西宮
翆が倒れたのは本宮の北にある西宮の建物の裏手だった
西宮と呼ぶが、実際には白国の東に広がる湖に背を向けて建つ本宮の北側にある
翆と珊瑚の暮らす若宮殿は雑木林をはさんで本宮の南側にある
若宮殿の南側には滴宮家の暮らす東宮がある
どの建物も湖の辺りと平行に百メートルほど離れた場所に正面を珊瑚の暮らしていた壱の山に向けて建っていた
杏が珊瑚の悲鳴を聞いてすぐに駆けつけたのは、翆が倒れた場所が西宮の裏手だったからではない
杏の付き人の椎は翠の付き人の榎とは兄弟だった
杏は自分の付き人の椎から翆が夕方の湖の散歩に珊瑚を伴うようになったと聞いて、遠目にでも珊瑚の姿が見られればと自分も絵を書くふりをして夕方湖の辺りに出ていたのだ
杏が翆のもとに駆け寄った時、翆は上半身を起こしていた
「珊瑚、騒がなくていい、一瞬腹に痛みを感じただけだ」
と言ったが立ち上がれずにいた
杏は翆に肩を貸し
「少し西宮で休め」
と言って自分の部屋に連れて行き、長椅子に翆を寝かせ、長椅子に直角に位置する椅子に珊瑚を座らせた
「椎、若宮殿に行って榎を呼んできてくれ」
「それと青磁の宿舎に行って、今日は若宮殿に泊まり込むように伝えろ」
と言う杏に翆は
「杏、大丈夫だ」
「本当に大したことはない」
と言った
確かに真っ青だった翆の顔色はもとに戻っていた
杏はふっと笑って
「本当は医者を呼びたいところなのだ」
「だが、大げさな事は嫌だろう?」
「青磁はいざという時に役に立つ」
「医者を呼ばない代わりに、今日一日だけ念のため青磁に泊まってもらえ」
と言った
翆は黙ってうなずいた
青磁はいざという時に役に立つ
青磁はいざという時に…
翆の腹痛が治まって安心した珊瑚の耳に杏のその言葉が残った
翆と珊瑚が帰った後、部屋に残る珊瑚の気配を必死に探す自分に哀れを覚えて杏はなるべく他のことを考えようとした
翆は本当に大丈夫なのだろうか
あまり風邪もひかず、今まで体調を崩すことがほとんどなかったのに
いや、一度だけ原因不明の高熱にうなされ5日ほど寝込んだことがあったな
あれは…翆の14歳の誕生日の後だった
翆は若宮殿に帰って夜着に着替える際、自分の腹に人の足型のようなアザを見つけて驚いた




