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ハロー、ヒーロー&ヒーロー  作者: 紺屋 十一
5/8

1 日輪町4

 棗家の食卓には白米に味噌汁に焼き鮭、レンコンのきんぴらと、それらを囲む三人の姿があった。

「信じられません……藤子おばさんがこんなことをするなんて……」

「そおう? 私は昔からだいたいこんな感じだったけど」

「それは……そうでしたけど」

「否定はしてくれないのね……」

「無理でしょ、それは。実際またやらかしてんだし」

「やらかしてないわよ! 息子へのささやかなプレゼントだって言ったじゃない!」

「ささやかじゃないよ! 倫理的にも法律的にも! 犯罪だぞ!」

「あ? あんた母さんにそんな口きいていいの」

「いえ、マイマザー! マイロード! 感謝しております!」

「よろしい」

「よろしくありません……」

「でもコタ、その写真はさすがに消しときなさい。犯罪臭がすごいわ。あとニヤニヤしないで、気持ち悪い」

「立派な犯罪だよ! ……え、なに? ニヤニヤなんかしてないよ」

「正直ホントまじキモイわよ」

 高太郎はアルバムから写真を消去すると、宝物の失われたスマートフォンをポケットにしまった。これ以上夏希の前で醜態を晒すわけにはいかない。意識してキリリとした表情を作る。クラウド上のバックアップデータから写真は復元できる。この事実を悟られてはならない。

「で、なんでうちに夏希が?」

「今度盆踊りでしょ? お志よ」

「お志って?」

 高太郎は夏希に顔を向ける。こういうところが抜けていると藤子は息子の甲斐性を憂いる。

「その、お祭りの、開催資金を恵んでいただけないかとお家をまわらせてもらってます……」

 申し訳なさそうに俯く幼馴染を見て高太郎は母を睨む。返す目線には「自業自得だろ」という文字が書かれていた。

「そんなふうに無警戒でやって来るもんだから、つい悪戯心そそられちゃって。素直な子だから、後ろ向いてって言ったらすぐ向いてくれたし、腕にロープ巻きつけても抵抗しないし」

「まさか友達の母親に縛られてベッドに転がされるなんて誰も思わないだろ……」

「あんたのこと考えればそう不自然なことでもないでしょ」

「どういう意味だよ」

「ほら昔、さくら組のときあんた『なつきちゃんペットにするー!』っつって」

「うーーーわーーーあーーーー馬鹿馬鹿変なこと思い出させんなよ! 夏希もいるんだぞ!」

「は? 馬鹿?」

「マイロード!」

「え? なに、藤子さん、いまなんて」

「夏希! 気にしなくていいから!」

 こんなこと昼にもしたなあ、と深い怒りとともにしみじみする高太郎。

「聞こえなかったよね?」

「え、は、はい……。よく分かりませんでした」

「それでいい」

「でも懐かしいわね。いつ以来かしら、夏希ちゃんがうちでご飯食べてくれるなんて」

 夏希の表情がこわばる。その話題は夏希と高太郎、二人にとって非常にデリケートなものだった。

「そ、そうだね。懐かしい。夏希はきんぴら好き?」

「は、はい」

「なに誤魔化そうとしてんの?」

「なんにもしてみゃい!」

「みゃい?」

「ない!」

「あんたほんと誤魔化すの下手ね。まあいいわ。なんにも進展してないってわかったし」

 二人して俯く。図星であることを二人ともが理解していた。食卓どころか、こうして顔を合わせることすらも二年半ぶりなのだ。最後に話した二年前から、二人の関係はまったく改善されていない。

「じゃあ別の気になってること。夏希ちゃん、霞切燈燈丸はいまどこに?」

 夏希はなぜかさらに身を縮める。

「七坂神社の……本殿に」

「それは模造品でしょ。本物は?」

「……蔵の中です」

「誰も使っていないの?」

「あれ以来、父はあれを持ち出そうとしません」

「ま、それもそうね。彼はもう神格を失った身だし、純粋な人間でもない。自分では扱えない神器をそう簡単に持ち出すはずがないか」

「はい……」

「あなたは使えないの?」

「私ではまだ神格が低すぎて……」

「ユウちゃんは?」

「可能だとは思いますが……。あれは七坂神社にとっての切り札です。簡単に手放すとは思えません」

「あんな国宝級の宝剣を腐らせとくなんてね。もったいないことよ」

「……もう昔のような、妖狩りの時代ではありませんから」

「それもそうね」

「……」

 藤子が湯呑みを傾ける。夏希は深く俯いている。その沈黙を高太郎は好機と受け取った。

「……カセツトウトウマルって?」

 母のため息はマリアナ海溝よりも深かった。

「なっ、なんだよ」

「あんたねえ……はあ……」

「なんだよ! ……夏希?」

「……霞切燈燈丸は七坂神社の御神体です。文化財としての重要性は……主に神社本庁の働きかけがあって認められていませんが、パンフレットや教科書にも載っているはずです……」

「フハハハ!! 無知を晒したな! 棗高太郎!」

「なんで煽ってくんだよ!」

「恥ずかしい、これは恥ずかしいわよー! 夏休み赤点まみれの補習まみれなのを自分からバラしていくなんてねー!」

「このババア……!」

「あ?」

「マイロード!」

 高太郎の心はすっかり王国騎士だった。

「高太郎君、夏休み、補習なんですか?」

「う、うん……いやでもちょっと! ちょっとだけ!」

「地理と数学と近隣種歴史学って成績証に書いてあったけど」

「もおおおお!」

「そう、ですか……」

 高太郎は内心で地団駄を踏んだ。夏希に落胆されると分かっていれば勉強に力を注ぐこともやぶさかではなかっただろう。二年ぶりに話したというのに、このままではいいとこなしだった。

「大丈夫だよ! ユウと空に勉強教えてもらってんだ。宿題もすぐ終わるし、補習もテストで良い点取ったら終わりだし」

「そう……」

 もちろん口からでまかせだった。可能な限り先延ばしにしたい。あわよくばやりたくない。

 そんなことよりもはるかに重要なことがある。

「ごちそうさま! 僕夏希送ってくる!」

「え、でも私、悪いです。もう遅いし……」

「それなら余計にじゃん」

「なに? あんたにしては気が利いてるじゃない」

「うっさい」

「頼りない奴だけど、いないよりはマシでしょ。それでいい、夏希ちゃん?」

 夏希の中にはかなりの逡巡があったようだった。

「あの……いえ、じゃあ……高太郎君がいいなら……」

「決まり。行こ、夏希」

 田舎の夜は暗い。女の子が一人で歩くには安全とは言えない。たとえそれが普通の女の子でなかったとしても。

 家を出ると虫の音と静寂が身を包む。日輪町の夜、最も大きな光を出すものは郊外のコンビニで、最も大きな音を出すのは鈴虫と蛙だった。ずさんな工事とトラクターによって端から崩れかけている細道を無言で歩く。気をつけていなければアスファルトの割れ目に足を取られかねない。スマホのライトだけが視界をゆらゆらと頼りなさげに揺れていた。

「夏希」

 呼ぶと、僅かな緊張が二メートル後ろから伝わってきた。

「ちょっとだけ、話せない?」

 食卓からここまで、夏希と一度も目線が合っていないことに高太郎は気づいていた。

「……話すことなんてありませんよ」

「あるでしょ。二年分。その前の話も」

「もう気にしてないって言ったのは高太郎君じゃないですか」

「そう言ったら夏希はまた僕と話してくれるようになると思ったんだ。それなのにもう二年も経っちゃった」

「そんなことできません。本当は今日高太郎くんのお家に行くのも、そんな資格は私には無かったんです」

 それでも町内で棗旅館だけが夏祭りに出資しないというのは問題だ。伝統も、評判もある。跡取りとはいえ夏希の一存でそれを穢すわけにはいかない。本当なら高太郎に顔を合わせなくても済むよう早めに旅館を出るつもりだったのだろう。それが藤子の予定外の行動でこうして話す羽目になってしまった。

「私はもう、昔みたいにあなたと話すことはできません。許されないんです」

「僕が許すって言ってるのに?」

「それでもです。あなた以外にも、許しを得なければいけない相手が大勢います。藤子おばさん、あなたを慕っている友達のみんな、神様、それに、私自身にも」

「それは僕の気持ちより大事なことなんだ」

「そうは言っていません。でも……」

「じゃあ」

「でも少なくとも、このまちの正義が私を許しません」

「それは、警察のこと?」

「いえ」

 本当は高太郎にも分かっていた。

「桜間ユウです」

 桜間ユウが許さない。たとえ神が許そうと、夏希自信が許そうと、傷つけられた高太郎が許そうと、このまちの正義が許さない。絶対的な正義の権化が、感情や時間によって犯した罪を曖昧にする行為を許さない。彼女は、罪は贖罪によってのみ贖われるものだと固く信じている。しかし今のこの国に夏希の犯した罪を許す機構は存在しない。そして輪をかけて悪いことに、夏希の罪は桜間ユウの罪でもあるのだ。

「それでも……僕はもう嫌だよ」

「すみません」

「すみませんじゃなくってさ……!」

「すみません……」

 まるで今、彼女はその言葉しか持ち合わせていないのだというふうに繰り返す。そして実際そうなのだろう。彼女は今も三年前の罪に囚われている。そこから抜け出す術はない。はっきりと、高太郎から見ても理解できるほど厳密に、彼女は行き場を失っている。

「それに、あなたと会えない理由はそれだけじゃないんです」

 そう言うとき、夏希の声が僅かに震えたように高太郎には聞こえた。

「もう私は、昔のような私ではありません」

「どういう意味だよ……」

 言うと、夏希は驚いたように身を引きつらせた。

「すみません、話しすぎました」

「なあ、そんなのってないだろ。夏希!」

「すみません、とにかくもう、私には関わらないでください」

「なんで、おい、説明しろよ」

「……ここまでで結構です」

 見ると、七坂神社の明かりが木々の向こうから覗いている。目の前の坂を登れば本殿の裏手に出る。そこは色見野家の裏庭でもある。追いかける理由は見つけられない。

 早足に背の高い小さな背中が遠ざかっていく。呼び止めることが、高太郎にはできなかった。

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