真夏の黄泉の夢〜うたかたの少女〜
「また一緒に来ようね」
陽を浴びてキラキラ光る湖を背に、純白のワンピースを着た少女が振り返る。
フワリと舞う黒い髪と、僕に向けられるフワッとした微笑みがとても綺麗だ。
湖から運ばれてきた風に白いスカートがヒラリと翻る。
そんなたった1つ年上の女の子の何気ない仕草に僕の顔がカーッと熱くなった。
ドキドキ高鳴る心臓に戸惑いながら、僕はドギマギしてコクコクと頷いたんだ。
「ホント?」
チョットだけ大人びて見える彼女の微笑が、破顔して年相応の笑顔に変わった。でも、それがいっそう僕の胸に深く突き刺さるんだ。
「うれしい!」
彼女の背後に見える湖はキラキラと光って眩しい。
「また一緒にこの景色を見ようね」
だけど……
「約束だよ、ケン君」
僕の名前を呼んで嬉しそうな表情をするリンちゃんの方が、その何倍も綺麗で眩しいって思ったんだ。
11歳の夏――
サンサンと照り、気温をグングンと急上昇させる憎っくき太陽に悪態をつきたくなる、そんな茹だるような暑い季節。
僕は家族で避暑地の別荘へとやって来ていた。
「ケーンくーん」
塀越しに僕の名前を呼ぶ女の子。
腰まで真っ直ぐに伸びる黒髪とクリクリした大きな瞳。
純白のワンピースに麦わら帽子という出で立ちの少女。
「あ〜そび〜ま〜しょう〜♪」
そう言ってニコニコ笑う彼女はリンちゃん。
お隣の別荘の女の子で、歳も近いせいかあっという間に仲良くなった。
「この近くにとっても素敵な場所があるの」
毎年、りんちゃんはこの避暑地に遊びに来ているらしく土地勘があって、ここに初めてやって来た僕は彼女にアチコチ連れ回されていた。
そんな日々の中で、あのキラキラ輝くすっごく綺麗な湖にも行ったんだ。
リンちゃんに取って置きだって言われたけど、その気持ちも分かるかな?
日常のいつもの見慣れた風景とは違っていて、なんて言うんだろ。
幻想的?
リンちゃんと見たあの湖はどこか別の世界みたいだったんだ。
リンちゃんとの日々はホントに現実から離れた素敵な宝もの。
「来年またここで会おうね」
だけど、そんな特別な時間にも終わりはやってくる。
「約束だよ」
見送りに来たリンちゃんと交わした約束。
だけど、それは守られることのない約束。
だって、彼女の時間は止まって、もう再び動き出すことは2度とないんだ……
あれから5年――
僕は16歳になっていた。
11歳の夏以来あの避暑地には足を向けたことはない。
だって、あの場所にはあの子と2人で行く約束だから。
だけど……
「ケン君」
この夏もリンちゃんは僕の前に現れていた。
あの頃と全く同じ姿で……
真っ直ぐに伸びた艶やかな黒髪も、シミひとつない純白のワンピースも、真っ白な肌を焼かないために被っている麦わら帽子も、あどけない顔も、身長も、何もかもがあの時のまま。
「ケン君はグッと身長が伸びたよね。昔は私の方が高かったのに」
僅かに口を尖らせて苦情を呈するリンちゃんは相変わらず可愛らしい。
「ふふふ……私って可愛い?」
少し悪戯っぽく笑ったリンちゃんは、僕の前でクルリと回る。
「ねぇ、私って可愛い?」
黒い髪と一緒に白い裾がフワリと翻った。
本当にあの時と同じだ。
彼女の成長が止まっていなければ、誰もが振り向くくらい綺麗になっていただろうな。
「ぶ〜私はじゅうぶん綺麗です!」
わざとらしく不貞腐れてみせるリンちゃんはやっぱり可愛らしい。
ずっと……この5年の間……何も変わることなく。
だけど、誰もこのリンちゃんを認識できていない。
彼女の声が聞こえるのも、彼女の姿が見えるのも、そして彼女に触れられるのも僕だけ。
毎年、夏のこの時期になるとヒョッコリと現れるリンちゃんと会話ができるのは僕だけだったんだ。
最初は僕の頭がおかしくなったんじゃないかって不安になったけど、それにしては彼女の存在があまりにハッキリしていた。
そして、翌年の夏もリンちゃんの姿に変化がまったくなかったので、もしかして幽霊かとも疑ったんだ。
だけど、僕は彼女に触れることができたんだ。
彼女はいったい何者なのか?
チョット疑問には思ったけど、そんなのどうでもいい。
だって、リンちゃんと再会できたんだからそれでいい。
「ねぇ、約束……覚えてる?」
約束?
突然、リンちゃんが聞いてきた内容に僕は首を傾げる。
「約束したでしょ」
彼女は少し眉を寄せてちょっと険しい顔になった。
「分からないフリをしているんだね」
うん、ホントは分かってる。
だけど……
「ちっちゃなケン君じゃ無理かなって思って今まで何も言わずにずっと待ってた」
この約束があるから……
「だけど、ケン君はもう十分に大きくなったわ……私との約束を叶えられるくらい」
だけど、そうしたらリンちゃんは……
「その先、私がどうなっちゃうかは私自身にもわからないわ」
彼女は向けて後ろ手を組むと、クルリと僕に背を向けた。
「でも、私は消えちゃうと思う……たぶん、そんな気がするの」
消えるの怖くないの?
「私が消えて怖いのは私じゃない……」
肩越しに振り向いた彼女の表情は寂しそうで、それがとっても大人びていた。
「ケン君は大きくなったけど……でも、心は止まったままなんだね」
僕の心?
「私がこの姿でケン君の前に存在しているのは、きっとケン君が自分の時間を止めているから……」
そうなんだろうか?
「ケン君はずっと縛られている……自分を私との約束で縛りつけている……このままではいけないと思うの」
でも、それでリンちゃんは消えるかもしれないんだよ?
「そうかもね……だけど、私のせいでケン君の時間を止めてしまっているのはもっとイヤ」
そう言ってリンちゃんの姿は霞がかかるようにして消え去った。
そして、その夏の間にリンちゃんが僕の前に現れることはなかった……
――翌年の夏
僕は17歳になっていた。
夏になったけど僕の前にリンちゃんは現れなかった。
だから、僕は1人で約束の場所へとやってきたんだ。
彼女と再会を約束したあの避暑地に……
降車して駅から出た僕を陽の光がカッと照りつける。
「いらっしゃい」
そんな真夏の陽射しの中で平然としながらリンちゃんは僕を出迎えてくれた。
「待ってたわ」
彼女が手を差し出す。
「行きましょう。あの場所に」
僕はフラリと彼女へ寄って、その手を取った。
――ミーン、ミンミンミンミー
「懐かしいね……このセミの鳴き声も、この場所も……」
気がつけば僕たちは思い出の別荘の前。
そこで、手を繋いで並んで立っていた。
6年ぶりに訪れた別荘は記憶よりも小さく見えた。
だけど、駅から離れた別荘地のはずなのに、どうやって僕たちはここまで来たのだろう?
「ここでケン君と初めて出会ったんだよ。その時のこと覚えてる?」
肩を並べて立つリンちゃんに問われて、僕はコクリと頷いた。
「ケン君から声をかけてくれたんだよ……隣の別荘にやって来た男の子がスッゴク気になってて、だからねとっても嬉しかったの」
隣のリンちゃんに顔を向ければ、ほぼ同じ高さの瞳が僕をジッと見つめていた。
気がつけば彼女の肩も僕の肩とほとんど変わらない高さに……いや、僕の方が縮んでいたんだ。
そう、僕の身体は11歳のそれになっていた。
「それから、あの夏の日が始まったんだよ」
リンちゃんはだけど気にも止めずに話し続け、僕も取り立てて慌てず……僕もリンちゃんも当然のことのように受け止めていたんだ。
「ホントに嬉しかったんだよ……だから、毎日ケン君を連れ回しちゃった」
リンちゃんは満面の笑顔で僕の手をグイグイと引いて歩き始める。
「さっ、行こ……ふふふ、あの頃みたいだよね」
あの時の姿のままの笑うリンちゃんと彼女に引っ張られて歩く11歳の姿へ変貌した僕。
「最初は私の別荘……次の日は庭で……それから冒険をしに森へ!」
1歩2歩と進むだけで、リンちゃんが言葉にした場所へと移っていく。
「楽しかったよね……ケン君と出会えて私は嬉しかった。ケン君と過ごした日々は楽しかった」
次々に変わる景色の中、リンちゃんはとっても嬉しそうに笑うんだ。
「だから、ケン君と出会えて幸せだったんだよ……私」
どうしてそんな優しい表情をするの?
「……ケン君はどうしてそんな難しい顔をするの?」
リンちゃんはどうして嬉しそうなの?
「ねぇ、楽しいよね?」
楽しい?
「ケン君は私と一緒で楽しくなかったの?」
楽しかったよ……楽しかった……だから!
……だから、これが、この歩みが……この1歩1歩がリンちゃんとのお別れへ近づいていると思ったら……
「ケン君……ケン君と過ごしたのはたった数日だったけど……その短い時間の楽しい記憶は私にとって何にも代えることができない宝もの」
僕もだよ。
「大切だよね……とっても大切なもの……私との約束もその中に含まれているでしょ?」
だけど、約束を果たさなければ君は死なない。
記憶は永遠に僕の中に残るんだ。
「それは死なないのでも残るのでもなく、ただケン君の時が止まっているだけだよ」
だけど、消えちゃうよりマシだよ!
「消えないよ」
森の中でリンちゃんは手を離すと僕の数歩先ほど進んで立ち止まった。
「だって、私はケン君の記憶だもの……ケン君の記憶の中に、私は大切なものとして残って……そして、ケン君の一部になるんだよ」
背を向けたまま語るリンちゃんの表情は僕から見えなかったけれど、その背中はなんだか寂しそうだった。
「だから、そんな私と一緒にいる今のケン君は、自分の思い出の中に囚われているってことだよ」
それでもいいじゃないか。
「逃げないで……このままだとケン君は夢の中の住人も同然だよ」
楽しい夢ならそれでも……
「ダメよ」
けっして鋭い口調ではなかったけれど、振り返ったリンちゃんになんだか強い意志を感じて、とても逆らいがたかった。
「記憶の中に閉じ篭るのは楽だけど……でも、同じ字を書いても『楽』はけっして楽しいには変わらないの」
リンちゃんの真剣な眼差しに、僕は何も言えなくなった。
「楽な時間は決して楽しい記憶にはならないんだよ」
リンちゃんは僕に手を差し出す。
「ねぇ、お願いケン君……一緒に進もう」
だけど、僕は尻込みした。
きっとリンちゃんは消えてしまう。
だって、この先には……
「約束……やっぱり覚えてくれていたんだ。私との記憶はケン君の中で今も息づいているんだね」
リンちゃんは差し出した手を自分の胸に当てた。
「だけど、この5年間の私との記憶はどう?」
夏に現れるリンちゃんの記憶は曖昧で、鮮明に思い出せるのは避暑地での記憶ばかり。
「そういうことなんだよ。『楽』は絶対に楽しい記憶にならないの……それはけっしてケン君の中では息づかない」
それを否定したくて、どんなに必死になっても思い出せない。
「私はケン君の記憶だから、その記憶が死んでしまったら私も死んでいるのと同じなの」
ポタッ、ポタッと僕の目からあふれた雫が頬をつたって流れて落ちる。
「そして、ケン君自身も……このまま夢の中にいてもケン君は一歩も前に進めない。楽しい記憶を紡げない」
わかってた……ホントは僕にもわかってたんだ。
どんなに目を背けても、どんなに別れが嫌でも、現実と夢は交わらない。
「私は楽しかった過去の記憶。もう私はケン君と楽しい記憶を作れない」
だけど僕はそれを認めてしまうことが恐かったんだ。
「でもね、過去の記憶は新しく紡がれた記憶と織りまざって新たな息吹が生まれるの」
いつの間にか近寄っていたリンちゃんの手が僕の頬を撫でる。
「だから行きましょ!」
リンちゃんのその手が僕の手に重ねられた。
「過去の記憶と一緒に、この先にある未来の記憶に会いに!」
僕はその手を握り返す。
ホントはまだ恐いけど、でも楽しい記憶と一緒ならきっと進める。
その先にも未来の記憶がいるってわかったから。
「ほら、急いで急いで!」
手を繋いだまま走るリンちゃんは楽しそうにはしゃぐ。
「うっわぁ!」
森を抜けた先の光景に僕たちは感嘆の声を上げた。
「やっぱり綺麗だよね」
目の前に広がったのは、再訪を約束した湖。
「約束……守ってくれてありがとう」
手を離したリンちゃんは1人で畔まで歩くと、あの時と同じように振り返った。
「これもケン君にとって新しい記憶になるんだよ」
それは夢から覚めなければ刻まれることのなかった新しい記憶。
「これからも一緒に想い出を作ろうね……約束だよ」
そう言って笑った彼女の姿はダンダンと薄くなっていき、やがてスーッと消えてしまった。
それ以降、りんちゃんは夏になっても現れることはなかった。
その次の年も……その次の年も……
そう、まるで今までの出来事が全て真夏の夢だったかのように。
だけど、僕にはわかってる。
それはすぐに消えてしまう泡沫のような記憶だけど、彼女は今も僕の記憶にいるんだって。
目を閉じると瞼の裏に浮かんだ真っ白なワンピース姿の少女があの日のように微笑んだ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
これからも色々と作品を鋭意制作してまいりますので、作者のお気に入り登録をしていただけると新作の通知がマイページ上に表示されて便利です。




