§2 阿修羅姫(2)
青田教官に連れられて、職員室の向かいにある面談室の椅子に、文楽は腰を下ろす。
一緒についてきたフェレスも、立った姿勢のまま、付き従うように彼の隣に並ぶ。
二人の正面に座った大柄な体格の教官は、机の上に数枚のレポート用紙を広げると、文楽に向かって探るように問いかける。
「このレポート、いつも唐変木なことばかり言うお前にしては、中々よくできてる」
「ありがとうございます……それで、気になることとは、一体何ですか」
「いや、このバラエティ豊富なレシピの数々に驚いてな」
軍は進軍しながら補給線を延ばすのでは無く、自力で食物を調達できるようにするべき。
文楽が提出した、そんな机上の空論じみたレポートには、「どう料理するべきか」といった具体案までもが詳細に書き記されている。
「お前が料理が得意だとは知らなかったぞ。しかも、作物の育て方まで」
「いえ、その……発案したのは確かに自分ですが、レシピや栽培方法を考えたのは、俺じゃありません。ほとんどフェレスが代わりに考えてくれたものです」
「ぶ、文楽さん、どうして言っちゃったんですか!?」
隣で満足げに言葉を聞いていたフェレスが、ぎょっとした表情で叫びを漏らす。
「自分でやったことにしてくださいとあれほど言ったじゃないですか!!」
「なんというか、その……俺はやはり、お前と違って、人を騙すというのが苦手みたいだ」
「ひどいです! 私が人を騙して平気な顔をしている人形みたいな言い方!?」
「いや、お前の数少ない長所の一つだ。これからも頼りにしている」
「え。えっと、そう言われると悪い気はしませんけど……えへへ」
平気な顔をしているかどうかはさておき、彼女は今も明確に嘘を吐いている。
人形知能とは本来、量子頭脳の中に生み出される機械仕掛けの自我だ。
フェレスは――〈メフィストフェレス〉の人形知能である彼女は、量子頭脳の中に生み出さた仮想の人格ではない。
今でこそ人形のふりをしているが、真実の彼女は普通の人間なのだ。補助頭脳となる量子頭脳と、仮装人形であると見せかけるための角。様々な処理を施すことで、自分が人形であるかのように見せかけながら生活しているのだ。
「自分に出来ないことは大人しく認め、人の手に委ねちまう。愛生の考え方は、至極真っ当だと思うぞ。衛生兵が突撃銃持って敵に突っ込まないのも、俺が向いてもいない銃後の仕事に就かないのも、役割分担って意味では一緒だ」
「……自分は、今回の課題を考える上で『地上部隊は戦場に出ず、食糧確保といった支援に回るべきだ』という結論に到達し、その前提でレポートを書きました」
「ああ、そうみたいだな。ちゃんと目を通させてもらった」
ただでさえ低い青田教官は、ぐっと声を低くさせると、圧の高い声で続ける。
「『地上部隊は役立たずだから、戦闘は操縦士に任せて引っ込んでいろ』と、そういう主張になっちまってるよなあ」
「はい。相違ありません」
青田は、元々地上部隊――つまり生身で武器を携え、硬い装甲を持つ機械の兵士たちを相手に戦ってきた歩兵の一人だ。
だが、戦場で重傷を負ってしまい、今は退役して訓練学校で教官の任に就いている。
そして、傷を負った彼が生き延びられたのは、一人の操縦士が包囲された彼らに退路を与えたからだ。
その操縦士は、≪蛇遣い≫という二つ名で呼ばれる謎の多い兵士だ。名も正体も知られぬまま、命を落とし英霊となった――と世間では信じられている。
「機甲人形に助けられて生き延びた俺が、とやかく言うべき話じゃないとは思うが、これは何というか、あまりにキツイ」
青田は言葉にどこか寂しげなものを滲ませて続ける。
「さっきの教授先生じゃないが、このレポートの内容を正規の軍人が見たら、怒り狂うか泡吹いて卒倒するかのどっちかだ」
「教官は落ち着いているように見えますが」
「俺は〝元〟だからな。もし現役だったら『ふざけんな!』って叫んで殴りかかっててもおかしくない。『戦場の主役は歩兵だ』って考えは、世界がこんなになっても未だに風化してないからな」
現在今まさに戦場で戦っている兵士たちからしてみれば、訓練生の若造に「役立たず」と罵られたようなものだ。
「ただでさえ地上部隊と操縦士は仲が悪いんだ。基地には、陸上部隊の予科も現役も大勢居る。滅多なことは言わない方が身のためだ……と、お前には言うだけ無駄だろうがな」
痛々しいほどの沈黙が続く中、文楽は至って冷静な表情のまま簡潔に応えた。
「ですが自分は、地上部隊だけがそうだとは思っていません」
「なんだと?」
「操縦士も結局は、〝機甲人形が万全に戦えるようにするため〟に存在する部品の一つです。機械に比べて壊れやすい分、消耗品と言ってもいい」
文楽の言葉は全くの事実だ。
万能兵器とも言える機甲人形が生み出されてから、人類側の損失は格段に減った。
だが、戦場で全く死者が出なくなった、というわけではない。
機体の方は無事なのに、操縦席をピンポイントで打ち抜かれて戦死する者。高すぎる機体性能に振り回されて命を落とす者。無防備な非搭乗時に対人兵器の餌食になる者。
人は、些細な切っ掛けで簡単に壊れてしまう。その脆弱さは、万能の兵器である機甲人形が唯一持たされた弱点だと言い換えても良い。
「機械に対して、機械である機甲人形だけが戦うような状況。教官の言う役割分担を更に進めるなら、それが人類にとって最善ではないでしょうか」
「いやいや、待て待て待て……昔の人間が、そうやって機械だけに戦争をやらせるようになったから、機械に裏切られたとき人類は滅ぶ手前まで行ったんだ」
文楽の隣で、従順そうな顔つきを浮かべて立ち尽くすフェレスに、青田はちらりと目をくばせてから潜むような声で言う。
「……人間が人形知能に見切りを付けられるような日が来たら、どうするつもりだ?」
「どうにもなりません。機甲人形が敵になれば、人類は間違いなく滅びます。だから彼女達に見切りを付けられないよう、人間は最善の隣人であるよう努めるべきです」
実際、「人類なんていつでも滅ぼせる」と豪語し、人間が自分に乗ることを許さないという、破天荒な性格を持った機甲人形も実在している。
しかも、世界で初めて生まれた、最強と謳われる人形が〝そんなもの〟なのだ。
人類はその危険性に気づいていないのではない。
気づかないふりをしているだけに過ぎない。
「少なくとも、食物を必要としない機甲人形に、いつまでも人間の食料を運ぶ手伝いをさせるのは良くない状況でしょう。そんなことで精神疲労を貯めさせたくはない」
「……つまりお前はアレか? 人形の機嫌を取るためにこの食料調達方法を考えたのか!?」
「その通りです。人間の機嫌より優先すべき問題です」
「お、お前という奴は、本当にわからんな……」
さらりと言い切る文楽の隣で、フェレスが申し訳なさそうに一言付け加える。
「あ、あのっ! 確かに私達は食べ物が無くても戦えますけど、美味しいものを食べられる方が、もっとやる気は上がると思います!!」
「なるほど、お前のモチベーション維持は安上がりで助かるな。他には無いのか?」
「これは、私だけかも知れませんけど……操縦士の方から褒めてもらえるのが、一番嬉しくて、頑張ろうって気持ちになれます!」
「そうか。だからといって俺は、評価の安売りをする気は無いがな」
「そうですね。文楽さんが褒めてくれるのは、本当に心から思っているときだけです。だから私にとって、とても大事な糧になります」
「……止せ。余計に褒めづらくなる」
気恥ずかしそうに返す文楽に、フェレスは一切の手加減なく純真な笑みを向ける。
あっという間に桃色で満たされてしまった部屋の空気に耐えかねたのか、青田教官がすっかり毒気を抜かれてしまった様子で咳払いする。
「なるほど、よく分かった。お前はどこか訓練生らしくないと思っていたが、やっとその理由が分かった」
「どういう意味ですか?」
「お前から漂ってくるのは、青臭い訓練生のものじゃない……一線級の操縦士が持ってる、乾いた砂みたいな匂いだ。なんていうか、枯れてるんだよ」
未来の操縦士である訓練生たちは、言わば一人一人が人類の守り手となるべき優秀な者達だ。入学するための試験や、満たすべき条件は他の兵科と比べものにならない。
だから訓練生の誰もが、エリートとしての自意識やプライドを持っている。自分は選ばれた人間なのだと錯覚してしまう。
そんな自尊心は、戦場に出れば粉々に打ち砕かれ、戦場の泥濘と砂埃に塗れてしまうものだが、文楽の考えはそういった過程を全て飛ばして成り立っている。
「お前みたいな考えの持ち主に会ったのは、別に初めてってわけじゃない。〈ベルゼブル〉の操縦士に会ったことがあるが、そいつも似たようなことを言っていた」
「〝暴食〟の〈ベルゼブル〉――≪七つの大罪≫の四番目ですか」
≪七つの大罪≫とは、造形師ゼペットが生み出した七体の人形知能のことを指してそう呼ばれる。ゼペットは人形知能というシステムそのものを考案した科学者であり、彼の生み出す人形達もまた、一筋縄ではいかない個性的な自我を各々持たされている。
人形にとって確立された自我とは、人工知能を汚染する現象【ゲーティア】に対抗するための、唯一の防壁であり、その存在が機体と操縦士――ひいては人類を守護している。
≪蛇遣い≫もまた、そんな七体のうちの一体を委ねられていた、操縦士の一人だ。
海蛇の悪魔の名を取った機甲人形、〝嫉妬〟の〈リヴァイアサン〉に乗っていたことから、彼はその二つ名で呼ばれるようになったのだ。
「お前は一体、どこでそんな匂いを染みつけてきたんだ? 俺はお前の担任だっていうのに、学長から何も聞かされてない」
文楽が本来の素性と正体を隠し、訓練生をやっているのはそれなりの理由がある。
訓練学校を卒業して、正規の軍人として軍に入り直す――それが、戦場に戻る最短で最善の方法だったからだ。
知っている人間は、訓練学校の学長と、隣に立つフェレス。そして、信頼できる友人と認めて自ら明かした桂城留理絵ぐらいのものだ。
「なあ、愛生文楽。お前は、どこから来た何者なんだ?」
「俺が、どこから来た何者か――」
そんなモノ、分かるのならば自分が知りたい。
与えられた名前も、歩んできた場所も、数知れず存在する。だが、どれが最初の名前で、どれが最初の場所だったのか、自分ですら知る由もない。
上手い言い逃れを考えるどころか、問いかけの意味を深いところに投げ入れてしまって、深い思考の沼に足を取られてしまっている。
「おい、どうした愛生? 顔色が悪いぞ」
「あの、実は文楽さんは、幼少の頃の記憶をなくされているんです」
心配そうに問いかけた青田教官に対し、きっぱりと言葉を返したのは隣に立つフェレスだった。
「戦場で軍の方に助けられて、孤児院で過ごされたとお聞きしています。きっと、教官さんの仰っている戦場の知識は、幼心に学ばれていたんではないでしょうか」
「……なるほど。両親が居ないとは聞いていたが、そういう事情だったか。悪かった愛生、今後はお前にこの話題はやめておくことにする」
「いえ、構いません。ですが、今の説明で信じていただけたんですか」
「当たり前だろう。【誠実の鼻】のせいで、人形が嘘をつけないのはお前も知っているだろうが。疑ってどうする」
「……ええ、そうでした」
フェレスの見事なフォローで疑いを免れた文楽は、どこか睨むような目つきで〝虚飾〟の二つ名を持つ人形を睨み付ける。悪魔のような逆巻き角をはやした人形の少女は、自分の数少ない長所を誇るように誇らしく笑い、小さく舌を覗かせた。
一般的に人形は、【誠実の鼻】と呼ばれる倫理規則によって、嘘をつくことを人格造型の段階で制限されている。人類の命令に従わないことは許されてもなお、嘘はそれより重く許されざる罪なのだ。
だが、〝虚飾〟の名を持つ特殊な人形――フェレスは、唯一嘘をつくことを許されている。それを良いことに、彼女は事あるごとに人間を謀るのだ。
すっかり悪魔が板についてきたな、と文楽は心の片隅で思う。
「それで教官。用件は以上でしょうか」
「ああ。全く、教官ってのは大変だ。桂城も剣菱も手が掛からない良い生徒だったのに、お前が来てからというもの言動が日に日におかしくなってやがる」
「先ほど向き不向きという話をしていましたが……青田教官は、今の教官という役割を、受け入れているんですか?」
文楽自身、後方という環境で全く違う役割を演ずる自分を、始めは受け入れられないまま日々を過ごしてきた。
だからこそ、同じように戦場を退いた彼が、どうやって自分の状況に折り合いをつけてきたのか、先達の言葉が気になってしまう。
「俺は……あの日≪蛇遣い≫が助けてくれたおかげで、生き延びることができた。だから死んじまったあの人の代わりに、何か人類のために出来ることがしたい。後続となる操縦士を育てるって仕事は、そういう意味じゃ願ったり叶ったりだな」
「もし怪我をしなければ……例えば、≪蛇遣い≫がもっと早く教官を助けていたなら、今も戦いを続けていたんじゃないですか?」
「多分そうしてただろうし、きっとお前の言うように大した戦果も上げられず無駄死にしていただろう。あの頃はそれしかないと思ってたが、こういう道が見つかったのは悪くなかった」
「……そうですか。それは、良かったです。本当に」
文楽は、心の底からほっとため息を吐く。
郡河基地に転校してきた季節外れの訓練生、愛生文楽――そのかつての名を、人類の英雄と呼ばれた伝説の操縦士≪蛇遣い≫。
世間では死せる英雄と言われているはずの彼は、こうして愛生文楽という新たな名と、フェレスという新たな愛機を手に入れ、新たな生きる道を選んだ。
死せる英雄は、今ここで、確かに生きている。




