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温泉の街エマ・スプリングス

 ──はぁっ、はあっ──はあっ、はぁっ──。



 逸る気持ちを抑えながら、左手で腰に挿した神剣を、右手で肩から下げたショルダーバッグを押さえながら街道を走る。

 視界がぼんやりと揺らぎ、景色は吹っ飛ぶように流れる。


 ──見えた!


 目的地が遠目に見えて来たのを確認してから、久我はスピードを緩めた。

 乱れる呼吸を整えながら歩いて行く。

 しばらく遅れてから、双子のエルフが走って来た。


「ちょ…まっ…走るの早過ぎ…」

「お兄ちゃん…待って…」


 息も絶え絶えになりながら、マリルとリリルが久我に追いついてきた。

 2人とも膝に手をついて呼吸を整えている。


「…は、腹痛え…」

「…疲れたぁ…」


「ピィピィ」


 疲労困憊のマリルとリリルとは対照的に、飛んでいるオリちゃんは余裕な様子で元気いっぱいだ。


「遅いぞ、お前たち。ちょっと駆け足で走っただけじゃんか」


『…鬼ね…』


「…兄ちゃん、自分のスピード考えろよ」

「私達じゃついて行くのが精一杯…」


「スピード?」


 ……そうか、スピードか…。


 自分が女神の祝福の効果で人間の限界を超えた速さで走れる事を忘れていた。

 遅れてでも付いてきたマリルとリリルは流石ハーフエルフというところか。

 エルフ族はマリルやリリルのように魔力が高いことで有名な種族だが、漫画や映画の様に手先が器用で弓の扱いに長けている運動能力の高い者も多いみたいだ。

 …今度ミネルヴァに弓を借りて、マリルとリリルに使わせてみよう。上手く扱えるなら攻撃のオプションになるしな。



「すまんすまん。温泉と聞いたら、居ても立ってもいられなくなっちゃってさ」



「…温泉…好きなんですか?」


 やっと呼吸が整ってきたリリルが、膝に手をついていた体制から体を起こして尋ねる。


「うん。俺が居た日本って所はさ、至る所に温泉が湧いてたんだよ。だから、温泉はすごく身近で風呂も毎日入るんだよ」


「…はあっ、ふぅ…だからってあんなスピードで走る事ないだろ!?」


 マリルはまだまだ呼吸が乱れている。左手で脇腹を押さえて痛そうにしている。


「お風呂に毎日入れる世界か…素敵です!」


 やはりお風呂なんかの話題に食いついてくるのは、リリルも女の子だな。


「ごめんってば。でもそのおかげで、もうエマ・スプリングスを視界に捉えてるぞ?走ったおかげで昼前には着ける!」


「俺は昼過ぎに着いても良かったんだよ!」


「…お前たちが俺と3歳しか変わらない事を知った今、必要以上に甘やかしたりはしないぜ?」


「…こんな事なら歳教えるんじゃなかったよ…」


 マリルの漏らした愚痴に、リリルはマリルとは違う意味でお腹を抑えて笑っている。

 マリルの呼吸が整うのを待ってから、一行はエマ・スプリングに向けて再び歩き出した。



『いいなぁ温泉…私もゆっくり浸かりたいわ』


 不意に頭の中に直接ミネルヴァの声が響く。いつもの念話だ。


『ゆっくり温泉に浸かりたければ、顕現しなさいな』


『いやよ。魔力消費が激しすぎるもの』


『なら諦めるか、得意の神界改装で温泉作ったら?』


『…なるほど、その手があるわね。顕現するよりはるかに魔力使わないし…温泉は無理でも大浴場なら作れるわ。忙しくなるわね…じゃあね』


『ちょっ…』


 一方的に念話を切られてしまう。

 久我的には冗談のつもりで提案したことが、女神的には魅力的な提案に映ったようで採用されてしまった。



 久我が呆れたような失敗してしまったかのような表情をしていると、心の機微に聡いマリルが反応する。


「兄ちゃん、変な顔してどうした?まぁ顔はいつも変だけど」


「…変な顔で悪かったな…」


「お兄ちゃんは変な顔じゃないですよ」


 リリルが真っ赤な顔でマリルのフォローをしている。

 うん、リリルは可愛いね。


「いやな…ミネルヴァが温泉入れないからって、神界に大きな風呂作るって言い出してさ。俺が冗談で言ったばっかりに…」


「なるほどね…確かにそんな顔にもなるわ。あの女神様なら本気でやりかねん」


「2人とも言い過ぎだよ。でも大っきいお風呂かぁ…本当に出来たら嬉しいなぁ」


 リリルはやはり女の子だ。久我やマリルがミネルヴァの突拍子もない行動力に呆れているのに対して、過程よりも結果である大きな風呂に目を奪われている。


「まあ、大っきい風呂があればみんなで入れるしな」


「ピィーッ」


 マリルの発言にオリちゃんは同意した様子だが、リリルはまたもや顔を真っ赤にして、慌てた様子だ。


「な、何言ってんのよマリル!み…みんなで一緒にお風呂なんて…」


「お前なぁ…15歳でその発言はマズいぞ?前までなら12歳くらいだと思ってたから…それでもアウトだな」


「冗談に決まってんじゃん。リリルの反応が面白いからからかっただ…」


 ──ズドン!!


 マリルが全て言い終わる前に、リリルの渾身のボディブローがマリルの鳩尾を打ち抜いた。

 余りに自然に流れるような動きで繰り出された、リリルのボディブローは無警戒のマリルの鳩尾に正確にめり込み、その運動エネルギーを余すことなく伝えていた。

 急所である鳩尾を全力で打ち抜かれたマリルは、呻き声と共にその場に崩れ落ち、短い呼吸を繰り返しながら苦悶の表情でのたうち回っている。


「…ご愁傷様…」



 …よし…やはりリリルは怒らせないようにしよう…。



 マリルの回復を待ってから、遠くにその輪郭を表し始めた温泉の街エマ・スプリングスに向けて歩みを進める。

 そして丁度正午になろうかという時に、ついにエマ・スプリングスに到着した。



「ふぅ…やっと着きましたね」


「本当ならもう少し早く着けたけどな。マリルが中々立ち上がらないから…」


「…俺のせいじゃねえ…リリ…」


「マリル、なんか言った?」


「いえ!全部僕のせいです!」


「だよね!」


 …だめだこりゃ。マリルの心は完全にへし折られてる。当分の間、リリルには反抗できなさそうだ。


 リリルに完全に頭が上がらなくなったマリルに、肩を組み慰めながらエマ・スプリングスの街を歩いて行く。

 話し合った結果、ひとまず昼食にしようとなり店を選んでいるところだ。


「まあ、そういう時もあるさ。旨いものでも食べて元気出せ」


「…別になんともね〜よ」


「強がるなって。本当になんともないなら、オリちゃんと先を行くリリルにちょっかいかけてみてよ」


「…ごめん、嘘ついてました。リリルが怖いです」


「ははは。まあ腹一杯ココの名物でも食べようぜ」


 そう言いながら久我はマリルの肩をさするように励ます。


『子供いじめて遊んでんじゃないわよ』


『マリルは15歳…子供ではない』


 ミネルヴァからの注意を軽く受け流して、エマ・スプリングスを歩く。

 道を進んで行くとだいぶ温泉街っぽい雰囲気になってきた。風に硫黄の匂いも混じっているのがわかる。

 少し歩いてから気づいたが、日本の温泉街のように、エマ・スプリングスも朱色や赤が全体的に多く使われていて、妙に懐かしい雰囲気だ。


「お兄ちゃん!これ食べよう!」


 ノスタルジックな気持ちになっていると、遠くでリリルが呼んでいる。

 リリルが居たのは、温泉卵の屋台だ。オリちゃんも早くしろとばかりに飛び回ってアピールしている。


 マリルと早歩きでリリルのところに行き、屋台で温泉卵を4つ購入する。

 拗ねていたマリルも温泉卵に舌鼓を打ち、機嫌を直したようだ。

 リリルもオリちゃんも美味しいと喜んでいる。


「…美味い」


 …それにしても温泉卵か…これも日本を思い出してしまうな。

 懐かしい味に思わず目に涙が浮かんでしまう。


「兄ちゃん、他にも色々食べようぜ!」


 久我の気持ちを敏感に察したのか、今度はマリルが久我を励ますように手を引っ張って来た。


 …本当に、コイツは馬鹿のくせに、こういうところだけ勘がイイから困る。


 マリルに引っ張られ色々な屋台を回る。

 ダンゴ、串焼き、煎餅、麺料理。色んな屋台で舌鼓を打ち、全ての屋台で懐かしい気持ちになる。


『…帰りたい?』


『…そりゃな。なんか全ての食い物が日本にあったような物だし、懐かし過ぎてね…なぁ、この街作ったヤツも地球人なのか?』


 当然の感想をミネルヴァにぶつけてみる。


『…そんな昔に召喚された人間がいるなんて聞いた事ないけど…』


『違うなら違うで良いんだけどな。ただ偶然にしちゃあ色々似過ぎてると思っただけだから。ま、懐かしいのたくさん食べれたから元気出たわ』


『…そう…良かった』


『じゃあ、そろそろ自慢の温泉でも入りに行ってみるか。…覗くなよ?』


『ふふ…馬鹿ね、覗くに決まってるじゃない』


 そう不吉な事を言ってミネルヴァに念話を切られた。

 …まいったな…そう頭を掻きながら久我はマリル達と温泉に向かった。




素人ながら、産みの苦しみを味わっています

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