【番外編】将軍:徳川綱吉の玄い冬(+α 答え合わせ)
◇
徳川右府こと、源綱吉は征夷大将軍である。
そして、彼の母は身分が低かった。一説には武家の生まれですらなく、商人の娘だったとか。
だから綱吉は、
「私はただの将軍ではない、庶民の気持ちが分かる将軍だ。亡き前将軍とは違う!」
と、度々宣っていた――――今日この日までは。
◇
元禄十六年(1703)2月4日、江戸城内。
彼の前に、お目付役が駆け寄ってきて告げる。
「播州赤穂の浪士組、46名。恙無く切腹を遂げました。上様の仰せのままに、です」
「そうか。大儀である」
報告を終え、綱吉の返事を聞いた目付役は、懐から1通の書状を取り出す。
それを目の前に差し出された綱吉は、当然訊ねる。
「で、何だそれは?」
「はっ。大石内蔵助が持っていた密書でございます」
「密書? 中は検めたか」
「はい。差出人は不明です。が、筆跡と浪士組の証言から、『吉良上野介の直筆ではないか』と考えております」
彼を逮捕した時、その懐に入っていたものを押収したようだ。
……なぜ今更? という疑問をグッと飲み込み、綱吉は続ける。
「そうか。今見てもいいか?」
「どうぞ」
綱吉は包み紙を取り外し、巻くように折られた書状の端を持った。そのまま腕を大きく振ると、書状が一発で開き……きらない。
折られたままの部分を手で開き、改めて書状を両手で持ち直す。
さて、中身は……
―――――
(前略:典型的な挨拶のため)
さて。上様がこちらを読まれているならば、「あの逆臣どもが無事処刑された」ということでしょう。謹んでお祝い申し上げます。
彼らは頑なに
「再審とお家再興を!」と騒いでおりました。が、法と道理の時代に、古臭い喧嘩両成敗なぞ通るはずもなく。
上様が初志を貫かれたこと、誠にめでたく存じます。
で。例の件につきまして、ですが。
都の止事なき方々からは、なかなかなご意見が相次ぎました。
「素晴らしいお考えかと存じます」
「まぁ、公方様は元気よろしおすな〜」
「ほんにほんに。若々しゅうて、頼もしい限りどす」
「ああいうお方が、歴史に名を残さはるんやろなぁ」
皆様、直接口にはされませんでしたが。言外に「時期尚早」「やり方がよくない、過激すぎる」などと匂わせておられました。
また、家の老臣たちから、
「農家が人手不足で困っており、連日陣屋に押しかけてきます。どうにかなりませんか?」
との相談も受けております。こちらで打てる手は全て打っているのに、です。
上級武士といえば聞こえはいいですが、所詮我らは弱小領主にすぎません。
その上、江戸と京都の行き来が多い分、領主としてできることは減ります。
羽虫の1匹をも思いやるお心は、大変ブン蚊的で素晴らしいと思います。が、そのために数百もの人間が島流しにされる世の中では、我ら旗本はやっていけません。
店じまいならぬ“家じまい”を検討せざるを得まい……という状況です。
僭越ながら、例の件はすぐにでも修正されたほうがよろしいかと存じます。
何卒賢明なるご決断を、お願い申し上げます。
(以下略)
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読み終えるなり、綱吉は顔を顰めた。
「爺、やりやがったな? ここまで私を虚仮にするとは……」
「捕らえて来ましょうか?」
「無駄だ、もう死んでる」
目付の冗談に、綱吉は軽く返す。彼らには珍しく、不謹慎極まりないやり取りであった。
「しかし、吉良の跡継ぎも気の毒だな。まだ四十九日が明けたばかりなのに……」
「そうですね、家継いで数か月でクビ! 引っ越し! ですし。 ……上様、人の心とかないんですか?」
◆
前年12月、上野介は死んだ。
病気のせいではない。赤穂の浪士組――今は亡き、浅野内匠頭の元家来たち――が吉良家に押しかけて、彼を殺したからだ。
「「「上野介ぇ! この前のアレ覚えとぉか〜 !? 」」」
「知らん……何それ……怖…………がふッ」
それも、何か月もしつこく付け回し、機会を狙った上で……だ。
令和風に言えば、これはストーカー殺人事件にあたる。だが当時の世論は違った。
「主君の怨みを晴らした、忠義の武士たち!」
「略して義士 !! 」
「赤穂義士万歳! 赤穂義士万歳 !! 」
などと褒めちぎったのだ。
で、綱吉はキレた。
「アレが美談だと !? 誰だ、こんな世の中にしたバカは !!? 」
「いや、上様ご自身でしょう。朱子学ごり押しして、『家来は主君に尽くせ』って言いふらしたんですから」
「むぅ、それはそうか……」
そして側近:松平甲斐守のツッコミに、思わず黙り込む。
まあ、綱吉以外にも問題はあるのだが。他人事としてキレていい立場ではなかった。
「で、どうします?」
「そうだな……」
あの3月14日から、綱吉は常に考えていた。もし次があるなら、今度は慎重に……と。
朝廷との大事な儀式を邪魔されたから……と、怒り任せに一方的な判決を下した。その結果がこれだ。
だからもう、間違わない。
「この件の判決は、吉良家の喪が明けるまで待つ。赤穂の浪士組はそれまで大名預かりとしよう。誰を誰に預けるか、皆の意見を聞きたい」
「「「ははーっ」」」
………
……
…
◇
そうして色々検討して、悩みに悩んで、今日2月4日。
「赤穂浪士46名の切腹」
「吉良家の取り潰し」
という、喧嘩両成敗な判決を出したばかりであった。
「それをあの爺、あっさり皮肉りやがって。しかもついでに“生類憐れみの令”まで批判してやがる。これがないと蛮族に間違われるのに……死にてえのか?」
密書を放り出して、綱吉は頭を抱えた。
一方、彼より密書が気になる甲斐守。
「上様、我々も見てよろしいですか?」
「好きにしろ。だがここだけの話にしておけよ」
「あっ、じゃあ私は遠慮します」
「「「やめるんかい!」」」
「冗談です。では失礼しまして……」
顔を寄せ合って密書を読みはじめた側近たちを尻目に、綱吉は溜め息をつく。
「いや、『“店じまい”ならぬ“家じまい”』とか書いてたな。 ……ん !? 爺まさか、被害者面した共同正犯か……?」
「陰謀論ですか? んなアホな……」
「おい聞こえてるぞ甲斐」
「へい、すいやせん!」
………
……
…
吉良はなぜ、「忠臣蔵」を思いつき、実行に移したのか?
浅野と大石は、なぜそれに乗っかったのか?
その最後の欠片となる事件を、綱吉主従は思い出さなかった。
「100年後、日の本はまた偉大な国になるだろう。我らはその礎となるのだ!」
などと言いながら。
◆
元禄十四年(1701)3月。吉良秘蔵の脚本を読み終えた浅野が、その末尾を指して言う。
「ここ、めちゃくちゃ良いですね!」
「そうか、ありがとよ」
曰く……
―――――
将軍にとって、この事件はある意味、越後騒動の焼き直しであった。“喧嘩両成敗”を無視し、片方だけを罰したために、騒ぎを収められなかったのだ。
結果、将軍はお裁きをやり直し、両成敗とせざるを得なかった。
ところで、越後騒動で否定されたのは将軍の兄、すなわち前将軍のお裁きであった。
しかし、今回は将軍自身のお裁きを否定し、やり直すこととなっている。
将軍よ、裁かれる身になった気分はどうだ?
―――――
後日、その点に気づいた綱吉が、
「マジかよアイツ! やりやがった !! 」
と叫んだかどうかは、定かでない――――
反体制って、何なんでしょうね……?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました〜! m(_ _)m




