魔法使いになりたくて!
海上国家ヲクランシティ。
その外れに位置する薄暗い路地裏には願い屋と呼ばれる店がひっそりと佇んでいた。
「ここが、願い屋…」
貧相な木製の建物の手前、
そこには一人の少年が立っていた。
少年の名はグレイ。
グレイ・フレーバード。
年齢14歳。
体格はやや痩せ気味。
年齢相応な見る人によってはカッコよくも可愛くも見える中性的な顔つきをしており、黒灰色の髪に翡翠色の瞳が特徴的な男だった。
グレイは自身の汗でしわくちゃになった紙を強く握りしめた。少しでもこの願い屋という未知の世界に足を踏み入れるため、そしていつまでも意気地のない自分を変える勇気を得るために。
「し、…失礼しま~す…」
意を決しグレイは扉を開ける。
カランコロンと鈴が鳴り、世界が開ける。
そこは、大きな図書館を彷彿とさせる場所だった。
しかしどうにもおかしいのは外観と内観の違いである。
今にも崩れそうなほどボロボロで酷く醜くうす気味悪かった外観から一変、室内は豪華絢爛広々としており、明らかに外からみる室内の広さと釣り合っていない。
そう、異様であった。
「…ッ」
グレイはごくりと唾を飲む。この身の毛のよだつほどの恐怖心が、グレイが聞いたある噂とピッタリ当てはまったからだ。
人喰いの魔女。
ヲクランシティの外れのボロ屋には人食いの魔女がいる。その魔女はどんな願いも叶えてくれるが、その代わりに自身の大切な魂を捧げなければならない。そんな笑えるような噂だ。
もちろんグレイだってそんな噂を100%鵜呑みにはしていない、ただ人間自分の眼で見たものは少なからず信じ切ってしまうものだ。
「こんばんは〜!!」
「うわぁぁああ!?」
突然の声にグレイは驚き臀部を落とす。
咄嗟に後ろを振り向くとそこには一匹の猫がいた。
黒い猫だ。黒い身体にまんまるとした瞳。特別に猫が好きというわけではないグレイですら可愛いと思えた。
「な、なな。なんだよ…ねっ…猫か!
っ…猫かよ!あーびっくりしたなぁ…もう…!」
グレイは周りを探すように見回す。
だが、そこに人の気配や影はない。たった今後ろから、それもこの猫の居場所から人の声のようなものが聞こえた気がしたのだが。
「気のせい……か?」
幻聴が聞こえたのかもしれないと耳を掻く。
「疲れているのか…な…僕?」
グレイはその猫の元まで寄ると、そっと黒猫の背中を撫でる。あまりに奇麗な猫だったので無意識に触れてしまったのだ。
「はは、可愛いやつだな、お前は」
黒猫は気持ち良さそうに背筋を伸ばしてニャンと鳴いた。
そこでグレイは気づく。おかしなことに、その黒猫の尻尾は根元から二つに分かれていた。
(…二尾を持つ猫?
二つの尾を持つ猫の話をどこかで聞いたことがある。
その、猫又ってやつだっけ…?
どういったものだったかはあまり覚えていないけど、人を食うとか…たしかそういう話だった…。
ん…?…え?…あれ。人を食べる…?)
「あーもうちょっと右、右」
「あわらあっ!!!?」
突然の声にグレイはまたも驚き手を引っ込める。
「…あ、もうお終い…?気持ち良かったのに…」
黒猫はシュンと悲しそうに尾と頭を落とす。
グレイはその姿になにか罪悪感のようなものを感じ。
再び猫の背を撫でた。
猫は嬉しそうに耳をピクピクと動かすとまた背を伸ばせば、ある程度満足したのだろう、その猫は立った。
二本の後ろ足で。前足をまるで人の腕のように組みながら。
「初めまして、私はこの舘の使用人のリン・シムラといいます。
えーと?貴方は?お名前をお伺いしてもいいですか?」
「あっ、使用人の…方ですか。
僕はグレイです。
グレイ・フレーバードです。その…よろしくお願いします」
「フレーバード。
ああ、そうですか…貴女がグレイくんなんですね。
お話には聞いてましたが、こんな子だとは…。
ハイッ!
では今から、ルーラさんの所へご案内致しますね!」
「ルーラさん?」
「ルーラ…。暁のルーラ。
ルーラはこの館の主であり。
私のご主人様とも言える魔女です」
「魔女。やっぱり人喰いの魔女…」
「あー、それルーラさんの前では絶対禁止ワードです。
気をつけて下さいね」
「え?」
「ルーラさん。人喰いと呼ばれる事を嫌ってますから」
「…嫌ってる?」
「そりゃ、在らぬことを好き勝手言われたら誰だって嫌でしょう?ですので禁止ワードです。
もしルーラさんにそれ聞かれたら本当に食べられちゃうかも?ですよ?」
「き、気をつけます」
「分かればー、よろしい」
トコトコとその黒猫は先導するようにグレイの前を歩いた。
唖然とし、立ち止まるグレイに黒猫のリンは振り返り急かすように言う。
「グレイくん?どうしたんですか?置いてきますよー?」
グレイの脳内は話の展開に置いてかれていた。
話す猫に不思議な館。
不安で分からないことだらけ。
ここではグレイの生きてきた小さな世界では考えられないことばかり、いくら考えたところでグレイには理解できないだろう。なら考えない方がいい。
分からない事をいくら考えたって無駄なのだから。
そう、グレイはほんの少しだけこの奇妙な状況を楽しんでいた。
「ああ!今行きます」
・・・
グレイは二股の尾を持つ黒猫、
リンに連れられるまま魔女の屋敷の階段を4層ほど上る。
その突き当りにある最上階、大部屋。
「ここから先がルーラさんの寝室となります」
グレイの背丈の何倍もあるだろう巨大な両開きの扉の前でリンが言う。
「他にもお仕事がありますので。私は、ここで。
頑張ってくださいね、グレイくん」
「頑張る…?」
「その、ルーラさんは気難しい方なので…」
「難しい方か。
案内ありがとうございました、リンさん」
「いえいえ!これもお仕事ですから」
リンはそうグレイに微笑むと階段を下り、去っていく。
あとは重々しい圧を放つ扉とグレイだけが残された。
「よ、よし…ッ…!
いい加減にもうびびってんなよ!
ここまで来たんだ。あとは煮る焼くなりなりどーにでもなれっての!」
グレイは自身を鼓舞するように頬を叩き、扉を押し開ける。
部屋に向け一歩踏み出せば陽光が差し、眩しさに目を細め。
霧が晴れるかのように徐々に鮮明になる視界。
そこに彼女が居た。
数える気も起きないほど大量に散らばる本の海。
その周りを囲むようにそびえ立つは巨大な本棚の崖。
山のように重なった本達の山頂に彼女が…。
魔女が座っていた。
足を組み、頭頂部からつま先に及ぶまでの長い黄金の髪をなびかせ、ジッと睨むようにグレイを見下ろす。
「…ッ」
そのあまりの重圧にグレイの呼吸は止まっていた。
パタン。
と、静寂の中に本を閉じる音だけが聞こえる。
口紅のような紅い瞳にうっとりするほど美しい金色の髪。
黒をベースに薄く薔薇の刺繍が見えるワンピース。
吹き抜けの高い天井からは陽光が彼女を覆う。
女はその本の山から飛び降りた。
恐らく2メートルほどの高さを易々と着地し、裸足のまま、テクテクとグレイに向かい近づいてくる。
「私は暁のルーラ」
グレイは驚いた。
近づいて見るとよく分かるのだ。
目の前の彼女は…。そう。
グレイが想像していたよりも、ずっと、もっと、
「さぁ、話を聞かせてもらおうか。
フレーバードの末裔。お前の願いはなんだ?」
幼かった。
・・・
「…」
「どうした?グレイ・フレーバード。
黙ったままでは分からんぞ、何か話してみろ」
呆然と立ち尽くすグレイはルーラのその一言で我にかえる。
「あ…っ…!
いや、あの…その。
フレーバードの末裔って。
…貴方は僕の事を知ってるんですか?」
「フッ…フフ。
いやいや、お前のことなどノミほども知らんわ。
だがお前が今日ここに来ることは知っていた。
お前が、『ラフィーナ』の血を引いている事はその緑の眼と間抜け顔を見れば分かる。そっくりそのままだからな。
…そうだな、貴様の曽祖母ラフィーナと私はライバルであり友とも言える仲だった。
殺し合い、そして命を救われた事もあった。
さあ、亡き親友との約束だ。
貴様の願いを一つだけ叶えてやろう、ホラ、言ってみろ」
願いを叶えてくれる、それは噂に聞いた通りだった。
そして自分が産まれるよりも前に死んだ曽祖母であるラフィーナ・フレーバードの名前が出てきたことから目の前の人物がまだ小学生ほどの幼女体型よりもそうとう年を重ねた人物だと分かる。
「あ、…あの…」
「ところでさっきからなんだ?
あの…だとか、その…だとかもじもじとうざったい。
もっと普通に話せんのか?
ラフィーナはそんなではなかったぞ。
やつは自信過剰という文字がピッタリ似合う女だった。
貴様の祖父もそうだった。
ラフィーナの血脈ならばもっとシャキッとせんか」
(そ、そんなこと言われましても…ね)
「ッチ…。
だから、あんな男はやめとけと言ったんだ私は。
変な血が混じったせいだ。
だからこんな後ろ向きで貧弱な男が生まれた」
(な、何故この人はこんなにもイライラしてるんだろう?)
「まぁ、いい、願いはなんだ?
さっさと言え。私はそろそろ眠い時間なんだ」
ルーラと名乗ったその魔女はパチンと指を鳴らす。
するとどこからか鉄細工の椅子が現れた。
ルーラはそれに座り肩肘をつきながら欠伸を噛み締める。
「…ふわぁ」
そんなルーラの姿を見てグレイは暫く黙り込むと。
意を決し、口を開いた。
「僕を、貴方の弟子にして下さい…」
「ふッふふ…ふふふ。弟子か。
なるほどなあ、弟子ねぇ。
そうか…まぁいいだろっ…て…。
ふあっ!?…弟子ィ!?」
ルーラは驚き椅子から転げ落ちた。
「爺さんから貴方の話を聞いていました。
貴方は凄腕の魔法使いで先祖ラフィーナの友人だったって。爺さんも昔魔法を貴方から習ったことがあるって…。
だからなんでも願いを叶えてくれるというなら、
どうか僕に魔法を教えて下さい。お願いします!
なんだってします!強くなりたいんです」
そう必死に頭を下げるグレイにタジタジとするルーラ。
「ちょ…ちょっとまて…!
いやな、確かに貴様のジジイに魔術を教えたことはある。
ラフィーナの友人だったことも確かだ。
だがそれは、あの時代が戦火の絶えぬ時代だったからだ。
弱きは奪われ、
強きが生き残る暴力が全てを支配した弱肉強食の時代だ。
そんな考えはもう古い。
戦争は終わり、人は今、平和と秩序の中で生き始めている。力で語る時代なんてのはもうとっくに終わっているんだぞ?」
「それは…」
「というより魔術なんてもの自体がもう時代遅れの産物なんだよ。
たいていの人間はもう魔術なんてもの信じてすらいない。
そんな物を勉強するくらいなら化学式の一つでも覚えた方がこれからの世の中よっぽど役に立つ。
それとも、なんだ?
なにか力を求める理由でもあるのか?
例えば、誰かを殺したい…とか?
復讐したい人間がいる…とか?」
ルーラは不気味気にニタリと笑った。
「え?あの…その…」
「はぁ…また…『その』か。
いいか?まずはちゃんと人の目を見ろ。
人の顔を見て話す事を覚えろ。
ラフィーナも貴様のジジイも性格は醜悪だったが、最低限人の顔を見て話してはいたぞ?」
ため息を吐くルーラ。
言われた通り、その目を真っ直ぐと見てグレイは言った。
「モテたい」
少年の一言に、ルーラは目を丸くする。
この場にはどうもそぐわない、
聞き間違いかと思えるほどの一言だったからだ。
「ん?んん?
え?…なんて?
あ、あの、ごめん、ちょっと聞こえなかった」
「ああ、すいません間違えました」
「あっ、そうだよね。
なんだ間違えたのか。
そうかそうかビックリした。
よし、じゃあもう一回聞くぞ。なんで力が欲しいんだ?」
「無条件に女の子から好かれたい!」
「そういうことじゃないだろうがぁ!!」
「え?」
「え?…じゃないだろ!
動機が不純すぎるんだよ!
てかちょっと勘ぐっちまったよ!
こう、なんていうかさ!
かたき討ちとか、復讐とかそういうのなんじゃないかって色々勝手に考え巡らせちゃったよ!」
「いやだから、強くなって女の子からモテたいって言ってるじゃないですか」
「ああそうか!モテたいか!!
百歩譲ってそのモテたいという邪念は許そう!
お前も年頃の男だ、それについてとやかく言うつもりは無い、ないがなあ!この場では不正解…!
お前はアレか?
会社の採用面接とかでもそういうのか?
なぜ当社に?
と聞かれたら楽に金が稼げるからって正直にいうのか?」
「言うわけないじゃないですか、それっぽい理由をつけるでしょそんなの」
「そ、れ!」
「え?」
「その、それ!
こっちは、それっぽい理由聞きたいの!
もうこの際嘘でもいいから!」
「は、はぁ…」
「じゃあテイクスリーやるからな。分かってるな?
3回目だぞ?…ちゃんと、な?」
「分かりました」
「よし。ん…コホン…。
なぜ力を求める!グレイ!!」
「歳上のちょっとドsなお姉さんから虐められたい!」
「なに一つ分かってねぇじゃねえか!!!」
「え?」
「だから、え?じゃねえの、質問と回答が噛み合ってな
いんだよ!コッチは強くなりたい理由を聞いてんの!
誰もお前のそのどーでもいい願望なんか聞いてねえの!
てか、分かってやってだろ!
もうこれ楽しんでんだろ!
三度目の正直という言葉を知らんのかあ!!」
「でも二度ある事は三度あるとも言いますよ」
「お、お前、本当に……弟子入りする気あるのか?」
「いや、その。
フレーバードのコネで多少ふざけてもいけるかなって…」
「そんなコネはない!!」
突然、何処からか、プルルルとスマホのベルの音が鳴る。
グレイはこんな大事な時に連絡が来たのかと焦ったが、
「私だ」
スマホを取り出したのはルーラの方だった。
「あ!ルーラさん、ルーラさん!」
「そんなに大きい声を出さなくても記聞こえてる。
少々ボリュームを下げろ、うるさいぞリン」
「お客さまです!どうしましょう!
こんな時にお客さまがやってきてしまいました!
そっちはグレイくんと対応中ですよね…?」
「客か…」
ルーラはグレイを見て、暫し、思案する。
「まぁ、いい案内しろ。少し面白い事を考えた」
「面白い事?
あまり良い予感はしませんけど、ルーラさんが言うなら。
お通しします」
通話が切れ、グレイは口を開く。
「魔女なのに、その…スマホ使うんですね」
「…ん?…ああ。
コレはいろいろと便利だからな…。
全く科学技術というものは末恐ろしい。
あっ…いや、勘違いするなよ?
勿論魔術でも話せるぞ?
ただ時代に取り残されたくはない。それだけだ」
(…魔女なのに時代とか気にするんだ)
「さてと、これからここに別の客が来る。
お前の要件はその後だ。
うむ、そうだな…これを被って見学でもしておけ」
ルーラが虚空に手を掲げると紋様や字体で構成された陣が展開される。ルーラはその陣の中心に手を入れると何かを取り出した。
「これは…?」
ルーラがグレイに投げ付けたそれは極度に薄い布のような物であった。半透明で一見味気なくも見えるが、高価な物なのだろう。材質はしっかりとしていて触り心地は高級なシルクのように滑らかな物だった。
「死角の衣。私の持つ魔具の一種。
着た者を視認出来なくする優れモノだ。
分かりやすく説明すると用は透明マントだな。
今日一日、貸してやる。どこか隠れていろ」
「透明人間になれるってことですか?」
「んー。ま、その理解でいいよ」
「す、凄い、凄いじゃないですか、コレ!!」
「…ははーん。
さては、いやらしい事を考えてるなお前。
気をつけて使えよ。
視認出来ないだけで音や匂いはそのままだぞ」
「え?…いや考えてませんよ?」
「以前、それを着て風呂場に忍び込んだスケベがいてな、
湯気まで一緒に消してしまうものだから、クッキリと。
…ソイツの後のことは…ま、お察しだな」
「だから考えてませんって、流石にそんな馬鹿なことはしませんよ。そこまで信用ないですか僕?」
「因みに、それは貴様の祖父だ」
「おい、なにやってんだよ!爺さん!!」
・・・
魂というものは空想上では知っている。
死んでしまった人間、いや死んでなくてもその人の内にあるエネルギー的な…もの。そんなぼんやりと抽象的にしか言えないけど、きっと間違っていない。
ここにはそんな魂があった。
いや、この場合は魂が来たという方が正しいのかもしれない。
うっすらと浮かぶ蒼白い人魂のようなもの…。いや、もういい加減断定してもいいだろう。
あれは人魂だ。
魂であると。
「そうか…そんなことがあったのか。それは災難だったな」
ルーラはその人魂と何やら話をしていた。話をしているように見えた。なぜまた言い切らないのか、それは僕が小心者なのとは関係なく、僕には人魂の声が聞こえなかったから。
通話している人を傍から見るような疎外感とでもいうのか。僕にはルーラが一体何を言っているのか、なぜそんなにも悲しげな表情をしてるのか、何もかも分からなかったんだ。
「願いはそれなのか?」
人魂は答えない。答えているのかも知れないけど、僕にはそれが聞こえない。
「分かった、その願いは私が責任を持って叶えよう。だが、その代償としてお前の魂の半分を貰うぞ。その覚悟はあるのだな?」
ルーラの眼差しは真剣だった。そしてその横顔は綺麗だった。ルーラは怒りっぽくてなんだか怖くて正直あんまり好きになれそうじゃなかったけど、この時だけ僕は目の前の彼女に見惚れていた。
「ならば、あとは安心して眠るがいい」
人魂はふわふわと儚げに消えていく。半分に割れて、一つは上に、そしてもう一つはルーラの心の中に。その姿がどうも神秘的で、寒気がして、そしてちょっとだけ悲しい。
「出てこい」
その一言は僕に対してのなのだろう。
「はい」
僕は言われた通り渡された死角の衣を脱ぎルーラの前に姿を現わす。
「グレイ・フレーバード。いや、グレイ。
先程、お前は私の弟子になりたいといったな?」
「言いました」
「いいだろう弟子にしてやる。だが、私は非情な魔女だ。使えない価値の無いやつには興味がない」
ルーラは僕に指を指し、その口角がニヤリと上がる。
「この一件、お前が解決しろ。私にお前の価値を見せてみろ」
「解決…僕がですか?」
「ああそうだグレイお前がやるんだ。それともなんだ、できないのか?」
「や、やりますよ!なんだってやります、弟子になれるなら」
なにがなんだか分からなかったけど。僕にはそう答えるしか選択肢がなかった。
「フッ、見た目と威勢が良いとこだけはラフィーナに似ているな」
ルーラはそんな僕を見て満足そうに頷くと、
「では、行ってこい」
そう僕に命令する。
「…」
しかし、勢いよく返事をしてしまったのはいいけど、僕は一体何をすればいいのだろう。
聞く機会を逃した。今さら何をすればいいですかって、すごく聞きづらい。
「いやだから行ってこいって」
ルーラの口調が少しだけイライラし始めてる。
僕は意を決した。
「あ、あの…その…僕は何をすれば?」
「ん…?」
「…」
「ちょっと待て…」
ルーラは額を抑える。
「いやだからさ、…さっきので大体の事象は察せなかったか?」
(さ、察せなかった!)
その一言を発することが出来ないのがグレイの悪いところである。
「…すみません」
ルーラはコツンコツンと机を爪で叩く。話を聞いてなかったグレイの奴をどう叱ってやろうかと始めた癖だが、ふとグレイの言動にどうも形容のし難い違和感を感じ思慮を巡らす。
「…もしかして、グレイ。お前、聞いてなかったんじゃなくて聞こえないのか?」
「え…あ。あのえーっと」
「そのモゴモゴした様子はビンゴか…。なるほどな…ふむ。まさか認識出来んとはな…。ラフィーナの曾孫だからと買いかぶりすぎたか?まぁしかし、よくよく考えてみれば曾孫って…ラフィーナの血はかなり薄いな…。それに奴は変異体だったしな。ああ、そうなるとコイツはほぼ人間か?それなら…仕方もないか…」
目の前のグレイを気にする事なくブツクサと一人の世界に没入するルーラ。
「あの…やっぱり。さっきの魂みたいなやつと話してたんですね…」
「ん…魂みたいなやつか、ま、その通り魂みたいなもので間違ってはないんだが。正確に説明するならばあれは死者の………って?
…ッ待て待て待てい!!お前視えてはいるんだな!」
「視える…?あの魂みたいなやつをですか?」
「はぁ~!!いや〜よく分からんやつだな!!
聞こえはしないが視えはするのか。…そうかそうか!
ま、聞こえずとも視えるならあまり問題はない!!」
「問題はない…?」
「なに。今からお前がやる事は、人探しだよ」
「人探し…ですか?」
「そう、死人探し。ザックリとだが説明するぞ。
依頼人の名はリーズ・アルフェルド。
さっきお前も見ただろう、あの…魂…でいいか。魂本人だ。死因は交通事故。居眠り運転のトラックに轢かれ享年36歳とまぁまぁよくある事だ」
「よくある事ですか?」
「よくあるんだよ。
どうでもいい事でいちいち口を挟むな」
グレイは怒られポリポリと頭を掻く。
「んでそんなリーズには7歳になる娘がいてな。娘の名はアリア。
先程話した通りリーズの死因は交通事故なんだが、それが不幸にも娘アリアとの小学校からの帰り際に起こったことでな。彼女達はちょうど同じタイミングで死んだ」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「なんだ、またか。人が懇切丁寧に今の話を全て説明してやってるというのに話の腰をバキバキに折りまくりおって」
「その…二人とも死んじゃったんですか…?」
「…そうだな?
二人とも死んでいる、もういいか、話を続けるぞ。
依頼人の願いは、轢き殺された衝撃で逸れてしまったその娘アリアと共に冥土に帰ることだ。ああ、冥土っていうのは死者の行く世界のことな。そしてお前がこれからやる事はその逸れてしまったアリアを探す事。詰め込んだが分かったか?」
「分かりません…」
「もしかしてお前、馬鹿か?」
「違います!!だっ…だって!死んでるって、死んでる人を探すって、それじゃ、もし見つけたって生き返れるわけじゃないんですよね」
「はぁ?当たり前だろ?死者が生き返る事などない」
「じゃあ、それじゃあ、救いがなさすぎるじゃないですか」
「あ、あのな…死んでしまったものはしょうがないだろ。
私達は神でも仏でもないんだ。生き返らせるなんてできない。でも、それでもやれる事は少しだけどあるんだよ。死人にも願いはある。
その願いを叶えてあげる事が私達が彼らにやってあげられる最低限のことだと私は思う」
「最低限…のこと…」
「そうだ。それに、ここではこういうことは日常茶飯事だ。死者に同情するのもいいが、ウチに入るならそんなんでは身が持たんぞ。なんたって、ここは死人の願いを叶える願い屋さんなんだから」
「…死人の願いを叶える?」
「そんな事も知らずにここに来たのか?」
「い、いや…その、願いを叶える魔女が人を食べるみたいなのは聞きましたけど…」
「はぁ…!?私が食べる魂は、死者の魂だけだ!生者の魂など誰が食うか!」
「なんか違うんですか?」
「大違いだ、馬鹿者!」
「な、何が違うんすか?」
「まず一にが違う。死者の方が私好みだ。二にそうだな、生者が魂を抜かれると死ぬ」
「え!死ぬんですか!」
「当たり前だろ、だから魂なんだよ!なんだお前馬鹿か?やっぱり馬鹿なんだろ!」
「ちょっとだけですよ」
「馬鹿にちょっとも少しもあるかぁ!!」
ルーラはプンプンと可愛らしい動作でグレイに指を指す。
「話が逸れた。用は今の話をやれるかって事だ、どうだ?」
「ッ…やれます…!」
「なら行けッ!」
「はい!」
グレイは駆け出し、バタンと両開きのドアが閉まる。たった一人、自分以外は誰もいない静寂の部屋の中、
「まったく騒がしい奴が来たものだ」
ルーラはこの騒がしさに懐かしさを感じ少しだけ笑った。
・・・
8月2日水曜日。
今日はお母さんが花火大会に連れってってくれるといいました。私は嬉しくて楽しみにしていました。でもお母さんとの帰り道。
眠くなりました。突然眠くなりました。
起きました。起きたら誰もいませんでした。
そこには私一人でした。
お母さんはどこ?
お父さんは?
今日は花火大会に連れて行ってくれるんじゃなかったの?
私はお母さんを探すことにしました。でも道が分かりません。
仕方ないのでたくさん歩きました。一人が嫌で、寂しくて、誰かを探しました。
でもどうしてでしょうか?
誰に話しかけても話しかけても私を無視します。
ねぇどうして無視するの?
ここがどうやら別の世界みたいです。
寂しくて寒い別の世界みたいです。
お母さんはどこ?
お父さんは?
怖い。
怖いよ。
「オオオオオジョーチャン、ママママイゴ?」
私に声をかけてきたそれは、奇妙で気持ちの悪い生物でした。蟲のようないくつもの脚をうじゃうじゃと動かして、堅そうな外骨格の頭にはチョウチンアンコウに似た長いトサカがゆらゆらと揺れていてその生物が異常なものだということは一目で分かりました。
「あ…あなたは私を無視しないの?」
とても気持ちが悪く、怖かったけれど、その生物は私に話しかけてくれました。みんなから無視された私に、たった一人の私に声をかけてくれました。だから悪い人?じゃないのかなって思いました。
「ムムムシ?シナイヨ?ムシナンテシシシシナイ」
頼るアテのない私はその生物にすら心を開きました。
「あっ、あのね、アリアね、お母さんとはぐれたの」
「ソソソソソウカイソウカイ、カカカワイソウナアリア。アアア、ソラフィーナシッテル、お母さんナラシッテル」
ソレの話す言葉は聞きずらかったけど、今確かにお母さんの居場所を知っていると聞こえました。
「ほ、本当に?ホントにお母さんの場所知ってるの?」
「ホホホホントウ、ホントウ、ボボボクウウウウソツカナイ」
「どこにいるの?お母さん」
「ココ」
ソレが指したのは口の中でした。あんぐりと大きく開いた口はまるで洞窟の入り口のようで静かに私を待っていました。
「…え?」
「ダダダダダカラココニイルヨ。ボクノナカニイルヨ、お母さん」
「なんで…そんな所にいるの」
「ワケナンテドウデモイイジャナイ、ココニイルダケ、アリアお母さんニニニニニアイタクナイ?」
「あ、あいたい…けど」
「ナナナナラ、ハイロウヨ、ソウスレバアエル」
「会える?」
「アエル」
おかしいと思いました。そんなところにお母さんが居るわけないって分かってます。
でも、不思議なのです。
その化け物の頭に付いている長いトサカ、それを見ていると、だんだんと本当にその中に居るんじゃないかって思えてきて。初めは躊躇したけど、
気が付けば意を決して一歩踏みしめていました。
この生き物の中に入るのはとても怖かったけど、この中にもしお母さんがいるなら、お母さんなら私のことを無視なんてしない。
もうこんなに寂しい思いなんてしなくていいって、そう思ったから。
一歩。
また一歩。もう一歩。
次の一歩で口の中に足を踏み入れる、その瞬間でした。
ガチィン。
そう耳を塞ぎたくなるくらい大きな金属音を立てて生き物の口は閉じました。
…あれ?どうしてでしょうか?
私が足を踏み入れたはずのその生き物の口はまさに今、目の前で閉じていて、なんで私は空を飛んでるの?
確かに、一歩踏み出しました。
あの生き物の中に入る感覚も覚えています。
だったらなんで空を飛んでいるの。
違った。違いました。
私は空を飛んでるのじゃなくて、誰かに抱き上げられていたのです。
見上げれば男の人でした。珍しい灰色の髪に、薄い翡翠色の綺麗な瞳を持つ男の人でした。
「君が、アリアちゃん?」
その人は何故か私を知っていました。
私は知らないのに私を知っていました。
誰からも無視された私を知っていました。
「あ、あなたは誰?」
その人は笑って答えました。
「グレイ・フレーバード。君を探していた」
・・・
間一髪だった。少女が自ら化け物の口の中に入ってくものだからビックリしたけど、いやーホント間に合って良かった。僕は抱きかかえた少女を見る。7歳くらいの体格に、花柄のスカート、髪は肩にかかるくらいで茶色。うん、ルーラから聞いた特徴とピッタリ一致する。間違いない、この子がアリアちゃんだ。
彼女を持ってみて分かる。軽い。アリアちゃんは軽い。異常なまでに軽い。
まるで空気みたいに、綿菓子みたいに、持っている感覚すら怪しくらいに。ルーラのところで見たアリアちゃんのお母さん…。たしか名前は…そうだ、リーズさんだ。その人の魂は人の形ではなかった。
霊魂とでもいうのだろうか、人の頭部ほどの塊にしか見えなかったけど、アリアちゃんはハッキリと人の形を保っている。だから、もしかしたらほんのちょっとくらいは生きてるんじゃないかとは思ったが。
…うん。やっぱりそうだ、もう彼女は死んでしまっている。
アリアちゃんを見るとパクパクと口を閉じたり開けたりしているが、リーズさんの時と同じでやっぱり声は聞こえず僕には彼女が何を言ってるのかまったく分からない。
というよりもまずこの状況が分からない。
ルーラ頼まれた仕事はアリアちゃんを探し出すことだった。その為に丸一日このオクランシティを走り回っていた筈だ。
丸一日使った甲斐あってアリアちゃんは見つけた。見つけたのはいいけど…。
なんだあ!?コイツはぁ!?
こんな化け物は、知らないぞ!
あんな奴がいるなんて何も聞いてない!
それに、さっきから人の姿も見ていない。こんな街中だ、至る所に人がいる。
…いる筈なのに。
気づけばパクパクパクパクとなにやら騒がしくアリアちゃんの口が動く。
「ど、どうしたの?アリアちゃん?」
アリアちゃんは僕の肩をバシバシと叩き指を指す。後ろを向けと、そういう合図に見える。
言われた通り後ろを振り向くと、そこには、
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アァ゛ァ゛ァ゛ァァ゛!!!ユユユユユルサナイ!ユルサナイ゛!!ユルサナイ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛!!!」
例の化け物が鬼神のごとき表情でこちらに向かってきていた。ムカデのような脚と蛇みたいに長い胴体ををウニャウニャと、周りの障害物を蹴散らしながら。
うわあ。
「アアアアアアトスコシダッタノニ!モウスコシデタベレタノニ!ヒトノエモノヲヨコドリシヤガッテ!
フフフフザケルナ!フザケルナ!フザケルナァァァア!!」
「なんで、お前の声は聴こえるんだよッ!」
そうツッコミを入れながらアリアちゃんを抱えて逃げた。捕まったら僕もアリアちゃんもただじゃ済まない。分からないことばかりだけど、今やらなきゃいけないことは確。
それはアリアちゃんをルーラの所まで運ぶ事。こんな危ない所にいつまでも幼い子をいさせるわけにはいかない。
逃走から10分ほどの時間が経った。
僕は周りをキョロキョロと見回す。どうやらあいつを撒けたようだ。これなら少しの間、ほんのちょっとくらいなら時間を作れそうだ。
不幸中の幸いというのかここらは入り組んだ道が多く、迷いやすかった。
日頃この道をよく通る僕にはこの辺りの地図は頭に入っているし、その天然の迷路とも言える曲がり角やルーラから貸して貰ったこの死角の衣を利用しなんとか奴との一定の距離を保っている。
保ってはいるけれど、多分コレもそう長くは通じない。奴は鋭い嗅覚と感を利用して確実に僕らを追ってきている。
このままではジリ貧だ。
どこかで何か手を打たないと。
僕は腰を落とし、アリアちゃんと同じ目線で語りかける。
「あ、あの、アリアちゃん?怖いだろうけど落ち着いて話を聞いて欲しい。
僕は君の声が聞こえない。だから僕の話が理解できたら頷いて。返事が欲しいんだ、まず、これは分かった?」
アリアちゃんはこくりと頷く。一応僕の言葉はアリアちゃんに聞こえてはいるようだ。それはひとまずよかった。一方的なコミュニケーションになるとはいえ、話が通じるのはデカい。
「よし、僕は君の味方だ。君のお母さんに頼まれ君を探していた。君も気づいていると思うけど、あの奇妙な生き物は君を狙っている。つまり敵だ」
アリアちゃんはコクコクと頷く。彼女も話したいことはあるだろうけど事情は理解してくれたようだった。僕の耳がよかったらなにもこんな苦労はなかったのだけれど。
「今はなんとかアイツから逃げれているけれど、街中をグルグル回ってるだけで、正直これをずっと続けていても埒が開かない。だからちょっとした作戦ってヤツを考えてみた」
アリアちゃんは少し不安そうに頷く。
「これからは二手に別れよう。あの化け物は僕が引きつける。アリアちゃんはこの道を真っ直ぐ行った先にある願い屋ってお店に行って欲しいんだ。
看板に願い屋って書いてある、木製のボロ屋。勝手にドア開けちゃっていいから、で、そこには話せる黒い猫さんがいるからその猫さんに言えば全部解決。君のお母さんもそのお店にいる。
あ…そうだ、あと君にこれを渡しておく。それは…なんていうか、透明人間になれる布でね…あの、その、とにかく!絶対にそれを被って移動する事!そうすればあの化け物は絶対にアリアちゃんを追っては行かないから。だからさ、怖いかもだけど、出来る…かな…?」
「出来る」
目に映るアリアちゃんはそう言ったように見えた。
とても強い子だ。
僕がこれくらいの歳の時は泣いてばかりだったのに。というより今ですらちょっと泣きたいのに、女の子の成長は速いというがこのレベルなのかと正直驚愕気味だ。
立ち上がり、僕は服の埃を払った。
何か特別な力があればよかったのにっていつも思う。
ラフィーナ…。
先祖ラフィーナはなにかすごい力を持っていたそうだ。でも生憎僕はなんてことない非力なただの人間だ。もし、ほんの少しでも些細でも僕がそんな先祖の力を引き継いでいたのなら。このラフィーナの血をもっと上手く使えていたなら、そうじゃなくても、あの化け物よりも一ミリ程度でもいいから強ければ。立ち向かう勇気があれば。
違う選択肢を。
誰も危険にならず誰も怖がらない、そんな道が選べたのかもしれない。勿論、悲観している場合じゃないのは分かってる。刻一刻と迫る危機に自分に出来ることで最善の作戦を考えないといけない事も。全部、全部分かっているけど、でも、ちょっとだけ愚痴を吐きたい気分。
「…勝たないと」
小さな声で呟いた。なにもパワーで屈服させるだけが勝ちじゃない。アリアちゃんを無事ルーラの所まで送り届け、アイツから生きて帰る。それが僕にとっての勝利条件。そんなこと出来るだろうか。なんてことない僕にそれが出来るだろうか。
いや違う、これは、やらなければいけない事だ。
「うん。よし、なら、やろう」
・・・
「やあこんにちは…元気?」
路地裏から気配を表す、一人の男。あまりに飄々としたその様に化け物は驚いた。自らが狩人だとすれば、さっきまでのこの男は兎。狩る側と狩られる側の関係だったはず。それなのにこの男は自らの前に飛び出てきた。諦め、降伏したのかとも思いきや、どうもその様子に先程までの怯えや不安といった要素は見当たらない。それどころか、自身と対等の立場にいるといわんばかりの素振り。
不可解に、本能が化け物の足を止める。
「キキキキキサマ…オンナハドコヤッタ?」
化け物は気づく。自分から盗んだあの人間の女がいないことを。
「女…一体誰の事?」
男はニヒルな笑みを浮かべ、首を傾げる。
「トトトトトトトボケルナヨ?ボクカラウバッタアノオンナダ、ダセ、ハヤクダセ」
「ああ…そのオンナね…。その、女っていっぱいいるから誰のことかと」
「ハハハヤグダセ、ニンゲンのオンナヲ」
「その子なら…食べちゃってもういないよ」
「…タベタダト?」
「そ、美味しかった」
その化け物は小さな恐怖心のようなものを感じていた。目の前にいた男はただの人間だったはずだ。自らの力に怯え、逃げ惑っていたはずのただの人間。それなのになぜこうも堂々としている?
人が人を喰うなんてことがあるのか?
そんな話は聞いたことがない。それにだ、なぜただの人間がこの世界にいる?
生身の人間がどうして?
異常な奴だ。
もしかしたら目の前の男は人の皮を被った別の生物なのではないか?
そんなことすらも思う。
「だからさ、獲物を横取りした身で言うのもなんだけど。これ以上付きまとわれても迷惑なんだよね。
殺したくはないんだ。疲れることはしたくない」
「…コロス、ボボボボクヲニンゲンガ?」
「へぇ、人間の力を見てみたい?」
「…」
臆する化け物。しかし化け物にも狩人としてのプライドがあった。例え目の前の人間が得体の知れない生き物で、自らが敵わない強大な力を持っていたとしても。獲物を奪われ煽られ剰え逃げ出すことなどできるはずがなかった。
「…オマエコロス」
「そうか。いやまぁそうだよね。うん、そうなるよね」
男はそれも予期していたという素振り。
「だったらさ場所を変えよう。ここで戦うには狭すぎる。ついてこいよ、戦うにはとっておきの場所があるんだ」
時間を稼ぐ。その為に考えたグレイの作戦は虚勢を張ることであった。
野性的に例えるならば威嚇。
只々強者を演じること。
勿論これには幾つかの要素が必要であった。
一つは敵に感情があるか。
二つは敵に言葉が通じるか。
三つは適度なバカであるか。
感情があることは獲物を奪われた時の激昂ぶりを見て分かっていた、それに物事を考え幼年とはいえ人を騙すほどの知性もある。問題だったのはその知性がどれほどなのかだ。それだけはグレイも測れなかった。
危ない賭けである。もし一つでも歯車が狂えば今頃グレイは化け物の腹の中であったのだから。
だが、作戦は成功したといえるだろう、化け物はグレイに怯えそして慎重になっている。だからこそまだグレイはなんとか生きていて、
化け物と無人の街をデート出来ているのだ。
しかしこの作戦にはこれらの要素に加え、更に大きな問題点が一つあった。
それはこの後どうするかである。
グレイの脳内予定では、化け物はあのまま恐れ本能のまま逃げ出す予定だった。逃げ出してほしかった。楽観的な作戦。いやそもそもが即興で考えた拙いものである。ここまでうまく事が運ぶ事自体が奇跡ともいえるが、その後はノープラン。
「マダカ…」
「そ、そう、急ぐなよ。あ、そこのカフェさ、最近出来たんだ、コーヒーでもどう?」
「ダマレココココロスゾ」
「だから、その為に移動してるんでしょうが。
こらえ性のないやつー」
グレイの脳内は高速回転していた。この後どうすればいいか。精一杯、運も頭も使い尽くして時間を稼いではいるがそれでもこれ以上長くは続かない。ここまで虚勢を張って、実はただの人間ですとネタ晴らしすればその瞬間にも死は決まる。
(しかし、これ以上どう工夫すればいいってんだ…?)
「ママママママダカ、トッテオキノバショハ?」
「いや~は~。
どこだったっけな~あれれ~ここらへんだった気がするんだけどな~つ~おかしいなぁ?」
グレイの背中に剣のように尖った化け物の足が突きつけられる。
「モモモモモウダメダ、マテナイ、ココデハジメル」
グレイの額を冷たい汗が伝い。タイムリミットは今なのだと理解する。
「へ、…へえ。後悔するなよ?そのまま突き刺してれば勝てた可能性もあったかもよ」
もう一つ誤算があった。
この化け物は戦闘を楽しめるタイプで、強者との戦いに悦びを感じられられる根っからの戦士だった。
(ど、どうするかな…これ)
「コレカラキサマヲコロス。ホホホホントウニボクヲコロセルトイウナラソノチカラヲミセテミロ」
向かい合い、対峙するグレイと化け物。勝算も歓声もない舞台が今始まった。
幾度も振り下ろされる百足の脚剣。グレイには避けることしか出来なかった。
ここはホームセンターナカタ。ヲクランシティでも指折りの物販店。ショッピングモールほどの大きさを誇り、何か欲しいものがあればナカタに行けば何とかなるといわれるほどのお店。
グレイは逃げながらこの場所にたどり着いていた。
「ササササッキマデノイセイハドウシタァ!!!!」
「…ッっぐ」
極限の集中化、まともに話すこともままならない。しかし、グレイは生きていた。
「ニゲテバカリカ!?キキキキキタイシテソンシタゾニンゲン!!」
「だったら一発でも当ててみろよ!!」
更に激しく続く化け物の攻勢。それを必死に避けるグレイ。ただの人間ならばとっくに死んでいるだろう。それでも生き残っているのは運なのか、はたまた実力なのかはさておき、グレイは確かにその化け物の攻撃を避け続けていた。
が、しかしその体はもう限界を迎えていた。
「はぁ…はぁ…」
走り続けるグレイ。その後を追いかける化け物。
化け物の剣脚がグレイを貫く寸前。
グレイは避けた。化け物の足は勢い余って後ろの展示自動車まで貫く。べっちょりと何か粘着質な液体のようなものが脚を濡らす。
嫌な臭いだ、それに黒い。
この液体はなんだ?
化け物はそれを知らなかった。
「作戦二号」
ナカタにある自動車販売店。
「ナカタは最高だ。お惣菜からマシンガンまで何でも売ってるんだから。そう、ガソリンだってなんだって」
グレイはこれを狙っていた。そしてグレイの左手には赤いプラスチックの容器が握られていた。
「それは一体なんだって顔してんな。教えてやるよ」
グレイは携行缶と呼ばれる赤色のプラスチックの容器を化け物に投げつける。化け物はそれを剣脚で切り裂いた。またもあの嫌な黒い水が、化け物の体を濡らす。
「キサマナニヲ…」
化け物がグレイを見ると、その右手には小さな炎。魔術の類かと思ったがどうやら違う。その炎は小さな道具から吹き出ていた。
「魔法もどき、知ってる?」
ライターの炎はその時を今か今かと待っている。
「ソンナチイサナホノオガナニニナル?」
「本当に知らないって感じだな。じゃあ、最終警告、これ以上近づかないほうがいい。命が惜しいなら」
「ナニヲイッテルノカヨクワカラナイナ、マタハッタリカ?」
「こんどはハッタリじゃない」
「ナラバイノチゴイカ!カカカ!ワラワセルナ」
「命乞いをするべきなのはそっちじゃないのか?」
「ナンダト?」
「つべこべ言わず、かかって来いよタコ野郎」
分かりやすい挑発。グレイは人差し指を上に向けクイクイと傾ける。化け物はそのグレイの挑発にまんまと引っかかった。一直線にグレイに向かうその化け物。
「じゃあな」
グレイは冷たくそう言うと、化け物に向かって火のついたライターを投げる。
弧を描いて。
コツンと化け物の顔に触れ、発炎した。それはまさしく巨大な石油のストーブ。青いゆらめきが
化け物の身体を優しく丁寧に包み込む。
「゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア」
青い炎は音を立ててさらに勢いづいていく。
「゛アツイ!!アツイアツイアツイアツイ」
化け物は熱さにもがく。だがそれは逆効果だ。
手当たり次第に展示品の自動車を壊す。それでさらにガソリンを浴び、炎は空気を吸ってさらに強く、青く、美しく、炎上する。
グレイは店の外に出た。もの数分もしないうちに、自動車販売店は炎に包まれた。
「ごめんな」
グレイは罪悪感に似たものを感じていた。自動車販売店のオーナにじゃない。化け物に対して。
この戦いに勝ったのは自分だ。命を懸けた戦いで役目を果たしただけ。でもなぜだろう、心が晴れないのだ。なにかがつかかって。もうここには用はないはずなのに、燃える炎をじっと見ていた。
「ホントはもっと正々堂々戦いたかったよ」
目の前で爆発する販売店だったもの。その爆発は短い勝負の決着を意味するようだった。
「ガソリンって怖いな…。気をつけよ」
軽く背伸びをして帰路を向くグレイ。
瞬間、バチンとグレイの視界が弾ける。数コンマ遅れてグレイは自身の体が宙に浮いてることを悟る。頬の痛み、体の痺れ、高速で移動する自らの体。ナニカ硬いもので叩かれ飛ばされたのだと。理解。
勢いのまま向かいの店に衝突するグレイ。
「コロス?ココココオオコッココオコロロロオロロロロロッロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロオロロロロロ」
そこにいたのは、猛火で炙られ死んだはずの例の化け物だった。その体は黒く焦げのように変色しその目はゆで卵のように白い。だがそれでも生きていた。なんとあれほどの高熱と爆発をくらっても生きていた。
「アアアアアアアアッソソコソソソsモモッモモアン?アオスウhbjlkマジンベb;k!」
頭部の衝撃で朦朧とする意識。その時のグレイにはその化け物の言葉の意味の半分ほども理解できない。いや、素の状態だって理解できなかっただろう。化け物のまるで壊れた機械人形のような異様な挙動。
狂乱。
その二文字がグレイを恐れさせる。
「ドォナbカオsンjdンベc?」
つたりと、真っ赤な血がグレイの額をつたう。化け物はグレイに対して何かを問いかけているようだが、グレイは答えない。気絶一歩手前のグレイには答えることが出来ないのだ。だが、無情にも化け物はその間にも一歩また一歩とグレイに近づいてくる。
「ダsdファンファボッバ…?」
化け物は躊躇なくその脚剣で倒れるグレイの足を貫いた。
「ぐあああああああッ!!」
耐え難いほどの痛み。だが、グレイはグッと唇を噛み痛みをこらえ化け物を睨みつける。
「dwパsjベw?」
グレイはその問いかけに答えない。
「ンcメpjqンフォヅ?」
その目に死への恐れはなかった。それどころかその目つきは未だに力強かった。
「jンヲb!」
だが眼つきだけではどうにもならない状況。グレイの心臓にその化け物の脚剣が突き刺さろうとする直前、その時だった。
一閃。
一本の青白い線が化け物に走ったかと思った矢先、グレイを突き刺そうとしていた脚剣がポロリと地面に落ちる。
「は?」
それはこの場に居た誰もが予想できなかったこと。死を覚悟していたグレイは目を点にしてしばらくの間思考が真っ白に染まる。そんなグレイ達の前に一人の人間が割り込むように立ち塞がった。腰につくまで長く伸びた黒の髪。妖美に切れた薄い紫色の瞳。花柄の着物を纏い、ゾクリとするほど艶やかで美しい、大人の女性。何よりもグレイが目を引かれたのは、彼女がその手に握る白銀の刀。その女の身長を優に超えた細長い巨大な銀の刀であった。
女は横目でグレイをちらりと見た後、動き出す。
舞い踊るように華麗に、そして粉雪のように儚く。化け物の全脚を全てその刀で切り刻んだ。見えない高速の斬撃。グレイもその化け物ですらあまりのスピードに太刀筋すら追えず、ただただ驚愕をするばかり。
「ボウアhンdhバ;!!!」
焦りとも恐怖とも取れる化け物の声。けれどもその女はあまりに静かで答えない。すぐさま再生した百本もの脚剣を使い、その女を斬り殺そうと襲い掛かる。だが、当たらない。
女は軽いステップを踏みながらいとも簡単に化け物との間合いを詰めていく、徐々にけれども確実に近づいてくる女の体。次第に化け物の行動にも焦りが見える。一旦は距離を取ろうとする化け物。が、その判断は1秒も遅かった。たった一瞬の隙。化け物が無数にある脚を一本踏み外したのを女は見逃さない。その身体に何本もの線が走ると、血のシャワーを降らし、ボロボロとブロック状に割れ落ちる。女は化け物の身体をバラバラに切り裂いたのだ。
サイコロステーキが如く切り刻まれたその化け物はまだ生きているのか、溜まった血の池の中でもぞもぞと動き続ける。女はその肉塊にゆっくりと近づくと、手のひらを向け。白色に近い高熱の光線でそれを焼ききった。舞い散る灰だけが残り。
女に付着していた化け物の返り血は蒸発して消えてゆく。化け物であったその灰ですら風のような何かに飛ばされ、戦いが終わった。化け物が負けたのだ。たった今乱入してきたこの謎の女性によって、いとも簡単に殺された。
あんなに強かったアイツがあまりにもあっけなく。
死んだ。命を懸けた勝負が平然と忽然と淡々とここに終わった。
グレイが女の顔を見上げると恐ろしいほどに冷静で命を奪ったというのにも関わらず、迷いがない真っ直ぐな視線。女が握っていた刀はどこかへと星屑のように消え、服装も先ほどまでではない、街中でも何の違和感もないような、いや、大学生のようなオシャレで目を惹く服に変わっていた。
女はスタスタとグレイのもとに走り寄ると、
「大丈夫ですか!グレイくん!」
焦った様子でそう言った。
・・・
見覚えがなかった。その女性の年齢は僕よりも歳上で20代前後だろうか、背は160ほど、胸元を強調するようなバニラ色のセーターにチラチラと揺れる銀の十字ピアスが光る。なんていうか…コレが大人の色気ってやつか…。
「酷い怪我…出血も酷い」
女の人は深刻そうに僕を見る。誰なのだろう、こんな綺麗な人は見たことが無い。というよりタイプだ。見たら忘れない。必死に記憶の戸棚を開いてみても該当なし。間違いない、初対面。でも、だったらなぜ僕の名を知っているんだ?
しかも知り合いみたいな体で…。
「今、血を止めます。痛いけど我慢してください!」
女の人はそう言うと、僕の足の傷口に触れ、激痛が走る。貫かれた時ほどではなかったけれど、それでも焼けるように痛く、ってか焼いていた。
手から高温の何かオーラ?みたいなものを出して物理的に焼いて止血していた。こういうの漫画やアニメとかではよく見るけど、まさか自分がやられるとは夢にも思わなかった。
「グッ…」
喚くのも男らしくないと思い、力を入れて痛みに耐える。頼むから早く終わってくれと思った。
「終わりました」
終わったらしい。例えるとするなら虫歯の治療を終えた後みたいな気分。
「ですが怪我を直接治したわけじゃありません。雑な応急処置。でも血は止まりました」
ホッっと一息つく女の人。その様子から自分はだいぶひどい状態だったんだなって理解する。
「あの…どちら様…ですか…」
そんなことはどうでもよくて、僕は目の前の女の人が誰か気になって仕方がなかった。
「ど、どちらさま?」
「知り合い…じゃ、ないですよね?」
「あれ?覚えてないんですか?私の事?」
「え?あ、あの…その、すみません」
ガーン。
そんな擬音が女の人の後ろから聞こえてくるが、知らない人なのは間違いない事実。…事実だよな?
「ああ、そっか!」
突然、女の人はぽんと手を叩き何かに納得したような素振りを見せる。そして、体操選手もビックリのバク宙を披露。その際スカートも共にバク宙を繰り出し真っ黒なパンツも見えたが、僕はその時だけ記憶を消した。
ボンと煙に巻かれ、僕はその人を見失う。煙が徐々に晴れていくもあの女性は見当たらない。
「こっちです」
真下から声がした。覗くとそこには真っ黒な二又の猫。
それは
「リン…さん?」
「はい、リンです。グレイくんにはこっちの姿しか見せたことなかったですね…」
驚いた。リンさんはルーラの館で僕をルーラの所まで案内してくれた使用人…いや使用猫だった筈だ。
それがまさか人の姿になれただなんて。それどころか、こんな綺麗で強かっただなんて思いもしなかった。
「因みに、私、ベースは人間ですからね?」
リンさんはそう言うと猫から再び人の姿に戻る。
「ま、マジっすか」
「はい、マジっす。人間生まれ人間育ちの今年で21歳。まだ20!好きなものはカレー、嫌いなものはとうもろこし」
「なんで館では猫になってたんですか?」
「え?可愛いじゃないですか猫」
「可愛いからって理由だけでなってたんですか?」
「グレイくん、もしかして猫嫌い?」
「い、いや…普通です」
「あら、可愛いのに…。
ほら…ニャン?ニャンって?」
「か、可愛いです!好きになりました!」
「ならよかった!」
館までの帰路はリンさんと一緒だった。僕は戦いで疲労困憊なのと怪我のせいで一歩も歩けそうになかったのでリンさんの魔法で猫にされていた。リンさんの胸と腕のちょうど間で抱きしめられるように抱えられ持ち帰られる。なるほど、案外天国ってのは近くにあるようだ。
「でもなんでリンさんが助けに来てくれたんですか?」
この件は試験だ。アリアちゃんを見つけることと僕がルーラの弟子になれるかどうかを兼ねていた筈だ。コレだとリンさんはその試験に水を差したことになってしまう。勿論僕にとっては命を救われたし、そんな事は思っていないし、もし仮にそれで僕が落ちたとしてもそれは僕の力量不足で恩人であるリンさんを感謝はすれど責める気などもうとうも一ミリもない。
「んーと。グレイくんの試験の事は聞いてましたよルーラさんからこうグチグチと。アイツはなんだーとか、ラフィーナがどーだーとか。でもこちらの不手際というかな、その、予想外の事態で私に急遽出動命令が出たってやつです」
「予想外?」
「グレイ君あの化け物のこと気になりません?」
あの化け物。僕が戦った正体不明の謎の生物。
アリアちゃんを助けるために流されるまま戦闘になったけど、確かに今思うとあれは何だったのだろうか。人間でもなければ動物でもない。
異様な生物。それに…この街。ヲクランシティがここまで静かなのも気になる。
「アレは人口生物、織。
魔術師が作り出した動物の複合体。つまりキメラです。私達は織とそう呼んでいます。…簡単に理解するなら人を襲う化け物だと思っていて下さい。大きな問題の一つはその織ですかね。本来グレイくんは迷子のアリアちゃんを見つけ出してそれだけで合格、ちゃんちゃんの筈でした。
でも偶然というか、不運というか。アリアちゃんが迷い込んだのが、裏天…。即ち織のテリトリーだった」
「…織…裏天?」
「放たれた織は自分の巣を作る習性があります。蜘蛛が巣を張るように、餌を待ち受けるんです。そして死した魂を捉えて喰らう。その巣が裏天。いま、私たちがいるこの場所です」
蜘蛛のように獲物を待ち受ける。言われてみれば蜘蛛にちょっと似ていたかもしれない。
「…その裏天って現実世界をここまで精密にコピーできるほどの物なんですか?凄いそっくりですけど」
リンさんは首を振る。
「いえ、あのレベルの織なら、精々このヲクランシティの一パーセントが限界なはず。それも拙いものになるはずです。…はずなのですが、この裏天はヲクランシティ全土を覆っている。それに織を殺したんです。もうそろそろ裏天が消滅してもいい。…これほどの魔術師が何のために…」
ふと見たリンさんの表情は険しかった。リンさんは自分の表情に気づいたのか、ハッと笑顔に戻す。
「まーまーそーいう小難しいのは後でゆっくりルーラさんからバッチリ仕込まれればいいんです。それにしてもグレイ君やりますね。魔術も使えないのに一人で裏天に入ってしかも織をあと一歩のとこまで追い詰めるんですから。さすがのフレーバード一族といったところですか」
「そうなんですか?」
褒められてるのだろうが、いまいちパッとしない。
「んーそうですな。分かりやすく例えるなら、医学部志望の学生が突然手術代にそれも執刀医に立たされたみたいな感じです」
「そ、それとんでもないじゃないですか!」
「そう、とんでもないんです。でもそのとんでもないをやったの、グレイくん。手術成功とはいきませんが、私が来るまでちゃんと持ち堪えました、それはとても凄いこと」
凄い凄いとリンさんは僕の頭を撫でる。それがちょっと恥ずかしくて、嬉しかった。僕は多分、歳上が好きなのかもしれない。いや、リンさんが好きなのかも知れない。
「何より先にアリアちゃんを逃す判断をしたのが素晴らしかった。ルーラさんも私も、泣きじゃくりながら館に駆け込んだアリアちゃんを見て事態の異変を把握しました。グレイくんの咄嗟の判断が二人の命を救ったんです。これはなかなか出来ることじゃありません。
だから偉いんです。ニャー!可愛い!偉い偉い」
リンさんは人形を可愛がるかのように、猫状態の僕を撫でくりまわす。
身体を動かせない僕はなすがままだった。
だが、そういうのもアリだ。
もっとやって頂いて構わない。
「た、偶々です。その、運が良かっただけで。実力じゃないっていうか、ズルをしたというか。ガソリンぶっかけただけですし。その、結局最後は負けていました」
「そんなの初めから強い人なんていませんよ?誰だって赤ちゃんだった時があるんです。そこから苦労して、努力して、成長する。その強さは重く深く意味がある。グレイくんはこれからもっと強くなりますよ、見せ掛けじゃない本当の強さを知っている」
「本当の強さ…?」
「はい、それは才能とも言えます」
「なんですかそれ?」
「教えません。ですが分かれば簡単な事ですよ」
強くなる。初めはモテたいから強くなろうとした。強ければ女の子からモテるって勝手に思っていた。ワーキャーされるって思っていた。正直今もちょっと思ってる。でも、他にも強くなきゃ守れない命もあるって知った。あの化け物に負けて、悔しいって思った。だから女の子にモテなくてもいいから強くなりたいって今は思ってる。…いや、嘘、モテたい。
「あと一つ、グレイくんは大きな勘違いをしています」
「大きな勘違い…?なにをですか?」
「さあ?なんでしょう!」
うふふと笑うリンさん。それ以上のことは教えてはくれなかった。
「…なれますかね…強く…」
「その弱気な性格を変えれば早いかもです!」
「はは、それはどうも時間がかかりそうですね…」
その後のことはよく覚えていない。短くない沈黙が続く中、その沈黙が心地よくて僕はリンさんの腕の中で寝ってしまった。
・・・
目が覚めるとそこはベットの上だった。大きな一部屋で、大人2人ほどは寝れるだろう立派なベット。見上げるこの天井は見覚えがある。ここはきっと、ルーラの屋敷の一部屋。記憶が曖昧だけど、多分そう。
僕…。僕はなんでこんなとこで寝てるんだ?記憶がどうもあやふやだ。たしか、そうだ、化け物と戦って、怪我をして、身体が動かなくてそれでリンさんに運ばれて…。アレ…?…そこからの記憶がない。
あ…。ああ、そうか。帰り道で寝てしまったんだ。
リンさんの腕の中で寝てしまった。そしてルーラの屋敷で寝かされ、今、目を覚ました。そういう事か、全て繋がった。
ベッドから体を起こす。
イテテ。脚の痛みはひどいもので、身体を少し曲げただけで痛む。こりゃしばらくまともに歩けなそうだ。僕はポツリと部屋に雑に立てかけられ、置かれている鏡を見た。
うわ…ひどい顔だな。
寝癖でボサボサの髪、クマが見える瞼。よっぽど嫌な夢でも見たのか、疲れが全く抜けていない。
それに頭もぼーっとする。
「起きて早々やることが鏡とは、とんだナルシストだなお前…」
その高い声は聞き覚えがあった。
「ルーラ?」
振り返ると、ルーラが椅子に座って本を読んでいた。
「調子はどうだ?」
「なんか…最悪です」
「最悪か…。ま、あれほどの体験をしたんだ。それはそうだろうな」
僕は部屋をキョロキョロと見回した。時計を探していた。今は何時なのか、あれからどれくらいが経ったのかを知りたかった。だけどこの部屋には時計はなく、それどころか、ここはベッドと鏡以外の何もないひどく殺風景な部屋だということが分かる。
「今…何時くらいですか?」
仕方ないからルーラに聞いた。
ルーラはどこからかスマホを取り出すと、
「9時30」
キッパリとそう答える。
「やっぱ、スマホ使うんですね」
「そりゃこの部屋には時計ないからな」
「なんでないんですか?」
「もともとこの部屋は何もなかった空っぽの部屋だ。客室として使われるのを想定していなかった。てか、この屋敷はホテルじゃないんだ、少し物が足りないくらいでつべこべいうな」
「…ありがとうございます」
「いやそこはお得意のすみませんだろうが」
「僕の為に、ベッドを用意してもらって」
「あ、ああ。いや……………構わん」
ルーラはちょっと照れながら静かにそう言うと。
閉じた本を再び読み直す。
「僕はどれくらい寝てたんだろう」
それは独り言だった。
別に聞いたわけでは無かったが、ルーラは答えた。
「2日」
「え!?まじ?」
声に出た。
「マジマジ、ワンチャン死ぬ可能性、チョー危ないカンジ?」
「なんで急にそんなにギャル?」
「時代に取り残されたくないからな」
「どっちかって言うと古いですよ」
「なんだと!?」
「…でも、そっか…」
言われてみれば、着ている服とかも違った。まだ痛む足には包帯が巻かれてあって、髪の毛とかも汚れたゴワゴワした感じはなく、誰かに世話をされていたのだなと分かる。
「リンに感謝しろよ?寝てるお前の看護をしたのはアイツだ」
「リンさんが?」
「ああ、私は何もやってない!」
「威張ることじゃないと思いますよ」
でも、そうなのか。ホント、リンさんには何から何まで頭が上がらないな。命を救ってくれただけじゃなく、看護までしてくれて…こんど何かで返さないと。
…いや、それより。
「アリアちゃんは…どうなりましたか?無事ですか?」
「もう送った」
「送った?」
「母親と、旅立った」
「もう居ないってことですか?」
「ああ」
ルーラは静かに頷いた。
「…………そうですか」
残念な気分だった。この件に関わった一人として、その最期を見送りたかったけど…。だけどこればかりは寝ていた自分が悪い。
「あー、ホラ…預かり物だ」
ルーラは僕のもとまでテクテクと歩いてくるとそう言って一通の手紙を差し出した。
「これは?」
「読め、読んでみれば分かる」
とルーラが言うので大人しくそれを開く。
《グレイさんへ。
助けてくれてありがとう。
お母さんに合わせてくれてありがとう。
一生わすれません。だいすきです。
アリアより》
それは拙いけど心の篭ったアリアちゃんの文字。
「…これは?」
「お前、文字読めんのか?」
「いや読めます」
「手紙だろ、手紙。去り際にアリアがどうしても一言お前に礼をしたいって言ってな。でも起こすのも悪いからと手紙を預かっていた」
「叩き起こして欲しかったです」
「向こうは叩き起こしたくはなかったようだったがな」
「ならいいです」
「…ならいいのか?」
手紙をもう一度読み直す。
だいすき…か。なぜか少し視界がボヤけた。
「よかったなモテたぞ」
「はい、モテました」
「一応言っておくが皮肉だぞー」
「アリアちゃん、向こうで元気にしてるでしょうか?」
「さあな」
「…なんか、辛いですね」
「そういう仕事だ」
「この手紙もらってもいいですか?」
「貰うも何もお前宛に書かれたものだ、好きにしろ」
ルーラの許可は取ったので、その手紙を折りたたんだ。一回、二回、三回、何回も折り畳んで小さくして。
「何してんだお前」
ルーラは僕の行動を不審に思ったのかそう聞いてきたが、すぐ分かることなので答える気はなかった。
そして手紙を飲み込んだ。
「紙はいつか廃れて失くすけど、こうすれば失くさずにすみますから」
「はーん、なるほど。私はリンよりお前の方が人に見えなくなってきたぞ?」
「それは褒め言葉ですか?」
「ああ、そうだ」
「わーい」
コホンとルーラは咳払いをする。それは今から大事な話をするぞという合図に見えた。
「さて、今回の件。大きなハプニングもあったがグレイ、お前は無事成し遂げた。私はこれを高く評価しよう。よって今以降お前は私の弟子だ。何か言いたいこと聞きたいことはあるか?」
「はい、師匠。弟子とは何をするんですか?」
「し、師匠はなんかむず痒いからやめろ…。ルーラでいい。ま、やることか…基本的には前のような仕事をしてもらうだろうな。そして偶に私が稽古をつけてやる。一周に二度ほどか」
「弟子は住み込みですか?」
「どちらでもいい、好きな方を選べ」
「じゃあ住み込みで」
「決断が速いな!速すぎる!
住んでいる家とかあるだろ!」
「売ってきます」
「まてまてまて!ちょっとまて!その話は後でじっくりやろう!な?」
「はい」
「お前、やっぱ頭おかしいよ、うん、ヤバイ。魔術師向いてる」
「それは褒め言葉ですか?」
「うーん。そうかもしれない」
「わーい」
ウレシーナー。
「さて、聞きたい事は以上か?」
「今の所は」
「なら私は自室に戻る、ああ…そうだ。この部屋はお前の部屋とする。好きに使うといい、家具でも買ってオシャレするのもいいし、このまま使うのもお前の自由だ。
ただ壁に穴開けるなよ、開けたらマジでスーパーに怒る」
「開けるわけないじゃないですか。借り部屋の壁に釘打つ人間に見えますか僕?」
「見える」
「即答っすか、そうっすか」
ちょっとショック。もう少し信用されてると思ってたよ。
「…さ、明日からは怪我の具合見てだが、ビシバシ行くからな。今日くらいはゆっくり休めばいい…ふわぁ…わたしゃもう寝るぞ」
欠伸を噛み締めドアを開くルーラ。
朝日が開いたドアの隙間から差し込む。
そういえば今は9時30と言っていた、ちゃんと朝だ。今から寝るって事はルーラは夜型なのだろうか?
「お休みルーラ」
「ん?ああ、お休み」
ルーラが出て行って一人っきりになった。二度寝しようかとも思ったが、もう十分寝たようで寝る気は起きない。
「ちょっとストレッチでもしますか」
せっかくだからリハビリでもしようと立ち上がる。痛みはあるけど立てないほどではない。
「ほい、いっちに、いっちに、からのさんしっ」
そんなてきとうな掛け声で。身体を動かす。
やっぱり二日も寝てると身体は相当固くなってんな、これ。
「お?」
不注意。
つるん、と足が滑り身体が後ろ向きに倒れる。
このままでは床に倒れてしまう。それは怪我を負った脚に負担になるからよろしくない。そう僕の身体は頭より先に反応した。
身体をねじり、どん、音を立てて壁に肘打ち。そのおかげでどうにか立ち止まれはしたものの。
「あ」
壁には大きな穴が開いていた。
「釘じゃなくて肘か。あはは!
こりゃ一本取られたな!」
さて。これをどうやって隠そうか。




