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ラプラスの魔物 第二魔物 2

「ねぇ!蓮花ちゃん暇!?」

「開口一番それですか。」


蓮花は日が傾きかけた炎天下のエレクトローネの『朧古書堂』のドアを開けつつ言った。中はひんやりとしている。朧は笑いながら言った。


「ご飯食べた!?お昼終わったけど!パン食べた!?明太子のパンだよね!」

「…はぁ。まぁ、そうですね。朧さんは過去が覗けますもんね。今更ストーカーとか言いませんよ。はい。」


朧は蓮花の言葉に耳を貸さずそのまま続ける。


「神無月の屋敷に行こう!」

「…不法侵入ですか?」

「違うよ!神無月からの直々のご招待!さぁ、行こう!」


朧はカウンターの台をひらりと躱すと蓮花の手を取って走り出す。そして叫んだ。


「黎明は先に行って待ってる!嗚呼、神無月絡みの話はいつも面白いんだ!今度は何が待ってるんだろう…!」


蓮花は息切れしながら問う。


「そ、なら、視れば、言い、じゃないで、すか!」

「そんなのは私の性じゃない!やっぱり己の目で見る事が良いのさ!」


蓮花は駆けながら呆れた目線で朧を見る。そして朧は道が途切れている所でくるりと回った。指を鳴らす。


「暑いでしょ?多分空を飛んだ方が涼しいから…ほら、お姫様。お手をどうぞ。」


蓮花は朧を見て笑う。そして叫ぶ。


「お姫様なら、もうちょっと扱いを優しくして下さい!」


朧も声を上げて笑った。





さざ、と葉のざわめき声が聞こえる。その存在を知っているのは、風だけ。『神』は知る事を望まず、摂理のみぞ知る。神無月は弓に矢を番えると、ゆっくりと体制を整えた。





「兄様!遅いですわ!」


黎明は腰に手を当て朧を睨みつけた。朧月夜おぼろづきよ 黎明れいめいは、朧の妹。ふわふわの金髪が腰まであり、碧眼の瞳。左目には白い眼帯をし、白いフリフリのドレスを着ている。手には白い日傘を差していた。


歳は14だが、それ相応よりも少し幼い見た目だった。此処は神無月の屋敷。どうやら神無月の屋敷は神無月用の家と分かれているらしい。湖畔の風が蓮花の頬を撫でた。が、蓮花はいかにも疲れたという風に黎明を見て言う。


「…疲れました…酷いんですよ…黒髪少女は夏が辛いのに、空飛ばせたり…まぁ空飛んだのはいい経験でしたけど…。」


その瞬間、凛とした声が響く。

「この弦をもっと強くせねばならんな。」


刹那、朧がぶっ飛ぶ。後方1m程に飛んだ。鎖骨の部分に矢が綺麗に刺さっている。そして弓を放った張本人が現れる。

「……不法侵入者かと思ったが、客か。…よく来たな、黎明、蓮花。」


神無月は笑って言った。神無月は、何時ものセーターベスト姿では無く、白い袴姿たった。そして黎明は手を打って笑った。

「まぁ!神無月お兄様はとても弓がお上手なのですね!」


朧は弓を抜くと、蓮花に言った。


「…私は前に言ったよね。自殺と老衰が私の死だと。」

「えぇ、まぁ、そうですね。」

「だけどねぇ、私は回復力が異常だ。故に、自殺など不可能。」


神無月は朧を見た。そして朧が続ける。朧の鎖骨部分には紫色の痣の様な斑点がある。


「その中でも治せない傷がある。直ぐにはね。…神無月。この矢、桃の木を使ったね?」


神無月は無言で矢を受け取ると、弓に矢を番えた。そして何も居ない空中へと射る。刹那、黒い液体の様なものが当たりへ飛び散る。朧はそれを見て言った。


「なるほど…呼んだ理由はこれだね?」

「だからは俺は弓を持っているというのに。」


黎明はきょとんとして朧に問う。

「兄様、どういう事なのでしょう?」


朧は返した。


「あぁ…黎明にもあれは見えただろ?黒い塊。」

「見えましたわ。」


黎明は興味津々に朧を見た。朧は黎明に優しく笑って返答する。


「あれは妖だ。基本的に霊力がある者しか妖は見えない。だけど魔力の持っている私達にも見えるぐらい強くなってるんだ。」


神無月が困った様に言った。


「いや…俺の屋敷の周りには何時も結界が張ってあるんだが、今日はそんな妖が多すぎてな…。良く見れば結界が弱まっていたんだ。だが直しても直る気配が無い。だから呼んだのだ。それに…。」


途端、女の声が聞こえる。それを聞いた神無月達は慌てて庭の茂みに隠れる。


「白羽様?声が聞こえたのだけど…気の所為かしらね。」


女はまた探す様に茂みに戻って行くと、神無月は奥の裏口を指さして言った。

「彼処から入るぞ。」


蓮花が問う。

「ちょ、ちょっと待って下さい!どうしてあの人から逃げたのです?」


神無月が険しい顔つきで言った。

「…その件についてはまた後で話す。いいか、此処には見張りがいる。だから、走って彼処まで行け。」


朧が口を挟んだ。

「その必要は無いよ。どうやら事は重大な様だね。」


黎明が言う。

「無理ですわ、兄様。幾らワープの魔法でも、一度その場所に行かなければその力は使えないのですよ?」


朧が険しい顔で言った。

「…いや、一つだけあるんだ。『神様の特権』って奴がね。」


蓮花が不思議そうに問う。


「またそれですか?して、今日はどのように?」

「この『時間』を無かったことにする。」

「…は?」


神無月が間の抜けた声を出した。朧は話を続ける。


「だから、この『時間』をなかった事にするんだ。最初から私達は『神無月の部屋』に行っていた事にする。この場合、世界の理の、『運命軸』は弄らないから代償も極力少なくなるんだよ。」


神無月が言った。

「矢張りどの世界でも『代償』という物は必要なのだな。」


朧は呑気に返す。

「そうだねぇ。代償なんて、私は要らないんだけどね。これは形式上の物だから。」


それに、と付け加える。


「こういう『時空を弄る魔法』には、代償が無きゃ発動しない事も多い。少なくても発動しないし、多くても発動しない難しい奴なのさ。」


黎明が言った。

「しかし兄様、代償はどうするおつもりですの?此処にはそんな物は御座いませんわ。」


朧は神無月の弓を見た。そして言う。

「…神無月、その弓矢をくれたらこの魔法は発動するけど…どうする?」


神無月は少し間を置いて溜息を付くと、すぐに朧に渡した。

「全く渋らないね、神無月は。」


神無月は相手を嗤った様に言う。

「俺は大元締めの息子だからな。…この位のもの、幾らでも用意できる。」


朧は笑って弓を持つと、それは溶けるように金色の淡い色を放って空気に消える。そして朧は呪文を唱え始める。足元に巨大な魔法陣が生まれる。


「歯車、歯車。運命の軸よ。回れ、回れ、歯車よ。汝、我が名において古より伝わりし知を発動せん!」


次の瞬間、4人は小さな部屋にいた。こじんまりとした小さな四畳半程の部屋で、ガラクタの様な物が沢山ある。色々な物が山積みになっている状態だ。窓は開いていて、風がカーテンを撫でている。侘しさが部屋に有る。神無月が言った。


「…茶を出したい所だが、誰か来る。」


朧ははいはい、と仕方なさそうに笑うと足元に手をやった。そして蓮花と黎明を寄せると、自分の身長まで手を挙げた。蓮花が問う。


「あの…その魔法は?」


朧は言った。

「これはね、『カメレオン』って名前の魔法だよ。」


蓮花は驚いて朧に問う。


「ま、魔法には一つ一つ名前が付いてるんですか!」

「そうか…魔法なんてあんまり生活に馴染みが無いもんね…あるよ、名前が付いてるんだ。」


蓮花は目を光り輝かせて朧に聞いた。

「た、例えばどんな名前なんですか!」


朧は思い出しながら言った。いつの間にか召使が神無月と話している。


「金の花を出だす『金華』だったり、鏡を使う占いに使う様の魔法の『明鏡止水』、今回使った時空弄りの魔法は『時空弄り』…これだけ名前がそのままなのが本当に解せないんだよねぇ…。」


蓮花が更に問う。

「ほ、他には何があるんですか!」


朧が不思議そうに蓮花に問うた。

「他にも色々有るけど…どうして蓮花ちゃんはそんなに魔法の名前に興味があるの?」


蓮花は自信満々に答えた。

「だって!とっても名前が綺麗じゃありませんか!嗚呼!魔法の名前を全部覚えている人なんて居るのでしょうか!」


朧が今度は自信満々になる番だ。

「ふっふーん!私は全部覚えてるよ!」


蓮花が顔を怪訝そうに問う。

「それにはまた理由が有るんですよね?」


黎明が口を挟んだ。

「蓬莱様が兄様の事を散々に莫迦にしましたので、それに対抗するために全て覚えたそうですわ。全く…あの時の兄様の顔と言ったら…うふふ…とても滑稽でしたわ!」


その返答に朧が閉口する。


「…黎明、あの会話見てたの…?」

「勿論!きちんとこの耳に封印して起きましたから!」


朧は黒い笑みで黎明を見る。


「……家に帰ったら記憶操作だね。因みに記憶操作の魔法は『暗黒大魔法』って言うんだよ。」

「いきなりの中二病ですね。」


神無月が突っ込んだ。

「そこ煩い!!」


朧と蓮花と黎明は同時に謝る。


「ごめんねー!」


「すみません!」


「申し訳御座いません!」


そしてそれは全て棒読みだった。神無月は笑いながら溜息を付く。そして間髪入れずに蓮花に言った。


「蓮花、記憶操作の魔法の名前は『博聞強記の消失』だ。」


朧が驚きながら神無月に言った。

「何故神無月が魔法の名前を…!はっ…!これはもしかして世紀末なのか…!?」


黎明が突っ込んだ。

「勝手に世界を潰さないで下さいまし。」


朧が言った。

「懐かしいなー!昔さ、預言者に『〇月〇日に世界が滅ぶ。これを触れ散らし終末に備えよ』ってそれっぽい事を預言者の脳内にテレパシーで言ってさ!皆、無茶苦茶怖がってて本当に滑稽だったなぁー!」


蓮花が片眉を震わせながら朧に問う。


「あの…つかぬ事をお聞きしますが、オカルト番組あるあるの『世界の終末』系の預言ってもしかして…?」


朧はそのままの笑顔で言った。


「あー!それ私が良く振りまいてるやつだよ!部屋を暗くしてさ!テレビとか見ててタレントとかが『えー!怖いー♡』とか言ってるオカルト番組を吹き込んでさ、『はぁ?そんな事ある訳ないじゃん。やっぱり勉強しなくちゃ駄目だね。』って思った後、寝る前に本を読むのがとっても良いね!」


蓮花が叫んだ。

「いやそりゃ朧さんはそうでしょうね!」


朧は優しく蓮花に言った。


「蓮花ちゃん、勉強しなくちゃ駄目だよ?」

「何で私がさも勉強してない風に言われなくちゃなんないんですか…。」


黎明が思い出した様に言った。

「あ…そう言えば姉様。姉様の前の期末のテスト…。」


黎明が言い終わらないうちに蓮花は叫んだ。


「あぁぁ!駄目!黎明はそれ以上言っちゃ駄目です!そうですね!あのときは体調悪かったんです!勉強してないとかそんなんじゃ無いです!というかもう直ぐテストじゃないですか!うぅ…!」


朧はしゃがみこんでしまった蓮花の肩に手を置くとこう言った。


「そういう事もあるよ。家帰ったら勉強しよ?」

「はい…。」


部屋は静寂に包まれていたが、神無月が安定の如く静寂を斬る。

「………俺の用事は?」


その声は、全員の心に韻した。






「はい、という訳で。色々聞きたいことが有るのですが…宜しいでしょうか?」


蓮花達は真ん中にあった椅子に座る。神無月は言った。


「勿論だ。」

「あの、どうして召使様から逃げていらっしゃったのですか?」


黎明が問う。神無月が言った。


「…それはだな……今日は見合いなんだ。」

「は?」


朧が間抜けな声を出す。蓮花が更に問う。


「見合いって…あのお見合いですよね?それと逃げるのにはどういう関係が?」

「見合いすんのが嫌だから。」


神無月は蓮花の問に被せるように言った。朧が驚いた様に話す。


「神無月が口調崩すの久々に聞いた…。」

「兄様達の喧嘩ぶりですわね。」


それでだな、と神無月が続ける。


「元の部屋から今日突然に此処に連れ出されて、監禁状態なのを窓から飛び出して遊んでいた訳だ。」


朧は神無月に言った。


「でもさ、突然だった訳だよね。どうして私達を事前に呼べる事が出来たんだい?」

「占星術だ。」


黎明が言った。

「占星術…!そう言えば、神無月お兄様は占星術がお得意でしたものね。」


それと、と神無月が付け加える。


「『黒龍』が無い。」

「は…?」


黎明が状況を読み込めない顔をする。『黒龍』は神無月が何時も差している黒漆の刀だ。実はこの刀には龍が封印されているのだが、それはまた別の話。


「こ、こく、『黒龍』って、普通に神刀ですよね?肌身離さず持ってるんじゃ…!」


蓮花が戸惑いながら神無月に言った。

「…あぁ、そうだな。しかし朝からこの監禁状態だったから恐らく部屋にある筈だ……が。」


神無月が哀しそうに目を細める。その様子に気付いた黎明は神無月に言った。


「神無月お兄様…どう致しました?」

「あ、いや、大丈夫だ。」


神無月は慌てて否定する。黎明はその事に不信感を抱きながらも言った。

「とにかく…『黒龍』を探す事が先決ですわ。お見合い相手はいつ来られるのですか?」


神無月が言った。


「…30分後だ。」

「えぇ…?」


朧が呆れて神無月を睨むと言った。

「いや…流石に30分で刀を探すなぞ無理でしょう…。」


神無月が言う。


「刀は必ず俺の部屋に有る。だが、俺だけでは行けん場所もあるかもしれん。」

「…行けない場所?神無月なら行ける場所の方が多いでしょう?」


朧が半信半疑で問う。しかしその理由を神無月は黙っている。

「……取り敢えず探しに行こう。」


神無月は立ち上がると、そう言った。






扉を開けると廊下が長く続いていた。階段が左斜めの方向に続いている。神無月は右の方向の廊下へ歩き始めると、突き当たりでピタリと止まった。一つ、窓がある。


「……。」


朧が恐る恐る問う。


「あの…まさかと思うけど、この窓から行くなんて…?」

「そのまさかだ。」


神無月はがチャリと窓を開けると、下を見て言った。

「そんなに高くない。から恐らく大丈夫だ。」


蓮花が問う。

「あの…どうして道を通らないんですか?」


神無月が俯いて言った。

「その事については…俺の部屋に着いたら説明するからな。」


神無月は小さな屋根の縁に足をかけると、一気に滑り降りた。蓮花も朧も降り、黎明は支えられて降りる。


4人が降りた先は小さな芝生だった。そして芝生に面して日当たりの良い回廊がある。神無月は回廊を行かずに、芝生の細い道を行く。神無月は黙々と歩いていた。そしてまた新しい回廊が見える。しかし其処には見張りが2人ほど居る。神無月がボヤいた。


「…峰打ちも出来んでは無いか…!」

「いや峰打ちするつもりだったんですか。」


朧は笑顔で見張りへ躍り出ると、あっという間にねじ伏せてしまった。恐らくだが気を失っている。黎明が溜息をついた。

「…兄様の体術の手際の良さは相変わらずですわね。」


見張りが立っていた場所には一つの扉があった。薄茶色の扉で年季が入っている。神無月は躊躇もせず扉を開くと、少しの廊下がの先にまた同じ扉があった。そこも開けると、学校の講堂程の部屋があった。天井も高く、部屋の4分の1は天井まで届いている本棚があった。


奥には机、その手前には刀や術具を直す場所。ソファや他にも累々があった。しかし、一番の見どころと言えば大量の式であろう。狐や鳥、神獣を模したものが部屋を闊歩していた。神無月は少し俯いて右の方向へ向かう。だがその場所はただの壁だ。黎明が問う。


「お、お兄様?其処はただの壁では…?」


蓮花が言った。


「そう、見えるかも知れませんね。私も今までは恐らくそうでした。…この壁の部分、何か術が施されているかも知れません…。」


蓮花は神無月の傍に寄り、一緒に考え始める。朧が呟く。

「…蓮花ちゃんも強くなったね。」


そして続ける。

「あ、でも進路表に『払い屋』とか書いたら蓮花ちゃん人気者だね。」


がちゃ、と重い扉が開いた音がした。神無月は振り向かずにその中に入っていく。黎明はその様子に不安を覚えて恐る恐るその部屋の中に入る。その部屋は、元は応接間として使われていたのだろうか。しかし家具は無く、壁に刀が札で縛り付けて有る。朧が言った。


「…これは直に触ると『魔傷』が出来るね。」


蓮花が問う。

「ましょう…って何ですか?」


朧が返す。

「ほら…今日の矢の後、私の肌が紫色になってたでしょ?異形の者は清浄な矢や刀に当たると『魔傷』が出来るんだよ。」


蓮花が目をぱちぱちさせて続ける。

「…じゃあ朧さんは異形の物なんですか?」


朧は笑って答えた。目の紋章をなぞりながら。

「うふふ…まぁ私は人間だよ。でもね、この『ラプラスの魔物』の紋章と力を持ってるから異形扱いされちゃうんだよね。流石の私も『魔傷』が出来ると治せないんだよ。」


あ、でね、と朧は話を戻す。

「普通『魔傷』が出来るのは、異形の者に清浄の物が当たった場合なんだよ。だけどこれだけ負の空気が溜まっていたら無理だよねぇ。」


蓮花が言った。

「……直に触らなくちゃいいんですよね。」


黎明が言った。


「何をするおつもりで…?」

「この刀を取らなくちゃいけないんでしょう?」


神無月は言う。

「まぁ…そうだが。蓮花、頼む。」


こくりと頷くと、蓮花は首にかけている、青い宝玉、『精霊収集機』を手に持つ。精霊収集機は、空間に居る精霊を集めて術者の頭に描いている物が具体化する代物。蓮花は手に白銀の刀を持つと、全ての封印を切り刻む。刀は取れる、しかし。


「お兄様!駄目です!」


黎明は神無月の目を必死で抑えると焦りながら言った。恐る恐る言った。

「………お兄様…何も見ていませんわよね?」


黎明の手が、血の涙で濡れる。神無月はゆっくりと膝をつくと、ぽろりと涙を流す。蓮花と朧は散乱している紙を目に入れると絶句する。


「…これ、は…。」


其処には神無月に対する罵詈雑言が書かれていた。黎明は手を離すと、神無月の目には涙が流れていた。

「あ…あぁ…。」


蓮花が皮肉めいて言った。

「…大変いいご趣味をなされているようで。…神無月さん、大丈夫ですか?」


「お、おれ…は、ばけもの…あ…いやだ…いや…やめ…ろ…う…あぁ…。」


神無月は頭を抑えて叫ぶ。朧が呟いた。

「…幼い頃に負ったトラウマ程治るものは無いか…。」


黎明が駆け寄る。しかし返答は冷たい。


「お兄様、大丈夫ですか?」

「近寄るな!」


黎明は肩をビクリと震わせた。


「…神無月お兄様?」

「近寄るな…煩い…黙れ…俺は…俺は…!」


神無月は目を見開いて顔を上げると、床に転がっていた刀を拾う。そして腰に差すと、無表情で刀を差した。瞬間扉が開く。相手は神無月の父親だった。


「な…どうしてお前が此処に…!」


神無月は厳かに言った。

「…どうしても俺を婿入りさせようとしようとする魂胆かと思ったのですが…。どうやら俺を化け物扱いしたかったようですね。父上。」


父親は何も言わず、歯を食いしばっている。しかし神無月の返答は驚くべき物だった。

「父上。……………いや、養父上ちちうえ。」


朧が信じられないという顔をする。神無月の養父は蓮花達3人に目もくれず、目の前に突きつけられた真実のみを斬ろうとする。


「何故…それを!」

「否定しないのですね。」


神無月は刀に手をかける。ぬらりと刀身が揺らめく。


「…俺を化け物扱いし、あまつさえこの刀身を封印した罪。そして俺の本当の親という名目で生きていた罪。その身を持って償え…!」


刀身が堕ちた瞬間だった。黎明が躍り出る。

「お待ち下さいませ。」


蓮花も出ようとするが、朧が蓮花の手首を掴む。朧は蓮花を見ずにさも面白そうに笑った。

「流石、私の妹だ。…大丈夫だよ、蓮花ちゃん。あの子に任せてみよう。」


黎明の首筋には刀がピタリと止まり、白磁の首には血が筋を作っている。神無月はマネキンの様に止まっていた。養父は黎明に罵詈雑言を当てる。


「貴様何者だ!小娘が何を言う!教養のない奴が俺に指図するな!」


黎明の碧眼の瞳を養父に当てると、養父は恐怖のあまり石のようになった。黎明が目を伏せて言った。

「確かに、わたくしは小娘で教養の無いものかも知れませんね。けれど。」


黎明は眼帯を取ってくるりと回ると、日傘はいつの間にかフランベルジュに変わり、養父の眉間すれすれを描いている。空気を震わす凛とした声が辺りへ響く。


「幾ら教養の無い私でも、生きている人間をバケモノ扱いするのは間違っている事は存じ上げますが?」


黎明の左目には白銀の瞳があった。月が茨を取り巻いている美しい紋章。その紋章は主を写し、相手を敵視している。そして背後には黒の麒麟、角端が居た。


「ば、バケモノだぁぁ!」


養父は叫んで部屋を出ていく。黎明はぽつりと呟いた。

「…貴方の方がバケモノですわ…というか、あの方はバケモノ以外に言える言葉が無いのかしら?」


黎明は思い出して神無月の傍に駆け寄ると声をかける。

「神無月お兄様!大丈夫ですか?」


神無月は顔を上げず、突っ立ったまま俯いている。

「あー!ごめんて!てか君の宿敵私じゃ無いでしょ!しかもちゃんと言葉理解してるよね!苦しいから!」


黎明が呆れて朧の方を向くと、おろおろしている蓮花と麒麟に攻撃されている朧が居た。黎明が叫ぶ。


「こら!角端!ちゃんと言う事を聞きなさい!私は言いましたよね!?兄様は悪くないと!貴方の宿敵はとうの昔に亡くなっていると何度言えば分かるのです!」


そしていつの間にか『ラプラスの魔物』も居た。蓮花が呟いた。


「…凄い絵面ですね。」

「助けて欲しいとは思ったけど呼んでない!」


朧が『ラプラスの魔物』に向かって言う。白龍は麒麟を睨む。朧がニヤリと笑う。


「…あー…白龍、どうしよっかなぁ…。黎明を傷付けても良いのかな?これ以上風評被害もいい所でしょう?」


朧の悪ノリに黎明も乗る。わざとらしく、含みを持たせた言い方で。


「私もそう致しましょうか?…今日、折角頑張って下さったのだもの…お菓子を上げようとでも思っていたのですが…これではお預けになりますよねぇ…?」


角端と白龍は霧のように消えると、蓮花がまたもや呟く。

「…こういう所、2人は似てますよね。」


黎明と朧はきょとんとしている。

「…ふふっ。」


小さな笑い声が部屋に響いた。

「か、神無月お兄様…?」


黎明が恐る恐る神無月の顔を覗く。

「2人とも、やはり兄弟だな。…こら、此処には勝手に来るなと言っただろう。」


神無月は何も居ない己の足元を見て言う。そして言った。

「…そうか、見えないんだな。ほら、早く姿を見せてやれ。え?恥ずかしいだと?式の癖に多彩な感情の奴だな。」


神無月は『それ』の頭らしきものを撫でると、白狐が居た。神無月の足元から恐る恐る3人の顔を覗いている。大きさは太股程の大きさで、毛並みはふわふわだ。神無月はニヤリと笑って言った。


「さぁ、ネタバレの時間だな。」





神無月は自分の部屋に3人を通すと、一つ一つ話し始めた。

「さて…俺は昔、この黒龍を封印した事によって化け物と呼ばれた。…まぁ今もそうだが。」


蓮花が問う。

「何故です?封印する事はいい事なのでは?」


神無月が返す。

「…あの時、俺は小さかった。まだ13の頃だったからな。その様な若さで封印したら少し不気味がられるのも無理はないとは割り切っていたのだが…。」


黎明が続ける。

「…黒龍が、長年捕まえることの出来なかった龍であった為、ですね?」


神無月は落ち着いて答える。


「そうだ。それ故、妬みと賞賛の格差が酷くてな…まぁそれは置いといて。その時から両親は俺を避けるようになった。俺が、巷では化け物と呼ばれているからだ。この屋敷が出来たのもそれが理由。」

「何とも非情な話ですね。」


蓮花が労わるように言った。神無月は微笑む。


「それは辛かったが、まぁ両親と会えぬ事も無いからな。…今は里親か?なんでもいいが。それに、朧達もいた事だしな。」


そして神無月は無表情になって言った。


「…だが、そう割り切っていた日々も存外直ぐに終わった。この屋敷には俺を通さない用の道がある。…道に護符が貼り付けてあってな、俺を通す事を許さない。其処で俺は遅いが、気付いた。もしかすると両親の息子では無いのでは、と。」


神無月は一拍置いて続ける。


「調べてみると、本当の両親は神無月が纏めている払い屋団の団長だった。生きているのは生きているが、今まで信じていた相手が嘘の塊だと知ると、な。」


神無月は俯いて、涙を零す。


「……結局、本当の生みの親でさえも、誰も、俺を愛していないんだ。」

「そんな事はありませんわ。」


黎明は神無月に駆け寄り言った。


「…何も知らぬ私が言うのも何ですけれど、私達は神無月お兄様を愛しています。だって、私達は昔から家族でしょう?……それに私達だけじゃありませんわ。その狐様。とってもお兄様の事を大切にして居るのですよ?……誰からも愛されてないなんて言わないで下さいまし。」


神無月は一瞬驚いた顔をすると、和顔悦色した。


「……黎明、有難う。お前は本当に優しい子だな。」

「うふふ。元気を出してくれたのなら本望でございます。」


神無月は悪い笑みを零すと、時計を眺める。

「…どうせ見合いなんぞ間に合わん。まぁする気もなかったが。湖月、扉の番を任せたぞ。」


湖月と呼ばれた神無月の白い狐は、扉の方へ向かう。そう言えば、と神無月は蓮花に目を向ける。


「…その精霊収集機に名は付けんのか?」

「名前、付けられるんですか?」

「付けられるぞ。その宝玉の中に精霊が住んでいるからな。」


蓮花は少し考えると、直ぐに呟いた。


「……『金華』。朧さんが今日言っていた、魔法の名前です。綺麗ですし、駄目でしょうか。」

「良いんじゃない?」


朧は笑う。途端、蓮花の首に掛けていた宝玉から、蒼い光が放たれる。そしていつの間にか鳳凰の様な小さい鳥が蓮花の肩に止まっていた。


「…気に入った様だな。」


神無月は微笑むと、きりりと扉を睨む。

「…時間稼ぎも限界か。裏口から出ろ。」


朧達は言われた通りに裏口に出る。


「…黎明。」

「気にしないで下さいませ。そんな事は人間誰しも有ることですから。」


黎明は神無月の謝罪の言葉を遮って恭しくお辞儀をすると、兄の傍に寄る。神無月は言った。


「また来い、蓮花、黎明。蓮花は久々に刀の練習をしに来い。腕が見たくなった。」


蓮花は優しく微笑むとこくりと頷いた。朧は拗ねたように言った。

「ねぇ神無月!私には無いのー?」


呆れたように神無月は笑うと、何かの四角い箱を朧に投げる。それは極彩色で、美しい。朧は受け取ると喜んだ。

「やったぁ!この茶葉美味しいんだよ!じゃあね、神無月。」


神無月は3人が視界から消えるのを見届けると、微笑みながら呟いた。

「…家族、か。」


呟きは風に乗って、誰に聞かれること無く空気に溶けた。






「いやぁ、まさかあんな事になるなんてね!」


朧は呑気に声を出す。蓮花は蓮花で独りごちる。

「刀の練習、迷惑では無いでしょうか…?」


朧は蓮花を見て微笑み言った。


「それなら問題ないよ。」

「え?」


朧が続ける。


「神無月は蓮花ちゃんの刀の腕が凄いって言ってた。何気に彼奴は蓮花ちゃん来るのを楽しみにしてるから、ね?」


あぁそうそう、と朧が付け加える。

「神無月が言ってたよ。隠れて屋敷に来てばれてないよね、って辺を見渡す顔が可愛くて可愛くてしょうがないらしいね。」


蓮花は頭を抑えてため息を着いた。

「…神無月さんと朧さんは私の事を子供だと思ってません?子供ですけど。5歳児位に見てません?」


朧が真顔で言った。


「似たようなものでしょう?」

「姉様が5歳児ならば、兄様は3歳児ですわね。」


黎明が間髪入れずに返した。朧が言った。


「黎明…やるねぇ。」

「せめて3歳児なのを否定して下さいよ朧さん。」


朧が叫んだ。


「精神面だけだから!口説くのと魔法は神様級だから!」

「神様ですもんね。」


そして蓮花はひとつ置いて言った。


「……暑い!」


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