不倫相手が○○さんなら、された方も本望だよね、という主張について
芸能人の不倫報道でたびたび出てくる意見の一つとして「お相手が○○さんなら浮気された方も本望ではないか」「それはもう仕方ないのではないか」という筋のものがあります。
これについて、ふと僕は疑問に思いました。別に不埒者めと責めようだとか、そういうことではありませんけれど。
僕個人としてはこの意見には納得できません。彼女いないけどもし彼女がいて浮気されたとして相手がとても立派な人で周りが「○○さんなら仕方ないよね」とか言ってても「はぁ?」としか思わないし、カリスマ性のある人間であればモラルを逸した行動をしても許されるってのならそれはもうカルト宗教とかと変わらないんじゃないかっていう気持ちもします。
しかし一方で、こういう意見に納得する人もいます。だからこそそう述べるコメンテーターもおられるのでしょう。納得できませんが、しかし一方で、だからこそ疑問に思うのです。つまり、自分の配偶者を取られたとしても、お相手の方が立派であれば、それはもう仕方ないなと思える人たちの心理という物は一体どういう物なのだろうかということです。
納得できる人とできない人とでは、どこらへんが違うのだろうか。
自分の配偶者を奪われるというのは、人生を運営していくにあたって、決して無視できないダメージです。関係構築に費やした多大な時間は、まさに自分の人生そのものと言えるでしょう。配偶者を奪われるというのは人生を奪われるということと同義です。自分の人生は奪われるためにあった、ということであり、自分の人生は○○さんへ捧げられるためにあった、ということだからです。
納得できないのは、僕が自己中心的な人間だからかも知れません。僕が上のように思えないのはつまり、カリスマ性のある人と出会う機会すらない引きこもりのニートだから、ただそれだけの話なのかもしれません。皆が皆そうではないでしょうが、僕の場合はその可能性も十分あります。
要するに、社会に揉まれなければ理解できない成熟した考え方なのかもしれません。
しかし一方でやはり、カルトじゃねぇかという思いもぬぐえません。たかが人間ごときがそれこそギリシャの神が如く振舞うのをよしとするような風潮は、それはそれで、はっきり言って不気味です。
もしかしたらこの社会とは、それ自体が一種のゆるいカルトなのかも知れません。そんな社会で揉まれるということはつまり、ある種の洗脳と言えるのではないでしょうか。
と、ここまで書いておいて何ですが、つい今しがた飽きました。このテーマに飽きました。
だってよくよく考えてみたら僕みたいなゴミ、どうせ一生、結婚もできねーし、関係の無い話だよなぁ、とそういう結論に行きつきましたし、何より書いていてみじめな気持ちになっていく自分をひしひしと感じていたからです。ごめんなさい。そしてさようなら。
ごめんなさい寝れないのでやっぱり続けます。加えて言えば、これはエッセイではありますが僕の日記という側面も強いので無駄な文も削除せず続けます。僕はカスだし、こんな垂れ流しの日記を一々加筆修正するのも面倒くさいので。
僕はゴミです。生まれてきてごめんなさい。
彼女なんてできたこともありません。無理です。何より顔が不細工だし、きしょいからです。僕のユーザーIDは1243682です。これはつまり、なろうには僕が入会した時点ですでにそれだけのユーザーがいたということです。しかし僕はこの1243682人の中で一番きしょいし頭も悪いです。なぜなら僕は便器のカスであり、情けない雑魚のウジ虫だからです。
こんな、捕らぬ狸の皮算用と言いますか、ありえないリスクについて考えるような文章を書くことは、とてもみじめかつ愚かな行為に思えてなりません。
頭隠して尻隠さずとはこのことかも知れません。裏切られる心配をするより前に、無能な人間には、信じる人すらいませんしね。
関係ないですけど、高速道路の下ってかっこいいですよね。柱が均等に整列しているあの光景なんですが、ストイックな感じがするので僕はよく写真に撮ります。もし生まれ変われるなら高速道路の下になって、高速道路の下のように生きたいです。
僕はゴミだし、ドブのような性格をしているので、もし大っ嫌いな人が配偶者に浮気されたなら、「お相手が○○さんなら仕方ないよね~」つってイラつかせてやりたいです。被害者が責められるって最高じゃないですか。理不尽というのは最高のエンターテイメントだと僕は思うのですよ。
嘘ですやりませんそんな酷いことしません。第一、引きこもりニートの僕に既婚者の知人なんているわけありません。
そういえば、僕が中学生だったころの同級生が今アイドルをやってるんですよ。多分皆さんも知ってるグループのメンバーです。という非常にくだらない、芸能人と会ったことあるんだぜ自慢をしてみたり。
今、日本には浮気ブームが来ていると思うんですよ。エロ漫画界におけるNTR物の活況や、週刊誌による数々の報道などを見ていると、やはりそうとしか思えません。
ネットに多く書き込まれる、浮気に対する反発も、ある意味ではブームの裏返しではないかとも思いますし。
いやはやしかし、こういうことを言う人がいるんですよ。つまりですね、昔はもっと大らかで、それゆえ活気もあった。今の奴らは何だ。俺らはずっと破天荒だったぞ。今は時代が許してくれない。狭苦しい世の中になったものだ、破天荒なやつが出てこなくて、今の時代はつまらない、と。
しかし僕は思うんですよ。時代に保証されなければ実行できない破天荒さなんて、そもそも破天荒とすら言えないのではないかと。そんなものを僕らは破天荒と呼んで支持できるだろうか? 無理ですよね。
要するに彼らは、僕らにお膳立てしろと言ってるんですよ。一から十まで用意してあげて「さぁ、破天荒にやってください!」と言ってやって、そして彼らに実行していただくなんていう、ふざけた手順を踏んで、そうして生まれた破天荒さとやらを破天荒と呼んで愛せと、そう言ってるんですよ。
見方を変えればその発想そのものが破天荒と言えますし、今の世の中も昔と変わらず、十分破天荒ですよね。
僕は何を書きたかったのだろうか。目的なんて無いのかも知れない。なぜならこれはくだらない日記であり、くされニートの愚痴である。
この世界は夢なのかも知れない。今眠ってる本当の僕は、一流商社に勤めるエリートなのかも知れない。僕がキーボードを叩いてるこの世界、それそのものがVRであり、仮想の世界なのかも知れない。僕は作られたアバターであり、その操作主は、ミドルクラス出身のイケメンなのかも知れない。そうだ、きっとそうに違いない。そうでなければありえない。
疲れたので寝ます。僕は今から眠り、そして真の現実で目覚めます。夢の世界の皆さま、それではさようなら。ごきげんよう。僕はミドルクラス出身のイケメンです。しかも二重まぶたであり、顔も小さいです。さようなら。