ラプラスの魔物 第二魔物 11
「二人は行ったか。」
神無月は黎明の部屋で言った。あの後足早に去っていた二人を少し不安げに見ていた。この部屋には、蓬莱、キリア、神無月、黎明が居る。黎明が紅茶を準備しながら言った。
「うーん……心配ですわよね…。」
まぁ、と蓬莱が目を細めて、笑って言った。
「大丈夫じゃろう。腐っても彼奴は手前の弟子じゃ。」
その途端、荒々しく黎明の家の扉が叩かれる。
「ど、どうしたんでしょう…。出た方が宜しいのでしょうか…?」
神無月が刀に若干手をかけながら言った。
「俺が出る。」
がちゃりと扉を開けると、血相を変えながら、召使いは神無月に縋り付く。
「し、白羽様!御無事でしたか!」
神無月は訝しげに目を細めて言った。
「どうした。こんな人様の家にまで上がり込んで…。これは…血…?」
必死に召使いは神無月に説明する。
「良かった、御無事で!屋敷が襲撃されているのです!」
神無月の眉間の皺がどんどん深くなる。
「どういう事だ?襲撃だと?」
息を整えた召使いが言った。
「何やら『保安院』とか言う奴等が、白羽様を殺しに…!」
神無月は一度部屋に入ると、蓬莱達に説明して言った。
「俺は一度屋敷に戻ります。此処はお願いします。」
「却下だ。良いか、神無月の小童よ。」
「小童…。」
蓬莱に言われた言葉をじんじんと神無月は受け止めながら、話を聞く。
「もし、『保安院』だろうが無かろうが、此処に我等が残ると、家を襲撃される可能性も無きにしもあらず。だから着いて行こう。」
しかし、と神無月は俯きながら言う。
「そうなると、黎明は一体どうすれば…。」
蓬莱は鼻で笑う。
「手前が居る。特に問題は無かろう。」
黎明は意気込んで言った。
「私だって、1人でも魔法ぐらい使えますわ!だから、余り心配しないで下さいませね。それに、蓬莱様がいらっしゃるのですし。」
仕方なさげに神無月は了承する。
「…分かりました。黎明の事、宜しくお願いします。」
「またこの空間に…やたらめったら蒼い空間…どうして、この場所によく繋がるんでしょう…。」
エレクトローネの蒼い空間に、2人は居た。蓮花の素朴な疑問の一言に、朧が返す。
「確か…此処は空間が1番繋がりやすいらしい。」
「って、父上が言ってた、なぁんて言ってくれないのかい、滄溟。」
蓮花が驚きの一言を言う。
「えっ…あ、居たんですね…。」
滄助は少し残念そうな顔をしながら言った。
「蓮花嬢…そこは『い、いつの間に…』って言わなくちゃ…。」
蓮花は焦って訂正する。
「え…あ、そうなんですね。」
朧が二人の会話に口を挟む。
「いや、別にあんまり変わらない気がするんだけど。」
それよりも、と朧が滄助に言った。
「私の固有魔法、返して下さい。別に返して下さったら、何も言いませんから。頼むから返せ。」
「全然頼んでる感じしませんけど……それよりも。」
蓮花は滄助を一瞥する。
「随分と…その、可愛らしい、というか。」
彼は濃紺をベースにしたスーツに、リボンという、中々可愛らしい服を着ていた。朧が慌てて蓮花に言う。
「待って蓮花ちゃん、それ言ったら彼奴は、」
「でしょ〜?可愛いよね〜!」
朧は眉間を抑えて呆れながら仕方なさげに言った。
「……デレる。あの人、可愛いもの好きだから。」
蓮花も一言呟いた。
「デレる…のですか…まじか…。にしても、あの服装、中々作りが良さそうですね。」
朧が喜んでいる滄助を見ながら言った。
「ああ、そうだね。あれは式典の時に着てた奴だから、それなりに良い物だと思うよ。」
彼の一言に蓮花は引っかかる。
「…式典、って何でしょう?」
朧が言った。
「…うん…そうだね、言ってなかったよね。代々、朧月夜の家は貴族だ。ま、故郷が木っ端微塵にあのお師匠様の妹にやられたもんだから、もうそんな身分は無いわけだけど、あの人はまだ貴族だったし…家から出た時もそれなりに王宮の式典に出席してたんだよ。」
にしても、と朧は顔を顰める。
「…あれ、何だろうね。手に持っている、本。」
蓮花が滄助の持っている濃紺の本を見て言った。
「そうですね…予想ですが、『全ての物を具現化させる』とか言うのでどうです?」
それを聞いた滄助は笑って言った。
「すっごい!蓮花嬢!合ってるよ!だけど…一つ忘れてるかな。この本は、蓮花嬢が言った能力と共に、もう一つ付いている。」
朧がそれを遮って言った。
「……この世の全てが書いてある。之でどうでしょう。」
やれやれと言った調子で、滄助か言う。
「もうちょっと可愛げという物はお前には無いのか…?この本はね、神器なんだよ。僕の頭脳、能力、全てを記したもの。云わばもう一人の僕って事さ。」
蓮花が軽く呟く。
「一人がもう一人を持ってるって面白いですね。」
「そこ突っ込んじゃ駄目なところだと思うよ、蓮花嬢。」
滄助が軽く蓮花を窘める。朧が話を盛り返して言った。
「いや、ですからね?私の固有魔法を返して下さい。そうすれば、もう用は有りません。」
にいぃっと、滄助は口を歪める。
「……そんな簡単に返すと思うかい?」
朧がきつく滄助を睨む。
「何に使うんですか。その、固有魔法を。」
くるくると回って滄助は笑った。
「ひ、み、つ。言ったら面白くないでしょう。何事も愉快な方が良い…。」
朧が呟いた。
「溢れ出る犯罪臭…。」
蓮花もそれに同意する。
「同感です。」
蓮花は顎に手を抑えて、軽く滄助を見た。
「何か、使うんですよね。それを。その、固有魔法を。神様の力を。」
蓮花はごくりと唾を飲んで、朧に耳打ちする。
「…この予感は、当たらない方が良いんですが…もしかすると、滄助さんは…。」
朧もそれに同意する。
「うん。それ、私も思った。」
滄助がそれを聞いてくすくすと、さも愉しげに嗤った。
「なぁに?2人で秘密のお話なの?」
蓮花は軽く頭をかいて言う。
「…もし、私にも父親がいれば、あんな感じだったんでしょうか。」
朧がそれを聞いて慌てて言った。
「いや、あんな犯罪者予備軍だし、若しかしたら犯罪を犯してる可能性も無きにしもあらずな人が父親って…君は良いの?」
蓮花はそれを聞いて、一拍置いて言う。
「居ないよりは、マシだと思います。」
成程、と朧は顎に手を当てる。
「そんな考えもある、か。」
しかし、真剣だった朧の顔付きは、直ぐに楽しそうな物になる。
「ま、そんな事言ってるよりかは、今、我々の大切な物を返さなくちゃならない方が先決だしね。」
2人は背中を合わせて、武器を構えた。蓮花は、全ての信念を貫き通す、白銀の刀を。朧は、全ての人肉を突き通す、血塗られた短剣を。各々の未来と過去を記す繋がりは、案外外に出やすいそうで。
「糞っ…!どうしてこんな事に…。」
神無月は屋敷を襲撃する異形の化け物達を、容赦なく切り刻んでいく。
「あの人は…あの人は何処だ。」
最後に見たのは何時だったか。あまり良く覚えていない。自分の事を大切にしてくれて、己の母親の様な存在を、大切な存在を、もう2度と、彼は失いたくないのだ。
「…人か…。」
神無月は人の気配を感じると、直ぐに脇に隠れる。人間の気配を感じると、神無月は颯爽と躍り出た。
「……何者だ。」
壮年の武士の老人は、神無月の顔を一瞥して言った。
「そうか…貴様が…儂は南野屋 左衛門。…それに見えるは神無月の御子息か。」
神無月は刀を下ろして一つため息を付いた。
「…答える義理は無い…が、貴様、『保安院』の回し者か。」
老人はその質問に答えずに、神無月に向いて言った。
「貴殿がそう思うなら、そうだろう。さて、貴殿には抹殺命令が出た。」
神無月は何とか怒りを鎮めながら言った。
「誰に命令された。答えろ。」
老人は髭を触りながら言った。
「それこそ答える義理はあるまい。」
神無月はさらに聞く。
「良いから答えろ!…俺はその聞く権利がある筈だ…!」
ちらりと老人は目に怒気のこもった神無月を見た。
「……保安院直々の命令だ。誰に指示されたでもない。」
神無月は何処か安心した様に刀をまた構える。
「そうか…良かった…まだ、俺は見捨てられてなかった……しかし、俺の大切な人達を傷付けた罪は極刑に値する。死を以て償え。」
神無月はそっと目を細めた。弱点は左膝。一度大きな怪我をしたらしく、筋肉さえ切り刻んでしまえば、殺すのは簡単だ。しかし。
「…隙が無いな。」
ふと、背後から声が聞こえる。
「白羽様。」
その言葉の響きの懐かしさに神無月は振り向いたが、其処にはキリアが居た。少し慌てながらキリアは訂正する。
「ああっ…いきなり名前呼びとは失礼で御座いましたか?」
神無月は少し微笑む。
「いえ…其方の方が慣れていますので。」
それでは、とキリアは短剣を何本か出す。
「白羽様の御考え通り、この方はお強いお方です。白羽様と言えど、死ぬのでは済まされないかも知れません。」
キリアは神無月の傍に立ってにっこりと笑った。
「私も参戦させて頂きます。流石に朧月夜兄妹様の御親友とあれば、御怪我をさせる訳にはいきませんし…それに、私は滄溟様に体術と剣術を教えた人間で御座います。……それなりに資格はあると存じます。」
神無月は仕方なさげに言った。
「…それを言われたら参戦させるしか手がないでは有りませんか。」
紅い瞳で相手を見つめる青年と、紅い髪の毛を靡かせる淑女。キリアが言った。
「それでは、参りますよ!」
「了解しました!」
「大丈夫か?黎明。」
蓬莱は神無月の屋敷に連れた来た黎明に問う。黎明は何とか息を整えて言った。
「大丈、夫、ですわ。にしても…酷い荒れようですわね。」
蓬莱は歩きながら黎明に言う。
「倒れている人が居たら直ぐに手当をしてやるんじゃ。出来るな?」
黎明はにっこりと微笑んだ。
「ええ、勿論ですわ!」
暫くの沈黙の後、黎明がぽつりと呟く。
「…私は、強くなれたのでしょうか。」
蓬莱はそれに答えず、黎明の呟きを続けて聞く。
「私は…兄の全てを知りませんわ。そりゃあ、自分の事すら分かることが出来ない時世ですもの。無理は無理なんですのよ?それでも、兄の事をちゃんと知らないと、兄は…お兄様は消えてしまいそうな気がして…。」
蓬莱が振り返って黎明の頭を撫でる。
「大丈夫だ。彼奴は居なくなる様にはならん。それに、もし居なくなっても手前等が探す。手前の手に任せれば、彼奴が黄泉に居ても、引き摺り出してくれようわ。」
黎明がそれを聞いて、安心しきった用に笑った。
「…そう、ですわよね。ちょっと、心配になっただけですの。」
ふと、耳を劈く様な壁を壊す音と、その土煙の中から1人の少女が現れる。
「お話の途中悪いけど、宜しいかしら。」
蓬莱は闇から杖を出して目を細めて言った。
「…何者だ?」
白髪にブロンドが少しかかり、翠玉の瞳を持ち、何か2つの玉が付いている槍を持った少女は言った。
「私の名前はクルメリア・アッシェン=ナルサリチェ・クロベルロート・アザレミリーアーナ。長い名前だけど、クルメリアと呼んで下さると嬉しいわ。」
蓬莱が少し考えると、直ぐに該当者が居たようで。
「…貴殿は…グラチアの元王女陛下か。…まさか、貴殿も保安院の一員だったとはな。」
クルメリアは鼻で笑った。
「間違えないで下さるかしら。無、理、矢、理、入らされたんですの。御理解頂けて?」
クルメリアは蓬莱の傍に居る黎明を見る
。
「…あら、朧月夜 黎明も一緒なの?それは好都合だわ。」
「私を…ご存知なんですの?」
「は…?」
黎明は蓬莱の後ろに立って、覗いている。クルメリアに恭しくお辞儀をしながら言った。
「ええっと…私は初めましてになるので、御挨拶をした方が宜しいですわよね。…私の名前は 朧月夜 黎明。以後お見知り置きを。」
クルメリアは唖然として蓬莱に言う。
「…ちょっとこれ、どういう事なの?あのカミサマ、一体…。」
蓬莱は軽くクルメリアを見つめて言った。
「…分かるだろう。理解しろ。」
クルメリアは持っていた槍の切っ先を蓬莱に向ける。その表情は、理解してはいけない事を理解してしまった顔だった。
「……嘘…でしょ…?ちょっと待ちなさいよ。じゃあその子は一体何を見てるって言うの!?おかしいじゃない!そんなの…そんなのって…歪んでるでしょ!そんなのその子の為じゃない!狂ってるわよ!」
黎明は何の事やらさっぱりの様子でクルメリアを見ている。蓬莱が伏せ目がちに言った。
「…仕方が無いじゃろう。もうどうしようも無いのだ。」
クルメリアがそっと槍を落とした。
「…何なのよ。おかしいじゃない。それは、その行為は、その子の為じゃない。なのに…どうして……そこまでその子に固執するの?もう14歳なんでしょ?」
蓬莱は少し考えた後、渋々口を開いた。
「…此奴が幾つになろうとも、それは関係無い。恐らく、これは、永遠の呪縛だ。だって……彼奴は…恐らく……。」
クルメリアがそれに、顔に出さずに激昂する。
「……そういう事ね。カミサマはその子だけに呪縛を施した訳では無いのね。理解したわ。良いわよ。」
彼女は黎明に言った。
「ねぇ、朧月夜 黎明。」
きょとんとして慌てながら黎明は言う。
「は、はい!何で御座いましょう?」
そのままの声色でクルメリアは続ける。
「此処で起こった事、全て覚えて帰りなさい。『記憶』という物は武器よ。人を安寧に導き、破滅にさえ差し出してしまう、武器。……それを、大切になさい。」
黎明はこくこくと頷く。クルメリアは蓬莱に向き直った。
「……勝てないのは最初から分かってるわ。それでも私が戦うのは……。」
蓬莱はくすりと笑って言う。
「給料の為だろう?」
クルメリアも笑う。
「そうね、給料の為だわ。プライドなんて捨てて、給料の為に働くと致しましょう!」
蓬莱は何処か懐かしくそれを聞いた。
「やはり……貴殿は王女の器に相応しい人間だな……。」
「ほんっとーに、滄助さんは煽りが上手い人ですね。」
蓮花の一言に、朧が反応する。
「それ、本当に同感。」
滄助は軽く浮遊しながら、少し小馬鹿にした言い方で言った。
「あっれー?もうおしまい?もっと愉しめると思ったんだけどなぁ〜!」
蓮花はそれを聞いて朧に言う。
「……モルテの発言にちょっと似てるって思ったの、私だけですか?」
蓮花の一言に、朧が反応する。
「それ、本当に同感。」
すると、滄助の目付きが変わる。何処か世の闇を知った様な瞳。朧の顔色がどんどん青くなっていく。
「あ、あれはやばいね…もしかすると…。」
蓮花が刀を構え直して言った。
「…固有魔法発動のお時間ですか。」
朧が蓮花の落ち着いた一言に返した。
「うん。しかも、『深淵の魔物』と『ラプラスの魔物』のふたコンビで来そう。勝ち目は無しだと思う。何とか避けるぐらいしか無いかもね。」
そうしている内に、滄助の詠唱が始まる。
それを横目に、蓮花は朧に問うた。
「私の『言った事が本当になる能力』、あの人には通用しないんですか?」
朧が仕方なさげに蓮花に笑う。
「無理。だってこの世界を作った神様だよ?それの生まれ変わりとか、チートにも程がある…。」
何処か一点を見つめながら、滄助は無心に詠唱を続けている。
「……我が親愛なる深淵たる龍よ、全てを巣食いて贓物を暴け。」
朧が蓮花の手を引いて、何とか世界の端まで逃げようとする。
「夥しい屍を以て、世の罪は赦されん。固有魔法『深淵の魔物』!」
朧が振り返って一つ呟いた。
「あの人の詠唱、中身がえげつないんだよなぁ…。」
影の形をした龍が、二人めがけて襲ってくる。蓮花は刀の刃を霊力で増進させて、一閃を貫く。朧も短剣を引いて避けるぐらいしか出来る事がない。滄助の愉しそうな雰囲気が、打って変わって人を凍てつかせる雰囲気に変わる。
「……あーあ…人間って、本当につまんないの。」
風も冷たく変わり、朧と蓮花の事を明らかに冷嘲している。朧が訝しげに滄助を見て呟いた。
「ち…父上…?まさか!」
朧は焦りながら、蓮花に振り向いて言った。
「伏せて!」
「へ?」
その瞬間、慌てて伏せた蓮花の目の前に鮮血が迸った。
「中々手強いのですね。」
キリアは短剣を老人と鍔競り合いしながら言った。神無月がトドメを刺そうとも、それも容易く避けられる。南野屋は言った。
「その太刀筋というのか…ふむ…貴殿は蓬莱皇女陛下のお抱えメイドか…。」
キリアは恭しく礼をする。
「御存知だったのですね。そうですよ。だけれど……。」
そのキリアの言葉の先に、神無月が斬ってかかる。
「『蓬莱皇女陛下』と言っていいのは、朧だけだ、と奴自身が言っていたが?」
キリアは足を滑らせながら、短剣を投げつけた。その内1本が老人の左耳を跳ね飛ばした。
「あら、大当たりです。」
神無月との鍔競り合いを飛ばすと、血だらけの左耳を抑えて言った。その表情は、激痛を何も感じていない、まるで淡々と作業をこなしている様な表情だった。
「……成程、良いだろう。其処の淑女に免じて話してやる。」
神無月が刀を構えて言った。
「余計な事を言うと叩き斬るからな。」
彼の一言を受け流して南野屋は言った。
「…貴殿の親友の父親、朧月夜 滄助は、保安院の一員だ。」
一瞬だけ目を見開いた神無月が、激昂を目に込めて、刃にして相手を貫く。
「…その『話』。もし嘘ならば……。」
言葉に詰まった神無月に、南野屋は平然と答える。
「嘘ではない。証拠もある。」
何かのカードキーとUSBメモリを南野屋は神無月に放り投げた。
「どうせ信じまいと言うと思うから、これを持って行けと言われてな。」
神無月は構えていた刀を下ろしてカードキーとメモリを拾う。其処には滄助の簡単な個人情報と12桁の数字が書かれてあり、それを一瞥して神無月は言った。
「…このメモリは?」
南野屋は顎を撫でながら言った。
「至極簡単な事だ。その12桁の数字を、このメモリに入っているホームで打てばいい。そうすれば保安院のホームページに繋がる。」
酷く馬鹿にした言い方、そして怒りを混ぜた言い方で神無月は言った。
「あの、子供騙しの史上最悪のホームページか?」
老人はそれに答えなかった。刀を締まって何事も無かった様に言う。
「さて…儂の仕事も終わった。」
訝しげに神無月は南野屋を見つめて言った。
「貴様…それは一体どういう事だ。」
砂の様に南野屋は消えていく。
「貴殿らは遊び道具だったと言う事だ。」
神無月はその一言の真意に気が付くと、キリアに吐き捨てる様に言う。
「…俺達は…時間潰しだった、という訳ですか。」
キリアが耳の付いた短剣を綺麗にして、俯きながら話す。
「恐らく…そうだったのだと思います。全く気付きませんでした…。罠にハマってしまいましたね。」
神無月は刀をしまい、キリアに向かって言った。
「もうちょっと…付き合って貰ってもいいでしょうか。もしかしたら…死人が出ているかも知れません。」
キリアはにっこりと微笑む。
「ええ、勿論ですとも!」
神無月が口を開く。
「探してる人が、居るんです。」
キリアは軽く神無月に問うた。
「どなたなのでしょう?」
「……××、と言うんです。俺の面倒を見てくれている人です。」
訝しげな顔をして、キリアは問うた。
「……その方のお名前、××と言うのですね?」
酷く困惑した顔で、神無月が聞き返した。
「え、ええ。そうですが……?」
更にキリアは問う。表情が全く見えない。
「……白羽様はその人の名を知っているのですね?」
神無月が軽く答えた。
「知っています。××って、名前です。」
すると、曇っていたキリアの顔が一気に晴れた。
「そうですか、なら良いのですよ。さぁ、早く助けに行きましょう。」
「ふむ……中々強いのう。」
高く跳躍するクルメリアに、形を知らない闇が襲うがクルメリアの結界の前では功をなさない。2つの玉が付いた槍を蓬莱に向けて言った。
「でしょう?貴女達に免じて、色々教えて上げる。だってこれは、神槍『ゲイ・ボルグ』。二つの玉は『引く力』と『離す力』があるの。それだけよ。闇なんて引っ張れば終わりだわ。」
蓬莱が言う。
「そうか……なら、もう終わらせなければならないな。」
クルメリアが呆れ果てていう。
「一応負け試合だとは言ってるけど、負ける気は無いのよ。千年以上生きている貴女も、保安院に連れていかなくちゃならないわ。」
蓬莱は鼻で笑う。
「それは嫌じゃな。一生牢獄に居るのであろう?」
「ま、そうね。」
少し考えると、蓬莱は黎明に耳打ちした。
「助けてくれんか、黎明?黒の麒麟を貸して欲しいのだが。」
黎明はにっこりと笑う。
「構いませんけれど……どうして?」
直ぐに背後には黒い麒麟、『角端』が居た。蓬莱はクルメリアに向き直って自信満々に言う。
「確か……その槍、水神なのだそうだな。」
きょとんとしてクルメリアは言った。
「そんな事知らないわよ。」
蓬莱が眉間を抑える。
「それは……知らなかったのか……まぁ、良いとして。黎明、角端の出量を最大にしてくれないか。」
「分かりましたわ!それでは……天を統べ給う龍に忌み嫌われし対に形に足る悪魔よ!」
「詠唱なんかさせるか……!」
蓬莱が影の盾を作る。しかし、先程まで跳ね飛ばされていた影とは違う。クルメリアが下がって狼狽えて言う。
「な、なんで……!どうして攻撃が通らないのよ……。」
蓬莱が目を細めてニィっと嗤う。
「…影は光に巣食う物。陰は人の心に巣食う物じゃ。伊達に千年も生きていれば、心に巣食う物、だな。」
そして、黎明の詠唱が完了する。
「銀の月の御力によって、今、命を止め給え!固有魔法『マクスウェルの悪魔』!」」
黒い麒麟、角端の体に銀の筋が入る。きらきらとそれは輝いて、まるで闇夜に浮かぶ月だった。蓬莱はニヤニヤ笑いながら、角端に耳打ちした。すると、ありとあらゆる場所から蔦が現れる。それはクルメリアを襲った。
「あ…アンタねぇ……!絶対、絶対牢屋に入れてやる!」
水刃を用いてクルメリアは避けるが、蔦はしつこく彼女を追いかける。その途端だった。ぼそりと、誰にも聞こえない様に早口で蓬莱は言った。
「常世の玉座に付く、黄泉津大神よ。晴れぬ暗闇を我が手に渡せ。その雷を持って世を暗雲へ導け。固有魔法『闇夜を濡らす鴉』。」
背後から鋭い研がれたナイフの様な闇が、クルメリアの四肢を貫いた。その反動で槍を落とす。
「……もうやめろ。其処までの重症を追うと、」
「ちっ…!煩いわね!帰るわよ!」
クルメリアは足を引きずりながら手を抑えて、その場から去ろうとした、時だった。
「クルメリア姉様!」
「……くるめりあねえさま?」
有り得ないと言った表情で黎明を睨む。そしてその言葉を反芻した。
「あ、あの……応急処置位なら……私にも出来ますわ。」
くるりとクルメリアは後ろを向く。
「……アンタ、正気?」
黎明は人を射抜く瞳で、辺りを鎮めるような声で言った。
「ええ、正気です。私はいつだって正気です。自分のする事成すべき事を、信念を持って信じているのですから。」
クルメリアが血で濡れた手で呆れ果てた頭をかく。だけど、この少女の兄を褒めるような言い方だった。
「あの兄あってこの妹か……随分と良い教育をなさっている様ね。」
クルメリアは軽く四肢を放り投げて言った。
「……良いわよ、好きになさい。槍もあの人が持っている事だしね。」
クルメリアは、にっこりと悪意を持って笑っている蓬莱を見て言った。黎明は持って来ていた応急箱を開けて、彼女の止血をした。
「よし!これで出来ましたわ!」
あの、それと、と黎明がもじもじしながら言った。
「……私と、友達になってくれませんか。」
クルメリアは笑いを堪えきれずに笑って言った。
「ぷっ…!あはは、あははは!良いわよ、なって上げるわ、あはは!」
きょとんとして黎明はクルメリアに問うた。
「どうして、笑いますの?」
クルメリアは純真な笑いで黎明に言った。
「アンタが……黎明がバカみたいに純粋だからよ。でも、それはとても良いことだわ。それを武器にして生きなさい。今度、お茶を飲みに行ってあげるわ。」
クルメリアが蓬莱から槍をぶん捕って、あと、とクルメリアが俯きながら言った。
「……傷の手当、アリガト。」
直ぐに姿が見えなくなると、黎明はうきうきと笑いながら言った。
「やった!お友達が出来ましたわ。嬉しい事ですわね!」
「ま、何か彼奴がしたら、朧が黙っておらんか……。」
蓬莱が呟いた。
「蓬莱様?何か仰いましたか?」
蓬莱はにこりと笑った。
「いや、何も。さぁ、手当を続けようとしようぞ。」
黎明もそれに釣られてにこりと笑った。
「はい!」
「何処だ!何処だ××!」
神無月は屋敷内を叫ぶ。だが、只でさえ広い屋敷だ。聞こえる物も聞こえない。キリアが渋る様に神無月に言った。
「……白羽様。」
「何でしょう?」
少し急かす様に神無月は言った。キリアが仕方なさげに言った。
「聞こえないのです。その方の、名前が。」
神無月が訝しげに顔を顰めた。
「どういう事です。」
キリアが顔を上げて神無月に言った。
「……私、聞いた事があるんです。名前を取られる人がこの世に居ると。」
「名前を……取られる?」
はい、とキリアは言った。
「何かの理由で取られたりする人が居るんです。それは誰にも分からない。本人ですら名前が分からないのですから。取った者すら、取った事も忘れる……それを大体人間は『死』と呼びます。だけど……こんな事は初めてです。」
神無月がキリアに向き直って言った。
「そう言う事例を見た事があるのですか?似たような物でも構いません。」
何処か必死そうに神無月はキリアに言った。
「『似たような事例』は、あります。それこそ死んだ事を認めきれていない幽霊や、生きている人間が死んでると感じていたり……でもそれは内面的な物です。感情的な物です。……だけど、その人は肉体も朽ちておらず、名を取られた原因も知っており、取られた人も知っている……私はそう感じます。」
きっと、とキリアは眉を潜めながら神無月に言った。
「失礼を承知で白羽様に申し上げますが……。」
ごくりと唾を飲んでキリアは言った。
「白羽様はまだ、あの人を人間と思っているから、その人の場所が分からないのでは無いでしょうか?」
唖然とした神無月は、はっきりと、だけれど何とか口を開いた。
「あの人は。人間では無いのですか?」
「いえ、人間です。だけど、人間と言える状態から、少し逸脱している。だけど人間と言える。何とも不安定な状態です。」
キリアは目を伏せ目にして言った。
「私に考えが有ります。……これを、使います。」
キリアが懐から取り出した物は、五芒星の真ん中に清らかな水が揺蕩う、両手に収まり切る道具だった。神無月が目を見開く。
「これは……人を探す為の機械……。」
キリアは下の小さな釦を押すと、針が出てくる。
「これに白羽様の血をお垂らし下さい。縁の深い者ならば、直ぐに見つける事が出来ます。」
神無月は戸惑う事無く其処に血を垂らした。すると、細いレーザー線が、真っ直ぐ奥の道へと伸びている。2人は其処の奥へと進むと、倒れている、神無月のその人が居た。
「××!××!無事か!?」
その人はゆっくりと目を覚ましながらにっこりと笑って、神無月の頬を撫でた。
「ご無事…で…良かった……です……。」
神無月はその人を抱えると、キリアに行った。
「今から黎明の所に行きます。応急処置、手伝って下さいませんか。」
キリアは目を細めて笑った。
「ええ、勿論ですよ。」
そして、ふと抱き抱え上げられたその人を見て言った。
「……名前が無いのに生きれるなんて、珍しい事もあるものですね。」
「朧……さん?」
迸った鮮血が蓮花の頬を軽く花の様に染めた。へにゃりと笑って朧は問う。
「無事かい?」
「それは……まぁ。」
蓮花は一つ咳払いをすると、朧に言った。
「怪我は大丈夫ですか?」
血が垂れ続ける右手を抑えながら、眉をひそめて笑う。
「全然。肉を貫通してるよ。」
蓮花は震える足を何とか使いながら、朧を案じる様に言う。
「朧さん、自分の傷を治す力はありますか。」
「勿論だよ。……何するつもり?」
もう、蓮花の足の震えは無かった。
「私が終わらせます。」
にっこりと嗤いながら、滄助は言った。
「君が?……本当に?僕を止める?」
「ええ、私が止めます。」
蓮花は朧を一瞥すると、刀を構えながら言った。
「止めないで下さいね。私、絶対やってやるんですから。」
「止める訳ない。だって止めても蓮花ちゃんは進むし、その行動は信念が伴ってる。……全ては真実の為に。」
滄助を睨みながら、蓮花は足を踏み出した。
「蓮華一閃!斬釘截鉄!」
蓮花はターンをすると、左からフェイントを掛けて、構えた刀に最大の力を込めて滄助に振り下ろした。滄助の手から血が溢れる。
「痛い!痛いからちょっと待って!」
「待ちません!絶対!絶対倒します!」
ぽたぽたと二人の足元に滄助の血の雫が滴る。
「っ……!」
そうか。彼奴は、きっと、『前の僕』はきっと。
「本当に……やってくれたねぇ……。」
さっと滄助は構えを外すと、蓮花はバランスを崩して滄助の体を斜めに斬る。そのまま彼は倒れた。
「……僕に、君は倒せなかった。君の負けだ。いや、『君達』の負けだ。撤退するよ。」
朧が体を引き摺って、滄助に言った。
「……蓮花ちゃんとで思っていたんです。父上、貴方は保安院と繋がっているのでしょうか?」
滄助は途端に朧に笑った。それは心の其処から笑っていた顔だった。
「……その点も含めて、僕の負けさ。今回はね。どうせ本部に来るんでしょう?その時に、また会おう。」
そうやって、優しさを綻ばせて滄助は消えて行った。少し茫然自失している蓮花の隣で、朧は一滴だけ涙を零して言った。
「……あんな優しく笑った父上は、10年ぶりに見たなぁ。」
「あら、カミサマじゃない。」
道のド真ん中で、右手にぐるぐる包帯をしながら何かの食材を持っている朧に、少女は声をかけた。朧はきょとんとしながら少女に問うた。
「……私、君と会ったことあるっけ?」
少女は腕を組んで言った。
「そうね。この姿では初めてかも。これを言ったら分かるわ。」
咳払いして、少女は言った。思いっ切り声が変わる。
『一応、紹介しておくかぁ〜…僕の名前は、クルメリア・アッシェン=ナルサリチェ・クロベルロート・アザレミリーアーナだよ!女!クルメリアってよんでね〜!』
朧が心底鬱陶しそうに言った。
「あぁ……君か。何用?」
自信満々にクルメリアは腰に手を当てて言った。
「貴方の妹の家に遊びに行くのよ。お友達になったの。」
朧が驚きのあまり咳き込んだ。
「げっほ、げっほ…けふ…え?何を言ってるの?」
その驚きの表情を見ながら、クルメリアは笑みを浮かべて言った。
「お友達になったの。分かるかしら。」
「いや……それは分かるけど……。」
朧がクルメリアを睨む。
「余計な事をしたら斬るからね。」
「記憶を消したりはしないのね。」
朧がぴくりと眉を動かす。
「……それ、何処で知ったの?」
クルメリアが言った。
「あの子の行動よ。初めてあった訳無いでしょう。なのに、初めましてーって言われた時は、血の気が引いたわよ。まぁ、察したわ。」
クルメリアが伏せ目がちに言った。
「もう記憶を消しては駄目だと思うわ。だって、それはあの子の為にはならない。」
朧が頭を掻いて言った。
「……善処するよ。」
クルメリアは朧に近付くと、笑顔で言った。
「今日の買い物、レディグレイの上物を買ったでしょ。二つ。」
朧が訝しげに言った。
「それが何か?」
「それ、私達のお茶会の物なの。下さらないかしら。お買い物中のお兄様から取ってと黎明に言われたのよ。」
朧は心底気に入らない様な顔をして、クルメリアに紅茶の箱を渡す。そしてクルメリアが去り際に紙を渡した。
「貴方の事をあの子は大切におもっているのよ。……それを汲んで上げて頂戴な。」
そのままクルメリアは去っていく。其処には『お兄様へ』と書かれた手紙があった。朧は古書堂へと帰りながら一つ呟いた。
「……あんな人の事を考えるいい子なんだから、黎明も良い友達を持ったのかねぇ。」
その声は、大衆の足音に掻き消えた。
お楽しみ頂けたでしょうか。次回。ラプラスの魔物 第二魔物 12話 『完結』。次の話で完結します。第3部も書くかも知れませんが、そんな直ぐには書きません。大変でしたが、とても楽しい連載でした。それでは……次回予告。保安院の本部がある、絶える事無き巨大な街、『蒸気街バルコアベルボー』へ。其処で数々の宿敵を倒し、その先で見た、滄助の思惑とは……!?9月上旬掲載予定!