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「なんの用だ」


広い執務室。

陽の光を多く取り込める窓ガラスには薄いレース状のカーテンがかかっていて、外の景色は簡単には見ることが出来ない。

情報漏洩の対策か、それともただ陽の光が強すぎるのか、外の景色が見えないことを残念に思いながら私は旦那様に近寄った。


(この屋敷で一番高い場所にあるんだから、景色もばっちりな筈なのに…)


鋭い眼差しで、妻となった私を睨みつける旦那様に思わず私は「はぁ」と息を吐き出した。

旦那様の眉がピクリと動く様子を眺めながら、(面倒くさい男だな)とどこか他人ごとのように思う。


(仮にも妻になった私に向ける眼差しではないわね)


だけどそれには言及せずに私は用件だけを告げる為、昨日書き上げた精霊書を旦那様に差し出した。


「………これは?」


「契約書です」


「契約書?」


眉を顰める旦那様に私は頷く。


「はい。旦那様は私に白い結婚を要求しているようですので、私は私の立場を確保する為精霊書を用いて旦那様と契約を結ぼうと考えました」


「………それでこれか」


例え政略結婚であろうが正妻との子をつくろうとしない自分の行動に少しでも思うところがあったのか、私の差し出した契約書を受け取った旦那様は意外にも素直に契約書に目を通す。


私が要求したい内容は五つだ。


まず一つ目は、シエル・ウェルアネスもといシエル・ディオダが正妻であり、正妻としての待遇を受けるというもの。

これは言わずもがなである。

何故政略結婚で嫁ぎにきて虐げられなければならないのか。

勿論この家で働いている使用人たちは私に好意的である為虐げられる可能性はないが、当主である旦那様が指示すれば、という可能性もなくはない為、ただの保険として記載させてもらった。

それにこう書いておけば、旦那様の恋人とやらがきたとしても、私は正妻の立場として振る舞うことを旦那様が容認しているというものだ。


二つ目に私が領地を管理する旨を書いた。

ウェルアネス伯爵家を出てこのディオダ侯爵家に向かう中、領地の土地がいかに廃れているかをこの目で見たからだ。

例えディオダ侯爵家が投資家であろうが、領地から生まれるものがなければいつかは廃れてしまう。

その証拠にやせ細ってしまった土地がいくつもあった。

恐らく領地の管理において才のない者が当主になることが続いたために起きたことだと私は思う。

だから私が“正妻として”、“投資家として忙しいであろう”旦那様の代わりに領地管理をすることを契約書に書いた。

そしてこれは先代侯爵様も先々代侯爵様も同じようなことを私に求めていると考えられていること。

だからこそ、領地が栄えている伯爵家の娘の私を引き入れたのだ。

私に学がなかったとしても、私を通してお父様から情報を貰えれば。そう思ったに違いないと私は考えている。


(だけどいい意味で裏切られたと思うでしょう。だって私がいれば解決するのだから)


この言葉の意味はそのままである。


父は確かに領地をまとめ上げてみせた。

農作物に被害が出たときには対策を講じ、防犯に弱い町や村には仕事を失った者たちを傭兵として鍛え上げて派遣した。

他にもいくつもの問題を片付けてきた裏には、小さな助っ人がいたのだ。

それが精霊の存在である。

精霊は確かに恵みをもたらす存在であるが、切に願い困っている者に寄り添うのも特徴の一つ。

それが他の者の為の行動ならば尚更である。

だから父が領民の為に頭を悩ませると、精霊は精霊を見れる私の元に駆け付けてきた。

そして精霊の助言通り、ヒントや解決に導きそうな資料や本を父の目に触れさせていった。

まぁ父ならば一人でも解決に辿り着けていただろうけれど。


つまり精霊を見て、声が聞こえる私がいれば、殆どの問題は解決できるというわけだ。


(それに精霊も私に助けを求めにやってきているからね)


このディオダ侯爵領に入って、沢山の精霊が私を見るなり駆け付けた。

精霊の存在を認知できる者がいれば、きっと私の全身が隠れてしまっているほどの数の精霊が今も私の周りを飛んでいる。

この数の精霊がこの領地を助けたいと思う程、ディオダ侯爵の領地は廃れてしまっているのだ。


だから私が今後管理していくと精霊書に記載した。


(この言葉を書いた時、精霊も嬉しそうにしていたわね)


喜ぶ精霊たちの姿を思い出していると、思わず頬が緩みそうになるのを私はぐっと堪えてみせた。

勿論旦那様はそんな私の変化に気付くことはなく、じっと契約書の内容を確認している。



そしてここからは旦那様にも関わることだ。


まず白い結婚である私達には子供が出来ることはない。

その為三つ目の要望として私との性行為は行わないことから後継者となる者を養子として迎え入れるか、旦那様の“恋人”である方との子を後継ぎとして育てることとする。を記載した。


何故“恋人”という言葉を表記したのかというと、側室では費用が発生するからである。

政略結婚を取り入れている貴族には、子供に恵まれない家庭事情があるために、一人だけではあるが側室を迎えられるシステムがある。

子供を産んだ実績があったとしても、歳を重ねた後子供にトラブルが起きた場合、若い体でないと出産時に危険が付きまとう。

女性の体を考慮した仕組みであったが、それを良いように利用している男性がいるのが現実であった。

だが、たとえ政略結婚だとしても側室を迎え入れることを受け入れる女性は少ない。

その為側室を迎えるのではなく、血の繋がりがなくとも養子として迎え入れる貴族が多い今では、側室というシステムが一般的ではなくなった。


私はその慣習に旦那様が乗らないよう、側室に迎え入れるのではなく恋人なら、旦那様が愛する女性の子でも後継ぎとして育てるという言葉を設けたのだ。

この意味に気付くかどうかは旦那様次第ではあるが、没落しなければ旦那様のポケットマネーはいつでも潤う。

精々旦那様のポケットマネーで恋人を可愛がればいい。


四つ目に互いのプライベートは干渉しないこと。

具体例にいくつか記入したが、これは精霊にどんなことがプライベートに干渉するかを伝える為に書く必要があったからだ。

例えば私の許可なく部屋に入らない事については旦那様だけに限らず、旦那様が他の人に指示し私の部屋に入らせることも同様だということを示さなければ、精霊は旦那様限定と考える可能性があるのだ。

勿論訴えれば聞き入れてもらえる可能性は高いが、それでは旦那様が行動した後になってしまう。

その行動自体を防ぐために、具体的な例をあげておくのだ。


そして最後に私の持参金の使い道について、旦那様が独断で決めないことを書いた。



「……ふん。いいだろう」


なにが決め手になったのか旦那様は特に意見することもなく筆をとり、精霊書で作った契約書にサインをする。

そして引き出しから刃物を取り出すと、親指の腹を切り血を擦りつけた。


どうやら精霊書で作成された契約書を過去にも用いたことがあるのだろうと私は悟った。

普通の契約書ならサインまでだが、精霊書で作った契約書は契約する者の血も必要になる。


(投資家としての活動はしてきた、ということね)


彼にどれほど投資家としての才能があるのかはわからないが、精霊書を交わすまでの大きな案件をこなしているということは、それなりの能力は期待できそうだと思いながら契約書を受け取る。

先にサインをしていた私は、仕上げとばかりに血を契約書に垂らして、同じ内容が書かれている契約書を旦那様に渡した。


「こちらの複製は旦那様がお持ちください」


「…ああ」


「では、私はこれで失礼させていただきますわ」


「___待て」


そして部屋から出ていこうとした私を引き止めたのは意外にも旦那様だった。


「……なんでしょうか?」


「お前はこれから俺の代わりに領地経営をするのであろう?

ならば今から働いてもらう」


ニヤリと気持ち悪い含んだ笑いを見せる旦那様は、積み重ねられた書面の山に手を載せた。

茶髪で緑色の瞳を持つ平凡な私とは違って、金髪碧眼で見目麗しいと言われる旦那様。

一般的な意見では確かに整っている顔立ちをしているかもしれないけれど、最低な印象しかなかった私の目には気持ちの悪い旦那様という姿にしか見えないのである。


(まさか、あの書面すべてが領地のものだというの…?)


廃れている箇所があるとは思ったものの、まさか山積みにされたものすべてが領地に関係するものだとは思わなかった私は叱りつけたい気持ちをどうにか飲み込んだ。

治めている領地の規模に違いはあれど、父が治めているウェルアネス伯爵領でもそれなりの広さはあり、いくつもの町や村がある。

それでも領地管理は円滑すぎるほどに進められている為、書類を溜めてしまうことはあっても山積みにしてしまうことはなかった。


(まぁだからこそ、お父様からの愛情を感じる暇なんてなかったのだけど)


お父様が忙しすぎて、子供の私に構えないのが日常だった。

でも、…領地の為に頑張っていたお父様を尊敬している心も本物だ。


「……それが全て領地に関しての事でしたら、お引き受けましょう。

ですが、私の腕では全てを持ち運ぶことが出来ません。人をお貸しください」


そう口にした私に、旦那様は初めて私の全身を見たのだろう。

その視線がまるで欲情を含んでいるように、まるで舐めるようだと感じたのは私の気の所為だと思いたい。

いくら鳥肌が立っていようとも。


「…そうだな。ケイン、手を貸してやれ」


え、と思った時初めて人の気配を察した私は驚くように振り返った。

微動だに動かなかった甲冑_今はもう廃れている防具_はただの置き物かと思っていたが、人間が入っていたのだ。いや、人間が鎧を身に着けて、そこで待機していたのだ。


ケインと呼ばれた全身鎧を身に纏った男は扉の傍から離れると、書類を抱え私に近寄る。

兜の隙間から見えた瞳は赤く、まるで宝石のように輝いているようだった。


そして


「お運びいたします」


と告げた、旦那さまよりも低い声。

だけど耳に聞こえの良い声に、私は確かに精霊たちが騒めく声を耳にした。


(なんでこんなにも精霊たちが…)


よろこぶ精霊たちがケインと呼ばれた男性の周りを飛び交う様子を眺めながら、私は書類を運ぶケインの後ろを追いかけた。

廊下には至る所に絵画が掛けられているが、壷や花などの装飾はない。

避ける必要がない場所で頭を傾けたり体を端に寄せたりと、まるで精霊が見えていて、飛び込んできた精霊を躱すようなそんな仕草をするケインの姿を私はじっと見つめたのだった。





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