1 日輪町2
「でもコウちゃんには荷が重いと思う」
自分が常々考えていたことに衒いもなく言及されて、高太郎は知らず身を倒した。畳の凹凸が頬に縞を作り始めるが、起き上がる気力はない。
翌日。
近隣種歴史学の補習を終えた高太郎は空の家に身を寄せていた。
座敷に鎮座する四つの辺を囲んで、右には部活を終えて涼む空と、正面には学年トップの成績を有する天才児が黙々とシャープペンを動かし続けている。
「桜間……それを高太郎に言っちゃいけねえよ……」
「でも、事実」
「事実かどうかは問題じゃなくて、高太郎には自信が必要なんだ。旅館を継ぐって決心する踏ん切りが」
「虚栄で思い切ったところで、いい結果にはならない」
「桜間はほんとうに現実家だな」
「ただの事実」
「そうなんだけどな……。さすが正義の味方は言うことが違うねえ」
「わたしはそんなんじゃない。みんながそう呼んでいるだけ」
「そっか」
「わたしは正義そのもの。わたしが正義」
「……」
「冗談を言った」
「それは分かってる」
「面白かった?」
「俺が笑えなかったの見てたよな?」
「人は見かけによらない」
「そういう問題じゃないと思うがなあ……」
「コウちゃんだって、あんな女の子みたいな顔してるけど、女の子が大好き」
「それは……」
「事実」
「間違いねえけど……、高太郎が溺愛してんのは女の子全般ってより……」
「わたし」
「分かってんのかよ!」
「うええ……。そうなのコウちゃん……。キモチワルイ……」
「勝手に引くな! 勝手に決めつけんな!」
「お、復活か?」
事実を言い当てられたことに加えて幼馴染に気持ち悪いと明言され高太郎のライフはゼロだった。頬に食い込んだ畳が勝利の咆哮をあげる。
「いい加減起きろよ。勉強進まねえだろ」
「無理……ユウにキモチワルイって言われた……ショックで起き上がれない……」
「事実」
「まあ……事実だな」
「空までそんなこと言うのかよ!」
「あ、起きた」
頬にはばっちり畳の刻印が刻まれていた。
「じゃあ聞くけどよ、今日ここに桜間を連れてきたのは誰だ?」
「空が呼んだんでしょ」
「そうじゃなくて、補習が終わってからもう真っ昼間なのにまだ家で寝てる桜間を起こしに行ったのは誰だって話だ」
「それは……僕だけど……」
「で、蒼山荘の経営で忙しいお袋さんに代わって昼飯を用意したのは誰だ?」
「僕だけど……」
「寝癖のついたままだった桜間の髪を整えてやったのは誰だ?」
「僕……」
「風呂に入れて、服を着替えさせてやったのは?」
「それはさすがに僕じゃないよ!!」
「桜間、ほんとか?」
「服を出してくれたのはコウちゃん」
「うわあ……」
「自分で掘り下げといてマジで引くなよ!」
「いやだって……。それはねえよ……。中学三年の男女だぜ……」
「昔からこうだったんだよ! ユウがこんなんなんだから仕方ないじゃん!」
自分の無能さに言及されたユウが両手で机を叩いていたが、高太郎は無視した。
「そこまでしてさあ、溺愛してねえはねえよ」
「そこまで言ってないだろ! でも気持ち悪いは心外だ!」
「ところで桜間の今日の髪型、なかなかキマってるな」
「でしょ!? 夏だしやっぱり後ろを結って上げてみたんだ! いつものボブもかわいいけど、うなじが見えるこういうのも夏っぽくて最高だなって僕は」
「コウちゃん、キモチワルイ……」
「あれえ!?」
半眼で幼馴染を睨みつけるユウ。ため息をつく空。涙目で俯く高太郎。
こうして貴重な勉強時間は浪費されていく。
「ほら、やんぞ。近史学の教科書出せ」
「ええー! また近史? さっきまでさんざんやってたよ!」
「だからだろうが、お前のザルな脳みそが忘れねえうちに叩き込むんだよ。だいたいお前も近隣種だろうが。これ不得意でどうすんだよ」
「そんな……だって僕には関係ない話だし」
「ほんとうにそうなのか?」
空は、既に宿題の続きを始めているユウを目で促す。
「それは……確かにユウも近隣種だけど……」
「それにお前の、あの意中のもう一人の幼馴染だって……」
「わーーーわーーー馬っ鹿お前あーーあーーなんか言ったか!?」
「今さら隠しても仕方ねえだろ……」
「コウちゃん、なに? 空君、なんて言ったの?」
「何にも言ってない!」
「高太郎、ゲロっちまったほうが楽だぜ。こんな狭い田舎じゃどうせ隠し通せる話じゃねえんだしよ」
「うう……」
「もう一人の幼馴染って誰? ここじゃみんな幼馴染みたいなものでしょ」
「それはそうだが、高太郎と特に親しい幼馴染って意味だよ」
「それって……夏希のこと?」
「ああああ……」
「意中って……そうなの、コウちゃん」
「全部聞こえちゃってるじゃん! 空のアホンダラーー!」
「あほんだらって……。でもまあいい機会じゃねえか。桜間にも相談に乗ってもらやあ例の計画もうまくいくってもんだろ」
「全部喋るなあお前!」
「空君、例の計画って?」
「ユウ、聞かなかったことにしていいから」
「そんなことできない。コウちゃんが困ってるなら力になりたい」
「いまユウのために困ったことになってるんだよ!」
「そうなの?」
「いいや、幼馴染である桜間にまで秘密にしてる高太郎が悪い」
「なんでそこまで言われなくちゃならないんだ……」
「まどろっこしい。空君。計画のことを教えて」
「はいよ、お姫様。……いいな、高太郎?」
「もう勝手にしてよ……」
「いいか、概要はこうだ。今度七坂神社で盆踊りがあるな? 不登校で神出鬼没の色見野夏希といえども、当然実家の手伝いともなりゃあ姿を現すだろう」
「それで?」
「……そこを俺達で囲んで、高太郎に告らせようって計画だ」
「……それって計画?」
「立案者は高太郎だ」
「コウちゃん……言いづらいけど、流石に計画がずさんすぎる……」
「めちゃくちゃはっきり言ってるよなあ!」
「だってこれは……。空君は賛成してるの?」
「俺は黙って従えって言われただけだ」
「コウちゃん……」
「うるさいうるさい! だってあの堅物の夏希だよ? 普通に告ろうと思ったって逃げられるに決まってる!」
「別に決まってはないんじゃ……」
「それに逃げ道塞がれて追いつめられたところに高太郎が現れるなんざ完全に悪役の親玉じゃねえかって俺は言ったんだよ」
「じゃあもうどうしろって言うんだよ!」
高太郎は開き直ることにした。
「僕は夏希が好きだよ! でももう二年と百五十二日もあいつと話してないんだぞ! このままなんて耐えられない!」
「二年以上も話してない奴から急に告白されたらどうだ、桜間」
「コウちゃん……キモチワルイ……」
「三回も言ったな! この! お前の髪なんかこうだ、こう! ……ふへへ……かわいい……」
「うわあ……」
空は若干高太郎から距離を取り、ユウの目からは輝きが失われていた。唇は真一文字に引き結ばれている。
「ていうか一日単位で覚えてるのがキモい」
「そりゃ……忘れらんない別れ方したし……」
「なんか言われたのか?」
「気持ち悪いって……」
「お前……もうそれ脈無くね……?」
「大丈夫! きっとあれだよ、ツンデレってやつ!」
「気持ち悪いに裏とか表とかあるか?」
「もうそんなこと言ってられないでしょ! 二年半も時間置いたんだから大丈夫に決まってる!」
「それ気持ち悪い奴のまま二年半たっただけだよな」
「え……じゃあ僕の二年以上の我慢は……」
「無駄だな」
「そんなああああ」
「まあ気概は買うぜ。こんな可愛い子が傍にいながら桜間にうつつ抜かさなかった健気さはすげえよ」
「……確かに、ユウはかわいい」
「そう、わたしはかわいい」
「でもこういうところがある」
「うん……?」
「僕は夏希みたいな奥ゆかしい子が好きなんだ」
「うん」
「有り体に言えばユウはタイプじゃない」
「ひでえ……」
「ひどい……」
その通りだった。
「だって、ごめんユウ。僕は夏希が好きだって、気づいちゃったんだ。そりゃユウは魅力的な女の子だよ。人格者だし、ユウの知り合いでユウを慕ってない奴なんかいない。それに顔もかわいい。夏希よりって言っても過言じゃない。世界一だ! でも、それでも僕は夏希が好きだって、気づいちゃったんだ……。……ごめん!」
「謝ることじゃないよ。コウちゃんがわたしのことも十分大事にしてくれてることは分かってる」
「うん……」
「でもショック……」
「うええ、ごめんよユウ……」
「この心の傷はお菓子でしか癒えない……。そう、春峰堂のいちご最中でないと……」
「げえっ、よりにもよって賀川んち!? 陽子んちで妥協しない?」
「その言い方は喫茶CoCoに失礼」
「だって春峰堂のいちご大福って四個で二千円くらいするじゃん」
「じゃあ半分はコウちゃんと空君にあげる」
「なんで空に五百円も払わないといけないんだよ!」
「勉強教えてやってんじゃねえか。妥当だろ」
「ぐう……」
「地域振興だよ、コウちゃん」
「ともかく本番は盆踊りの夜だ。それまでにもちっとまともなプラン考えとけよ、高太郎」
バツの悪さからか高太郎は俯いてしまう。散々妄想とも言える推敲を繰り返してきたものの、いざ計画を実行に移すとなると話が違う。
「それかせめてそれまでに好感度上げとけ」
「それができてりゃ苦労しないよ……」
「ま、そうだわな」
「ヘタレ」
「ヘタレじゃない! 慎重なだけだ!」
「好きに言ってろ」