§3 HEART TO HEART(1)
文楽が郡河基地訓練学校に転入してから四日目の朝。
彼が住んでいる宿舎の一室には、朝っぱらからフェレスの元気な声が響き渡っていた。
「おはようございます文楽さん! 素敵な朝ですね」
文楽はベッドに潜り込んだまま、不機嫌そうな表情でフェレスをじっと見つめている。
「……どうしてお前がここに居る」
「どうしてって、文楽さんを起こすためです」
「誰がそんなことを頼んだ……ふわぁ」
大口を開けてあくびをした文楽は、ごろりと寝返りを打ってフェレスに背中を向ける。
「お前にはお前の仕事と場所があるだろ」
「私の仕事と場所、ですか?」
「大人しく格納庫に戻って、必要なときまで待機していることだ」
「ひ、ひどいです! 暗くて寒い格納庫に一人でじっとしてるなんて耐えられません!」
現在は仮装人形で人間と寸分違わぬ同じ身体をしているが、彼女達の本体は巨大人型兵器、機甲人形なのだ。文楽もフェレスのことを、見かけに左右されることなくそう認識している。
涙声になって反抗するフェレスに、
寝ぼけ眼を擦りながら呟きを漏らした。
「まったく、文句を言うな。あいつだったら――」
「文楽さん? 『あいつ』とは、どなたのことをおっしゃってるんですか?」
「……いや、別に。なんでもない」
文楽は大きなあくびと共に言葉を濁して、再び布団を被り直す。
あいつなら――レヴィアならば、文句一つ言わず自分の格納庫で大人しく寝ていたものだ。それどころか、むしろ文楽がレヴィアの所に忍び込む方が多かった。
前線に居た頃、眠れない夜はいつも、テントを抜け出して〈リヴァイアサン〉のコクピットで眠りについていた。いつゲーティアの襲撃を受けるか分からない環境では、操縦席以上に安心して寝られる場所なんてどこにも無いのだ。
文楽は追憶を辿りながら、まどろみに身を委ねて瞼を閉じ体を丸める。完璧に二度寝へ向けた移行態勢であった。
「ちょ、ちょっと文楽さん! だから寝ちゃ駄目ですってば!!」
「いいかフェレス、万全な体調の維持は兵士の重要な務めだ」
「今の文楽さんは訓練生です! 学生さんの務めは勉強と早起きです!」
「だが、いざというときに備えて休眠は取れるときに充分取っておくべきだ。というわけで、敵が来たら起こしてくれ」
「敵なんてどこに居るんですか!? ここは平和な後方の基地なんですよ! ただお布団から出たくないだけですよね!?」
フェレスは頬を膨らませて、文楽が被っている布団を無理矢理引き剥がそうとする。
意地でも布団から出ようとしない文楽は、必死に頭を捻って説得の言葉を考える。
「そうだな、フェレス。お前もここで寝てみろ。そうすれば俺の気持ちが分かるはずだ」
「え、ええええっ!! 文楽さんと一緒にですか!?」
「いや、一緒にと言ったつもりはないが……」
「文楽さんと添い寝……添い寝っ!?」
フェレスは真っ赤になった両頬に手を当てて、なにやら一人で悲鳴を上げている。
文楽の冷淡なツッコミなど、全くもって聞こえていない様子だ。
数十秒たっぷりフリーズしてから、ようやく復帰に成功したフェレスは拳をぐっと固く握り締めて言った。
「いえ駄目です! そんな誘惑には負けません!」
「……ちっ」
「ほら、起きなきゃだめです。朝ご飯が冷めてしまいますよ」
これがレヴィアだったなら上手く丸め込めたものだが、フェレスは彼女に比べて自制心が強いらしい。人それぞれ、もとい〝人形それぞれ〟ということだろう。
布団を引き剥がされた文楽は、渋々と言った表情で小さなテーブルの前に腰を下ろす。ちゃぶ台と呼んでも差し支えないような質素なものだ。
テーブルの上には、きちんと盛りつけられた料理の皿が並んでいる。文楽が寝ている間にフェレスが用意してくれた朝食だった。
「まったく……朝食の用意なんて人形の仕事じゃない。俺はお前に、家政婦をやれだなんて命じた覚えは無いぞ」
「お言葉ですが、私は飾って楽しいお人形じゃありません。訓練以外でもお役に立ちたいんです」
「確かにお前を飾ったところで楽しくはならない」
「ひ、ひどいです!! そんなことないです!!」
「……じゃあ一体どうしろと言うんだ」
涙目で抗議するフェレスを適当にあしらって、文楽は用意された朝食に淡々と箸を付け始める。テーブルに並べられた献立は、芋と根菜の煮物に味噌汁とご飯、そして数種類の漬物。湯飲みに注がれた熱い煎茶が、料理の隣でゆったりと湯気を立てている。
文句の付けようもないほどに純和風だ。
異国情緒溢れる西洋の給仕服を着込んでいるくせに、料理のラインナップがあまりに郷土的だ。別にパンが食べたかったなどと言うつもりはないが。
「このお漬物、文楽さんに召し上がっていただきたくて一週間前から漬けておいたものなんです。どうですか? お気に召していただけましたか?」
「どうですか、と聞かれても……いや、悪くはないんだが」
人類の英知を結集して作られた最高の兵器たる機甲人形がぬか漬けをおいしく漬けられることに、一体何の意味があるのだろうか。
西洋風の給仕服を着た仮装人形がぬか床をかき回している光景は、想像するだけであまりにも奇妙だ。
「あの、お口に合いませんでしたか? 難しい顔されていますけど」
「いや、悪くはない。だから困っている」
文楽は難しい顔つきを浮かべながらも、休むことなく箸を進めている。
今まで口にしてきたものと言えば、穀物を機械で圧縮したような糧食か、現地調達した獣肉を焼いただけの原始的な食事ばかり。
孤児院に居た頃ですら、食料の供給が滞っている南部では芋ばかりの食事だった。
たった一回の食事に、二皿も三皿も料理が並んでいるなど異様な光景だ。
戦場に戻る日が来たとき、前までの食事に物足りなさを感じてしまわないだろうか。そんな不安を心のどこかに覚えながら、文楽は箸を進めていく。
全ての皿が空になったところで、フェレスが恐る恐るといった様子で口を開いた。
「あの。ご迷惑でなければ、明日からも準備いたしますが……」
「……お前のしたいようにすればいい。迷惑ではない」
「ありがとうございます! 私、文楽さんのお役に立てるよう頑張ります!!」
「戦闘で頑張ってさえくれれば、俺はそれでいいんだが」
呆れ声で呟いて、文楽は湯飲みに注がれた煎茶をずずっと啜る。
人形知能とはあくまでも戦場での僚友、共にゲーティアと戦う同胞であって、操縦士の世話をする給仕や家政婦ではない。ましてや人間にとって都合の良い道具でもない。
そう思うからこそ、甲斐甲斐しく自分の身の回りを世話しようとするフェレスの厚意を、どう受け止めていいのか文楽は分からなかった。
「まあ。腹も膨れたことだし、もう一眠りするか」
「ダメ人間すぎです文楽さん! 学校はどうされるんですか!?」
文楽は暗鬱な表情を浮かべながらぽろりと言葉を零す。
「……なんかもう、学校とか面倒くさい」
「ちょっ、ただの本音じゃないですか!? せめてもっとごまかしてください!!」
フェレスに力尽くでベッドから引きずり下ろされて、文楽は渋々椅子に座り直す。
「確かに文楽さんほどの技術をお持ちの方であれば、訓練生として一から操縦を学ぶのが億劫に感じられてしまうお気持ちも分かります。ですが――」
「いや、そういう問題でもない。事態はもっと深刻だ」
文楽が弱音を吐いてしまうのには、いかんともし難いある理由があった。
そもそも文楽達訓練生が授業を受けるのは、一週間の内の六日間。その内の三日間は基地内にある施設で戦術論などの座学を学んだり、操縦の実地訓練を行ったりする訓練生としての授業。あとの三日は、一般学生と一緒に学校へ通い学生として普通教育を受けることになっている。訓練生とはいえ、四六時中機甲人形の操縦訓練ばかりしていればいいという話でもないのだ。
「確かにこの後方でなら命の危険は無い。だが、戦局としてはむしろ絶望的だ」
「せ、戦局?」
「一応、分数の計算までなら理解できるんだ……だが彼我の戦力差を見誤っていた。あの文字式というやつは一体何なんだ? こちらの有する戦力ではあの敵を突破できる有効な攻撃方法が見つからない。負けると分かっている戦いに臨む必要はない」
「ぶ、文楽さん……お勉強、苦手なんですか?」
「簡潔に言うとそうだ。苦手というか、そもそもしたことがない」
堂々とした口調だが、表情そのものは青ざめている。
地方からやってきた転校生として訓練学校に入ってからの三日間。文楽の頭を悩ませていたのは、人間関係だとか身柄をうまく隠すことだのではなく、まず授業についていけないという問題だった。
「南部では普通教育なんて、高官の子息みたいな限られた人間しか受けられなかった。俺のような孤児は、強制的に軍へ放り込まれるのが普通だ」
孤児院を出てすぐに戦場へ送られた文楽は、教育と呼べる制度の中に身をおくのがこの数日が初めてだった。孤児院にも勉強を教えてもらう時間はあったが、教育と呼べるか否か微妙な最低限度の範囲だけだ。
「しかも訓練生は、操縦士になった時点で尉官としての階級が与えられる都合上、最低限の士官教育を受ける必要がある。操縦技術だけではなく、戦術学や戦史研究、兵器技術まで学ばなければならない」
「でも戦略などでしたら、経験豊富な文楽さんはお得意なのでは?」
「いや、まず学ぶ意味が分からない。ゲーティアが存在しない時代の戦術をいくら学んだところで今の戦場では全く意味をなさない」
「えっと……ではどうして、学校に通わないと操縦士になれないんでしょうか?」
「それは俺が聞きたい」
強いて答えを上げるとすれば、〝意味のない命令でも疑問を持たず従う〟人間を選び出し、自分のような疑い深い人間をふるいにかけるためではないだろうか。微かな反感と共に文楽はそんなことを考えてしまう。
食器の後片付けをしながら、フェレスは楽しそうに笑いを漏らした。
「……でも、なんだか安心してしまいました」
「どういう意味だ?」
「だって、英雄だなんて呼ばれたほどの方なのに、勉強が苦手だったり学校に行きたくないと愚痴を零してみたり……なんだか普通の男の子みたいです」
「な、なんだと……?」
文楽は驚いた表情で目を見開くと、問い質すような口調でフェレスに言う。
「他の訓練生たちも、同じように学校なんか行きたくないと思っているのか?」
「えっ……驚きの意味がよく分かりませんが、同じ考えの方はたくさん居ると思います」
「ではなぜ皆、学校へ大人しく通うんだ……後方の人間とは、こうも考え方や文化に違いがあるのか。理解できない」
「世の中は理解できることの方が少ないんですよ。ほら、それより早くお着替えにならないと、学校に遅れてしまいます」
フェレスは文楽の腕を掴んで彼を立ち上がらせようと必死に引っ張る。だが、まだやる気が足りていないのか、一向に動く気配がない。
とうとう諦めて手を放したフェレスは、困った表情をしながら目を伏せる。
「もう、文楽さんおっしゃっていたじゃないですか……今日は機甲人形の操縦訓練があるから、やっと鈍った勘を取り戻せるって」
「そういえばそうだったな。よし、学校に行くぞフェレス」
「あっ、あれ!? 今、いつの間に玄関まで移動したんですか! っていうか、いつの間に着替えたんですか!?」
「速やかな発進準備は操縦士にとって基本的な技能だ」
「そんな『どうだ凄いだろう』みたいな顔されましても……」
さっきまでの気怠げな表情はどこへやら、実に凜々しい表情だ。フェレスは思わず苦笑を浮かべて、一緒に部屋を出ようといそいで片付けた皿を水切りに並べる。
「文楽さん。機甲人形の操縦ができるのが、そんなに楽しみだったんですね」
「そういうお前はどうなんだ。飛べるのが嬉しくはないのか?」
「え? えっと……」
今にも玄関から飛び出しそうになっている文楽を追いかけながら、フェレスはたどたどしく答える。
「文楽さんに乗っていただけるのは嬉しいです。でも、不安の方が大きいです……『上手く飛べるかな』とか、『文楽さんのご期待に添えるかな』とか」
「心配する必要はない。俺が上手く飛ばしてやる」
「た、頼もしいですけどなんだか怖いです……!!」
妙なやる気に満ち溢れた表情で、文楽は宿舎の自室を飛び出す。
不安げな表情を浮かべるフェレスもまた、文楽の後を追うのだった。




