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ラプラスの魔物 第二魔物 弓道少女と戦闘狂

これは、御手洗蓮花がくる少し前の話。彼が決別しようとした、そしてそれに無意識の内に手を貸した、弓道少女のお話。

「……眠い。」

神無月はぱちぱちと鳴る、落ち葉と薪の混ぜ合いが燃えている隣で呟いた。神無月らしくない、その一言。袴をだらしなく着て、神社の縁側にだらりと寝ている。周りには刀やら術やら弓やらが散乱していた。周りには少し深い茂みがあり、風がさらさらと音を奏でる。

「…はぁ。」

神無月はちろちろと燃える薪を見る。秋晴れの空に煙がどんどん上がって行った。そんな須臾しゅゆだった。

「おい。」

神無月目掛けて飛んできた矢が、もたれていた柱に刺さる。神無月は少しだけ咎める声を出して、矢を引っこ抜くと、近くにあった弓に番え思いっ切り引く。誰が何処にいるかなんて、もう分かっていた。

「きゃぁぁぁだぁぁぁぁ!」

奇々怪々な悲鳴を上げて、誰かが尻餅をつく音が聞こえる。

「煩いぞ。餓鬼が。」

神無月は疎わしそうに言った。頭を欠いてむくりと起き上がると、悲鳴があった方をみる。そして、声が続いた。

「あんったねぇ!巫山戯てるの!?」

「巫山戯てるのは貴様の方だ。」

だからと言って、と茂みから少女が現れた。濃紺の髪を一つにして纏めて、如何にも勝気そうだ。その少女の手には、弓がある。

「アンタねぇ!あたしの特訓を邪魔しないでくれる?あたし、すっごく忙しいのよ!アンタみたいな一般人に時間を割いてる暇無いの!」

「その割にはこの神社に的を仕込む余裕はあったようだなぁ…。」

神無月は薄く笑い、近くの煙管を吸う。白銀の髪が、風に流れていく。少女は驚いて言った。

「な…どうしてあたしが仕込んだ事を知ってるのよ!…もしかして、つけてたんでしょ!警察呼ぶわよ。」

益々神無月は笑う。その妖艶な雰囲気に少女は少し下がった。

「昨今の餓鬼はそういうのが好きだな。まぁ俺はお前なんざ興味が無い。1ミクロンも、だ。」

「い、いちみくろん…?」

少女がきょとんとしている。神無月が続ける。

「…そんな事も知らんのか。1ミクロンは10のマイナス6乗だ。」

ふぅ、と神無月は煙を出す。紫煙が辺りに立ち込める。少女は先程の威勢を取り戻して言った。

「そ、そんな事、どうでもいいわ!聞きなさい!的を返して!」

神無月は笑いを堪えながらぼろぼろになった的を返す。唖然としている少女を横目に、神無月は言った。

「いや、なぁ。丁度いい的があったから、俺も練習に使わせてもらった。…遠くから狙う練習は結構な事だが、俺を使わないで貰えるか。」

そんな正論に少女は圧倒される。しかし直ぐに粗探しを始める。

「その刀…銃刀法違反ではなくて?」

「申請してる。」

「じゃ、如何にも鋭利なその弓矢!」

「申請後。」

「払い屋で無くちゃ札は持てない筈よ!」

「特にそんなに決まりはない。」

「神主がそんなにだらしなくて良いの?」

「神主では無い。」

「せ、成人済みじゃないと煙草は出来ないわ!」

「成人済みだ。」

「人の物ぼろぼろにするなんて最低!」

「不法侵入者が言えるか。」

「それでも!」

「俺を殺しかけたんだぞ?」

「私が誰か分かっての所業なんでしょうね!」

「お前が誰かなんざ知らん。」

神無月が一拍置いて言った。

「終わりか?」

笑いを含んだ声を出す。まだ練習衣装を身にまとっている少女は、ギリギリと歯をかんで悔しそうにしていた。

「ま、まだまだよ!今日の所はここら辺にして上げるわ!感謝しなさいな。」

少女の去り際に神無月が言った。

「…絶対に、お前が行こうとしている先に行くな。」

「どうして知ってるのよ!やっぱりアンタ!」

神無月がギロりと睨む。

「な…によ、いきなり。どうしたのよ。」

直ぐに少女がふふんと鼻を鳴らす。

「アンタ、自分が抜かされるのが悔しいんでしょ!だから、」

「今日は雨が降る。」

紫煙はもくもくと立つ。神無月は少女の話を遮って言った。少女は心底莫迦にして言った。

「何言ってるの?今日は天気予報で稀にない晴天って言ってたわ!雨なんか降るわけ無いじゃない。」

神無月は何も言わずに縁側に座った。

「……まぁ、好きにすると良い。山は気候が代わりやすい。気を付けるんだな。」

少女は訝しげに顔を顰めると、たったと走って行った。神無月はその少女を笑って見送った。



少女ーーー求道居屋きどいや 蘭子らんこは、足を進めていた。余りの苛立ちに弓道の練習着のままで出て来てしまった事を、些か後悔していた。元々の発端はアイツらだった。蘭子の調子が少し悪くて、休んでいたら『サボり』などと言ったからだ。断じてやるのが大変だったと言う訳では無い。その後、『サボっているのを言われたくなければ山にいる妖を倒せ』等と言われたのだった。

「…ホンットに最悪ね。」

それを引き受けた後、何時も使っている神社で白銀の奴には怒られる。蘭子の頭は苛立ちでいっぱいだった。

「…うーん…どっかで聞いた事あんのよね…白銀で…赤色の目…。」

しかし、蘭子の目の前には、もう山がそびえ立っていた。

「よし!見返してやるんだから!」

蘭子は意気込むと、元気に山へと入って行った。立ち込める暗雲には気付かずに。



神無月は雨の匂いで目を覚ました。

「……雨か。」

じめじめと辺りが湿気ていく。薪もしゅしゅうと音を立てて消えた。

「はぁ…。」

一つため息を付くと、傍にある刀に問うた。

「…あれは何処へ行った。ええっと…確かちゃるな…?」

『チャイナです。チャイナガウンならば、本堂に置いてあります。』

刀は凛とした声で答えた。相手は玉龍。神無月は立ち上がると、何も無い本堂へ入る。あるのは、神無月に必要な物だけ。ぐしゃぐしゃになっている袴を綺麗に整える。端の方に置いてあるフード付きのワインレッドのチャイナガウンを着ると、縁側にある己の下駄と刀を引っ張る。

『…相変わらず、主は優しいお方です。』

帯刀すると、神無月は言った。

「…抜かせ。俺は仕事が増えるのが嫌なだけだ。」

『それでも、です。』

神無月はその答えに答えず、濡れた花霧町に出た。



「無理よ…こんなの、死ぬわ…!」

蘭子は山の一部に居る妖を、切られた大きな丸太から覗いていた。妖は、大きな平坦の土地にごろりと寝ている。剣獅子サーベルタイガーやら獅子やら鳥やら、色々の混ざり合いの妖が其処には居た。蘭子は震える手を誤魔化しながら、背中に背負っている弓に矢を番える。

「流石に…眉間を当てれば死ぬでしょう…!」

ぎりりと弦を引っ張り、後ろに足を踏ん張った時だった。

パキ。ペキペキ。

小枝が、タイミング悪く割れる。その音に妖は振り向いた。はっきりと、蘭子を見据えている。

「あ……あ…。」

蘭子はぼんやりと呟く。己の死の恐怖が目の当たりに感じて、逆に恐怖心が薄れていく。思いっ切り引いて放つが、どんどん妖が来ている。ただただ淡々と、静寂と。煩いのは自分の心臓だけ。冷や汗が滝のように流れ、水溜りが出来そうだ。投げ出した弓矢が、からんからん、と鳴るのと、ザアザアと楽しく鳴る雨が、蘭子の最後に聞く音楽だったーーー筈だ。

「…こんの…糞餓鬼…!」

その声は、死の恐怖を叩き斬った。蘭子は目の前に居る人間を見る。

「あ…あたし、死んだんじゃ無いの…?」

「死んだら痛いだろうが!」

声を上げた主は、神無月。さほど濡れていないチャイナガウンを蘭子に投げる。

「それを着ていろ。雨に濡れて死んでしまっては元も子もない。俺はお前の死体処理までやるのは嫌だからな。」

振り向かずに神無月は言った。蘭子はその様子をぼんやりと見ている。

「あ、なたって…もしかして…。」

蘭子は小さく声を上げると、思考を巡らせる。そうだ、父上に言われた、あのお話。

『白銀の髪を持ち、緋色の宝玉の瞳を持つ払い屋。己の事を払い屋と呼ばれる事を一段と嫌い、黒き刀を帯刀する人間。その余りの力から、昔から幽閉に近い状態で過ごしており、噂ではバケモノの息子とも呼ばれている。名だたる名家の息子で、名は確か…か…。』

「か…んな…つ…し…は?」

父親の言った言葉を、一つ一つ思い出して行こうとするが、どうしても切れてしまう。ああ、そうだ、忘れていたな。なんて父親は言った。

『その人は、戦闘狂で、戦う事を何よりも好むが、人が幸せに生きるのを見るのが何よりも好きだという、少々矛盾した思いがある。そして、戦うと目が爛々と光るそうだ。だから、だから、良いか。』


絶対に、喧嘩を売るな。


「あ…。」

蘭子は自分の失態を身に染みて感じた。彼処までおちょくったのだ。殺される筈なのに、殺されないと言うことは。根は優しい人なのか?妖の嗄れた声が聞こえる。

「ァ…ユルセェ…ユルセェ…」

後ろ姿しか見えないが、その姿はかなりの激昂を感じる。妖に向き、神無月は言った。

「黙れ。元々払うつもりだった。…それか、殺そうか。」

「タスケテ…コロスナ…!」

「許しを乞うなら最初からするな。お前は何人食った。そんなに美味いか。」

刀身揺らめく。神無月は少し息をつくと、一思いに叩き斬る。

「…今日は血の雨だな。」

蘭子の座って方にも、血が流れてくる。途端、透明の雨は、赤く濁った血の雨に変わった。神無月はぬらぬらと光る血を浴びている己の服をやれやれと言った感じで見ると、蘭子の方へ向かう。

「ひっ…。」

神無月は一段と低い声で言った。

「貴様ァ…!俺の仕事を増やしやがって…。」

刀を蘭子の鼻先に付ける。というか、刺さっている。

「だからあれ程行くなと言ったのに…明日行こうと思っていたのに…。 だのに貴様が…!」

「ひぃぃぃ!後免なさァァい!」

神無月は冷たい視線で見下した。

「…全く。阿呆が。」

少しだけ血が流れて来る鼻を抑えて、蘭子が言った。

「酷い…女の顔に傷を付けるなんて…。」

「貴様はじゃじゃ馬だろうが。」

「う、馬認定…!?」

「似たような物だ。」

神無月は服で刀を拭く。それを見て蘭子は叫んだ。

「ちょ、何してんのよ!良いわよ、あたしのせいだもの。弁償してやるわ。」

神無月はその声を聞いて、ポケットから領収書を取り出す。

「なら縁側の柱もよろしく頼んだ。」

「あんったねぇ…!」

神無月は息を付くと、刀をしまって山を下りる。蘭子はチャイナガウンに包まれながら言った。

「これ、どうするのよ!この上着!」

「チャイナガウンだ。好きにしろ。安物だ。血に濡れているから捨てるのが得策だが。」

じゃばじゃばと山道を神無月は下りる。呆気に取られている蘭子は急いで神無月の後を追う。

「良くそんなに綺麗に下りれるわね…!」

「仕事場だ。」

「う、わぁぁ!」

神無月は器用に蘭子を掴む。崖の上に蘭子は浮いていた。

「へ…は…。」

「…面倒だな。ほら、行くぞ。」

神無月は無造作に蘭子を置く。もう出口は直ぐ其処だ。

「着いた、な。」

蘭子は体を震わせながら言った。

「あ、有難う…。そのね、私の名前は…。」

「求道居屋 蘭子。だろう?」

唖然としている蘭子はまたもや続ける。

「ど、どういう事…なんで知ってるの…?」

神無月は真顔で言った。

「練習着に書いてある。」

蘭子は顔を真っ赤にする。

「じゃあな。」

蘭子は髪を抑えて暴風雨の中叫んだ。

「待ちなさいよ!アンタの名前は…!って…。」

蘭子が目を開けると目の前には誰も居らず、悲しいくしゃみだけが響いた。



「…うう…やっぱり今日、休んどけば良かったわ…!」

蘭子は学校で、そんな事を呟いた。途端に授業のチャイムが鳴り、HRが始まる。

「はい、皆ー席について。今日は少し報告があります。」

ざわめく教室。蘭子はぼんやりと空を覗いていた。

「最近、この辺りは妖が出没しています。その為に払い屋様を雇いました。学校の周りに人が居ても不安に思わないで下さい。それでは、払い屋様の頭領殿、神無月 白羽さんにご挨拶をお願いします。」

がちゃんと、扉を開ける音が聞こえる。姿を確認した蘭子は叫んだ。

「あ…あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「…煩いぞ、蘭子。」

「あ、アンタっ!昨日のヤクザ!」

「ヤクザでは無い。」

「銃刀法違反マニア!」

「申請済みと言っただろうが。」

「戦闘狂!」

「…そうなのか?」

「自覚無しなの!?有り得ないんだけど!?にしても…服装が違うわね。洋装なの?」

「こちらの方が良いだろう。じゃあお前は普段十二単を着るのか?」

「そういう事を言ってるわけじゃないわ!」

2人の気迫に負けて、教師も生徒も一言も言えない。教室が2人の言い合いになる。

「何で来たのよ。」

「妖退治。」

「そ。好きにすれば。」

「どうして其処まで上から目線なんだ。」

ふぅ、と神無月はため息を付く。そしてクラス全員に言った。

「…まぁ。そんな感じだ。妖を退治する迄、宜しく頼む。」

教師が仕切り直す。

「と、という事なので、宜しくお願いしますね、皆さん。」

蘭子の悪夢が今、始まる。



「だから、何で居るのよ!?」

「神無月さ〜ん!すっごぉ〜い!」

「それに比べて蘭子は…うふふ。」

いつもの事。同年輩の奴に苛められるのは慣れているのだ。猫なで声で神無月の周りには女子が当然の様に居た。神無月は蘭子に言う。

「良いだろう。俺だって鍛錬がしたい。」

「アンタは鍛錬なんかしなくても充分強いわよ。」

蘭子は頭をかくと、神無月が傍による。

「…勝負しろ。」

「はぁ?勝てないに決まってるわ。やめて頂戴。」

「お前が勝ったら一つ言う事を聞いてやろう。」

「乗ったわ。」

神無月が条件を言う。

「ルールはシンプル。此処に3本の弓がある。これをあの的に当てる。点数が付いてある奴だ。点数が高ければ高い方が勝者だ。」

「分かった。お先にどうぞ。」

「……そうか。」

神無月は弓を番えると、ばん、と心地のいい音を立てて端に当たる。次は蘭子の番。

しかし、端どころか、距離が足りないのだ。

「うわ…恥ずかしい…。」

くすくすと笑う女達。3人程でお茶会の様だ。神無月がまた弓を掴むと、今度は真ん中に当たった。

「わぁ〜!神無月さん、すっごい!」

そんな声を冷めた目で見つめる。殺気が辺りに立ち込めた。しかし、蘭子は振れずにまた射る。今度は端に当たる。またくすくすと笑っているのが聞こえる。流石に雑音だ。

「アンタ達ねぇ、さっきから」

「蘭子。」

その声に蘭子は振り返った。まるで、マリオネットの様に。ぴん、と。

「……何よ。」

「矢が折れた。」

「取って来いって言いたいの?」

「…其処にあるからな。」

蘭子は仕方無く矢を取ると、神無月に渡す。神無月は美しい姿勢で射るが、また端だ。3本目、神無月はこれにて終了だ。蘭子は息を吸う。そして、先程の怒りが嘘のように、顔は凛とした気品を称える。足を揃えて、後ろに回して、番えて。目には思考の色が全く見られず、透き通った水晶の様だった。蘭子の目の中に入った視界情報が、脳髄へ吸い込まれていく。体はそれに合わせて動き、最適解へと導かれる。思い切り引く。何時もの腕の痛みも、切り傷も痛まない。痛くない。何かが乗り移った様に、蘭子の頭は透き通っていた。厳かで仰々しい雰囲気は、辺りを圧倒している。蘭子は弦を離すと、鳴弦の如く音が響く。蘭子が気付いた時には、もう的に矢が刺さっていた。

「ら…蘭子がど真ん中射る…ですって?」

「有り得ないんだけど。一体どういうこと?どうせ不正なんかしてたんでしょ。」

蘭子はすくりと立ち上がると、品格が漂った面持ちのまま、蘭子は言った。

「好きに言うといいわ。あたしは真ん中に撃ったのだもの。逆に聞くけれど、貴女達は私が不正したなんて証拠はあって?」

すると、女達は返す。

「逆にアンタは自分が不正してないなんて言えるワケ?」

「言えないわ。」

「アハハ、やっぱ不正して」

けれど、と蘭子は返す。

「貴女達がお望みならば、あたしは幾らでも真ん中を射るわ。それに真ん中じゃなくて…。」

蘭子が的へと指を指す。

「真ん中を突き抜けているのだけど。それを何度もしていたら、弓道部の部費が凄く嵩んでしまうわね。流石に言い出しっぺが弁償する事になるでしょうけど。」

蘭子は荷物を纏めて言った。

「…もう今日は部活を終わりましょう。あたしが居ては貴女達も気が気では無いと思いますから。」

ギリギリと歯を噛んでいる女達を他所に、神無月と蘭子は外へ出た。暫く道端の砂の音で2人は黙っていた。神無月が喋る。

「…名演説だったじゃないか。」

蘭子は悔し泣きをしながら振り向いた。

「『名演説』、ですって!?」

ぽろぽろと雫が頬を流れて行く。蘭子は叫んだ。

「アンタ、手加減したでしょ!最低!」

あたしは、と続けていく。

「正々堂々が良いの!武士道が良いの!じゃなければこんな勝負要らなかった!アンタが勝負する時から、ずっと見てたの!上手く誤魔化したわね!最低よ!基礎も『出来るように』装ってた!本当に最低!」

嗚咽を上げながら、蘭子が叫ぶ。呆気に取られて神無月は呆然としている。

「良くわかったな…。」

「そういう事じゃないわ!…っとに…もう、ほっといて…。」

神無月は走って行く蘭子を見る。

「白羽様。」

「お前か。」

神無月は、何時も面倒を見てくれるあの人の声を聞いて、振り向かずに答えた。家族よりも長い間居てくれたあの人。

「…まぁ…淑女レディを泣かして…。どうするのです?」

「知らん。」

「そうやってまた意地を張る。白羽様が学校が終わると直ぐに帰ってくると言ったのに…何時もよりも1時間遅くなったので心配しに来てみれば案の定事件ですか。」

「…煩いぞ。」

神無月は睨む。しかし、あの人は全く顔色を変えない。此処まで慣れているのは神無月の周りでも数える程しか居ない。あの人は叱責する様に言った。

「白羽様。貴方様のその強情さと大きな親切さは時に大切なもので御座います。しかし、それを時に砕いて溶け込む事も大切な事で御座いますよ。貴方様はもう幽閉の身から徐々に離れていらっしゃる。ならば尚更の事で御座います。」

神無月が俯いて言った。己のした事を後悔するように。

「…俺は、どうすれば良い?」

あの人は直ぐに答えた。

「追いかけて下さいませ。そして謝って下さいまし。己の反省を示し、誠実を渡せば返さぬ者はおりません。返さぬ者はただの愚図で御座います。あの少女様が武士道を望んでいるのなら、尚更の事で御座います。」

神無月が深くため息を付くと、あの人に振り向いて言う。

「全くあのじゃじゃ馬は……。済まないな、今日は夕飯が遅くなる。」

「いつも通り、お待ちしております。早くお帰りにならないと、わたくしとて、寂しゅう存じます。」

神無月はくしゃりと笑った。

「何せあの幽閉屋敷は俺と数人の召使いしか居らんからな…。」

そう言って、走って行く神無月をあの人は見送る。そして言う。

「何時までも思い出します。貴方様が5歳の頃に、私は初めて会いました。とても気の強そうな、けれど精錬潔白な瞳を持っていて、少しだけ見た目が変わっているけれど、本当にそれは少しだけで…どうして旦那様も奥様もこの宝石の様なお坊ちゃんを愛さないのかと不思議に思った記憶です。」

目を伏せて、その人は続ける。

「色んな事がありましたね。きっとこれからも。……私が死の床に着くまで…貴方様の両親共々様よりも、守ってご覧に入れます。いえ、白羽様が守りそうです。私等が母親等、大変烏滸がましいですが……それでも、私は貴方様を愛しています。」

その人は、走って行く神無月が見えなくなると、屋敷の方へと帰って行った。



「蘭子!」

神無月は叫ぶ。彼処まで泣いていたのだ、幾ら何でも遠くまで行かない筈。

「くそっ…何処だ。」

辺りには妖気が立ち込めている。普通の人間ならば、ぶっ倒れてもおかしくない。

「…ふぅ。」

神無月は一息付くと、目を閉じる。神無月は、人間よりと言うよりも、妖よりの人間だ。だからそれぐらいの判別は付く。だが。

「妖気が濃すぎて何も見えん…!」

街の中でこれ程までに濃いのは初めてだ。悔しそうに神無月は歯噛みすると、蘭子を探す。

「蘭子!何処だ!返事をしろ!」

「…たす…けて…!」

何処かから、微かに声が聞こえる。どうやら、十字路に倒れている様だ。近くへ行くと正気を失った顔をした蘭子が居た。

「まわ…りの…人を…たすけ…て。」

神無月は鼻で笑った。

「…人間風情が何を言う。」

直ぐに神無月は蘭子を負ぶさると、妖気の薄い所で蘭子を下ろす。

「お前は走れ。大人を呼ぶんだ。」

蘭子は咳き込みながら答えた。

「この空気?で、誰も立ってられてないの。アンタはどうして此処に居るのよ。」

神無月は一拍置いて言った。

「…済まなかった。」

深々と礼をする。蘭子は俯いて言った。

「………何がよ。」

「お前に手加減した事だ。」

蘭子が少し涙声で言った。

「本当はね。」

神無月がその声で、顔を上げる。

「少し、嬉しかったのよ。」

きょとんとしている神無月を他所に、蘭子は言った。

「…あたしに、あの女共から救ってくれる機会をくれて。あれだけ集中出来たのは初めてだったのよ。でも、でも、正々堂々はとても美しい精神だと知ってしまったあたしには、貴方の手加減が、どうしても許せなかった。」

だから、と蘭子は顔を上げる。その顔は満面の笑みだ。

「…約束して。この謎の空気の原因が分かったら、あたしと正々堂々と勝負をする事。良いわね?」

神無月が面食らった顔で問うた。少し微笑んで。

「お前が負けるぞ?それでも良いのか?」

蘭子は意地悪く微笑んで言った。

「失礼しちゃうわね。あたしはアンタなんかに負けないわ。何たって強いもの。」

それに、と蘭子は続ける。

「……正々堂々と戦った後は、負けたって勝ったって清々しい物なのよ。」

神無月は少し考えた後、言った。

「『指切りげんまん』をしよう。」

「…指切り?どうして?」

「人間は約束する時、『指切りげんまん』をするんだろう?」

蘭子はくすくすと笑う。

「どうしてそんなに舌足らずなのよ。良いわ。しましょう。」

神無月は少しはにかんで答える。

「…俺は、使用人位しかした事が無いからな。」

「使用人…?」

蘭子はキョトンとしたまま、言われるがまま神無月と『指切りげんまん』をした。神無月は嬉しそうに笑う。

「これで、5人目だ。」

蘭子が驚いた顔をする。

「5人!?少なくなくて?」

神無月は言った。

「…そうだ、紹介が遅れたな。俺は神無月 白羽。とある払い屋集団の頭領の息子だ。昔から少し幽閉されて育ったから、外の世界に疎いんだ。」

蘭子が叫んだ。

「か、神無月 白羽って…!あの有名な…払い屋の、息子でしょ!?名前が出て来ないけど!というか、息子が居たのね…父上が言ってたけれど、ただの都市伝説だと思いったわ。」

神無月は笑った。

「あぁ…まぁあんまり俺の立場は良くない。だから、俺が生まれた事もあんまり知っている者も少ないんだ。知ってても悪い噂ばっかりだ。」

蘭子が歩きながら神無月に問う。

「5人って…誰が他にいるの?」

神無月が指折り数えながら言った。

「ええっとな…1人目は使用人だろ…2人目は幼馴染みで…まぁ、いい奴だな。ちょっと暴走癖があるが……3人目はその妹。金髪で可愛いんだぞ?で、4人目は俺の大切な人だった。けれど…いや、良そう。それで5人目はじゃじゃ馬娘だ。」

「なっ!じゃじゃ馬娘なんて失礼…。……娘が付いているから妥協して上げても良いわ。」

神無月が思い付いた様に言った。

「そうだ!お前、この空気の中に居ても大丈夫なのか!?」

蘭子が特に慌てるまでも無く答えた。

「え?慣れたわ。特に大丈夫だけれど…どうしたの。」

神無月は顔を顰める。

「此処で大丈夫だと、後が辛いぞ。この空気に慣れると普通の綺麗な空気に耐性が出来てしまう。まぁ、この後は良く休め。」

「はいはい、分かりましたよ。」

蘭子は仕方無さげに言った。その途端、目の前に人の姿が現れる。

「あ…!生きてたのね!?大丈夫ですか…!」

神無月は無言で蘭子の首根っこを掴む。

「待て!お前はあれが人の姿に見えるのか!?」

「へ?どう見たって人…じゃあ、無いわね。」

其処には、蘭子とそっくりな妖が居た。服も、髪も、色も、全て同じ。ただ一つ違うのは、負のオーラを纏っている事ぐらいだろうか。

「何…どうしてあたしと姿が同じなのよ…!」

こちらをじっと見詰めるだけで、妖は何も言わない。神無月が口を開く。

「…あれは、お前の負の存在だ。普通の人間は抱かないはず…俺も俺自身と会った事はあるが……よっぽど自分の境遇に恨むなどしないと現れないぞ!お前、何をした!」

神無月は蘭子に行った。慌てて蘭子は訂正する。

「違うわ!あたし、何もしてない!何も、何だって恨んでないわ!幸せだもの!」

『ウソツキ。』

前の妖が、口を開く。それも蘭子と同じ声で。頭がおかしくなりそうだ。蘭子がポツリと言う。

「違う…違う…私は…今の生活に…。」

『ウソツキ、ウソツキ。アンタ、ニゲタイ。』

「黙れ!」

蘭子が叫ぶ。神無月が渋る様に言った。

「…お前の負の存在は、お前の深層心理だ。だから、受け入れないと倒す事が出来ない。周りの人間も助からないぞ。」

蘭子が顔を真っ青にして答えた。

「もう…構わないわ…こんなの…受け入れてしまったら…あたし…壊れてしまうもの……。」

神無月は蘭子を担ぐと、妖から逃げる。山の霊気が漂う場所に、蘭子を下ろした。

「…蘭子、教えてくれないか。」

嗚咽を上げながら、蘭子は答える。

「…ひぐっ…何をよ…!」

「お前の過去だ。」

「知らない!本当に知らないのっ!」

神無月は息を付くと、呪文を唱える。

「…ふぅ。……汝、真実を求めし者。希求を望む者。瓶に水を入れし者、夜空を掬う者。」

ふわりふわりと金の線が起こって、次第に東洋式の魔法陣が起こる。

「何…これ…。」

何処からか集まった水が、神無月の前に鏡の様に現れる。

「……これは…。」

神無月は水鏡を眺めながら言った。

「蘭子。良いか。お前は過去に苦しい思いをしている。だが、それが余りにも辛すぎてお前の脳が思い出すのを拒否している。」

蘭子が涙を拭いながら言った。

「それを…思い出せば、あれは倒せるの…?」

「ああ。」

「アンタは、私の恐怖の理由を知ってるの?」

「知らない。俺はお前が辛い思いをした事しか知らない。」

「そう……なのね…。」

「教えてくれないか?一つ一つ、自分の記憶を思い出していくだけで良い。」

蘭子は泣き止んで、少しずつ考える。

「あたしは、お父さんとお母さんから生まれて…それで…弓道を始めたでしょ…?特に、辛い事なんて無かったわ。面倒臭いのは、あの女共だけ…。」

神無月が言った。

「…お前が弓道を始めたきっかけを教えてくれないか。」

「え?」

蘭子がきょとんとして答える。

「気が付いたら弓を持っていたわ。…あれ。」

「物心つく頃にか。」

「…え、えぇ。」

蘭子の様子が目に見えて変わる。神無月が問い質す。

「他に何かあるんじゃないのか。」

蘭子は頭を抑える。

「いいえ、無いわ、何にも無い。何にも、何にも無い。違う、あれは、父上があんな事、する訳ないわ!」

止まっていた涙がぽろぽろと流れる。

「そうよ…違う…やめて…ちちうえ…が…いやよ…。」

神無月が蘭子の背中をさする。

「大丈夫だ、蘭子。俺が居る。ちゃんとお前の話を受け止めるから、話してくれないか。さぁ、ゆっくりと息を吸うんだ。落ち着いて。誰もお前の話を疑ったりする奴は居ないぞ?」

「虐待。」

蘭子は反射的に声を上げた。

「…されてたのよ…あたし…いやだ…そんなこと、無いわ。違うもの…ねぇ…。」

神無月はとびきり優しい声で言った。

「蘭子。大丈夫だから。」

「そうよ…そうよね…。」

蘭子が思い出した様に言った。

「あたしは…あたし…は…良いのよ…もう、思い出しても…。あたし……売られたのよ…遠い国から…此処に…でも…とっても…幸せだから…忘れていた……余りにも…辛くて、忘れてしまっていたのね…あたし、本当はね、外交官になりたかったのよ…あ、たし…あたし…みんなをへいわに…したくて…!うっ…うわぁぁぁ!」

神無月が微笑みながら言った。

「蘭子。辛かったな。」

「うん…!あたし!辛かったの!ううぅ…!うぁぁぁ!」

蘭子は神無月に抱き着く。神無月は頭をなでて言った。

「全く…今日は泣いてばかりだな。」

「うるざい!」

神無月は優しく、言った。

「…辛かったな。辛かったよな。もう、泣かなくて良いからな。大切に思ってくれる人が、お前の周りには何人も、何十人も居るから。」

少しだけ蘭子は泣くと、涙を拭って立ち上がった。

「行かなくちゃ。彼奴を倒して、アンタと勝負しなくちゃならないもの。」

「…それでこそ蘭子だ。」

あたしの事あんまり知らない癖に、と蘭子は笑う。元の場所へと、2人は戻る。そして妖は言った。

『アンタ、ニゲタイ。』

「ええ!そうよ!知ってるわ!本当は弓道なんかやりたくなかった!腐っても自分の本当の親の傍で生きたかったわ!」

けれど、と蘭子は続ける。

「もうそれは叶わない。アンタだって知ってんでしょ?それに、あたしは『求道居屋 蘭子』だもの!その約束は永遠に変わらないわ。あたしはそうして生きていく。アンタにとやかく言われる筋合いなんて無いわね!」

びしりと蘭子は指を出して言った。神無月が腕を組んで笑う。

「今度こそ『名演説』か。」

「あながち間違っちゃあ無いわね!」

そういう訳で、と蘭子は言った。

「消えてもらえるかしら?アンタはあたしにとって恐ろしい程に邪魔なのよ!それとも、ねぇ!」

蘭子は相手を睨みつけて弓に矢を番える。

「射てもらうのがお望みなのかしら?」

『蘭子』は、懐かしく俯くと、微笑んで言った。

『アンタガソウスルナラ』

「えぇ、えぇ、構わないわよ!射て差し上げましょうとも!」

蘭子は弦を思いっ切り引くと、小声で言った。

「……あたしを産んでくれてありがとう、昔の父上、母上。あたしはとても幸せです。」

矢はびゅいん、と弦を鳴らして『蘭子』の胸に刺さる。『蘭子』は自分の胸に刺さった矢を不思議そうに見詰めると、笑って光の粒となって消えた。一気に霧が晴れて、ぐらりと蘭子はよろける。神無月が呆れて言った。

「だからあんまり動くなと言ったのに…。」

「失礼ね…!あ…でも…良かった…。」

蘭子はそのまま、ぶっ倒れた。



「…此処、何処。」

蘭子は巨大なベッドに1人、寝ていた。結っていた髪も解かれて、白いシーツに投げ出されている。一人にしては無闇やたらに広い。窓からは幻想的な風景が見え、何処か霧がかかっている。荷物と着ていた服は脇に置かれて居た。蘭子は時計へと手を伸ばそうとしたが。

「いたい…!」

手がビリビリと痛む。それでも蘭子は恐る恐る手を伸ばし、時間を見る。

「4時ね…。」

ベッドから足を出してスリッパを履くと、扉まで駆け寄って廊下を覗く。人は誰も居ない。ゆっくりと歩いて行く。廊下の突き当たりには、白銀の狐が居た。

「狐…?ふわふわだわ…。」

するりと蘭子の手から狐は離れて、主へと向かう。

「湖月。どうした?………あぁ、目が覚めたのか。」

其処には神無月が居た。蘭子の方を神無月の足の隙間から湖月は覗いている。

「案の定、狐ふわふわ作戦に乗ったな。」

「随分可愛らしい名前を付けるのね。」

「…悪いか。」

「いいえ。」

蘭子が一拍置いて言った。

「もう怪我は大丈夫だわ。家に帰ることにするわね。」

「怪我と言ってる時点で大丈夫じゃないだろう。」

蘭子がきょとんとしている。神無月が追加で言った。

「……俺はお前が両手首両足捻挫など一言も言ってないぞ。」

蘭子が口に手を抑える。

「あっ……いや、ね、今のは違うのよ。持病的な」

「一応。」

神無月が蘭子の話を遮る。

「医者には診てもらった。特に大丈夫だそうだ。その怪我を除いたらな。まぁ後は親御さんに連絡して迎えに来て貰うだけか。本当は泊まったら良いとあの人が言っていたが。」

蘭子が訝しげに問う。

「あの人?」

神無月が平然と答える。

「あの人は…俺の面倒を昔から見てくれている人だ。」

「…そんな人なら名前で呼べば良いじゃない。」

神無月が顎に手を付けて言った。

「俺も一応名前は知っているが…あの人は名前を呼ばれたがらない。」

蘭子が少し考えた後に、言った。

「…きっと要らないことだと思うけれど、その人の名前を教えてくれない?」

神無月が周りに人が居ないのを見計らって言った。

「××、と言うんだ。」

「聞こえないわ。何て言ったの?」

神無月は続けて言った。

「…××。」

「…やっぱり、聞こえないわ。何故なのかしらね。」

そんな蘭子を他所に、神無月は礼を言う。

「…素知らぬ振りをしてくれて、有難う。」

「あら、でも本当に聞こえないのよ。」

蘭子は不思議そうに言った。神無月が案じる様に言う。向こうからあの人が歩いて来るのが見える。ただ、遠くからだから少し小さく見える。

「なぁ…一つ聞かせてくれ。あの人は、見えるよな?」

蘭子は満面の笑みで答えた。

「勿論、見えるに決まってるわ。」

きっと、と蘭子は言った。

「あの人は、名前が存在しないのね。けれど、絶対に人間よ。あたしそう言うのは良くわかるもの。アンタが知った名前も、きっと幻想に過ぎないのだわ。」

神無月が微笑みながら言った。

「……ああ、全くだ。それで良いのかも知れないな。」

蘭子は最後に笑顔で言った。

「そ…そうだわ。あたしを寝かせてくれてありがとう。本当に回復出来たの。」

神無月も満面の笑みで答えた。

「それは良かった。」

すると、あの人が来る。

「御回復なされましたか。蘭子様。」

「ええ、有難う。」

その人は神無月をおちょくる様に言う。

「白羽様ったら、なかなか貴女様の事を心配していらしたんですよ。」

少し顔を赤くして、そっぽを向いて神無月は言った。

「煩い。余計な事は言わんでいい…。」

その顔を覗き込んで、蘭子は悪戯に聞く。

「なぁに?心配してくれたの?」

「死体処理までする暇はない。」

「素直に心配したって言えばいいのねぇ。」

蘭子はくすくすと笑う。その人は伏せ目がちに言った。

「それでは…蘭子様。ご連絡をしても宜しいでしょうか。」

蘭子が不思議そうに言った。

「構わないけど…どうして貴女があたしの家の連絡先を知っているの?」

神無月が腕を組んで答えた。

「…神無月の家はこの辺り一帯の地主だ。調べればどうという事は無い。それに、もう着替えろ。お前の事を心配している親御さんが飛んで来るはずだ。」

蘭子は疎ましそうに言った。

「うぅ…きっと叱られてしまうわ。」

目を細めて神無月が言った。

「それはお前が悪いんだろうが。それに……叱ってくれる人、飛んで来てくれる人がいる事を、有難く思え。」

蘭子は遠い目をして言った。

「…そうね。そうよね。すぐに着替えてくるわ!」

蘭子はばたばたと廊下を走る。あの人は神無月に言った。

「…やはり白羽様は人に好かれる人柄ですね。」

「やめろ。俺は薄情なだけだ。」

「人はそれを『淡泊で物に執着しない良い人』と認識するのですよ?これでもう少し女方に興味さえあれば…。」

神無月が呆れて言う。

「……俺は嫁など取る気は無いぞ?」

その人は言った。

「滄溟様と足して二で割れば丁度宜しいのに…。そう言えば、あの方のお顔を久しく見ておりませんね。黎明様も。あんなお可愛らしいから、きっと滄溟様も気が気では無いでしょうねぇ…。」

神無月がため息をついて言う。

「…俺が彼奴をこの屋敷に余り呼ばない理由を、教えてやろうか。」

「あら、お聞かせ下さるのですか?」

わくわくとして、その人は笑った。

「俺はこの屋敷の召使いが彼奴に連れていかれるのが嫌だ。」

「まぁ、と言っても、数人ですよ?それが一体、」

神無月は遮って気恥しそうに言った。

「俺は。知っているからな。」

「何をでしょう?」

「此処に居る召使い達は、俺の世話をしたいから召使いになった者を多いと聞く。」

「全て白羽様の人柄ですよ。」

「ねぇ、着替えたわ!」

蘭子のけたたましい廊下を走る音と、反対側からも誰かが走る音がする。

「蘭子!」

「父上、母上!」

神無月を挟んで会った3人は、顔をまじまじと見ている。神無月とその人は端へと下がった。

「父上…ごめんなさい。悪気は無かったのよ。」

父上と呼ばれた人物は、蘭子を抱き締める。後ろの女性も心配そうに蘭子を覗き込んでいた。

「良いんだよ、蘭子。もうお前が無事で何よりだよ。」

すると父親は神無月に向き直って言った。

「本当に、有難う御座いました。」

「…いえ、俺は何もしていませんから。」

神無月は蘭子に言う。

「さぁ、もう帰って休め。疲れが溜まっているだろう。」

有難う御座いました、と何回も蘭子両親に言われ、屋敷から出ていく3人を、神無月はぼんやりと見ていた。

「両親、か。」

「どう致しました?」

「羨ましいな…と。」

その人は一拍置いて言った。

「…直ぐに御夕食の準備を致します。」

そして、あの人は思い付いた様に言った。

「そうだ…!白羽様、明日の天候はどうなっていますか?晴れでしょうか。」

神無月は答えた。

「晴れだ。珍しいぐらいの晴天になるだろう。」

「…有難う御座います。それでは、お呼び致しますので、暫しお待ち下さいませ。」

その人が下がるのを、神無月は微笑みながら見ていた。



ぱちぱちと薪が燃える。神無月はそれを見て呟いた。

「苺。…俺はお前を忘れられそうにない。…え?どうしてそんな事を聞くのか?だと?…あの人にもうちょっと女方に興味を持てと言うんだ。酷いだろう。…だからだ。けれど、けれど、お前は幸せになれと言うのだな。…そう、だよな。」

そして一拍置いて言った。

「…恋愛、か。」

「来て差し上げたわよ!感謝なさい!」

蘭子のけたたましい声が聞こえる。

「…特に呼んでないぞ。学校に行け。」

「良いじゃない!アンタの人柄に惹かれて来てやってんだから!」

蘭子は薪の中にある白い手紙を見る。

「あら、このお手紙は?…ラブレターだったりするのかしら?」

「…まぁ、そんな所だ。」

蘭子が何かを察した様に言った。

「…そう……きっと届くわ。この手紙を毎回読んでくれているのでは無いのかしら?だからアンタは毎回送っているのでしょう。」

だーかーらー!、と蘭子は付け加える。びしりと神無月に指を立てる。

「そんな辛気臭い顔をしなさんな!ほら、笑って笑って!アンタは基本的に格好いいんだから!」

神無月が半ば呆れながら言った。

「…そう言うのは、男から女に言うものだろう。」

蘭子が反論した。

「アンタは賢いと言うのを女から男にしか言っちゃいけないと思うのかしら?」

「それはそれ、これはこれ、だろう。」

「良いじゃない!人生楽しければそれで良いのよ!」

蘭子が自分の時計を見る。

「いけない…!間に合わなくなっちゃう!行くわね。あと毎日レベルで此処に来てあげる。」

「ま…毎日…。」

神無月が頭を抑える。

「あら、嫌かしら?嫌と言っても来るけれど。」

「随分強引だな。まぁいい、暇潰しだ。」

蘭子は手をひらひらさせる。

「そういう事を言うからモテないのよ。じゃあ行くわね。」

茂みに颯爽と入るが、蘭子のコケる音が聞こえる。足音は遠くに消え、神無月だけがその場に残された。

「…あぁ、それでな。…え?可愛かっただと?騒がしいだけだろう…騒がしい位が丁度良いって…お前もなかなか言うな。」

神無月が少しの間の後苦しそうに言った。

「…俺は、お前を忘れる事にする。忘れられそうにないが、忘れる事にするんだ。お前の記憶は覚えておくから。お前が居たその時間は、俺が覚えておくから、だから、だから…忘れさせてくれないか。……こんな弱い俺をどうか許してくれ…。」

神無月は少し苦く笑った。何処までも、何処までも、薪の無情な音が辺りへと響いていた。

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