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ラプラスの魔物 第二魔物 12

「私は、龍だから、気にしないでくれ給まえ。君の大切な過ちを、清算する為にも。」

「ーがーーーーーーーす!お願い!だかは、ーーーがーーーしまーーは、ーーす!」


あの時、自分が言った言葉は覚えていない。いや、断片的には覚えている。でも、それを思い出す必要は皆無だ、と蓮花は思った。貴方の名前は朧月夜 滄溟。


あの何処か諦め切った声は、きっと彼女が死んだ4回目の物だ。それだけ知っていたらもう充分。


彼女は、きっと、朧がいる事を酷く望んだ事を、叫び倒していたのだろう。何処か滲んだ部屋の中で、寝汗が入った目を擦りながら蓮花は思った。


時は一昨日に戻る。


ねぇ、と朧は作業をしながら言った。

「蓮花ちゃん、バルコアベルボーへ行こう。」


蓮花はきょとんとして言った。

「何でまた。確か……『蒸気街』、でしたっけ?工業地帯でしたよね。」


朧は側にあるアイスティーを眺めながら言った。


「そ。合ってるよ。でもね、終わらせなくちゃいけないんだ。何時までもこんな攻防を続ける訳にはいかない。だって相手は国家レベルの組織なんだからね。」


蓮花は何処か俯いた風で言った。

「『保安院』の本部が、其処にあるんですね。」


アイスティーはからんからんと心地の良い音を立てる。

「うん。今はどっちも五分五分だけど、いつどちらに亀裂が入るか分からない。終わらせる時に終わらせられるようにしないと、何事も大惨事になる。全く、父上は何を考えているのやら……。」


でも、と朧は言った。

「……何かしら思惑があると思うんだよねぇ。若しかしたら私達が敵対する事に意味があるのかもしれない。」


それに、と朧は続ける。

「私の『ラプラスの魔物』も戻ったんだ。……もう何がしたいのかさっぱりだ。兎にも角にも来いという事なんだよね。はぁ……。」


其処で朧の会話が切れたのが、あの一昨日。


そして蓮花の夏休みが始まる今日、バルコアベルボーに向かう事が決まったのだ。表向きは蓮花の親友、苺飴朱の家に泊まりに行くという設定で。


苺飴朱を何とか説き伏せた蓮花は、只今じんわりと暑くなり始めているエレクトローネ駅を目指して走っていた。


「朧さん!」


駅の前に立っていた朧が、蓮花の声に反応して振り向く。眠そうな目を擦りながら黎明も居て、挙句の果てには神無月は駅の柱にもたれて立ち寝している。


それを見た蓮花は言った。

「……神無月さん、変なとこ器用ですよね。」


朧が肩を竦めて笑う。

「ま、神無月は若干張り込み業の所もあるからね。寝れる時に寝るのさ。」


彼の声を聞いて、神無月が目を開ける。


「……あぁ、蓮花。おはよう。」

「ど、どうも御早う御座います。」


掠れた声で、神無月は言った。朧が神無月に言う。


「神無月は朝めちゃくちゃ弱いもんね。昔、家に突撃訪問した時には、九時が早いとか訳の分からん事を言い出したんだもん。」


黎明が何とか目を開けて蓮花に言った。


「御早う御座います……蓮花姉様。」

「えぇ、御早う御座います。」


蓮花は笑顔を作って答えた。朧が笑って言う。


「それじゃ、行こうか。『蒸気街』へ。」


ふと、蓮花が朧に問う。

「切符は?」


朧はにたりと笑う。


「今回は私持ち。」

「いや、それは悪いです。払います。」


じゃあ、と朧は言った。


「君が怪我しなかったら払ってくれたらいい。」

「また無理な相談を……。」


朧はくるりと振り返って言った。

「それが狙いだから、ねぇ。」


蓮花が電車に乗りながら頭を掻いて言った。


「じゃあ無傷で帰還しますね。」

「乗ってきたね。」


黎明が声を上げる。

「蒸気街、ですのね……とっても楽しみですわ。行くのは初めでございます。」


もう意識が飛んでいる神無月を他所に、意識がしっかりとした黎明がにっこりと蓮花に言った。


「私も名前だけですね。工業地帯、だとか。夜は中々に綺麗だそうですね。」


薄暗いトンネルから、一気に車内に光が溢れる。黎明が窓に手をついて言った。


「まぁ……!とっても綺麗ですわ!湖ですわね……。」


黎明の視線の先には、大きな湖があった。彼女が喜んでいるのを、朧は肘をついて見ている。


電車内はシックな作りで、四人座りの所に彼等は座っている。すやすやと神無月は爆睡している。蓮花が朧に耳打ちした。


「……神無月さん、起きませんね。」


朧はちらりと神無月を見て、ため息をついて言った。


「此奴は……9時でも眠いとか言ってる奴だから……6時集合ならそりゃキツかっただろうね。良くもまぁ来れた物だ。」


蓮花は窓を覗くと、湖畔の近くに街が見える。

「彼処、綺麗ですね。港町……いや、湖町、ですかね。」


朧がそれを聞いて笑った。

「彼処で一回止まるよ。売店とかもあるから、好きに買ってきたら?」


蓮花と黎明は目を合わせて笑う。


「兄様兄様!アイスクリーム買っても宜しいのですか……!」

「……駄目なんて言ったことあるっけ?」


黎明が威圧的ににこにこ笑っているのを見て、朧がげんなりして言った。


「そういう事ね。買えって事ね。はい。蓮花ちゃんも買っといで。」


しどろもどろしながら、蓮花はアイスクリーム代を受け取る。丁度其処で停止して、車内アナウンスが流れる。


『間も無く、停止致します。停止時間は10分です。お乗り忘れのないようにお願い致します。』


ピーンポーンパーン、という馴染みのある音楽の後、がちゃんと扉の開く音が聞こえた。黎明は蓮花の手を引いて走り出す。ドアから出ると、もう其処は綺麗な町並みが見えていた。楽しそうに朧は二人を見ながら聞く。


「……随分と羽振りがいい事だな。」

「あぁ、起きてたんだね。」

「今起きた。」

「そう。」


暫くの沈黙のあと、朧が口を開いた。

「だって……まぁ、これから遊びに行く訳じゃないから。」


神無月は腕を付きながら言った。


「それを黎明には伝えているのか?」

「勿論だよ。これは誤魔化しきれないから。」

「珍しい事もあるもんだな。」

「そうかい?」

「記憶消しマニアのお前がな。」

「神無月って唐突に失礼な事を言うよね。」


二人がアイスクリームを食べながら席に座ると、神無月は二人に問うた。

「美味しいか?」


蓮花が元気よく答える。

「はい!とっても美味しいですよ!神無月さんは、アイスクリームお好きですか?」


そうだな、と表情を柔らかくして言った。


「俺は余り好きな方では無いな。突然食べたくなる時もあるが。」

「ありますわね。そういう時。」


神無月のコメントを聞いて、黎明はくすくす笑う。パステルカラーのアイスクリームが可愛らしい。


二人がアイスクリームを食べ終わった後、乗務員が切符を確認しに来る。蓮花はすっ、と切符を出して確認する。黎明が切符を出そうとした手が、少し引っ込む。少し、顔が引き攣っている。


「……貴方……何方どなたでしょう。」


黎明がそれでも何とか毅然とした態度で切符を持ちながら言った。乗務員は狼狽している。


「え……それは、一体。何の事ですか?」


朧が横目で薄く乗務員を見ているのを他所に、黎明は少し考えながら言った。


「だって……何処か変なニオイがするんですもの。何だか……下級の変身魔法を使った時のような……。」


黎明の呟きの後、行動は早かった。直ぐに朧の懐から拳銃が覗き、乗務員の胸に当たった。かと思うと、何故か廊下側に座っていた蓮花のスカートの上に、真っ二つにされた弾丸が横たわっている。


蓮花と黎明は真っ二つにされた弾丸を、ぽかんしながらみている。


朧はぽつりぽつりと言った。

「……こんな事をするなんて、性じゃ無いですね。父上。」


唖然としていた乗務員の口がニィっと笑う。あの、独特の口の歪め方だ。ふと、声がかかる。


「やぁ、久しぶりだね。」

「別にそうでも無いですけどね。」


朧が煙が立ち上る銃口を見ながら平然と答えた。黎明が目を見開いて滄助を見る。

「おと……う、さま?」


滄助は黎明を見て、にっこりと笑った。

「会えなかったから寂しかったよ、黎明。」


黎明はまだ幽霊を見る様な目で、滄助を見ている。

「何故?お父様は……亡くなったんじゃ……死んだんじゃ……。」


その黎明の問いを、笑顔で滄助はすんなりと返す。

「お父さんに至っては何でもありなんだよ。」


じゃあ、と、黎明が悲壮な顔をして言った。

「ど、して……どうして今まで帰って来なかったんですの……。」


目を潤ませて、今にも泣きそうな黎明を滄助はしどろもどろしながら見ている。


「あのね、黎明。これはちょっとした事情があって」

「もう嫌い!お父様のバカ!お父様なんて、大大大っ嫌いですわ!」


予想以上にダメージを受けたらしく、滄助は放心状態に陥っている。やっと意識が覚醒した神無月は眉間に皺を寄せた。


「何だこの地獄絵図は……。」


ひっくひっくと嗚咽を上げながら、朧がそれを何とか宥めようとする。滄助はぽつりと言った。


「うん……そうだよね……やっぱり駄目な父親なんだよね……僕……。……うん、決めた。黎明の気が済むまで僕を罵って!」

「何でそうなるんですか!」

「分かりましたわ!」

「分からなくていい!」


蓮花が突っ込むが全く追いつかない。黎明の罵倒が火を噴く。蓮花と朧と神無月が呆れ始める。


「お父様のばか!」

「もっと!」

「もっとじゃないですよ……父上……。」

朧のため息をが入る。


「お父様のおたんこなす!」

「まだこい!」

「何だこの流れ……。」

神無月が訝しげに呟く。


「お父様の……お父様……何で一緒に生きてくれなかったんですかっ!」


暫く沈黙が訪れる。恐らく銃声もあった上、この五月蝿さだ。だから勿論人が車掌や乗務員を呼んでいるであろう、と蓮花は一人勝手な事を思っていた。だが。


「……え。」

『何で此処は開かないんだ!』

『開けなさい!』

『くそっ!何か割れるものでも持って来い!』


どんどん、と電車を繋ぐ扉が、酷く叩かれている。滄助が止めているのだろうか。そして、滄助が顔を上げて言った。


「それ……。」


言い過ぎた、とばかりにその表情を黎明は出したが、滄助は、


「もっと言っても良いよ!」

「鼻血だしながら言う事じゃねぇ!」


鼻血をだらだらと出しながら滄助は叫んだ朧に蹴り飛ばされる。


「ぐふ……飛ばされるのなら……黎明の蹴りが……良かっ……た……。」


黎明がそれを聞いて、椅子にへなへなと倒れ込んだ。気絶している。朧は眉間を抑えて言った。


「アンタ何しに来たんたんだよ……。」

神無月の口調が完全に崩れる。


「それは勿論、仕事さ!」

「父上、鼻血を拭いてから喋って下さい。」


よろよろと立ち上がった滄助を、朧は怪訝そうに見ている。どうやら黎明が気が付いたようだ。蓮花の側に寄る。朧が顔に怒りが込められている。


「これだから父上は……。」

「ん?何、褒めてくれるの?」

「ベルヴェルク(禍いを引き起こす者)だと言ったんです!」


其処からかなり高難度な言い合いが始まる。何を言っているのかがさっぱりである。


「あぁん?若造の癖に煩いよ! 嘲笑の虐殺者ニーズヘッグの癖に!」

「あーもしかして、 ハール(白髪の老人)の方が良かったですかぁ?」

「『前の僕』の年数入れないでくれる!?老人じゃないし! 偉大で崇高なフィムブルチュールだし!」

「それは私の称号です!父上なんて 人間の出来損ない(ショゴス)で充分です!」


蓮花が3人で顔を合わせる。黎明が言った。


「……父と兄は、賢いです。私が言うのも何ですが、普通に賢いです。何でも知っていますわ。」


目の前で中々高難度な言い合いをしている二人を見ながら、黎明が淡々として言った。

「……だから、止められないのですのよ。喧嘩している内容がちょっと常人には理解出来ないので。」


蓮花が言った。


「これ……どうするんですか。」

「さぁ、分からんな。終わるのを待てば良いんじゃないか?」


神無月が適当に答える。そして朧が叫んだ。

「大体!仕事にも来てるのに相手しないとかあったまおかしいんじゃないですか!」


滄助がキレた。

「あったまきた!もういい!ぶち壊すもんね!」


朧がそれに危機感を感じて、拳銃で窓を割る。

「じゃあぶち壊す前に逃げますから!」


蓮花が朧に問う。

「こっから……どうやって逃げるんですか。」


朧はさも当然そうに返す。


「そんなの此処から飛ぶに決まってるじゃないか。」

「いや、飛ぶって……。」


朧が蓮花にさも見せ付けるような笑顔を見せる。

「『月の都』から落ちた人には大丈夫だろう?」


蓮花はため息を付いて朧に言った。


「ハイハイ分かりましたよ。飛べば良いんでしょ、飛べば。」

「ご理解が早くて助かるよ。」


そういう訳で、と滄助に黎明が言った。間に合わせの台詞の様に。

「お父様。暫しの別れですわ。またバルコアベルボーでお会い致しましょう。」


窓に足をかけて、思いっ切り飛んだ。びゅう、という風の音が、蓮花の耳を切る。落ちた先は、1m程の下にある草原だった。滄助が目を見開いて四人を見ている。神無月が言った。


「上手く降りれたな。」

「確かに上手く降りれましたけど……どーするんですか、これから。」


勿論、と朧は笑った。


「バルコアベルボーへ向かうよ。此処からじゃあ車で1時間ってとこかな。」

「……車なんて、周りにありませんね。」


うーん、と朧が唸った。仕方なさげに言う。


「……神様の特権、使いますか。無から生み出すやつ。あれあんまり好きじゃないんだよなぁ……。」


四人は下に見える道路に降りた。朧が指を鳴らすと、其処にはもう車があった。


「やっぱり、神様なんですね。」

「そうだって前から言ってるでしょう?」

「案外信じられないって言うか、何て言うか。」


瞬間、魔弾が車の直ぐ横を爆破する。黎明が空を見上げる。


「うぅ……空中魔道部隊までいらっしゃるなんて……。」


朧が言った。

「さぁ、さっさと逃げようか。父上が存外しぶとい事が、今になって仇か……。」


全員車の中に入ると、車が動き出す。神無月が目を伏せて言った。


「……貴様、免許は?」

「はぁ?持ってる訳無いだろう?」

「だからこんな運転が危ういんですね。」


大きな歯車が回転する、『蒸気街』の一端が見える。黎明が言った。

「着く前に交通事故で死にそうですわ。」


朧が適当に運転しながら言った。


「大丈夫でしょ。だって、右がバックで左がアクセルだよね?」

「逆だ!」

「ウインカーはテンション上がるから付けておいたよ!」

「そんな物の為にウインカーはある訳では無いですよ……本当に、不安以外の何者でも無いです……。って、うわぁ!」


目の前で魔弾が炸裂する。


「おっと、危なかった!3cmズレていたら確実に直撃だね!」

「貴様の運転がもう危険だ!」

「ジェットコースターより怖いですわね。」

「もう着く前に死にそうですね……。」


はぁ、と朧が悲しそうにため息をつく。


「皆酷いよ。私はこれでもゲーセンの自動車シュミレーターじゃ中々の強者だったんだよ?」

「それは遊びですからね。」


急ブレーキがかかる。


「もう、何ですの!兄様!」

「これは……。」


目の前には、巨大な陥没地があった。神無月が目を細めて言った。


「爆弾処理の後だ。火薬の臭いが車内にも入ってきているぞ……。」

「それで、私達を捕まえると?全く、姑息な連中な事だ。」

「どうするんです?あぁ、分かりました。飛ぶんですね。分かります。」

「蓮花ちゃんもやっと私の行動が読めるようになったんだね!」

「何となく、理解はしました。」

「さて、飛びますか。」


朧がアクセルを踏むと、ふわりと車は中を浮く。


「捕まっててね。飛ぶとは言っても、時空を飛ぶ訳だからね。」

「に、兄様?それはちょっとやりすぎかと……。」

「大丈夫、死なない死なない。だって、神様だし!」


ふわふわと浮いていく中で、少しバックした車は、アクセルを深く踏み込まれて、一気に時空を飛ぶ。


体に半端では無い重さがかかって、気だるさが凄絶だ。がぎん、という車の大破した音が聞こえる。


「あ……生きてる……。」

「生きてる事が不思議に思えてくるぐらいですわ……。」

「今度の運転は俺にさせろ。」

「皆酷評の準備は満タンだったみたいだね。」


朧だけが元気よく言った。大体、と神無月が言った。

「何で免許を持ってない奴がさも平然と運転するんだ。」


重すぎる体を何とか起こして、蓮花は車から出て、大破した前方部分を見つめた。


「……これで生きてるって、かなり凄いことですよね。朧さんも神無月さんも良くご無事でした。」


潮の香りがする巨大なごみ捨て場の山の上で、蓮花は言った。潮の香りで何とかゴミの臭いは抑えられている。黎明は息も絶え絶えに問うた。

「何故……何故こんな所に止めたのです……。」


朧が笑って言う。

「そりゃあ勿論、ゴミ捨てるのが楽だからだよ。」


ぱんぱん、とゴミになった車を叩く。神無月が最後に車から降りた。


「此処から降りるのか。」

「そういう事に……なりますわね……。」

「転けたら臭いが付くし気を付けてね!」

「保安院を倒す前にどうにかすべきなのはあの人のああ言う部分じゃないんですか。」


黎明と神無月が声を合わせて言った。

「激しく同感。」









「先程は兄様の愚行に憤慨しておりましたが、バルコアベルボーは最高で御座いますわね。」

「前半の部分はよく聞こえないけど、後半は激しく同感だね。」


朧と黎明が述べた通り、バルコアベルボーは最高の街だ。大きな大きな、ドーム一個分はありそうな歯車等が、中心部でがこん、がこんと、鳴っている。


街並みは古き良き、と言うのだろうか。燻んだ煉瓦が風合いを良くして街を守っているように見える。住んでいる人も皆幸せそうだ。


「これは……花霧町とは大違いの都会だな。」

「比べる物が間違っていると思うけど。花霧町は高級住宅地というか……昔から住んでいるような人しか住めない町だからね。」

「……そうなのか?」

「はぁ……これだから神無月は……。」


そんな事を朧は零しながら、街のあちこちを感嘆しながら見つめる。


「これは本当に凄いね。此処は全部蒸気で出来てるんだ……。」


蓮花は呆気に取られて何も言えない。自分より大きい物など、これまではエレクトローネの町の時計台しか無かったからだ。


「うわぁ……凄い……。」


ふと、通りすがりの人に声をかけられる。

「お嬢ちゃん、遊びに来たのかい?」


蓮花は半分喜びに溢れながら言った。

「そうです!全く凄い街ですね……吃驚しました。」


相手は蓮花に問う。


「何処から来たんだい?」

「エレクトローネって言う運河の町です。」

「町並みが綺麗な彼処か。良いね。1度行ってみたいよ。」


蓮花は会釈してその場を立ち去る。何もかもが、蒸気を利用した機械や歯車が使われている。そして、装飾も美しい。黎明があまりの美麗さに、語彙が貧相になる。


「凄い発展のしようですわ。とても凄いですわね……。」


確か、と神無月が言った。

「凄い発明家が居るそうだな。保安院の院長がやっているそうだが。」


え、と朧が言った。

「院長が発明家なの……?」


神無月が目の前の機械を見ながら平然と返す。


「そうだな。このバルコアベルボーも、院長の発明により発展したそうだ。」


それを聞いていた朧が、見たことも無い、変わった小さな時計を買って神無月に渡す。考えながら朧は言った。


「……もし、それが本当なら、此奴をちょっと分解して欲しい。君、一応の学問は一巡してるだろ?」


神無月は少し驚きながら言った。


「あぁ、まぁ、そうだが……いきなりどうした?」

「何か発見しましたか?」


蓮花が朧に問うた。朧はそれに応える。

「……うん……何か、ちょっと心当たりがあって。この予想は多分当たってるんだよね。」


三人が一呼吸をする間に、神無月は完全にそれをバラしてしまった。

「こんなもんか。」


黎明が屈んでそれを見る。朧がばらした歯車の一つを取って言った。

「やっぱりかぁ……あの人随分暇な事をしてるねぇ。」


黎明が不思議そうに朧に言った。

「何が、ですの?」


朧がその小さな歯車を、光に透かす。

「……これ、父上の物だよ。この歪で特徴的な形は、間違えなく。」


黎明の眉間に皺が寄る。

「お父様の?……それではもし、神無月お兄様の言ってらっしゃる事が本当ならば……。」


黎明の眉間の皺をぐりぐりとしている朧の横で、黎明の言葉を蓮花が引き継ぐ。


「朧さんと黎明のお父様は保安院の院長の可能性が高い、という事ですね。

でも、と神無月が言った。


「何か、引っ掛かるな。流石にあのお優しい父君ならば、人に手を上げるどころか、子供に手を上げる様な事はしないと思うが……まぁ、戦闘は一応はしたが……。」


そもそも、と朧がぼんやりと言った。

「この戦いが何の戦いかすらも分からない。そもそも、何故始まったのかも……私が連行されて、其処から何かが歪み始めた……。」


蓮花が腕を組んで言った。

「何処か……掌で転がされている感じがしますね。」


神無月が分解した時計を見ながら言った。

「何せ、連続した襲撃が無かったからな。あまり保安院自体の攻撃が無かった。」


黎明が朧の手から逃れて言った。


「困ったものですわ。乗り込むのも、こんな騒ぎの後ではどうしようもありません……。」


少しの沈黙の後に、蓮花が考えながら言った。


「今、街中に捜査網が引かれているんですよね。」

「そうだな。」


神無月が相槌を打つ。


「だから、捕まってしまっては駄目だ。相違ありませんね?」

「そう、だけど……?」


朧が蓮花の考えを少し覗こうとする。


「なら、集めてしまえば良いのでは無いですか。一箇所に。まぁ、複数箇所でも全然構いませんが。」

「そうですわね……あ。ま、まさか……何か……。」


黎明の続きを蓮花が言った。


「この騒ぎの中、問題を起こせば保安院は動かざるを得ない。私達が、勿論問題の主犯となるでしょう。」


朧が顔に焦りを出しながら言った。

「き、君……何時からそんな悪い子になったの?」


蓮花はにっこりと微笑む。

「いえ、悪い子ではありません。此処まで来て帰るなど、半殺しもいい所です。」


神無月がその提案に乗る。

「具体的にはどの様に?」


蓮花は即答した。


「爆弾を仕掛けます。低殺傷能力の物を、なるべく広範囲に。誰も予想出来ないような場所に。爆弾……それっぽい音とエフェクトが欲しいです。拳銃の発砲音は私がします。……朧さん、黎明。エフェクトをお願い出来ますか。」


はぁ、と朧は態とらしく溜息をつく。


「はいはい、分かりましたよ。燃やせばいいんでしょ。任せて。私の幻影術と黎明の魔法で増やすよ。……神無月、君にはこれを上げよう。」


朧の持っていた拳銃を神無月に渡す。蓮花がそれを見て言った。


「作戦は1時間以内に行います。……これだけ話しているのだから、もう警官を呼ばれてもおかしくありません。」


作戦内容は、と蓮花が続ける。


「別に無いです。気を付けなければいけないのは、姿がバレないようにするのみ。それでは、私達の拳銃発砲の20分後に、朧さん達の爆弾と洒落こみますか。」


蓮花がそうやって少し笑うと、全員は頷いて、その場を離れた。












「それでは朧さん、発砲しますね。」

『はい、どうぞ。後は逃げる事に専念してね。』

「了解しました。」


蓮花は朧との通信を切ると、裏路地の側にある木箱に身を潜める。


パン!パン!パン!


乾いた音が三発響いて、ざわざわと大通りがざわめく。蓮花は裏路地にまた身を潜めると、神無月に連絡した。


「神無月さん、発砲しました。今から逃走しますね。」

『分かった。心置き無く逃げろ。』


神無月が蓮花の通信に更に言った。


『一応、悲鳴も上げておく。いいサイトがあってな。かなり音声を広げられるだろう。』

「悲鳴、というのは良いですね。お願いします。」


朧が三人に言った。

『爆発の後は10分後に保安院前集合で良いかな?』


蓮花が代わりに応える。

「構いません。私は逃げますね。通信を切ります。」


ぷつ、と短い音が起こって、蓮花は一つ溜息を付いた。神無月に教わった『残心』を試みる。集中を途切れないようにするのだ。


「それにしても……綺麗な街ですね。」


蓮花は小さく言った。大通りを振り返ってみると、直ぐにパトカーが来るのでは無く、保安院の車が来る。その様子を見ながら蓮花は言った。


「へぇ……この街はパトカーが来ないんですね。」


その呟きを、同じくその様子を見ていた住人が拾った。


「外から来た人には珍しいかな?保安院がこの街の治安を仕切ってるんだよ。」


蓮花がそれに無難な返答をする。

「そうなんですか。心強いでしょうね。」


意気揚々と住人が力強く言った。

「あぁ、凄く心強いよ!最近、保安院も大変そうでね。」


あぁ、恐らく自分達の事だなと蓮花は心の中で思いながら、嘘がバレないように住人に言った。


「へぇ、そうなんですか。どうしてでしょう?」


蓮花の嘘に気付かない住人は、そのまま続けた。


「何かね……ずっと追いかけてたA級が捕まったんだけど、逃げ出したらしいね。まぁ、これは噂だからね。本当の事はよく分からないよ。」


蓮花は適当に相槌を打つと、その場をそそくさと退散する。否、しようとした瞬間だった。


「其処の、黒髪のマリンワンピースの方!」


思いっ切り該当者な蓮花が声の方に振り返る。白い保安院の制服を着た、黒髪の若い女性が軽やかな声で蓮花に言った。


「これ、落とされませんでしたか?」


白い手袋の上にあったのは、間違いなく蓮花のハンカチだった。

「どうも、有難う御座います。」


しかし、蓮花のハンカチから少し白い紙の様なものが覗いている。

「あの……。」


去り際の保安委員に、蓮花は声をかけた。

「この紙切れ、私の物じゃないんですけど……。」


怪訝そうな顔をして、保安委員は言った。

「申し訳ありません。私もこれを拾った時には、この状態でしたから……。」


蓮花は少し考えて言った。

「……そう、ですか。分かりました。きっと気付いて無かっただけで、私の物だと思います。有難う御座いました。」


にこっ、と保安委員は敬礼して、蓮花の傍を去る。蓮花は正方形の白い紙切れに書いてある事を小さく朗読する。


「『それは、子供部屋に閉じ込められた子供の様な人間だ。しかし、幼いが故、一部が異常に発達しているが故、何が残酷かを心得ている、恐ろしい存在。気を付けろ』。」


蓮花は紙切れを反転させて、裏に書いてある文字を見る。


「『P.S 子供には玩具を与えよ。子供は無益な争いを好まない』。……?これ、は……。」


蓮花の呟きの後、ザザっとマイクのノイズが入る。神無月からだ。


『少々面倒な事になってな。』

「どうしました?」


蓮花は誰も居なさそうな路地を選んで神無月に言った。


『恐らく、付けられている。蓮花も、だ。元々マークしてあったんだろう……あぁ、やっぱりそうだな。』

『え?神無月お兄様、そんな事、どうしてお分かりになられるのですか?』


黎明の声もノイズが混じっている。神無月が暫くの沈黙の後に言った。


『……あぁ……これは、そうだな。保安院のネットワークは緩いからな。ファイアーウォールを簡単に突破できた。それでだな。朧の父君が連絡している事が分かった。』

『神無月って凄いね……。』


神無月が続ける。

『内容も確認済みだ。何かアクションを起こす事も想定済み。流石に10分も待っている事も想定済みだろう。……どうする?』


蓮花が少し考えて言った。

「……仕方がありませんね。爆弾の後、四人別々で玄関を突破するしかありません。」


さぁて、と朧がさも楽しげに言った。

『さぁ、ショータイムと行こうじゃないか! 』

「あの。」


蓮花の背後からかかる声と、朧の声が同タイミングだった。蓮花は振り返る。

「……やっぱり、貴女だったんですね。御手洗 蓮花という人間は。」


蓮花は先程の保安委員に直ぐ答えた。

「そうですね。私が、御手洗 蓮花です。」


保安委員は自分自身と葛藤している様で、難しそうな顔をゆっくり上げながら言った。

「私は……貴女を捕まえたくありません。」


蓮花は取り乱さずに、保安委員に言った。

「私に、捕縛命令が出たんですか?」


こくりと保安委員は頷く。少しの沈黙の後に、彼女は言った。

「永久禁錮の命令が出ました。だから……私は捕まえなくちゃいけない。」


蓮花は相手に尋ねる様に言った。

「何故……何故、私を捕まえる事を、そんなに渋るのです。」


保安委員は帽子を深く被って言った。

「全ては……そう、全ては私の不徳の致す所です。A級犯罪の中でも国家機密な、『終焉を喰らう第二魔物』を捕縛し損ねたからです。」


蓮花は初めて聞くワードを繰り返して言った。


「『終焉を喰らう第二魔物』って……何なんですか?」

「貴女の、近くにいる人です。でも、これは……私の口からはとても言えません。」


保安委員は続ける。

「それに……貴女の存在が許されないって……そんな、そんな!」


蓮花は少しだけ眉をひそめて言った。

「否定はしません……しませんが。貴女の悩みも、これで終わりますよ。」


嬉々としたした保安委員の顔に対して、バンバン、と二発の銃声が響く。どさ、と彼女はあんぐりと口を開けて倒れた。蓮花がそれを見ながら言う。


「貴女は……戦闘委員ではありませんね。銃器もあるけれど、抜く気配も見られなかった。……ごめんなさい。私も、生きたいんです。」


蓮花はその場所を、そそくさと退散した。啜り泣きと、声にならない断末魔が、蓮花の耳に残った。












蓮花は警備が手薄になった保安院の前に立つ。


「私達は正面突破ですね。朧さん。」


傍に居た朧が答えた。

「そうだね。黎明は神無月に任せてある。だからまぁ、大丈夫だと思うよ。」


でも、と蓮花は言った。

「正面突破だったら、捕まりませんか。一応突破しましょうとは言いましたけど。」


朧がニヤッと笑う。


「それがね、コネがあるんだなぁ。」

「捕まえる側にコネがあるって、中々凄い事しましたね。」

「君も会ったことはあるよ?」


蓮花が少し考えながら言った。


「成程。もしかして……『元王女』様ですか。」

「そーそー、私の可愛い可愛い妹の気に食わない友達の『元王女』様だよ。」


蓮花は笑った。


「随分な言い様ですね。」

「勿論でしょう。だって、家族だもの。」


入口の警備官に、蓮花は言った。

「あの、此処、入れませんか?」


蓮花の顔をまじまじと見ながら警備官は言った。

「すいません……この先は関係者以外立ち入り禁止なんです。」


朧が警備官をからかうように言った。

「そうかぁ……じゃあ、私が逃げ出した最大犯A級犯罪者だって知ったら、どうする?」


ざわざわと周りの空気がどよめく。

「な……何のご冗談を。そんな犯罪者は、とっくに捕まえて居ます。」


朧は勿体ぶって言った。

「えー!態々こんな辺鄙へんぴな所まで来てあげたのにぃ。ね、捕まえるチャンス、でしょ?」


警備官は朧を無視して蓮花を見て言った。

「ね、お嬢さんは何処の子かな?お母さんが心配してるでしょ?」


蓮花は冷静に返した。


「両親は居ません。あと、私の名前もご存知な筈です。私の名前は御手洗 蓮花。恐らく知っていると思いますが……以後、お見知りおきを。」


また、ざわざわと周りが響めく。保安委員が蓮花に言った。


「ちょ、ちょっと?悪い冗談は、」

「悪い冗談ではありません。……そうですね、生徒証でも見せましょうか。それとも作り物である証の魔術回路でも、何でもどうぞ。」


朧が蓮花に言った。

「魔術回路、全て終わったら解いてあげるからね。ちょっと待っててね。」


蓮花が少しだけ膨れて言った。

「早くして下さいよ?私だって、生きたいんです。」


どたばたとしている警備官の前で、朧は温かみのある声で言う。

「生きる気力が湧いて、良かった。」


蓮花があの記憶を思い出す。

「……もしかしたら、作り物だということを無意識に感じていたのかもしれません。だから、死ぬのが怖く無かった、のかもしれませんね。」


警備官は蓮花と朧に言った。

「取り敢えず、緊急逮捕します!動かないで下さいね!」


朧がくすくすと楽しそうに嗤う。

「きっと今の保安院内は、随分な事になってるだろうね。」


蓮花が恐る恐る近付く警備官に言った。

「そうですね。……あとそんな怖々近付かなくても暴れませんから。」


朧がそれに小さく付け加えた。

「今の所は、ね。」












「あら……随分と騒々しいのですわね。」

「きっと朧がドンパチやってるんじゃないのか?」

「まぁ!兄様ったらまたそんな悪い事をして……!」


そんな意地らしい事を言っている黎明に、神無月がからかうように言う。


「でも、これから俺達がする事も『ワルイコト』だぞ?」


少しだけ考えて黎明は言った。

「で、でも。それは、ほら、理由がある事ですし……仕方が無い事だと存じます!」


黎明の可愛らしい言い訳に、神無月が笑った。


「ふふっ……さぁ、それでは行こうか。そんなに暴れなくても良さそうだな。」

「暴れませんとも!」


二人はそっと、茂みに隠れながら、裏口から入る。神無月が見計らって警備官を容赦なく倒す。


「こんなので本当に警備なんて出来るのか……?」


少し困った顔をして黎明が言った。

「恐らく、神無月お兄様がお強いからだと……。」


こつこつ、と革の靴音を鳴らしながら、神無月は言った。

「そうか?俺は普通の人間なんだが……。」


さらに困った顔をして、黎明は申し訳なく言った。

「いえ……唯一神と言われる我が愚兄と喧嘩しあっても、人間で生きているなどというのは、少々……。」


神無月は黎明の一言が聞こえなかった様で、更に先へと進んで行く。

「それにしても何故、こんなにも警備官が居ないのだ……。」


くすくすと悪戯っぽく黎明は笑う。

「兄様がどんぱちしてるからかも知れませんわね!」


神無月もそれに吊られて微笑む。


「……彼奴がお前に笑顔でいて欲しいと思うのも、分かる気がするな。」

「あら、何ですの?」

「いいや、何でもない。」


廊下の角を曲がろうとした時に、神無月はぴたりと静止した。

「……静かに。」


黎明の口を抑えながら、冷たい銃器を取り出す。かちゃりと、牙を向く音が聞こえた。

「……。」


軽やかに躍り出て、バン、と一発銃声が響く。神無月は揺らめく刀を前に構えた。

「……お前か。」


武士の老人がゆっくりと身体を表す。左耳が包帯で巻かれており、未だ出血は絶えない。頬には掠った弾丸の傷跡があった。

「健在だな、神無月の子息よ。」


神無月が刀を構えて言った。


「一つ、お前に聞きたい事がある。」

「何だ?」


少し目を伏せて、神無月は言った。

「保安院にも、俺の両親については書かれていないのか?」


南野屋は、刀に軽く手をかけて言った。

「……そうだな。一つ言える事がある。貴殿の両親は、死んでいるという事だ。」


神無月は有り得ないと言った体で問うた。

「どういう事だ?俺について書かれたあの資料には、まだ両親が生きていると……。」


ふう、と南野屋はため息を付く。

「あれは、数年前の資料だ。……貴殿の父親と母親は、保安院に殺された。『怪物の両親』という事でな。」


神無月の顔に怒気が溢れる。

「こ……ころ、された?何の、為に?俺の、俺が産まれてきたのが、悪いから……。」


しかし、と南野屋は言った。

「貴殿の為に最後まで命をかけたと言うのは、事実だ。父親は……保安院に利用され、母親は相手の目の前で殺されたから。」


神無月は黎明に言った。


「先に行け。」

「……っ!分かりましたわ。」


懐にある物を見つめて、神無月は呟く。

「……こんな物を持たせる訳にはいかないか……。」


諭すように、優しく黎明に言う。


「良いか?お前のその『角端』ならば、凡百あらゆる言語を介せる。困った事があれば、きっと力になってくれるのはお前が一番良く知っている筈だ。……さぁ、行け。」


こくりと頷いた黎明を横目で見ると、神無月は軽く目を伏せて、真髄たる双眸で、相手を見詰めた。











「ねぇーえ!クーラーとか付けてよ!夏の盛りだよ!?君も暑くない?だからクーラー付けようよ!」


朧は特別独房で足をバタバタさせながら、叫んでいる。足には枷もなく、足首に何かの起爆装置があるだけ。特別独房の隣の独房で、蓮花が冷静に言った。


「暑いですけど……そもそも!朧さんが特別独房に入る様な事をするからですよ!」


朧が蓮花の一言を無視して椅子に体重をかける。


「暑い、暑い、暑すぎる……これで可愛い子の一人でもいればなぁ……。」

「煩いぞ!大人しくしていろ!」


看守が朧に言った。


「却下しまぁーす、クーラーつけてくださぁーい!」

「カミサマったら、本当に腹が立つの極みね。」


声の主は、クルメリア。翠色の瞳の少女だ。

「な、何故お前が此処に……!」


看守の一言に、腕を組んでクルメリアは言った。つかつかと近付いて行く。


「分かるでしょ?もし、今、カミサマと其処の霊能偽人間少女の策に乗ったら、私はこのブラック企業から抜け出す事が可能なの。分かる、わよね?」


蓮花が隠し持っていた『金華』を、ゆっくりと麻酔銃に変えて、ばすばすと周りを打っていく。


「……こんなもんですかね。」

「わぁ、蓮花ちゃん狙撃術上がってるねぇ!」

「それは……喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか……。」


クルメリアが朧の独房に鍵を放り投げて、蓮花の枷などを外していく。


「この差は一体何なのかな?」

「別にカミサマは何もしなくても出れるでしょ。」


朧が独房から出て伸びをしている。

「まぁ元々、この作戦は囮作戦だからね。」


蓮花が不思議そうに尋ねる。

「それは一体、どういう事ですか?」


朧はさも当然そうに、薄暗い廊下の中で蓮花に笑いかける。


「もし、私達がまた捕まっても、犯人探しに時間がかかる。だって保安委員は何万人とも居るからね。だから、その間にまた計画を実行できるって訳。」


クルメリアが廊下に出て言った。

「……貴方達、本当にこの作戦を実施するつもりなの?相手は強いのよ。」


朧が自信満々に言った。

「それはあの人の子供である私が一番良く知っているからね。」


クルメリアは伏せ目がちに蓮花に言った。

「ねぇ、御手洗 蓮花。」


間髪入れずに蓮花は呟く。

「クルメリアさん、貴女、人の名前をフルネームと適当なニックネームで呼ぶ事以外出来ないんですか……。」


それを無視してクルメリアは続ける。

「貴女の事、躍起になって探してるわよ。」


挑戦的な笑みを蓮花は浮かべる。

「へぇ……それは随分と面白いことを聞きましたね。一体何故ですか?」


朧が蓮花に呆れ笑って言った。


「蓮花ちゃん、君分かって聞いてるでしょう。」

「それが醍醐味ですからね。」


クルメリアが小脇に抱えていた黄色のファイルを蓮花に差し出す。

「貴女はそれを見る権利があると思うわ。どさくさに紛れて取ってきたの。」


ペラペラとページを捲ると、蓮花はか細く呟いた。

「……もし……捕まったら、私、殺されますよね?」


朧がさも当然そうに言った。

「まぁ、そうだろうね。解体されちゃうかも。」


ぽた、ぽた、と書類が涙で汚されていく。

「……死にたくないです、朧さん、クルメリアさん。私は、死にたくない……怖いよぉ……生きたい……死にたくない……死ぬのが、怖いよ……。」


朧は黙って蓮花の肩を抱く。

「大丈夫だよ。君は死なない。死ぬわけが無い。だって、君の周りには君を守りたくて、君が守りたいと思いっている人が、何人だっているんだからね。」


クルメリアは態とらしくため息を付いた。


「はぁ……保安院でウワサされてる『霊能少女』なワケ?貴女、そんな弱くないでしょ。私が会った御手洗 蓮花は、もっと信念があったのにね。……大体、貴女が死ぬワケ無いじゃない。カミサマが傍にいて、それでも死にたく無いって、我儘ね。」


少しの後、クルメリアは言った。

「私だって力になる。これが終わったら、皆でピクニックでも行きましょ。」


蓮花は笑い泣きながら言った。


「……ごめんなさい。とっても、とっても怖かったんです。作り物で、それでいとも容易く殺されそうで……とっても、とっても……。」


蓮花のその様子を見て、クルメリアは言った。


「それじゃあ、私は行くわね。仕事柄貴方達に手を上げることもあるかもしれないけど。まぁ、それは許して頂戴な。」


怨みが薄くなった王女様は、軽く笑った。











美しい刃物のぶつかる音がする。神無月は容赦なく相手に向かって薙いだ。

「随分と……前よりも上達しているではないか。」


南野屋は呟いた。伏せ目がちに神無月は言う。

「刀の鍛錬をしただけのこと。特にこれと言ったことは無い。」


神無月が刀を構え構え直した時だった。

「っ……!」


左腕に、激痛が走る。何時もなら癒える傷が癒えぬと言うのは、これは。

「……『玉龍』?」


南野屋が神無月の弱体を狙って一気に切り伏せようとする。凛とした声で、だらだらと血液が流れる傷口を見ながら神無月は言った。


「来い、『湖月』。湖の月よ。」


小さな詠唱で湖月が現れる。大きな九尾の狐が、姿を現した。

「小賢しい奴め。」


神無月は南野屋と戦っている湖月を見ながら、どろりと流れる血を見る。傷は左腕に斜めに切り込んであった。


「だ、駄目だ、思い出したちゃ駄目なんだ……。」


決壊した記憶が、忘れたかったあの記憶が、神無月の思考を染めて行く。玉龍を逃がしたあの払い屋を、殺す為に。


「嫌だ、嫌だ、嫌だ。」


まるで赤子が駄々をこねるようだった。どれだけ頭を抑えても、流れてくるものは止めることが出来ない。神無月の血液が、玉龍の血液と混ざって、それで暴走して。


「やめてくれ。頼むから……頼むから!」


全ての音が遠ざかって行く。神無月の耳元で、悪魔という者がいるのなら、悪魔は囁いた。


コ ノ 、バ ケ モ ノ !


ニ ン ゲ ン ナ ラ 、コ ン ナ コ ト ハ シ ナ イ !


オ マ エ ハ、タ ダ ノ バ ケ モ ノ ダ !


一人の『人間』が発した、あの罵声。心身ともに憔悴しきっていたあの頃には、それをトラウマとして処理するなど、赤子の手を捻る様なものだった。


「あ……。」


何かが崩れ去ったように、神無月は膝を付いていた体制から、立ち上がる。まるでその様は亡霊の様だった。南野屋は異質な神無月の姿に目を見張る。


「お、お前は……。」


何も見ていない、何も見ない神無月は優しく笑った。


「殺せば、良いんだ。そうだ、こんな、こんな者なんて……こんな人間を殺すなんて、何て簡単な事なんだろう!」


背後には、余りにも大きすぎる、具現化した『玉龍』が居た。












「んー……何処へ行ったらお父様は……。お、おとうさまー?」


恐る恐る黎明が声を上げる。しかし、ただ自分の声が帰ってくるだけで、反応は無い。


「お父様……お母様……お兄様……。」


こつこつ、と丸い可愛らしい靴を鳴らして、黎明は呟きながら歩く。


「……会いたい……お母様に……家族で……過ごしたいですわ……。」


何処かか細く黎明は言った。ふいに、曲がろうとしていた角の向こうから声が聞こえる。


「おい、見つけたか?」

「いえ、まだです。一体何処へ……。」


恐らく保安委員だろう。黎明は怖々覗く。

「誰か居ましたよ!」


呆気なく見つかる。どうしてこうも鈍臭いのだと黎明は頭を悩ませた。そして、強力な味方を呼ぶ。


「『角端』……何とか怖がらせて、追い払って下さいまし……。」


薄霧が立ち込めて、黒く銀の筋が入った麒麟が現れる。主に言われた通りに、角端は命令を遂行する。


「うるる……!」

「な、何ですかこれ……。」


保安委員が怖気づくと、そのまま去って行った。ぺこりと黎明は角端に頭を下げる。


「本当に有難う御座いました。きっと追いかけて来るでしょうし……さっさと逃げましょう。」


さっ、と黎明がその場を去ろうとした時だった。馴染みのある声が聞こえる。

「あら、黎明じゃない。」


くるりと黎明は振り返る。

「く、クルメリア姉様……?どうして、こんな所に……?」


やれやれ、と言った口調で肩を竦めてクルメリアは言った。


「分かるでしょ?私は保安委員だったの。どうしてもやらなくちゃいけないことが有るのよ。分って頂戴な。」

「そ、その、やらなくてはいけない事とは一体……?兄様の事と、関係していますの?」


黎明が間髪入れずに言った。クルメリアが返答に臆する。覚悟を決めた様に、息を吐いた。

「……そうね。」


黎明の顔が顔面蒼白になる。クルメリアは辛い顔を何とか見せまいとして続けて嘘をつく。


「どうしても……保安院の野望の為には、『ラプラスの魔物』と『マクスウェルの悪魔』の力が必要なの。」


だから、とクルメリアは槍を構えた。

「そんなスグ、力をくれる訳じゃ無いでしょ?だから、ね?戦わなくちゃ。」


黎明は打ちひしがれた様に言った。

「そん、な……。」


あまりの黎明の様子に、クルメリアは目を伏せて言った。

「さぁ、闘いましょう。……自分達の全てを賭けた闘いを。」











「全く、ねぇ……。」


光射す凍てついた白い部屋、滄助は保安院長の白い机の上で、何時もと変わらない日常を眺めていた。


たった一つ、壊れたオモチャと弾け飛んだ人間と思われる肉片を覗いては。


「本当に、人間の作る玩具は面白い。何時まで経っても飽きないね。ただ、まぁ……。」


ぽん、と持っていた玩具を放り出して、少し切り傷の付いた右腕の甲を滄助は見る。


がしゃ、とオモチャが壊れる。きっと他の玩具も、同じ方法で壊れたのだろう。


「まさか『ラプラスの魔物』に逃げられるとは……何年生きていても、例外はあるもんだ……。」


滄助は横目で肉片を見る。


「『ラプラスの魔物』に暴走されて……まぁ別にそれは全く良かったんだが、死体が出たのはちょっとなぁ……綺麗な者以外嫌いなんだよな、僕。しかも、保安院長まで喰い荒らされるのはちょっと想定外だったと言うか……。」


ぐちゃぐちゃ、と黒い影のような物が死体を喰い漁っている。死に物狂いで何匹もの黒い影が、死体をただの肉片へと化していく作業を淡々とこなしている。


「……そんなに美味しいの?『深淵の魔物』くん。」


大きな蛇の頭が、こくりと滄助の方へと頷く。


「……ちょっと理解できないな。するつもりも無いけれど。」


滄助は伸びをしながら言った。

「さぁて、相手はまだまだ来るのは先だ。もう一睡しますか。」


そして、滄助は書類を枕にして寝た。














朧は真っ白い廊下を歩きながら、るんるん気分で歩いていた。


「ほんっとに綺麗な廊下だな……こんなに綺麗だと汚したくなる……。ペンとか無いかな。落書きしたい。」


軽く口ずさみながら、朧は歩く。


「お、こんな所にペンみっーっけ。落書き……って、何書こうかな……。」

「あ。」

「あ。」


低い、冷え冷えとした声と、少し温かみのある声が同時に聞こえた。

「え?」


朧が其方の方を向く。其処には、背中を合わせた黒い制服を着た二人の少年が立っている。齢は十五程。


「悪い事をしようとしてる人が居るよー、兄さん。」

「そうだね、居るね。」


口をただ動かしているだけの様で、顔の表情の変化がない。顔は双子で瓜二つ、黒髪のおかっぱ、黒い制服を着ている。朧は余りのことに、ぽかんと口を開けている。


「もしかしてー貴方ー最大犯A級犯罪者ー?」

「きっとそうだよ。捕まえたら良いんじゃないかな。」

「え、えぇ……?」


さしもの朧も適当な相槌しか取れない。二人の少年は息ぴったりの動作だ。


「あのねー、捕まえたら凄いんだよねー。」

「そうだよ。やっぱりボクの弟だね。」


恐らく、弟ののんびりした方から自己紹介を始める。


「天童寺が次男ー、天童寺 晴彦だよー。」

「天童寺が長男。天童寺 晴之だよ。」


朧が答えないのをいい事に、二人はどんどん会話を進めていく。


「知らない貴方のためにー、教えて上げようー。」

「どうしてボク達、天童寺家の跡取りが此処に来ているか。」


それは、と言おうとした時に、持ち前の飄々とした性格を朧がやっと取り戻す。


「修行、でしょ?」

「わーすごーい。分かるんだねー。」

「全然褒められてる気がしないんだけど……。」


それよりも、と長男晴之が声を上げる。

「貴方、天童寺家を知っていますか?」


朧が少しの沈黙の後に答えた。


「……一応、貴族に戻った時に困らない程度の作法や知識は入れ込んだけど……君達の名前は聞いた事が無いな。古今東西の貴族の名前を覚えるのは、本当に苦労した……。」


待っていたように晴彦が言った。


「それはもちろんーそうだろねー。何故ー貴方がー天童寺の名前を知らないのかー。」

「それは、天童寺家が此処五年の内に急成長したからです。」


「そりゃぁ、まあ、知らない訳だよね……。」


「それではー、話も長くなったのでー、闘いましょうー。」

「それでは、いざ尋常に勝負!」


長いサーベルを二人同時で朧に向けた。

「……はぁ。」


いまいち理解が追いつかない朧は、適当に返事した。











「何処へ行けば会えるんでしょう……あれ程食い入る様に地図を見たのに、院長室の部屋だけ見当たらないなんて……階が違うとか?……うーん……。」


唸りながら、蓮花は刀を引き摺り辺りをうろうろしている。


「四人で行動した方がいいと思ったんですけど……。」


ふと、別れる間際の朧の一言を思い出す。


『纏まって動いて捕まると厄介だよ。きっと黎明も大丈夫だと思うし……手分けした方がいいと思う。何せ、警備員が多いからね。』


蓮花は腕を組んで悩み出す。


「まぁ……朧さんは、こういう作戦の算段を立てるのは得意ですし……大丈夫だと思うんですけど……。」

「みぃーつっけた!」


蓮花の悩んだ声と、少女の可愛らしい声が二重に被った。


「もう!とってもこまったんだからね!外にはだしてもらえないし!ぬけだした訳だし!もう!ほんとうにこまったんだからね!」


蓮花はぽかーんとして声の方向を眺める。其処には、齢八歳ほどの少女が居た。いや、幼女の方が正しい。


「どうしてにげちゃったりしたのかなー?悪いことしたなら、ちゃんとハンセイしなくちゃだめってお母様がいってたよ!」


「は?」


ガチトーンで蓮花は驚いている。その口調は、訳が分からないという感情で満ち溢れていた。


「そうだよね!挨拶しなきゃだよね!初めてあうひとには、挨拶しなくちゃだめってお母様が言ってた!」


黒い制服を着た黒髪の三つ編み少女は律儀に挨拶する。


「あたしの名前は天童寺 晴子!てんどうじけがジジョ、てんどうじ はるこ なんだからね!」


それに、とびしりと蓮花に指を指した。

「だいたい!おねえちゃんを傷つけるなんてありえないんだから!」


蓮花はきょとんと首を傾げる。

「……おねえちゃん……?」


腕を組んで晴子は言った。

「晴智子おねえちゃんをしらないの!?しろいセーフクをきた、すごい人なんだよ!」


蓮花が記憶を漁って言った。

「……あぁ、あの人ですか……。成程……。それにしても、どうして貴女みたいな小さい子がこんな所に居るんですか?」


自慢げに腕を組んで、鼻高々に晴子は喋った。


「ふっふーん!何にもしらないショミンにおしえてあげる!あたしはてんどうじけのジジョだから、キョウヨーをつけるためにベンキョーしてるの!」


蓮花がその話を聞いて頷く。


「へぇ。修行中なんですね。」

「シュギョーチューってなに!?はるこ、そんな言葉わかんないよ!」


いきなり拗ねた晴子を見て、蓮花が口を開く。


「小さい子ってこんな情緒不安定でしたっけ……。あぁ、でも我儘に育てられていたらこうなるんですね。」


けれど晴子は気にせず、うーん、と唸る。

「それにしても……だいにまもの、いったいどこにいるんだろうね?」


蓮花がそのキーワードに反応する。

「『第二魔物』、知ってるんですか?」


こくりと晴子は頷く。

「なんだっけ……あだな、みたいな。ほんとの名前も姿もだれも知らないんだよ。きっとコワイヒトなんだろうね!」


あまり有力な情報を得られなかった蓮花が、違う話題を出す。


「そう言えば……此処の一番偉い人って、誰かわかりますか?」


元気よく晴子は声を上げた。

「うん!知ってるよ!おじちゃんの事でしょ!」


蓮花が眉間に皺を寄せる。

「おじちゃん……?」


もし、蓮花達の見立てが正しいのならば、滄助は保安院長になる。だが、あの二十代の見た目を『おじちゃん』、とは言わないだろう。まぁ、実質そんな年齢なのだが。


「そうだ。その人の髪の色、どんな色でしたか?綺麗な色だった?」


ううん、と晴子は否定した。

「ちがうかったよ。フツーの栗色のかみのいろだった!」


蓮花が更に問う。

「その人、何処へ行ったか知っていますか?」


少し考えた後、晴子は答えた。

「いちじかんぐらいまえ、おじちゃんの部屋からはしっていったよ!何かにおわれてるかんじだった!」


一時間前。それは丁度、蓮花達がこの施設に乗り込んだ時間帯と合致する。更に蓮花は追求する。


「そのおじちゃん、その後何処へ行きました?」


晴子は天真爛漫に答える。


「たしかね……ボイラー、ってとこにはしってたのをみたよ!あそこのエレベーターからおりると、しぇるたーっていうあんぜん?なところに出るの……って、あ!しゃべりすぎた!しゃべりすぎはだめって晴彦お兄ちゃんがいってた!」


ビシッと手を真上にあげて、晴子は言った。

「おいで!ベリー!いちご!」


晴子の背後には可愛らしいぬいぐるみが現れる。ベリーと呼ばれたクマの水色のぬいぐるみと、いちごと呼ばれたウサギのピンクのぬいぐるみだ。


「晴智子おねえちゃんのかわりに、あたしが貴女を倒すの!頑張って!二人共!」


『二人』と呼ばれたぬいぐるみ両頭は、蓮花に襲いかかった。


「これが本当のべリー&ストロベリー……。」


蓮花の一言は、ベリーの振り下ろされた腕の音に掻き消された。











神無月の攻撃は止むことが無い。恐らく、人智を超越した『何か』が、背後に立っている事が起因しているのだろう。


「殺せば……全て殺せば……。」


流石の南野屋の表情も、焦りに覆われる。神無月の脳内にはずっとあの罵詈雑言が流れているのだ。虚ろな目で空を見つめる。


「全部、全部……終わらせれば……。」


南野屋は何とか玉龍に攻撃をしかけるも、神無月の憎悪により攻撃が通らない。


「くそっ……!」


小さく悪態を付くと、南野屋は下がろうとする。しかし、

「玉龍。さぁ、殺せ。存分に、無惨たらしめろ。」


神無月の冷酷無慙れいこくむざんな命令が下る。その途端、神無月の思考がぷつんと切れた。


「……どういう事だ?」


今までの、玉龍に命令を下した間の記憶が消え失せている。朦朧とした意識の中、神無月はぼおっと空を見つめる。


「此処は……庭……?しかも本邸のだと?」


いつの間にか、神無月は本邸に出ていた。その庭の美しさは桃源郷をも超えるほど。


両親が居なくなる歳まで、今よりも本邸には行き易かった時代の話だ。


「あら、白羽。おはよう。」


髪は黒く、緑色にも見えそうな射干玉の髪を四方八方に風で揺らした女性が、優しく声をかけた。


「おいでなさいな。一緒にお話しましょう?」


神無月は言われるがままに、女性が座っている池の真ん中の東屋へと足を進めた。


「鍛錬は上手に出来た?」

「ええ、勿論。」

「そう、それなら良かったのよ。」


ざわざわ、と木々が揺れる。何処か桃の香りを感じさせる爽風が、さらさらと流れる。


「……ねぇ。」


か細い声で女性は神無月に言った。

「白羽は、今、幸せ?」


神無月は不思議に女性に問うた。

「……何を言うのです?母上。」


女性は立ち上がって、そっと柱を触る。

「……聞いてみただけよ。答えて、欲しいの。」


神無月は一寸の疑いも持たず、答えた。

「幸せですよ。生まれてきて、後悔したことはありません。」


女性は神無月の心を見破って言った。


「嘘でしょ。ねぇ、ちゃんと思い出して。その上で何を選ぶかは、私も分からないけれど……白羽の今までの記憶、全てを思い出して、その上で結論を出して頂戴?」


女性はそっと優しく神無月の頭を撫でると、今までの記憶が全てが戻ってくる。それを踏まえた上で神無月は問うた。


「……此処は……何処なのでしょう。」


女性は振り返らず言った。


「此処は……偽物の天国。貴方の逃げ道。脳内の産物。……これだけの言い方が出来る場所。」


神無月は感覚が戻りつつある中でも言った。


「それでは……俺は戻らなくてはいけませんね。」


黒髪を散らして女性は言った。

「そうね。戻らなくてはいけないわね。」


女性は神無月をそっと抱きしめた。


「これだけ良く聞いて頂戴ね。白羽は生きている。それだけに苦しい事もきっとある。思い出して死ぬような思いをすることがある。……何だって遅くないわ。生きている限り、何でもできる。何度だって立ち上がれる!自分の身を傷つける事だけはやめて頂戴。私の身が持たないわ。」


神無月が返答する前に、とん、と元の世界へと押し出される。

「戻ったのか?」


神無月は白い廊下に落ちたかなりの血液を眺める。ずきずきと傷口が痛む。


「……火薬の臭い。なるほど、暴発したのか。だからあの野郎は『必要』だと……。」


そっと手を差し出すと、掌に刀の柄が乗る。そして構え直して微笑んだ。だって、何時だってやり直せるのだから。


「少々取り乱してしまった。……さぁ、もう一度勝負を始めよう。」











「く、クルメリア姉様!やめましょう!私、こんな事をしたくありませんわ!」


「私だってしたくないわよ!でも、これをしなくちゃ殺される!何をされるか分からない!」


クルメリアの攻撃を何とか避けながら、黎明は何もせずに叫ぶ。突然、黎明の様子が急変する。


「お願い!もう、争いは嫌ですわ!どうして……どうして!助けて!誰かぁ!」


ボロボロと涙を零して、ひっくひっくと嗚咽を上げる。まるで赤子の様だ。


「助けて!助けて!お兄様ぁ!う、うぁぁぁ!」


クルメリアが唖然としている中でも、黎明は泣き叫び続ける。


「うぅ、お兄様……滄溟お兄様、助けて……私だけじゃ何にもできない……!お兄様が居なくちゃ、何もできませんわ…!助けて!助けて!お兄様の言っていた事が正しかったから!助けて!何でも言う事聞くからぁ!」


クルメリアは黎明の異常な様子を見て、少し後ろに下がる。


「ハハっ……これがカミサマの洗脳術ってワケ……?成程ね……だから、あれ程記憶を消して純粋にしてたってワケ……恐ろしすぎるわよ……。」


黎明は膝をついてすんすんと泣き喚く。


「滄溟お兄様が全部正しい……わたくしが、ぜんぶまちがってた……つ、つよくなろうなんて絶対にむりなのですわ……そ、そうめぇおにいさま……たすけてぇ……。」


クルメリアがその哀れな様子を見て、黎明に言った。


「ね、黎明。貴女のお兄さんは来ないのよ。しかも、なにが正しいのかは分からないわ。自分で決める事よ。」


「ち、違いますわ!お兄様は、何時だって私が呼んだら来るのです!それに、滄溟お兄様は神様なんですのよ!?だから、間違ってるなんて事は無いのです!」


クルメリアが聞こえないように呟いた。

「……正に狂信者ってとこね。あの野郎は本当に一体何がしたいんだか……。」


黎明が鼻をすんすんと鳴らして言った。


「お、おにいさまが来るまでの間……わたくし、頑張りますから!だから!『マクスウェルの悪魔』!頑張って!わたくしの代りに戦って!」


その呼びかけに応じて、黒い銀の筋が入った角端が現れる。その思いたる瞳で、じっとクルメリアを見つめている。


「私と、話したい事があるのかしら?」


何も変わらず、じっと角端はクルメリアを見ている。


「言葉が伝わらないのかしら。」

『伝わっている。安心しろ。』


優しい男とも女とも取れる口調で、角端は言った。だが、と続ける。


『一度、貴殿には怪我をして貰わなくてはならぬ。済まないな。』


クルメリアが身を翻す暇もなく、脇腹に角端の角が刺さっている。


クルメリアが最後に見たのは、自分の血を見ながら、喜んでいる、純粋な笑みを零している黎明だった。











「んあー……?此処、何処……?」


滄助はのんびりと声を上げた。真っ黒い世界で、一人の鈴の音響かす少女が現れる。


「……随分と図々しく生きているのね。滄助。」


白銀の髪を分けて、白い衣を着ている少女に、滄助はお辞儀をして言った。


「やぁ、久し振りだね。莫奇。」

「その名前で呼ばないで。私の本当の名前で呼んでいいのは、あの人だけだから。」

「僕も多分、君が思っている人に該当すると思うけどなぁ……。」


滄助のその一言に、獏は吐き捨てるように言った。


「何を言うの。……人の心を道具にして遊んだ、この化け物が。」


滄助が少し不貞腐れる。


「全知全能の神様に対して随分な言い様だね。……僕の心が狭かったら、君、とっくに消されてるよ?」

「貴方に消されるのならば、自害した方がマシね。」

「……。」


獏の返答に、滄助は黙りこくる。意表を突かれたと言った方が正しいかもしれない。


「それで、獏?一体全体、どうして僕をこんな所に呼んだんだい?」


黒い空間しかないのだが、獏には景色が見えているのだろうか。何かをじっと見つめて言った。


「別に。用は無いの。貴方が、またのうのうと生きている事に腹を立てただけよ。」

「そ、そうなんだね……。」


獏は滄助の方向に向いて、手を合わせて言った。


「……願わくば、貴方様の息子達と娘達に、未来永劫の幸せが訪れますように。莫奇の名によって、之を願います。」


滄助はポケットに手を突っ込んで言った。

「そりゃ、随分と美しい祝詞だね。」


先程の柔らかな雰囲気とは打って変わって獏は言った。


「貴方に言ったんじゃないの。『前の貴方』が創ったこの世界に送ったのよ。」

「君、何だかんだ言って、人間が大好きだものね……そう……。」


滄助は目を細めて言った。


「それでは僕も君に祝詞を授けよう!」

「遠慮するわ。怪物の祝詞なんて呪いよ。呪縛だわ。」

「まぁまぁ、そう言わずに。」


滄助も手を合わせて、獏に言った。


「人を守りし夢の神よ。神代の時代より幸せを願う優しき神よ。その生涯が如何なる物になろうとも、我は貴下きかの幸せを願います。」


暫く経ったあと、滄助は獏を見て言った。


「……どうだった?」

「呪いよ。呪縛だわ。言ったでしょ?」


滄助は獏の心中を察して言った。態と困り顔を作って。

「ありゃ、そりゃ残念だ。」


遠くから、クーンクーン、と甘える犬の声が聞こえる。

「『魔物』くんかな?」


獏は心底莫迦にした様な言い方をした。

「あの子、アホの子なの?」


滄助は少しげんなりして言った。

「……まぁ、そうとも言うね。」


ほら、と獏は言葉を紡ぐ。


「早く行っておやりなさいな。」

「まぁ、そうするけど……。」


滄助は獏に振り向いた。

「また、会えるかい?君と『前の僕』の話がしたい。」


仕方無く獏はため息を付く。


「……貴方が生きているならね。」

「そう、か。」


最後に滄助が言葉を紡いだ時、其処は無機質な保安院長室だった。黒い影で出来た犬が、滄助に鼻を当てている。


「わんわん!」


滄助は一瞬呆気に取られて、直ぐに、にこにこと笑ってわしゃわしゃと犬を撫でた。


「よしよし。遊んでやろう。」


犬はその言葉だけで、ぴょんぴょんとはね回った。小声で滄助は言う。


「……やっぱり、アホの子だね。」









朧はただひたすらに走っていた。ふう、と息をつく。


「おー、兄さん、見つけましたよー。」

「流石ボクの弟だよ。」

「何で見つかるの!?」


朧は二人の猛攻を避ける。


「兄さんとー、僕の力ならばー。」

「お前なんて見つけるのは簡単なんだよ。」


天童寺兄弟はブレることなく朧にサーベルを突き出す。


「参ったな……こうやって信頼し合ってる奴ほど、倒しにくいものは無い……。」


晴彦はのんびりと朧の胸に、サーベルを突き刺そうとする。それを寸での所で短剣で朧は切り返した。


「本当に……参っ」


朧の活動が完全停止する。彼は軽く笑った。ニヤニヤと嗤う。


「……黎明が泣いてる気がする。とっても可愛い気がする。」


晴之が不思議そうに言った。

「黎明……誰だ、それは。」


朧は勿体ぶって答えた。

「ん?ひーみーつー。あの子の存在は保安院でも上層部の人達が知ってたらいい方だね。」


晴彦が朧を蔑む様な目で見る。


「でもー兄さんーきっと名前からしてー女の子だよー。泣いてるのが可愛いとかー変態ー。」

「え。」


晴之がかなり驚いている。それに釣られて晴彦は唖然とした。


「え。兄さんもー可愛いとか言う人ー?」

「逆に可愛い以外の何があるんだ……?」


朧がその様子を見てくすくす笑う。


「これはまた兄弟間あるあるの性癖好みの戦争だな……殺してきた中でそんな話をしてる奴が居て……ありゃ面白かったなぁ……。」


晴彦は一拍置いて言った。


「……わぁ。びっくり。」

「吃驚とかいう前にかなりドン引いてるだろお前!」

「だって好きな子にはー笑顔で居てほしいーでしょー?」

「好きな子こそ泣いてほしいんだよ!可愛いじゃないか!唆られるって言うか!なんというか!」


朧が白熱した性癖トークを見ながら言った。


「……人の性癖程知りたくない物は無いね。もうこれ、帰っていいかな。」

「お、お前がそれを最初に言い始めたんだろうが!」

「……あれ、そうだっけ?」

「すっとぼけ始めたよー兄さんー。」


朧はニッと笑う。

「気分が乗った。」


二人の間をすり抜けて、背後から氷の短剣を大量に爆ぜ出す。


「ははっ、最高だ!ひっさしぶりに人殺しが楽しいと感じたよ!」

「兄さん……これやばいよね?」

「そうだな。」


二人は刀身に炎を込めると、氷の短剣を上手く切り刻んでいく。


「成程……そんな芸当もやってのけるのか……じゃあ!片方ずつ殺ってやろう!」


朧は晴彦に短剣を振り下ろす。


「やめろ!」

「却下。」


朧は己の手から血が出るのも厭わずに、晴之のサーベルを片手で止める。

「面倒くさ……。」


サーベルから手を滑らせ、晴之の手首を持って投げる。

「よいしょ、っと。」


晴之が飛んで行ったのを晴彦は唖然としてみている。朧は容赦なく、短剣で突き刺した。右腕を切り落とそうとすると、差し込みながら朧は言った。


「ううん……腕ごと切り落とすか……のたうち回ってるの見るのはもう飽きたんだよな……。」


晴彦が空いていた左手で朧の首を絞めようとするのを、朧は、

「あぁぁ!?」


手首を骨ごと折った。

「流石人間如きの骨は脆い……。」


朧が勢い良く短剣を抜くと、半端では無い血が吹き出す。


「あ、あぁ……。」


朧は吹き飛ばされた晴之に言った。それも、にっこりと嗤って。

「早くしないと、死んじゃうよ?」


晴之は朧を睨みながら、晴彦を担いで逃げる。朧は目を細めて言った。


「ま、こんなもんか……これで足止めは完了っと……さぁ、とっとと倒しに行きますか……。」













「はやっ……!よいしょ、っと!」


蓮花がベリーの攻撃を避ける。晴子は不満げな顔をして蓮花に言った。


「もう!早くつかまえてったら!あなたも早くつかまってよ!」

「嫌ですよ!何で捕まってって言われて捕まらなくちゃ駄目なんですか!」

「だってぇ!だってぇ!」

「どうしてこんなに早いんですか!」


蓮花は一度遠くに離れて『金華』を銃の形をした炎弾砲に変えると、バンバンと撃っていく。


「当たった!」


炎弾砲はぬいぐるみをばすばすと貫いて、綿が舞う。しかし、元気良く晴子は言った。


「つーかっまっえたー!」


閃光が煌めき、ボンボンと何かが爆発する音がした。蓮花は飛んで来た破片で傷を受けながらも、『金華』を盾にして攻撃を塞ぐ。


「……怪我をしてしまいましたね。もう、朧さんとの約束は果たせない……元よりそのつもりでしたか。」


蓮花は崩れ落ちている、ぬいぐるみとしては像を成さない元々ぬいぐるみだった物を見た。まだ、クマとウサギのぬいぐるみは動いている。


保安院の白い廊下には、ぽっかりと大きな穴が空いてしまっていた。びゅう、と夏の暮れの風がする。


「もう!つかまったとおもったのに!どうしてつかまってくれないの!?」

「だから言ったでしょう?捕まってと言って捕まる奴は居ない、と。」


それよりも、と蓮花は思考を巡らせる。先程の炎弾砲で爆発したのは、一体なんだったのか。


「……まさか。」


蓮花はまたも炎弾砲に変えて、近付いてくるストロベリーに撃った。またも白い綿が舞う。


「だーかーらー!それをしたっておんなじだって!」


司令を出している晴子は、まるで偉い人の様にふんぞり返っている。舞った綿がきらきらと輝いて、直ぐに爆発した。


「なるほど。あれは爆発する仕組みになっているのですね……。」


腕を組んで鼻高々に晴子は言った。

「『魔法具』、ってしってる?」


蓮花は何の意味も込めずに返答した。

「名前ぐらいは存じ上げています。」


まるで学者の様に、いっちょまえに晴子は説明する。


「うふふ、そうだなぁ……まほうのつえ、みたいな物なの。だからね、とってもかたいから、きっとたおせないよ!」


ふうん、と蓮花は言った。にやりと、作戦を練った顔をする。

「へぇ……そうなんですか。」


蓮花は炎弾砲を、柄に飾りの付いた、生きている刀へと変貌させる。そして子供にあやす様に言った。


「お遊戯はこれにておしまい、おもちゃ箱へとひとっ飛び。さぁ、全てを直しましょう。」


蓮花は大きな四角い結界の中にベリーとストロベリーを閉じ込める。


「な、何とか唱えなくても出来た……!」


一瞬だけ喜んだ顔をすると、蓮花は刀を揺らめかせて、一気に切り刻んだ。縫い目から溢れた綿が爆発して、二つの大きなぬいぐるみは跡形も無くなった。


「あ、あ……わたしの、ぬいぐるみが……。」


きっ、と晴子は蓮花を睨む。

「ぜ、ぜったいゆるさないんだから!おぼえておくことねー!」


ぴゅー、と走り去っていく晴子を見て、蓮花は『金華』を元の青い宝玉に戻して言った。


「……懐かしい思い出はおもちゃ箱へ。時に取り出して光に透かすのが、何よりも良いこと。……思い出を覗きながら、あの時は良かったと思い続けるのは、余りにも無粋な事です……。」


掌に何かがあるかの様に、蓮花はそれを見つめる。


「だけれど、まだその私の大切な、風の様なものに縋ると言うのは、愚かしい事なのでしょうか……いえ、やめましょう。こんな事を考えると一生続いてしまいます。」


蓮花はそれを捨てると、その場を去った。










「終わりか?」

「くそっ……。」


神無月は残心を漂わせながら、南野屋に言った。


「一つ、聞きたい事がある。良いか。」


南野屋は黙った。

「敗者に話す言葉は無い。」


神無月はそれを無視して言った。

「何故、俺を殺さなかった?『玉龍』が暴走したのなら、俺を殺せば良い。お前程の猛者ならばそれくらい容易い事だっただろう。」


南野屋は刀を仕舞って言った。

「だから言っただろう。敗者に話す言葉は無い。」


神無月は昔話を始める。残心も仕舞って。さらりと、刀が鞘に収まる、心地よい音がする。


「……今は昔、ある町に子供が生まれた。その子の容姿から、人々はバケモノと呼んだ。幼くして両親を亡くし、あまつさえ、守ると誓った初恋の人間を失った。その子供の心は壊れ、けれど新しく守るべき、大切な人達が増えた。しかし、子供はそれでも満足しない、貪欲な人間だった。」


南野屋は神無月の話を聞いて、目を見開く。


「それは、自分を育ててくれた両親だった。その子供は、それがひたすらに欲しかった。どれだけ幼馴染が居ようが、娘の様に可愛がったその妹が居ようが、弟子として大切に育てた者が居ようが、やはり代わりにはならなかった。」


そして、神無月の瞳に涙が貯まる。


「だけど、その子供は見つけた。何をか?それは……きっと、その子供にも分からないだろう。」


神無月は膝を付いて滂沱している南野屋の傍を通って廊下を進んで行く。そして、息をついて、涙を零さないように、弱気な声を出さない様に、感情を消せ。


「……さようなら、父上。」


神無月は声を出さなかった。弱気になってはダメなのだと、父親に教えられたから。だけど、それでも。


「う……あ、あぁ……。」


あぶれる涙を抑えることは出来なかった。










「それで、麒麟様?きちんと説明して下さるのでしょうね。」


『それは、勿論。出なければ何が起こったか、貴殿にも分からないであろう。亡国グラチアのクルメリア王女陛下よ。』


暗い空間で、目を細めてクルメリアは言った。


「……それで呼ぶのはやめて頂戴。私は、あくまで、『ただのクルメリア』なの。お願いだから、それで呼ぶのはやめて。」


了承した様に角端は言った。


『それは済まない。それではクルメリア。説明に当たるとしよう。どうしてあんな事になったのか。』


ごくりとクルメリアは唾を飲む。


『……あの兄妹お二方様は、両親を戦争で亡くしていらっしゃる。滄溟様はある程度覚悟なされていた。父の様子がおかしいのと、勉強の量が異常に増えた事が、何となく察された様だ。……だが、我が主、暁天の姫君は、あの頃まだ幼かった。滄溟様でも心が壊れたのに、どうして幼い我が君が無事でいられよう?』


角端の口調は明らかに怒りが孕んでいた。


『我はずっと見守って来た。『ラプラスの魔物』と相を成し、それを止められる唯一の存在。滄溟様は、たった一つの方法を取られた。我も、この話を知っている誰もが、この方法を正しいとは、全く思っていない。だけれど……それしか無かったのだ。』


クルメリアがその話を聞いて、か細い声で言った。

「一体……何をしたの。」


少しの間のあと、角端は言った。


『良く言えば言う事を良く聞かせる、悪く言えば洗脳、だ。幼い我が君は少々強情だった。助けて欲しい時に助けてと叫ばないという、我慢強い性格だった。だが、殺人業をやっている滄溟様からして見れば、妹の存在が露見してしまうと死に繋がりかねない。だから、助けて欲しい時に助けてと叫べる様に、言葉を使って。』


クルメリアは足元を覗いて言った。


「……それが、事の真相?」

『あぁ。そうだ。』


いつの間にか薄暗かった空間は元の明るい空間に戻り、黎明は廊下ですやすやと寝ている。それを見て、クルメリアは角端に話す。


「そうだわ。度々麒麟様が出て来て困っていると、黎明が言っていたのよ。」


角端は黎明の傍に擦り寄る。

『……偶には構ってほしいのだよ。』


目をぱちりと開けた黎明は飛び起きる。

「わぁ!こんな所で寝て……!?か、角端!?どうして、出て来て!?」


黎明はドレスの裾をぱたぱたと叩いてクルメリアに問うた。


「あのぅ……しょ、勝負は、どう致しましょうか……?」


こくりと角端はクルメリアに頷く。


「ふん、本当はね!貴女を倒して手柄にするつもりだったのよ。でもね、貴女の大切な従者に説得されて、そういう事は辞めようと思った所よ。」

「黎明!大丈夫か!?」


何処からともなく現れた神無月が、黎明の傍に駆け寄る。


「……小娘。何もしてないだろうな?」

「バカバカしいこと言うのね!?するワケないじゃない!私、仮にも黎明のお友達なのよ!?」


白々しい目で神無月はクルメリアを見る。


「まぁ、良いだろう。何かあったら……。」

「神無月お兄様、めっ、ですわよ。」

「す、済まない……。」


クルメリアは角端の方へと視線を動かすと其処にはもう科戸しなとの風しか無かった。クルメリアは置いていた書類を持ち上げて言った。


「人の価値観ものさしで図った物を宛にするなんて、とっても愚かしい事なのね……。」


火に炙って、一つ一つが灰になっていく。


「く、クルメリア姉様?」

「良いのよ、これで。」


神無月は黎明に提案する。


「それでは行こうか。」

「……何処へ……あ、お父様の所ですわね。」

「何の為に来たと思ってるんだ……。」


神無月はクルメリアの方を向く。

「お前は来ないのか?」


やれやれと手を振ってクルメリアは話す。


「行かないわ。私はあくまでも保安院委員なの。勿論捕まるわ。反逆罪でね。でもね、取り調べの時に嗤ってやるわ。『貴方達は本当に愚かなのねー』って。だって、貴方達が私を助けてくれるんですもの!」


黎明は不思議そうに言った。


「そう、ですか。あの、クルメリア姉様。ずっと前に国が滅びたから、また国を再興する、という話をお聞きしましたわ。そうする、お積もりですか?」


そうねぇ、と懐かしい顔をしてクルメリアは言った。


「やっぱり、国を再興するのはやめにするわ。滅びたのも、それも何かの縁。」


目を細めて、母親を思い出して。


「……国があった頃、私はお菓子を作るのが大好きだったの。……そうね、だから母と一緒にお菓子屋さんでもしようかしらね。」











「此処か。」


朧は周りよりも少しだけ大きい、白い扉の前に立っていた。セキュリティは甘く、簡単に入れる。


「一人の男が死んだのさ。すごくだらしのない男。お墓に入れようとしたんだが。」


滄助が窓を覗きながら言っている言葉に、朧が続ける。


保安院長室は、奥に大きな窓があり、其処から光が指している。


「何処にも指が見つからぬ。頭はごろんとベッドの上に、手足はバラバラ部屋中に。ちらかしっぱなし出しっぱなし。」


くるりと滄助は笑顔で振り向いて、巨大な書斎デスクの上に立った。


「ね、滄溟。これを聞いてどう思う?」


朧は表情を変えずに言った。


「……父親を四十一回滅多打ちにすれば良いんじゃないですかね。」

「さらっとそういう事を言うのね、お前は……。それで、その後どうするの?」

「大理石の下にでも埋めて差し上げます。」

「……腹立つなぁ。 」


しみじみと滄助は朧に言った。滄助は話を転換させる。


「ところで……僕、昔言ったの覚えてなかったっけ?」


朧が目を見開く。何かが貫通した、鈍い音が聞こえる。


「背中が空いてると、刺されてしまうって。」


朧はゆっくりと目を閉じた。鈍い音が、自分の肉が裂けた音だと気付きながら。












「此処ですか……本当に、此処なんでしょうか。」


蓮花は院長室の前に立ちすくんで言った。ゆっくりと、扉を開く。


「……滄助さん?朧さんも、先に来ていたんですね。」


滄助は本を持ちながら蓮花ににっこりと笑った。朧の振り返らない異常な雰囲気に、蓮花が呟く。


「……朧さん、どうしたんですか?」


ニィっと滄助は嗤う。

「うふふ、其奴は答えないよ。」


だって、と言う言葉の先を、蓮花は聞く事が出来無かった。何故なら、朧が、


「な、どうして!?」


短剣を振り下ろす。必死の形相で蓮花は刀で鍔迫り合いを行う、が。


「力、強すぎでしょう……!」


このままでは、力に圧倒されて蓮花の腕が持たない。今ここで外してしまうと、蓮花の腕は切り落とされる。それはもう、痛みを感じない程早くに。


「……っ!」


朧の意識は所々あるようで、力が弱くなったり強くなったりしている。その瞬間、鳴弦の声が響いた。


「蓮花!横に転がれ!」


パァァァン、と銃声が響く。朧の身体は軽く仰け反り、神無月の傍に居た黎明が蓮花に言った。


「蓮花姉様!三時の方向に横斬りですわ!」


蓮花は腰を据えて何もない空間に横斬りする。だが、確かに手応えはあった。朧の声が聞こえる。


「……はハッ、全く持って最悪の気分だ。」


思いっ切り振り返ると、赤色の刃が滄助の立っている大きな書斎デスクを真っ二つにする。


「……は?」


パンパンパン、と三発の銃声が響いて、滄助の持っていたあの、紺色の背表紙の本を掠める。神無月は表情を変えずに朧から借り受けた拳銃を下ろした。


「……次は、何処に当たるでしょうね?」

「さ、さぁ?何処だろうね?」


滄助は狼狽しながら言った。しかし、直ぐに焦りを消して滄助はけらけらと嗤う。


「あぁ、そうだ!皆が揃ったんだよね!じゃあ、一つ問題を出してあげよう!」


滄助はすっ、と蓮花を見据える。


「それでは蓮花嬢、君に質問だ。」

「私……?」


こくりと頷いて、滄助は言った。


「そうだよ。ねえ、蓮花嬢のポケットの中に入っている紙切れを出してくれるかな?」


蓮花は言われるがまま、ハンカチの中に包まれた白い紙切れを掴む。

「さぁ、読んでくれるかな?」


蓮花はそれを見ながら言った。

「……これ、何て読むんですか?何も……何も読めない……?」


朧が紙切れを覗くと、文字列を見つめる。


「ははぁ、全く、やってくれましたね。蓮花ちゃん、それは『読めない』よ。絶対に。紙切れにも『侵食』の力が働いてしまっているみたいで、どういう訳か読めなくなってる。」


黎明と神無月も難しそうな顔をして覗く 。


「……読めませんわね。」

「そうだな。」


やり取りを全て無視して滄助は言った。


「さぁ、蓮花嬢に質問だ。『終焉を喰らう第二魔物』は、一体だあれ?」


蓮花は目を見開いた。其処の記憶だけ、ぽっかりと穴を開けてしまったように、何も覚えていないのだ。


「そ、そんな……。……それでは、私から一つ質問をしても宜しいでしょうか。」

「あぁ、構わないよ。」


蓮花は考えながら言った。

「もし、私が間違えたら……貴方はどうするお積もりなんですか?」


滄助は少し考えて笑った。


「そうだなぁ……君達が実現して欲しくない世界を実現させて上げよう。各々に取って、一番地獄の様な世界をプレゼントさせておくれ。」


蓮花は顔を顰めて、何とか声を出した。

「しゅ、『終焉を喰らう第二魔物』は、」


朧さんです、と蓮花が言おうと思った須臾しゅゆだった。


「全くのう、思い込みは駄目な事だぞ、蓮花?」


くるりと四人は振り向くと、あの白い制服を着た、蓮花が足首を撃った保安委員が居た。その印に、足首の部分が赤く血に染まっている。


「あ、貴女は……私が……撃った、警官……。」


帽子を取ると、其処には蓬莱 蚩尤が居た。朧の目が見開かれる。少し首をもたけで、滄助の指さして言った。


「『終焉を喰らう第二魔物』とはお前の事じゃ、滄助。」


滄助はむすっとした顔をして言った。

「蓬莱には解答権が無いんだけどな……。まぁ良いや。改めて挨拶しよう。」


お辞儀をして滄助は笑った。


「改めまして……僕の名前は朧月夜 滄助!コードネーム『終焉を喰らう第二魔物』にして、国家に秘匿された特級犯罪者である!だって、そうだろ?昔、死んだ人間が生き返ってるって。だから僕は特級犯罪者なのさ!……保安院としては……そうだな。院長、では無いけど、あるがままにめちゃくちゃにしていた、って感じかな。」


その途端、またもや扉が開かれる。朧が叫んだ。


「て、天童寺兄弟……!?」


晴之だった方が、にっと笑う。

「全く、滄溟様はお強い方だと聞いたんですがね。」


晴彦は、おどおどしながら言った。


「そ、そんな事を言っちゃダメですよ……!」

「でも、事実強いんですよ?滄溟様は。」


帽子を取った晴子達の顔には、見覚えがあった。


「し、白水晶と黒水晶……それにキリアさんまで……?」


朧が考え事をする様に呟き始める。


「ん?待てよ。私が相手をしたのは、人間にあらず……蓮花ちゃんが相手にしたのは、人間にあり、か。」


朧が蓬莱に言った。


「全く、敵いませんね。」

「ふん。これくらい見破れなければまだまだだな。」

「ははは……。」


蓮花は朧に話しかける。

「朧さん、どう言う事なんですか?」


朧はやれやれと言った口調で話す。


「変身魔法を人間に使うと、どうしても臭いが残ってしまう。だが、黒水晶と白水晶は人間じゃない。だから、私の前に現れても変身魔法の臭いは残らなかった。そして、キリアさんに変身魔法をかけて、蓮花ちゃんの前に差し向けたという訳さ。蓮花ちゃんは、魔法を使うことが出来ないからね。」


扇で目を細めながら、蓬莱は朧を笑顔で見ている。


「……。」

「……。」


朧が蓬莱の視線を受け流すが、益々視線は強くなる。


「……うぅ。」

「……。」


朧は蓬莱に向き直って、綺麗に礼をした。


「……お師匠様の策を見抜けませんでした。これからも、日々精進致します。」

「そう。それで宜しい。何よりも謙虚さが大切であるからな?」


「……ブチ殺してくれようか。」

「何か言ったか?」

「滅相もありませんよ、お師匠様。」


不穏な会話を二人は続けた。それにしても、と蓬莱が滄助に言う。


「『アレ』は読んだか?滄助。ほら、渡したものじゃ。」


直ぐに滄助は閃いた。


「……?……あぁ!『アレ』ね!滄溟の中二病ノート!語彙力の凄いのは認めるけど、ちょっとやり過ぎじゃないかな?」

「……やめてくれ……頼むから、これ本当に……。」


顔を抑えて目の前で自身の中二病ノートを晒されている朧を、優しく蓮花は宥めた。


「ほら、朧さん。元気だして下さいよ。若さ故の過ちと言うやつです。」


「その慰めが結構心に来るんだけど……。」


滄助がペラペラと内容を見る。


「……最もらしいこと、言ってると思うけど……これはちょっと酷いよね。無花果いちじくの木の話。季節じゃないんだから実らないのは当たり前だろ?それなのに枯らすとか、莫迦なの?勉強したら?」


「それ信じてる人も居るから……別の世界に……。」


朧の手が空を掻いた。滄助の顔が明らかに人を莫迦にした顔をになる。


「は?こんなの?これを?別の世界の?人が?お前の?中二病ノートを?……莫迦なの?信じてる奴も莫迦だけど、別の世界にこれ飛ばしたお前も数倍莫迦だよ?」


朧の釈明が始まる。神無月と黎明と蓮花の視線が、朧へと冷たく送られる。


「だって……送ったら、バレないかなって……思ったけど。けど!お師匠様が僅かな頼りで捕まえるなんて、思いもしなかったんだよね!分かるでしょ!?」


滄助はそれを背後の硝子張りへと投げた。

「……時間を無駄にした気がする。」


黎明が肩を竦める。

「随分と今更な気が致しますわ、お父様。」


がっくしと倒れている朧の横目に、滄助は言った。


「そうだな、このタイミングで攻撃したら、防御が緩くなりそうだよね。僕が、きっと勝つだろう。蓮花嬢、君はそれを止めたいよね?」


蓮花は頷いた。がっくしと倒れている朧を放って。


「僕は、人間の作る玩具が好きだ。だからそれを寄越してくれたら、最悪の自体は避けられるかもよ?」


蓮花は少し考える。子供は玩具が大好きだ。無邪気な、無邪気な子供(魔物)は、一体どんな玩具(人間)を欲しがる?


「……一つ、用意できるかもしれません。」


滄助の目がぱぁっと輝く。

「わぁ!それは何だい?気になるなぁ!一体何をもってきてくれるの!?」


蓮花は態とらしく言った。

「お楽しみ、です。」


滄助が目を細めて笑った。

「……随分と、焦らすんだねぇ。」










ギシィィィ、と金属の重たい扉が開く音がして、蓮花は言った。


「此処ですね。」


同伴していた護衛と白水晶と黒水晶が、辺りをちらちら見ている。


「全く……人間ってのは、本当に物珍しい物を作るんですね。倉庫のようですが……。」


蓮花はまた扉の前で止まった。侵食され、錆びた鉄の扉を蹴ると、いとも容易くもろもろと崩れて、奥の中年の男性に蓮花は声をかけた。


「大丈夫、ですか?」


ビクビクと震えながら男性は言った。

「だだだ、大丈夫も何も……!も、もう、悪魔は消え去ったんだね!?」


蓮花はにっこりと答える。

「ええ、勿論です。」


蓮花の言葉を言い切らない内に、白水晶と黒水晶が男性を縛って、声を出せない様にする。


「ちょ、ちょっと黙ってて下さいね……!」

「きっとスグ終わるから!……まぁ、多分……。」


説得力の無い二人の意見を聞きながら、男は泣きながら連れ去られて行った。












蓮花は大きな院長室の扉を開けて、中に居た人々に言った。


「ただ今戻りました。」

「遅い!待ちくたびれちゃったよ。」

「すいません……。」


でも、と蓮花は白水晶と黒水晶に連れられた『本当の』保安院長を差し出す。

「これで、満足して頂けましたか?」


まるで新しいゲーム機を買ってもらった子供の様に、滄助は言った。


「わぁぁ!死人が生き返った!」

「死人、ですか?」


神無月が不思議そうに滄助に言った。

「それがねぇ、ちょっと無理をしちゃったんだよねぇ。」


蓬莱が少し考えて言った。


「……あぁ、成程。暴走したのか。『ラプラスの魔物』が。」


蓬莱の言葉に、滄助が喰い散らかされた残骸を見ながら言った。


「うん。それで近くに居た人を噛み殺してしまったんだけど……けど確かに、この顔は保安院長の顔だよね……。」


滄助はいつの間にか傍に居た『深淵の魔物』に言った。


「……『魔物』くん。ちょっと口を開けてご覧?」


犬の形をした『深淵の魔物』は、ぐあっと口を開ける。完全復活した朧は言った。


「……あぁ、その子、確か……。」

「アホの子だけどアホの子って言っちゃダメだよ。傷付くから、この子。」


黎明が滄助に言う。

「それをそんな至近距離で言って良いのですか……。」


滄助が小さく呟く。

「……あった。機械の部品だ、これ。多分……機械人形?」


尻尾を元気良く振る『深淵の魔物』に、滄助は手厳しく言った。


「だからね!?僕、言ったよね?こういうものは、食べちゃ駄目だって!身体に悪いって教えたよね?」


だが、それを無視して『魔物』はくるくると回っている。滄助は一つため息を付くと、震えている保安院長に言った。


「……まぁいいや。君には、君自身が築いた、この阿呆みたいな施設が壊れる瞬間を見てもらおうか!」


滄助の背後に、半透明の大きな白竜が現れる。朧が目を見開いた。

「こ、これは……。」


神無月が訝しげにそれを見つめる。

「……『ラプラスの魔物』?」


滄助が、身動きの取れていない竜を見ながら言った。


「いやぁねぇ、滄溟の『ラプラスの魔物』を分離させて、この身体に移したんだけど、やっぱり暴走したみたいでね。」


くるりと笑顔で振り返って、滄助はその場にいる全員に言った。いつの間にか、白水晶と黒水晶は消えている。


「君達には、この竜を倒して貰おう。」

「……父上、正気ですか?」


滄助は肩を竦めて言った。


「正気も何も、これを倒さない事にはもう何も進まなくなってるんだよ。外の時間が崩れ始めて、いずれ壊れてしまう。今なら間に合うかな、と思ってさ。勿論僕も協力するよ。」


はぁ、と黎明がため息を付いた。


「しなくては、ならないのでしょう?」

「そうだよ、僕の可愛い黎明。」


それでは、と蓮花が言った。

「便乗するしかありませんね。」


神無月が滄助に問うた。

「どうすれば良いんですか?」


滄助は至極まともな顔をして言った。

「全員の、最高の状態で戦う。以上。」


朧がかなり苛立ちながら滄助に言った。


「即ち、固有魔法全開で行け、と?」

「ま、そういう事だよね。それを、同時に当てなくちゃならない。」


蓬莱が声を上げた。


「蓮花の刀に魔法を乗せるのか。」

「そうだね。白羽君の物は、蓮花嬢のものに比べて歴史が浅いから、折れる可能性がある……。」


滄助は続けて説明する。


「まず、黎明の『マクスウェルの悪魔』で『ラプラスの魔物』を弱体化させる。次に、各々の詠唱に入って、蓮花嬢の刀に移すんだ。今、出来るかな?」

「はい、きっと、出来るはずです。」


滄助は自信に満ち足りた目で蓮花を見ている。蓮花は、軽く詠唱を唱えた。


「我が願いを聞き、その身を高潔なる魂へと移せ。」


生きている武器へと変貌させると、神無月が傍へと寄る。刀に触れると、黒い炎が巻き上がる。


「これで、少しの重さは消えるはずだ。……汝の成功が有らんことを。」


黎明がそれを見計らって言った。


「実をつけるは桃 邪気祓いの印

大空に浮かぶは白き巨塔

約束を果たす赤い鍵。」


黎明の手に、フランベルジュが現れる。ゆらりと揺れた炎の刀身を見て、黎明は叫ぶ。


「天を統べ給う龍に忌み嫌われし対になりに足る悪魔よ!銀の月の御力によって、今、命を止め給え!固有魔法『マクスウェルの悪魔』!」


細い、ピアノ線のような物が、ふよふよと『ラプラスの魔物』の周りに起こる。どうやらそれで、身動きが出来ないようだ。続けて蓬莱が言った。


「常世の玉座に付く、黄泉津大神よもつおおかみよ。晴れぬ暗闇を我が手に渡せ。その雷を持って世を暗雲へ導け。固有魔法『闇夜を濡らす鴉』」


蓮花の刀が重くなる。朧は独り言を呟いた。


「……昔、十三の頃。使えかけていた、もう一つの固有魔法があった。私の……僕の、昔の夢はきっとヒーローになる事だった。結局、人の為に持った剣は、人を殺してしまったけど……。」


朧は詠唱する。

「オルゴールの円舞曲よ、末永く鳴り続け給え。声枯れること無き永遠の調べに、神々の祝詞を送り給わん。千の剣を用いて、余すことなく刺せ。固有魔法『大海の剣客 円舞曲ワルツ』。」


剣のような水が、蓮花の周りに立つ。滄助は笑いながら、いつもと変わらず言った。


「我が親愛なる深淵たる龍よ、全てを巣食いて贓物ぞうもつを暴け。おびただしい屍を以て、世の罪は赦されん。固有魔法『深淵の魔物』。」


それで、蓮花の刀は一気に重くなった。そして、滄助と朧が声を合わせる。


「「「日の出るところに 月の場所

対になりしも 相慣れず

悠久の時超えて

暁の空に 悪魔ありて

黄昏の空に魔物生まれん!


天を統べる我が力よ、その身体からだをもって愚劣を示せ。妄信の信仰心となり、全ては儚さと冷酷無慙れいこくむざんを以て美しきを成せ。固有魔法『ラプラスの魔物』!」」


蓮花の刀身は光り輝き、誰かに声をかけられる前に、蓮花は『ラプラスの魔物』を真っ二つに切り裂いていた。光が、閃光が、蓮花を包んだ。











『やぁ、蓮花ちゃん。久しぶりだね。』


真っ白い世界で、声が言った。


「……真理ちゃんり、さん?……いや、真理ですね。」


声はにこにこと笑う。


『うん、よく分かったね。凄いよ。それで……『人生』、はどうかな?楽しい?』


蓮花は誰も居ない場所に礼をする。


「あの、本当に有難う御座いました。埋め合わせの存在としても、産んで貰って。」


相手が、にっこりと笑う。正しく言うと、そう思っただけだ。


『そう……良かった。ほら、君が滄助に一杯食わせた時があっただろ?君が、滄助に傷を負わせた時のことさ。』


蓮花は頷く。


『あれはね、どうしても君が、緑珠に見えて、反撃するに至らなかったんだよ。あの顔ったら、本当に面白かったんだから!』


真理が蓮花に言った。


『本当は君ともっと話してみたいんだ。造られた物が、どれだけ幸せだったのか……。』


でもね、と真理は続ける。


『君を待っている人が居る。だから……早く行った方が良い。ごめんね、僕の無駄話に付き合わせて。』


蓮花は目をつぶって言った。


「……待っている人は居ますが、私を信じて、待っているわけですから……大丈夫です。それに、貴方の話を聞けて、良かったです。」


周りの光は消えて、突風が保安院の院長室を駆け抜けたと思うと、蓮花の背後にはもう、暴走した『ラプラスの魔物』は消え失せていた。


「……た、おせた?」


滄助は蓮花の横を通って、明けの光り輝く太陽を背にして、笑って言った。


「喜べ!世界は救われた!」


余りの事に、全員が唖然としている。神無月が何時も通りに静寂を斬った。


「ぶっちゃけ……実感が湧きません……。」


滄助はにっこりと笑う。


「それで良いんだよ。そんな物が湧くのは、世界を救えと義務付けられた勇者くらいだ。」


さて、と滄助は蓮花に言った。


「君は……人間になりたいんだよね?」

「はい。」


ニヤニヤと笑って滄助は言った。


「良いだろう。だけど、一つ条件がある。」

「……何でしょう?」


朧があからさまに嫌そうな顔をする。


「そんな顔しないでよ。僕は、蓮花嬢をちゃんと人間にする代わりに、お前の罪を寄越せ。」

「はぁ?」


滄助はくすくすと笑う。


「罪なんてもの、一週回れば聖者も欲しがる穢れなき物になる。……それが、お前の心だ。」


はぁ、とため息を付いた。

「……良いですよ。持っているというのは、重たいです。」


蓮花の身体から薄い青色の筋が消えて、滄助の手に宝石が現れる。


「あ、あぁ……やった、人間に、なれました……!」


蒼い宝石を光に透かしながら、滄助は言った。


「本当に君は叡智たる青色に好かれているよね。……昔の人はね、万物の霊長は人間にあらずと思っていた。君は?」


蓮花は少し考えて言った。


「万物の霊長は人間にあらず………全ては、人の気持ちにあり、と、思います。」


少し小さく、滄助は呟いた。


「幾年も過ぎると、人は変わるものだね。……当たり前か。」


滄助は朧の罪を眺める。黒いもやがたちまち神気を発する剣に変わる。


「これがお前の心、か。……正に高潔なる魂と言うのか……。」

「……なんと言えば良いんだろうね、この複雑な気持ち。」


朧は呟いた。黎明が態とらしく叫ぶ。


「あぁ!兄様からあんな美しい物が飛び出すなんて、信じられませんわ!」

「れいめいちゃあーん?態と言ってますよねー?」


滄助はその剣を光に透かして言った。


「僕は……綺麗な物が好きだ。何時までも、光り輝くような、人間の心が……。」


少し考えて、滄助は満面の笑みで、あの台詞を言った。


「喜べ!世界は君達の手によって救われた!」


滄助は益々上機嫌になる。

「さァ、宴の準備だ!」












「本当にごめんね……蓮花ちゃん……。」

「わぁ!お姉ちゃん、あれ凄いよ!」

「お家に上がっているから、静かにね、劉李りゅうり。」


それにしてもと蓮花は神無月邸で開かれて居る宴会を横目で見ながら、苺飴朱めいしゅに言った。


「どうして、苺飴朱が私に頼み込んで来たんですか?ええっと……確か、『宴会をするなら、私も連れて行って』くれーって。」


それがね、とはしゃぐ劉李を抑えながら苺飴朱は面目なさげに呟いた。


「父と母が、今日は出張で居なくて……劉李はお父さんとお母さんが大好きだから、愚図って愚図って……色んな所に連れ回したりして何とか誤魔化したんだけど……ね?……つい今しがた蓮花ちゃんが『宴会をするんです』って言ったのを劉李が偶々聞いてて……それで、ね。」


劉李に気付いた黎明が、酔った朧を蹴り飛ばして蓮花に言った。


「あら、その子は何方ですの?蓮花姉様のお友達ですの?」


蓮花が肯定した。


「ええ、そうです。この、苺みたいな髪をしている人が、苺飴朱。此方は弟の劉李と言うんです。」


黎明は劉李に目線を合わせる。


「お初にお目にかかります、苺飴朱姉様、劉李。私の名前は朧月夜 黎明ですわ。宜しくお願い致します。」


しどろもどろしながら、劉李は黎明に言った。


「えっと……劉李です、宜しくお願いします……。」

「あはは、照れちゃってー!」

「て、照れてないもん!」


黎明が苺飴朱に言った。


「お二方はもうお食事を済まされていらっしゃいまして?」


苺飴朱がそれに応える。

「え、ええ。そうです。」


きょとんとして黎明は言った。

「別に敬語を使わなくても宜しいのですよ?」


蓮花が黎明に言った。


「どうしても黎明の前では敬語を使ってしまいそうになるんですよ。」

「あら……そうなのでしょうか。……ね、劉李。お外に遊びに行きませんこと?大きなお庭が有りましてよ。苺飴朱姉様も、ご一緒にどうです?」


持ち前の明るさを取り戻した苺飴朱が言った。


「……そうだね。じゃあ、お言葉に甘えてご一緒させて貰おうかな。」



一方で。



「やぁ、蓬莱。今日も寂しく月見酒かい?」

「煩い。月を見ながらの酒は上手いぞ。」

「やっぱり肴が無いと、月だけじゃあ美味しくないよ……。」


滄助が蓬莱の近くに座る。


「……綺麗だね。ねえ、今の『日栄帝国』はどうなってるのかな?」


肩を竦めて蓬莱は言った。

「さぁな。塵にでもなっているじゃろう。」


滄助はうふふ、と笑って言った。


「……幸せだねぇ。」

「いきなりどうした?気色悪い。」


失礼だなぁ、と滄助は言った。


「だって、自分の子供の様に見てきた子供たちが、もうこんなにも大きくなってるんだよ?……可愛いったらありゃしない。」


揺れる氷を眺めながら、蓬莱は言った。


「そうだ……ずっと聞こうと思っていたのじゃ。彼奴は、何処へ?」


滄助は酒をぐっ、とあおると胡座あぐらをかいて言った。


「ん?光遷院の彼のことかい?……居るよ、此処に。……いや、初代が霊力を使えなかっただけで……その子孫が今、此処で、払い屋をしている。……それを言ったら、白羽君怒るけどね。」


「本当に、か?」

勿論、と蓬莱の問いに対して滄助は言う。


「あの、人を見る信念たる神髄の瞳をできる人間は、限られてるからねぇ。目線がしっくりだし、血も繋がってるし。」


くつくつと蓬莱は笑った。


「どうして彼奴は転生を望まなかった?」


にこにこと笑って滄助は答える。


「彼らしい理由だよ。『死んだ人間が生き返るなんて、無粋な事です。』だってさ。」

「……全く、本当に彼奴は……。」


蓬莱は振り返って滄助に言った。

「お前はこの後どうするつもりだ?」


滄助は透明な酒を月に翳して言った。

「……まぁ、何かしてるだろうねぇ。」











「ふう……宴会も楽しいですが、こうやって縁側からも月を見るのも」

『良いものね、蓮花。』


何処からとも無く聞こえた声に、蓮花は驚天動地の顔をする。


「ゆ、ゆうれい……?え?話せ……待って下さい、この声は……。」


眩い光に包まれた、蓮花の母親が居た。


「か、母さん……どうして……?私、もしかしてお酒を間違えて飲んじゃった?」


蓮花の狼狽え様を見て、母親はくすくす笑う。


『そうかもしれないわね。でも……それで会えたのなら、幸せだと思わない?』

「それは、そうですが……。」


二人共々月を少しの間見上げながら、母親が口を開いた。


『もう、行かなくちゃ。』

「……天国、へ?」

『まぁ、そうね。』


蓮花はもう、寂しく無かった。

「……また、気紛れにでも遊びに来てくれたら嬉しいな。」


蓮花の発言に首を縦に振ると、母親は薄く消えて行った。


蓮花はまた、空を見上げた。自分の母親が逝った、高く美しい『朧月夜』の空を。











「まぁ、お父様。もう行って仕舞われるのですか?」


少ししょんぼりした黎明の前で、滄助が言った。


「うん。そうだね。……だから最初に黎明に挨拶しておこうと思ってさ。」

「それは……まぁ、嬉しい事では御座いますが……。」


それに、と滄助はにっこりと笑った。

「ちゃんと帰ってくるから。次に帰ってくる時、何が欲しい?」


黎明は即答した。


「欲しい、という訳では無いのですが……お父様みたいに、お母様も帰って来て欲しいですわ。……もし、出来るなら……ですが……。」

「分かった。説得して連れてくるね。お母様も黎明に会いたいって言ってたよ。」

「まぁ!それは嬉しゅう御座いますわ。」


それでは、とドレスの裾を摘んで黎明は名残惜しそうに、少しだけ目を潤ませて言った。


「ご機嫌麗しゅうお過ごし下さいませ、私の大好きなお父様。」


滄助は、黎明に目線を合わせて言った。


「……あぁ、無事に帰るよ。僕の大切な可愛いお姫様。」









「やぁ、白羽君!」

「……うわっ……びっくりしました……。」

「あはは、そんなビックリさせられたのは嬉しいかな。」


庭で鍛錬をしている神無月に、滄助は話しかけた。


「昔、こんな風に彼奴と会ったんだろ?」

「ご存知で?」


にっこりと滄助は笑った。


「あぁ。此方に住んでいる時に嫌ほど聞かされた。バレなかったんだよー、ってね。」

「彼奴らしい事ですね。」


神無月は微笑んだ。すっ、とその笑みを消して滄助に言った。


「何処に行かれるお心算つもりですか?」

「その聞き方、本当に……。」

「……何でしょう?」


いいや、と滄助は否定すると、にこにこと笑って言った。


「いいや、何でもないよ。そうだね、行くとしたら……未定かな。旅をしようと思ってる。黎明にも言ってきたし。どうせこの世は末永い事だし。」


神無月は蒼穹の彼方を見つめて言った。


「時折……貴方みたいな父親が居れば、どんな風だったか、何て思う事があります。」


でも、と神無月は苦く笑った。

「……父親に会わせて下さって、本当に有難う御座いました。」


滄助は神無月の頭を撫でると、その場を立ち去りながら言った。


「君はもうちょっと貪欲になった方が良い!何でも望んで、己がままに進め!」


去って行く滄助を見ながら、神無月は空を眺めて呟いた。


「己がままに進め、か。」


少し冷たい、秋風が吹き始めていた。










「本当に律儀ですね、父上は。」


誰一人として居ない大通りのど真ん中で、朧と滄助は出会った。


「一々人に出会って、別れの挨拶を言ってるんでしょう?」

「だって、礼儀じゃない?」

「……まぁ、そうですが。」

「お前の場合とは訳が違うんだよ。」


朧は怒りを身体の中で沈めながら、俯いて言った。


「……これは、二日酔いの私の独り言だと思って下さい。」

「はいはい、聞いてあげるよ。」


朧は自分自身の思いを吐露する。


「僕は……黎明と同じ意見なんです。父上はあの時神様だったから、きっとそのまま幸せに暮らせる事だって出来た。なのに……。」

「全ては終わった事だ。言っても変わらない。」


朧は半泣きの顔を一気に滄助に向けた。滄助はそれを見て、ぎゅっと朧を抱きしめる。


「……お前は本当に良い子。怖かったんだよね。辛かったんだよね。賢くて、優しくて、お前は本当に良い子だよ。……これまで良く、本当に頑張ったね。辛かったでしょう。」


朧はなされるがままに抱きしめられて居た。父親の優しい様子を見て、軽く涙を拭う。


「今度は母上を連れてきて下さい。」

「僕じゃお役は不十分だったかい?」


いいえ、と朧は首を振った。


「……やっぱり、私は家族が大好きだ。父上も、母上も、黎明も。だから、また……そうだな、ずっと一緒は無理でも、数日でもまた幸せに過ごせたら、どれだけ良いか……。」


滄助は肩を竦める。

「滄溟も黎明も、僕達が大好きだね?」


朧は胸を張って笑った。

「だって、大切な両親ですから!」










カランカラン、と扉が開く鈴の音が聞こえて、古書堂内に居た蓮花が飛び上がった。


「いらっしゃ……あぁ、滄助さんですか。」

「迷惑かけて、本当にごめんね?」

「……まぁ、そうですけど……。」


蓮花は少し考えた後、滄助に問う。


「どうして私達を攻撃したり、『ラプラスの魔物』を分離させたりしたのですか?」


滄助は指を唇に当てて言った。


「ひ、み、つ。言わないよ。神様には守秘義務ってのがあるからね。」

「そう、なんですか。」


滄助は何処か遠くを眺めながら言った。


「……君が親にでもなったら、嫌でも分かる。今回の話は、別段難しい作戦でもないさ。」


蓮花は滄助にお辞儀する。


「あの……本当に有難う御座いました。私を産んで下さったり、人間にしてもらえたり……本当に……。」


いえいえ、と滄助は否定した。

「別に僕のお陰じゃないよ。君の気持ち、それだけだ。」


蓮花は滄助に問うた。

「何処に行かれるのですか?もしかして……旅、とか?」


滄助の顔がぱあっと明るくなる。

「そうだよ!凄いよ!蓮花嬢!一発で当てたのは、君が初めてだ!」


あ、と蓮花がカウンターに置いてある卵パックを見る。


「これ……割れてる。買い直さなくても…旅をまぁ、他のがあるから良いでしょうけど……。」


滄助が不思議そうにそれを覗く。


「おや、今日はオムライスかい?」

「はい、朧さんがオムライス大好きなので。」


怪訝そうな顔つきを蓮花に見せる。

「……ふぅん、成程ね。」


滄助の怪訝な顔つきに、蓮花は戸惑う。

「どうしたんですか?滄助さん。」


考える素振りをしながら滄助は言った。

「彼奴には……ちょっと辛いことが多すぎたから、味覚や感性等が少し幼児退行を引き起こしているみたいでね。オムライスが好みだったのは、滄溟が十歳の頃の好みだ。」


蓮花は少し眉を潜める。

「そう、なんですか……。」


しかし滄助はにっこりと笑って言った。

「大丈夫。蓮花嬢達が一緒に居るだけで、彼奴は幸せだから、ね。」


それじゃあ、と恭しく礼をして、滄助は蓮花に言った。


「それでは暫しの別れだ。ご機嫌よう、世界を救った幸せの淑女レディよ!」


滄助がけたたましくドアを閉めて、大通りに出ると、滄助は何者かの気配を察する。


「おや蓬莱。こんな所でどうしたの?」

「貴様を待っていた。でなければこんな場所まで来ぬ。」


路地の中で蓬莱は言った。一つ、呟き始める。


「昔……お前の事を好いていた頃があった。」

「それは意外な話だね。」


だが、と蓬莱は歯を見せてニヤリと笑う。


「今は嫌いだ。手前の知りたいことを全部知っている癖に、全く教えようとしない……。」


しかも、と蓬莱は付け加える。


「朧が違う組織に拉致監禁されないように、保安院から委員を差し向けて暴れさせたり、自分自身に気を引かせて保安院を潰そうとしたり、真理の残留思念を壊すために蓮花達を使ったりと……中々」


「あーあー!聞こえませーん!何言ってるか全然分かりませーん!」


駄々を捏ねる滄助を見て、蓬莱はため息を付いて言った。


「まぁ……旅をするのなら、また手前の家に遊びに来るといい。」


滄助は去り際にニィっと嗤った。

「まぁ、気が向いたらね。」


二人の気配は消え失せて、舞台は『朧古書堂』へと戻る。大通りから帰って来る朧に、蓮花は店内から声をかけた。


「朧さーん!お茶、美味しいの入りましたよー!」


先に中に入っていた黎明が声を上げる。

「まぁ、とっても美味しいですわ!」


神無月と朧が同時に入って、置かれたお茶を飲む。


「わぁ!とっても美味しいよ!」

「そうだな。本当に上手くなった。」

「え!そうですか!?嬉しいです!」


「ねぇ、姉様兄様方、私ね、お父様に会ったんですのよ!」

「それは私もです。」

「私もだねぇ。」

「俺もだ。」





秋風こよめくエレクトローネ


其処に、朧古書堂はある


朱夏の日々は終わり、実りの秋へと近付く

此処は朧古書堂


人の心が集まる場所


神様青年と帯刀少女と


ロリータ神様妹と払い屋青年が


いつも居る場所。


其処ではきっと何時までも、


幸せそうな声が響いている事だろう。

長い間、本当に有難う御座いました。Twitterの方でも応援のメッセージを頂いたり、イラストも頂いたりしました。一年弱の連載、とても楽しかったです。外伝も纏めたいと思います!勿論、新しい話もありますよ?これからも、千年怪奇譚等の小説を、宜しくお願い致します。今回は完結まで至り、本当に有難う御座いました。

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