ラプラスの魔物 第二魔物 博聞強記と寡聞少見
神無月と朧の過去編で御座います!もちろん蓮花ちゃんと黎明ちゃんも出てくるので是非どうぞ!
「ねぇーえ!あのお屋敷はなーに?」
「あれはね、大元締め様のお屋敷よ。だから静かに通らなくちゃいけないの。わかった?」
「はぁーい!」
神無月はそんな声で目を覚ました。1人ではだだっ広い部屋と布団。時計は9時を指し、食事の時間が刻刻と迫っていた。
「起き損ねたか…。」
5歳とは思えない凛とした声と、寒すぎる部屋。カレンダーを見ると、自分の誕生日から間も無く1週間前になりそうだ。迫る10月27日は、誕生日。それは良いのだが、何かと行事ごとが面倒臭い。袴を着て走って、1人だけのリビングに向かう。召使い達が持って来た綺麗に焼かれたパンケーキを食べる。召使いの1人が神無月に話しかけた。
「『塾』は、何時もの時間で御座います。」
「……ありがとう。」
神無月は早く食べると直ぐに部屋に戻る。彼処まで気まずい場所はこの世で無いと神無月は自負していた。『塾』とは、妖の封印を教えてくれる、本格的な『学校』の予備の様なものだ。其処に産まれたと同時ぐらいの若さで神無月は通っていた。荷物を引っ張って神無月にしか知らない抜け道を通る。美しい湖が太陽に反射して辺りに宝石を鏤める(ちりばめる)。神無月がその風景に酔いしれていた時だった。
「調子乗ってんじゃねーぞ!この糞野郎!」
「具体的に何処が調子乗ってるのかな?あ、君より成績が良かったことを僻んでる?全く持って莫迦だなぁ。」
神無月がその嘲る声を聞いて建物の側からやり取りを見る。あの口達者な嘲り声は、自分とそれ程年齢が変わらない上に、相手は五つ程上の巷のガキ大将だった。その上周りには何人も取り巻きが居るのに全く怯まない。もしかしたら怯んでいるのかもしれないが、そんな素振りを一切見せない名役者だ。
「うるせぇ!」
「もうちょっと考えて言葉を言った方が良いよ?君のはタダの『悪足掻き』だから。ごめんねぇ、『悪足掻き』の意味分かる?教えて上げようか。」
口達者な男子はくすくす笑いながら相手を見る。神無月はぎりぎり顔が見えるか見えないかで、何かを持っている事ぐらいしか分からない。
「一々鬱陶しいんだよ!まだガキの癖して調子乗りやがって!」
「君も人の事言えないよねぇ。」
鈍い音が響く。口達者な男子が殴られた様だ。
「おい!此奴を叩きのめせ! 」
「了解……な、何だ此奴の目。気持ちわりぃ!」
別の取り巻きが声を上げる。
「ボス!此奴、目が濁ってやがる!どうする!」
「あ……?それぐらい。」
口達者な男子の声が響く。
「『それぐらい』何だって?」
「て、手を離せ!おい行くぞ!」
はぁ、とその男子がため息を付いて立ち上がるのが分かる。近くに散乱している教科書か何かを拾っている事も分かる。
「……今日も行くのやーめた。」
男子が反対側の道へ向かっていく音が聞こえる。完璧に男子が言った後に、神無月は現場を見た。血が数滴落ちて模様を作っている。
「……無視して行けば良かった。」
神無月はそんな事を愚痴りながら塾へ足を向けた。
「お帰りなさいませ。」
「ただいま。」
15時頃に神無月は家へ帰る。何時もは勉強を復習したりするのだが、どうしても今日はあの男子の甘ったるい鈍い声が頭から離れない。ガキ大将を軽くあしらった挙句、殺気に似た雰囲気を出すなど正気の沙汰では無い。
「本当は同い年では無いのかもしれないな……。」
荷物を放り投げて、ぼぉっと考える。そして神無月の瞼はゆっくりと閉じて行った。
「あ。」
神無月は鳥のさえずりで目を覚ました。 「この阿呆……!」
自分に向かって神無月は愚痴った。時計は9時。まだ同じ時間だ。
「また起き損ねたか……!」
だが幸いな事に、今日は休み。頭を抑えて神無月は起き上がる。
「……頭が痛い。」
換気をするために寝室から出て部屋の奥にある窓を開ける。此処には際どい薮があり、内側からは外側の風景が綺麗に見えるが、角度の都合上外側からは全く中が見えないのだ。
「今日はあの男子を探しに行くか…。」
そうやって扉を開けた瞬間だった。ガサゴソと薮が揺れる音がする。神無月は目を凝らした。
「おー!って此処、何処?あれれ……?」
あの、嘲り声と同じ声が辺りへ響く。神無月がその声の主へと声をかける。
「お前、迷ったのか。」
神無月はなるべく平静を装いながら相手に言った。
「うん!君は、此処にずっと1人で住んでるの?」
「まぁそんなところだ。出口だな?ずっと右へ行った先に小さな穴がある。其処から出ろ。」
相手の姿はあまり良く見えず、薮の中から声が聞こえる。
「有難う。……そうだ、君の名前は?折角だから教えてくれると嬉しいな。」
「……白羽。神無月、白羽だ。お前は?」
数拍の空きがあった後、相手は言った。
「僕は名乗る程の奴じゃない。じゃあね。」
神無月が最後に見たのは、紫色の髪の毛だった。
「おい!」
神無月の声は誰も拾う事が無かった。
日曜日にもあの紫髪の男子を探したが一行に見つからない。そして週がまた回る。月曜日がやって来た。そして、薄々諦めかけていた時だった。
「ねぇーえ、調子乗ってんじゃないの?僕は。」
「や、やめろ。」
「そんな声出して貰っちゃ困るなぁ。別に驚かせるつもりは毛頭無いんだけど。」
其処には巨大な裁ち切り鋏に血糊を付けたものを持っている紫髪の男子と、ガキ大将とその取り巻き3人を縄でぐるぐる巻きにされているのが見えた。そして裁ち切り鋏がガキ大将の首めがけて振り下ろされた瞬間だった。
「待て!」
神無月が鋏を手で抑える。血が飛ぶ。紫髪の男子は目を見開いて神無月を見据える。
「君は……あの。」
「た、すけてくれ!」
神無月は何時も持っている竹刀を抜くとガキ大将に向けた。
「勘違いするな。……おい、行くぞ。」
神無月は血で濡れていない手で男子を引っ張ると男子がやっと口を開く。
「あのさ、もう手、離してくれないかな?」
神無月は無視してずんずん進む。
「怪我させちゃったね。ねぇ、聞いてる?」
神無月は突然手を離すと紫髪の男子を睨みつけた。
「お前は彼奴等を殺すつもりだったのか。」
「そんなつもりじゃなくて。ただフェイントかけて逃げようと……。」
神無月がきょとんとした。
「…ふぇいんと?」
紫髪の男子が付け加える。
「あ……フェイントって言うのはね、見せかけの動作って事だよ。だから脅してそのまま逃げるつもりでさ。だから」
「態々その鋏に血糊を付けたのか?」
紫髪の男子は肩を竦めて言った。
「そうだよ……良く分かったね。因みにこの鋏と血糊は百均だよ。いやぁ、安くて有難かった。」
「……ひゃきん?」
男子は顔を顰めて言った。
「百均も知らないの?百円均一の略だよ。其処ではなんでも百円で買えるの。」
「そんな便利な場所があるのか。」
更に眉を顰める。
「本当に何も知らないの?ええっと…白羽君。」
神無月は髪を弄りながら言った。
「そうだな。おい、お前の名前を教えろ。呼ぶに不便だろう。」
紫髪の男子は口を尖らせて言った。
「別に良いでしょう名前なんて。」
「じゃあお前はずっと『お前』で良いのか。」
男子は苦虫を潰した顔をする。
「う…それは、嫌だな。良いよ。教えて上げる。」
「……そうやって上から目線から言うから苛められるんだ。」
神無月がボソりと言う。紫髪の男子には聞こえておらず、にこやかに笑って言った。
「恐らく君と会うのもこれきりだしね。僕の名前は朧月夜 滄溟。宜しく!」
神無月が今度は顔を顰める番だ。
「…おぼろづきよ、そうめい?変わった名前だな。朧月夜なんて。滄溟って言うのも何か変わっているしな。」
朧は笑って言った。
「……白羽君には言われたくないな。君は神無月だろう?かみなしつきなんて変わってる。」
神無月が得意気に笑った。
「俺の家は払い屋だからな。神が社に居ない10月に神社や寺を守るのが仕事だ。故に神無月だ。」
「白羽も負けず劣らずだね。でもカッコイイよね。しらはって名前。」
神無月が眉を顰める。
「…かっこいい?俺の名前が?」
きょとんとして朧は言った。
「言われない?」
「ああ。」
朧が今度は得意気に笑った。
「じゃあ皆『白羽の矢』って言葉、知らないんだね。」
朧が続ける。
「生贄って分かる?」
「分かるぞ。」
「じゃあ話は早い。古来より神様は生贄がだぁい好きだった。生贄を求める神様は、求める対象の女の子の家に『白羽の矢』を立てる。これが言葉の由来。」
神無月が言った。
「……それの何処がカッコイイんだ?」
朧は続ける。
「だけどそんな血腥い(ちなまぐさい)言葉、綺麗じゃないだろ?きっと誰も使わなくなる。皆はそんなつもり無かったかもしれないけど、神様は自分のしてしまった事を反省する為に、『白羽の矢』の意味を変えたんだ。」
神無月が朧の話を魅入って聞く。
「だから今は、『白羽の矢』の意味は、良い意味でも使われてる。……聞きたい?」
神無月がこくりと頷く。朧が言った。
「意味はね。『特別に選び出される』という意味。だから君は、何か特別な事に選び出されたんだよ!」
朧が手を広げて叫ぶ。神無月がぼんやり言った。
「……どうして、お前はそんなにも神の事を知っている?」
にこやかに朧は言った。
「違うよ。生贄と意味は本当だけど、神様の行は全部作ったの。神様はこんな気持ちだったんだなぁって。そう思って言っただけ。それだけだよ。じゃあね、白羽君。今日は止めてくれてありがとう!さようなら!」
朧は駆け出すと、あっという間に消えて行った。一言、神無月の言葉は空気に溶けて言った。
「……塾、遅れたな。」
「虎百合、ですか。」
「えぇ、坊ちゃん。」
「季節では無いでしょう。」
「そうですけれど、温室で育てた物で御座います。」
昼下がり、神無月は1人の召使いから渡された虎百合を見る。何時も、面倒を見てくれるあの人。
「そう、なんですか。」
その人は笑って言った。
「……虎百合の花言葉はご存知ですか。」
「知らないですね。」
神無月は短く言った。
「私を愛して下さい。……そして、私を助けて。」
「反対、ですね。」
「物事の大半は何時も反対ですよ。」
召使いは目を伏せて応えた。そう言えば、と神無月が続ける。
「父上と母上はいつお帰りになられるのですか。」
「誕生日までには。それまで『塾』もお休みです。ごゆっくりなさいませ。」
「有難う御座います。」
神無月は虎百合を側においてあった花瓶に入れると部屋に置く。
「…しばらく庭にも行ってないな。偶には行くか。」
神無月は自分の部屋の窓から下りると、薮に一気に突っ込む。この突っ込み具合が肝心でもし下手をしようものなら、怪我だけでは済まない。
「何とか…上手いこといったな…。」
誰かの鼻歌が聞こえる。
「…誰の声だ?」
違う、これは。
「思い出、か。」
女の美しい声が、当たりへ響く。巨大な蓮池の真ん中には、桃源郷にでも有りそうな小さな四つ柱の上に寺院の屋根の様な物が乗っかっている蓬色の建物がある。其処には霞みがかっていて、中国唐時代の衣服を着た誰かをあやしている。黒くて緑色にも見える黒髪が、四方八方に散って、向こう側には白銀の髪を持つ男が居る。
「…父上と、母上と、俺の、記憶。」
2度ほど瞬きすると、あっという間に消えてしまい、女の声も途切れる。変わりに誰かの足音が聞こえた。
「盗人か?」
神無月は蓮池を周り、その足音を追いかける。奥へと進むと、温室があった。ゆっくりと足を進める。
「うわ!これすっごい珍しい花じゃん!」
呆れて神無月は言った。
「…お前か。」
「あー!白羽君だ!」
朧が笑顔で振り向く。神無月が呆れて言った。
「お前…此処にどうやって入った?此処には守衛も居るんだぞ?一体どうやって?」
「んー…?白羽君のお友達です、って言って入ってきたけど?」
これからは守衛に言い聞かせなければならんなと、神無月は眉間を抑えた。
「まぁ良い。お前、此処で何してる。」
朧は立ち上がって言った。
「んー?実はね、少し探している植物があるんだ。曼珠沙華なんだけどね…。」
神無月が言う。
「曼珠沙華なら裏山に生えているだろう。其処から採ってくれば良いものを…。」
違うよ、と朧は声を上げた。
「僕が欲しいのは、貔貅の涙が落ちた曼珠沙華がほしーの!」
神無月は頭を抑えた。
「『貔貅の曼珠沙華』など1000年に1本程の代物だぞ?…それはさておき、なぜお前はそんな物を探している?」
朧が即答した。
「そんなの興味本位に決まってるじゃないか。」
「はぁ…。」
ねぇ!と朧は言った。
「一緒に探しに行こうよ!白羽君!」
「は?」
神無月は間の抜けた声を出した。
「…どうした?病院にでも行くか?」
「酷くない?」
神無月が呆れて話し始める。
「確かに、貔貅は破邪の神獣だ。その為世界中を周り、邪を食べていると聞く。そして貔貅の涙がかかった曼珠沙華は綺麗らしく、魔物を破り、主を守る。」
「すごーい!白羽君は何でも知ってるんだね!」
神無月はさも当たり前そうに言った。
「…次期当主だからな。これぐらいは覚えておかなくては。」
「それで続きは?」
神無月が驚いて言った。
「貴様何も知らずに探しに来たのか!?」
朧が淡々と答える。
「だからタダの興味本位って言ったじゃないか。」
はぁ、とため息をついて神無月は続ける。
「貔貅の話だったな…。特に獰猛性等はなく、人を見れば去る神獣だそうだ。……どうして涙を流すかどうかという理由は分かっておらんそうだが。」
朧が不思議そうに問う。
「…なんかさ、白羽君は今さっきから物凄く簡単に言ってるけど、それって文献の話だよね?」
神無月が言った。
「最近は神獣も動物の様なものらしい。絶滅危惧種の様なものだと。だから最近はカメラに収めることも難しくなくなってきているそうだ。」
「何その神獣詐欺感…。」
「さぁ…頻繁に出没するというのはいい事なのか悪い事なのか…。」
朧が悪い笑みをする。
「白羽くぅ〜ん!」
神無月は眉を顰めて言った。
「その声をやめろ…!」
「え?何の話?」
「自覚がないのか貴様…!」
神無月が朧を睨むが、朧は何の事だかきょとんとしている。神無月が立て直して話し始める。
「…ええっとな。その上今は裏山に『竜生九子』の一匹が来ているそうだ。名は確か…。」
「りゅうせいきゅうしって何?」
神無月が『竜生九子』の説明をする。
「『竜生九子』とはな、竜が産んだ九匹の子供の事だ。子供と言っても獣だぞ?それぞれ姿形も性格も異なってな、各々の性格に合わせた場所で各々の活躍を見せるんだ。」
そして神無月は続ける。
「因みに、親である竜になることはできなかったという。これを『竜生九子不成竜』と言うんだ。」
「白羽君は物知りだねぇ!」
げんなりして神無月は言った。
「…憶えなくてはならんと言っただろう。」
「そんな白羽君、だから一緒に探しに行こう!」
「嫌だと…おい!話を聞け!」
朧は神無月の手を引っ張って裏山に行く。存外力が強く振り解くことが出来ない。
「裏山は危険だ!」
「そういうのが男子のスリルでしょー?」
呆れて神無月は手を離した朧を追う。浅い川を下駄で渡って行く。
「はぁ…はぁ…お前…良く息切れしないな…。」
神無月の前には一面の曼珠沙華が咲き誇っていて、赤い毛氈の様だった。
「好きな事の前ではそんな事どうでもいいもの!」
朧はくるくる周り、花畑の中で踊っている。
「酔った…さぁ、探そう!何せ『貔貅の曼珠沙華』は全て宝石で出来ているそうだからね!」
仕方無く神無月は朧に付いて探す。
「見付かるとは思わんのだが…。」
「それは僕も同じだね!」
「そうか。」
一瞬、ぶわりと風が吹く。群生している曼珠沙華が美しく舞い、舞いきれぬ物は折れていく。
「綺麗だな。」
「これだけでも見に来たかいがあったもんだよ。あ、こっちはどうかな?」
朧が森の脇道に入っていく。急いで神無月は追う。
「待て!危ないぞ!」
森の奥深くまで来た時に、朧は言った。必死に神無月は朧を追う。ピタリと足を止めて、神無月は朧に言った。
「おい…!」
「大丈夫だって……ねぇ、どうしたの?」
「うるるるる…!」
「逃げろ!朧!」
朧の背後には、『竜生九子』の内の一匹、睚眦が居た。朧は何とか氷の礫を投げて、噛み付く攻撃を避ける。
「白羽君!あれ、何!?」
「睚眦だ!『竜生九子』の内の一匹…!そんな、事をはなし、ている場合、では無いだろ、う!」
朧が息を切らしながら言った。
「いちお、特性、聞いと、かなきゃ、たいしょ、できな、いでしょ?」
「睚眦は!殺しを好む!言語も理解する!だから…!」
神無月は一瞬背後を見て、巨大な山犬に長い牙が生え、毛皮の色が蒼い獣を見た。爪は鋭く鬣もある。山犬というよりも、獅子に似ている。
「別れるぞ!右に行く!」
「了解っ!」
朧と神無月は左に曲がる。睚眦は右に飛ぶと、滑りながら2人を探す。
「よく、分かったな!」
「んな事言ってる場合じゃないでしょー!」
睚眦の目が真っ赤に光り、とうとう激怒させてしまった様だ。
「うっわー…逆作用かい…?」
朧が一瞬止まって、先程よりも倍の礫を投げるが、それほどの力を持たない。
「白羽君、何とかできない!?」
神無月は常備している札を見る。が、今日買いに行くつもりだった為、札が数枚しかない。その上。
「俺は妖術が使えん…!」
「嘘でしょ!?」
目の前には崖。そして神無月が言った。
「幻影の術を使うぞ!」
「は!?僕はまだそんなの知らないんだけど!」
神無月は札を1枚取り出すと、数十m先にいる睚眦を見て言った。
「俺が…睚眦の額にこれをぶつける。お前は水蒸気の魔法は使えるだろう?氷の礫を出していたからな。」
「それは…出来るけど…でも!君が!」
「…安心しろ。そういうのは得意だ。その後はちゃんと避けろ。」
神無月は竹刀を取り出すと、睚眦にぶつかって行く。竹刀を立てて柄の部分に飛び乗り睚眦の上に乗ると、暴走の中額に札を付ける。神無月が転げ落ち、朧が辺りに水蒸気を撒き散らすと、睚眦は真っ逆さまに崖へ落ちて行った。朧がきょとんとした表情で瞬きしながら言った。
「…睚眦。倒せたの?」
転げ落ちた神無月は起き上がりながら言った。
「ああ。そうだな。」
そして無残にも散った竹刀を見る。
「…完璧に折れてるな…まぁ、これで命が助かったのなら、な。」
朧が堪えきれなかった様に笑い始める。
「うふふ…あはっはっは!だめだ!面白い!」
呆れて神無月は問う。
「…何がだ?」
朧は花畑に向かって歩き始める。神無月もそれについて行く。
「んー?だってさ!学校は莫迦どもばっかりだし、暇だし!でもこんな冒険なんてした事ないし、白羽君は賢いし!物知りだし、物分りは良いし。君と友達になれて本当に良かった!」
もう日が落ちて、月が上っていた。
「友達?」
神無月がぼんやりと問う。朧が不思議そうに返した。
「…友達じゃないの?」
神無月はくすりと笑って言った。
「いや、友達だ。」
綺麗な大きな銀の月が、曼珠沙華を照らしている。ふと、神無月が言った。
「あの、さ。」
「なんだい?」
月を見上げながら神無月は言った。
「俺の事、『白羽君』だなんて呼ばなくていいぞ。『神無月』で良い。」
朧も返す。
「じゃあ僕の場合はなるべく『朧』って呼んで!『お前』は無しで!」
「なかなか難しい問題だな。」
ずっと笑っていた朧の顔色が顔面蒼白になる。神無月がその理由を聞く前に原因が現れた。がっしりと朧の頭を掴んでいる。
「そ〜う〜め〜い〜く〜ん。此処で何をしてるのかなぁ?」
「あ…あ、あの、父上。それはね、あの、ね?」
朧に比べて透き通った声のする朧の父親、滄助は怖すぎる笑顔で朧を見ている。
「門限守れって言ったろこのアホ息子。」
「う…う…うん。そのね。」
「言い訳は無しだ。……君が、神無月君か。」
滄助が神無月を見る。
「そうです。俺が、神無月 白羽です。」
「礼儀正しくていい子だね。」
滄助が神無月の頭を撫でる。ざらざらと滄助の目に神無月の未来が映る。滄助は笑って言った。
「頑張って生きなさい。君には頼れる人が居るんだからね。…送っていくよ。」
「だ、大丈夫です、帰れますよ。」
神無月が慌てて言う。滄助が朧を掴んで言った。
「このアホがしてやらかしたアホな行為でまたアホな事が起こったら堪らないからね。」
「アホアホ言うな…!」
「何か言った?……それに。」
滄助は朧を掴んでいた手を下ろして前を見る。其処には睚眦が居た。神無月が言う。
「崖から上がって来たのか…!」
睚眦は唸って今にも滄助に噛み付きそうだ。だが全く滄助は動じない。
「…睚眦。この子達はお前が手を出して良い者じゃない。去れ。」
それだけを言うと、睚眦は恐る恐る下がって行き、森の奥深くに逃げ帰った。
「こんな事もあるからね。誰かさんのせいで。」
滄助はちらりと朧を見る。
「さ、帰ろう?」
「…はい!」
神無月は初めて親の温かみを知った様な気がした。
「おっはよーう!」
そんな声が、窓から聞こえる。神無月は寝室から声を出す。
「……お前は…。朧か。…早朝になんだ…。」
「早朝って言っても9時半だけど…。」
「9時半は早朝だ。」
「神無月はもしかして朝弱いの?」
「…強いだろう。」
「うん、まぁ、そうだね。」
朧は仕方無く承諾する。
「…なにようだ。」
「ん?あげたいものがあってさー!」
「…なんだ?」
窓を開けずに神無月は着替えながら言った。
「『貔貅の曼珠沙華』ー!」
着替えていた神無月はピタリと動きを止める。
「…『貔貅の曼珠沙華』だと?」
窓の方から依然声がする。
「うん!本当は見つけてたんだ!あの時!睚眦に追われる前にね!」
「ならどうして彼処で逃げなかった?」
「…いや、摘めなかったから。」
神無月がため息をついて言った。
「その、『どうしてこんな事も分からないの?』という口調はやめろ。」
「どうしてこんな事も分からないの?」
「お前…!」
完璧に着替えた神無月は窓に寄る。
「今日も暇?」
「失礼な…!勉学があるだろう。」
「勉強なんて律儀だねぇ、君は。」
神無月が一拍置いて問う。
「…お前は勉学をしないのか。」
「簡単だからね。暗記力は神がかってるよ?僕は。じゃあ!また会おう!」
神無月が声をかける間も無く、『貔貅の曼珠沙華』が入った大きな硝子瓶が投げられる。その瞬間、扉が開けられる。
「坊ちゃん、もう流石に起きなければならない…あら。珍しい物をお持ちですのね。」
「え、あ、そうですね。」
召使いの1人が悠々と笑う。
「さぁ、朝食を頂きましょう。最近は寒くなってきますので、クラムチャウダーを用意させました。」
「有難う、御座います。」
神無月は『貔貅の曼珠沙華』が入った硝子瓶を置くと、リビングへと向かった。相変わらずの息苦しさで、噎せ返るような食事を済ませると自分の部屋へと戻る。
「曼珠沙華、曼珠沙華っと…。」
神無月はそんな事を呟きながら硝子瓶を見た。どうやら瓶底に手紙が貼り付けてある様だ。恐る恐る神無月はその手紙を取り、封を開ける。下には『滄溟より。』と書かれていた。
『神無月へ
もし、この手紙を受け取っているというのなら、恐らくそれは『貔貅の曼珠沙華』を手に入れたという事だよね。僕には必要ないから、君にあげる。』
早朝に書き上げたのだろうか、乱雑な字で、それでいてハッキリした字で書いてある。手紙の裏にはまだ続きがあった。
『P.S
『貔貅の曼珠沙華』は、一本あれば群生するそうだ。是非あの裏庭の何処かに植えてやって下さい。』
神無月は迷うわず下駄を履くと、裏庭へと向かう。奥に大きな空き地があった筈。何時も面倒を見てくれるあの人に聞いてみた。
「あの…裏庭、使ってもいいですか。大きな裏庭…。」
その人は少し笑って言った。
「構いませんよ。何をなさるおつもりで?」
「花を…。」
と、神無月は後ろから恐る恐る『貔貅の曼珠沙華』を取り出す。その人はにこやかに笑って、よく育つと良いですね、と言った。スコップを持って神無月は裏庭へと足を進めると、その先には見覚えのある顔があった。朧だ。
「やっぱり来てくれたんだね!」
にこやかに笑って朧は言う。神無月はおずおずと硝子瓶を取り出す。朧が不思議そうに問うた。
「ねぇ、神無月。君、ちゃんと中身見た?」
そう言えば、と神無月は言って中を覗き込む。
「これは…!」
茎は翠玉で、相変わらずの血の様な花の部分は紅玉で、そして花芯は黄水晶で。根は真珠で。
「これ…!根っこに至るまで、宝石になってるのか!」
「凄いよね!さ、根っこ埋めて、いっぱい育てよう!」
「ああ。」
神無月はふっ、と笑うと、持ってきたスコップで穴を掘る。そして根を埋めた。
「ん……。」
「白羽様、少し根を詰めすぎでは御座いませんか? 」
神無月はそんな声で目が覚めた。昔から面倒を見てくれているあの人だ。
「ああ、済まない。直ぐにこの書類を…と言いたいところだがな…この書類の提出、何時までになっていた?」
くすりと笑ってその人は答えた。
「まぁ、白羽様が書類の提出期限を忘れるなんて、珍しい事もあるものですね。この書類の提出期限は3日後になっております。」
そうか、と神無月は短く言った。
「酒を用意してくれないか。上等のヤツを8本程。」
「…また、昔の事を思い出していらしたのですね。」
「良くわかるものだ。」
「私は白羽様が産まれる前から存じ上げておりますので。」
「敵わないなぁ…。」
くすりと神無月が笑う。そしてその人に笑って言った。
「少し出る。すぐに戻るから、宴会の準備をお願いする。」
「了解致しました。」
召使いが綺麗に礼をするのを、神無月は視界の隅に流して部屋から出た。
「…ん?ご来客…かな?」
朧はゆっくりと顔を上げて、古びた古書堂の扉を開ける相手を見る。直ぐに神無月は座って言った。
「良くわかるものだな。」
「そりゃ…人生の大半過ごしてきたからね。」
「…同じ事を召使いに言われた。」
「神無月は単純だからねぇ。」
それで?、と神無月は続ける。
「俺が来た理由も分かるのか?」
「うん。飲み会、でしょ?」
神無月は笑ってため息を付いた。朧が言う。
「黎明と蓮花ちゃんも誘おうか。」
一拍置いて神無月が言った。
「…この1年で色んなことが起こったな。」
「そうだねぇ。蓮花ちゃんも来たし。黎明も寂しくすることも無くなったから。」
それに、と朧は付け加える。
「何よりも二日酔いの我等を助けてくれるのは他にないあの子達だからね。」
そうだな、と神無月は笑った。
「それで!私達を呼んだんですか!」
蓮花が私服のワンピースを着ながら神無月の屋敷の4人は広すぎる宴会場で叫ぶ。
「そんな語調の割には甲斐甲斐しく面倒を見るんだねぇ。そういう所好きだよ。」
「なっ…!」
「…照れたの?」
「いや、別に。特に、無いです!」
蓮花はつん、として言った。
「もう!お兄様達はちゃんと呑み加減を何とかしてくださいまし!神無月お兄様は、何時も大丈夫ですが…兄様!またそんなに呑んで!」
「神無月ぃ〜過保護がうるさぁ〜い。」
顔を赤くして朧は言った。
「ちょっとは黎明の言う事を聞け。」
「はぁい。」
神無月は月光が入る窓に座って言った。
「…朧さん酔うのはやっ!」
「兄様は弱いのですよ。なのにこんなに呑むから…!」
じろりと黎明は朧を睨む。
「わぁ、この肴美味しいねぇ…お酒に良く合う…!」
そんな朧を見ながら蓮花は神無月に言った。沢山置いてある食事に手をつける。
「神無月さんは酔わないのですか。」
「酔わんなぁ…。産まれてこの方『酔う』という感覚が無いな。」
「車酔いとかも?」
「ああ。」
「良いですね!私はよく酔うので…!」
飲み食いしていた黎明が言った。朧はもう寝ている。
「あのう…。姉様、そろそろ御就寝のお時間かと…。あとご入浴も。」
「そう、ですね。じゃあお先にですが、お風呂に入らせて頂きます。」
神無月が言った。
「この廊下の角の侍女に話をつけてある。困った事があれば何か言うといい。おやすみ。」
「おやすみなさい!」
黎明と蓮花が声を上げて廊下をぱたぱたと走っていく音がする。神無月はふと月を見上げた。
「今夜も月見酒、か。」
ぽつりぽつりと神無月は詩を吟じる。
「……君に勧む金屈卮
満酌、辞するを須いず
花発けば風雨多し
人生、別離足る……。」
「君もなかなか渋いのを知ってるねぇ…。」
神無月は月から目を離さずに言った。
「…起きていたのか。」
「うん。……でも酔ったぁ…。神無月は良く酔わないね…。」
神無月が微笑して言った。
「俺が酔わん理由を教えてやろうか。」
「えぇっ!良いの…?」
直ぐに朧の寝息が聞こえる。
「…家族が居るからこそ、だ。」
ぱたぱたと廊下を走ってくる音が聞こえる。
「もう上がったのか?」
神無月が優しく問う。
「ええ!とっても気持ち良かったですわ!浴場も広くて…!最高で御座います!」
黎明がにこやかに言った。
「神無月さんはどうします?」
「俺は…もう少し呑む。」
「分かりました。では、寝ますね。」
ああ、と神無月が続ける。
「これを連れて行く。」
神無月が首根っこを引っ張ってずるずると廊下を滑らせる。月光が廊下の木に煌々と照らし出された。元気良く走り回る2人を見て神無月は言った。
「あんまりはしゃぐと怪我するぞ!」
「はぁい!」
蓮花と黎明が同時に返事する。そんな2人を見て神無月は微笑んだ。
「…嗚呼、俺は…。」
また、『バケモノ』と呼ばれるかもしれない。再び会った両親に嫌われるかもしれない。今まで大切にしてくれた召使いのあの人が居なくなってしまうかもしれない。だけれど。
「…俺は、こんなにも幸せだ。今だけでもいい。でも、出来れば永遠を…。」
神無月は朧を引き摺りながら夜空を見る。あの花畑で見た月と、同じ月が。辺りを照らし出していた。
ここで訂正です。『ラプラスの魔物』の没案まとめの中で、黎明ちゃんと朧の過去編、『少年と悪魔』にて、「例のPV」を蓮花ちゃんにしようと言うところです。「例のPV」というのは、くるりんご様の「メアリーと遊園地」の事です。とても良い歌なので、是非聞きながら読んで頂くと朧と黎明ちゃんが物凄くかっこよく移ります。長々と長文失礼しました。