりと始まりをもたらす希望の灯だ。
アドリアナ・セレネ・サンフォード、十六歳。
乙女ゲーム『水色のセレナーデ』の悪役令嬢に転生していることを赤ん坊の頃に知った。
悪役令嬢にはならない。
そう心に誓い、懸命に生き、その呪縛を打ち破ることに成功したと思った。
でも。
この世界は限りなくヒロインに優しく、悪役令嬢には残酷だ。
ぽとりと私の手から、火のついたマッチが落ちていく。
小さな焔はすべてを舐め尽くし、やがて巨大な炎へと姿を変える。
この日、クロノス王国の首都クロウの夜空が、ザクロの実のように赤く輝いた。
◇
夜中の三時過ぎ。
完全に皆が寝静まっている中、届けられた悲報で邸宅内はにわかに騒がしくなる。血相を変えた執事が、彼の寝室にもやって来た。
執事の手にするオイルランプの明るさに、目をしばしばさせ、彼はまだ寝惚け眼だった。だがこの一言で、彼は激震する。
「公爵邸が燃えています」
「えっ……」
「そして公爵令嬢のご友人である伯爵令嬢からの知らせでは、伯爵邸に彼女の姿はなく、代わりで書置きがあったそうです。『こうするしか道はありませんでした。私は先に西方の地に旅立ちます。ここでは結ばれなくても、かの地では永遠です。さようなら、大好きな人。また会いましょう』と書かれていたとのこと。さらに燃える公爵邸の正門付近で、彼女のイニシャルと公爵家の紋章の入ったショールが発見されています」
執事の言葉に彼は完全に目が覚め、ベッドから飛び起きる。
西の地。
西方の島にはアーサー王伝説で語られるアヴァロンがあるとされ、ケルト神話では海の彼方の西に楽園があると言われていた。古代エジプトでは、死者の国は日が沈む西にあると考えられている。極楽浄土もまた、西の彼方にあると考えられていた。
「公爵邸の鍵を持つ者は今、この首都では公爵令嬢のみです。ご家族や使用人は皆、首都を離れ、別荘に滞在しています。別荘に行かなかった使用人も帰省しているとのこと。そこから公爵邸の火事は人為的なもので、かつ現場には公爵令嬢がいる可能性が高いかと。そして残された書置きは……その……遺書なのではないかと。公爵邸の火災はご令嬢によるもので、彼女はその炎の中で……」
「まさか、そんな……」
彼は絶句し、言葉が続かない。
だが、婚約者である彼女がもし自ら火を放ち、その炎と共に儚くなる選択をしたとしても……あり得ないとは言い切れなかった。それぐらい、そうなるぐらい、彼女が追い詰められていた可能性は……ゼロではない。
ただ、彼女は常に前向きだった。持ち前の明るさで「大丈夫。なんとかなるわ」と笑っていたのだ。
でもその強さが、弱さの裏返しだったのなら……。
「アドリアナ、どうして! 僕のそばに一生いるって言ってくれたのに!」
絞り出すような声を出した彼は、その場で崩れ落ちた。そして夜が明け始めた頃、火災は鎮火され、現場となった公爵邸からは……。
焼死体が一体、発見された。
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