西条院凍雨の願望
ある確信をもって優は香月の家に向かう。そしてそこでメモを発見すると同時に、西条院から電話がかかってきて……。
11
走っている途中から、サイレンの音が多く、そして大きくなっていった。誰を探しているかは明らかで、僕はなんとか人目につかない道を選びながら必死に走った。途中何度か人に見られたものの、おそらくはまだこの街で何が起きているか知らない大人で、何も言われることはなかった。
僕がここまで必死になって走って到着したのは、香月の家だった。静かに住宅街に今はもう家人のいない家があって、なんだか嫌な雰囲気を出している。
そんなことは気に留める余裕もなく、ロックを解除して中に入っていった。きっと裕香さんに通報がいくけど、もうなんでもいい。きっと、今晩が終われば、僕は何も気にしていられなくなる。
あんな事件が起きたのに、警察はまだここへは来てない。本当に軽視しているんだ。今回はそれで助かったとはいえ、はらわたが煮えくりかえりそうになる。
怒りを抑えながらすぐさま香月の部屋向かった。差し込んだ月明かりだけが頼りの室内。僕はその部屋の真ん中に立ち、全神経を目に集中させて、あるものを探した。もし僕の予想が正しければ、どこかにあるはずだ。
そしてそれはすぐに見つかった。床のタイルとタイルの隙間に、四角い紙の端っこが見えた。即座にそれを抜き出すと、やはり四つ折りにされたメモが出てきた。
「やっぱり……」
震える指先でなんとか、その紙を開けるとさきほどと同じ文章が出てきた。
『魔女裁判』
もう、疑いようがなかった。紙を開けたまま、僕はそこで茫然となって、動きを止めていた。考えられなかった、考えたくなかった。もう、全部嫌になって、死にたくなってきたときのことだった。
端末に、通信が入った。驚きながらも、僕は応答する。
「……もしもし」
『いつもの場所にいるから、待ってるよ。急いで来た方がいい、警察も鈍間じゃないからね』
それだけで通信は切れた。聞きなれた声で、なぜかそれを聞いて安心感に近いものが胸の中にあふれた。
今一番、会いたかった人。今一番、顔も見たくない人。
僕はよろよろと立ち上がりながら、一歩一歩足を踏み出す。行かないといけない。あの人が待ってるなら、僕は対峙しないとだめだ。僕だって聞きたいことがある。確認しなきゃいけないことがあって、問い詰めたことが山ほどある。
今自分が抱いているすべての感情がずしんと心にのしかかる。それを感じながら、僕は足をゆっくりと速めていく。
今一番、恋しくて、憎ましい、彼女のもとへ。
12
学校へ着くと校門の前で、警備服の大きな男性が倒れているのが目に入った。驚きながら、息をしているかだけ確認すると、かろうじてしていた。多分、何か電気系のショックを与えられたんだろう、外傷は見当たらない。
これなら心配ないなと僕は校門から堂々と夜の学校へ侵入した。あの様子だと、たぶん先輩は警備システムだってショートさせているだろう。それがいつまでもつかわからないけど、明らかに彼女はここに邪魔者いれないようにしいている。
目的がわからないけど、招かれているのは僕で間違いない。僕は見慣れない、真っ暗な校内を進んでいく。鳥の鳴き声が不気味に響いていて、それが僕の心臓を締め付ける。
中庭につくと、ちょうど雲の隙間から綺麗な満月が顔をのぞかせた。月明かりが、僕らを照らす。
そう、いつもの噴水に先輩は月光に照らされながら、本を読んでいた。僕が一歩足を踏み出すと、その音で気づいたのか顔をゆっくりとあげる。
「やあ、来たね」
文庫本をその場に置き、彼女がスカートをなおしながら立ち上がって、僕と向き合う。二人の距離は五メートルくらいだったけど、僕も先輩も不思議とそれを縮めようとはしなかった。
二人とも黙って、お互い見つめあっているときに、遠くでサイレンの音が聞こえてきた。
「うるさいね」
「……僕と先輩を探してるんですよ」
「だろうね。ということは、もってあと一時間かな」
飄々と、いつもと変わらない様子の先輩は余裕を持っていて、まるで危機感も何も感じられない。
「……亜理紗が殺されました」
「知ってる。というか、メモ、読んでくれただろう? なら私がそれを知らないはずないじゃないか」
まるで質問に答えられなかった生徒を叱る教師のような口調で、そう諭してくる。思わず奥歯を強く噛んで、拳を握った。
「香月の家にも、同じメモがありましたっ……」
「うん。警察め、いくらなんでもあれを見つけてくれないなんてひどい怠慢だよ。おかげで、二度手間だ」
その「二度手間」という言葉が、心に突き刺さった。何が二度手間なのか……。
「香月と亜理紗は……先輩が殺したんですか」
先輩はしばらく間を置いたが、いつもの柔らかい笑顔を浮かべる。
「ああ、そうだよ」
「――っ」
声にならない声が出そうになったが、あまりの衝撃にそれができなかった。どこかで、必死に期待していた。否定してくれることを、こんなの嘘だって、悪い夢だって、誰かがそう言ってくれるのを待っていた。
ただ、現実はこうだ。
「香月さんは君のことで少し話したいことがあると言って、適当に我が家に勧誘した。最初は彼女もそれに了解したんだけど、どこかで勘付かれたのかな、家に向かう途中でやっぱり嫌だって言ってきた。彼女が自分の家ならいいというから、了解した」
思い出すかのように、空を見上げながら先輩が語るのを僕は黙って聞いていた。
「あとは想像できるだろ? 彼女を殺害した。驚いたよ、まさか魔法少女だったとはね。けど、とりあえずバラバラにした。指だけ落としたのは、さすがにあせっていたんだろうね。本当ならあれだけ、私の計画は完遂するはずだったんだけどね……」
先輩は僕に背中を向けて、大きく両手を広げて、まるで十字架のようなポーズをとった。
「警察がメモを見つけて、君のところへ行く。あんなメモがあれば君は、きっとここへ来ただろう。そして僕がこれを渡して、終了した」
先輩は背中をむけたまま、ポケットからあるものを取り出して、それをこちらに投げてきた。回転しながら僕のもとへそれは落ちてきて、足もとでバウンドした。
木目の柄が目立つ、折りたたみナイフだった。
「魔法少女は人とそっくりだ。心臓を刺せば、喉を裂けば、死ぬ。簡単だろ」
「意味がわからない」
「私はね、君、死にたいんだよ」
こちらに表情を見せず、空を見上げたまま、先輩は独り言のようにそう言った。
「魔法少女というだけで、差別され、忌み嫌われ、蔑まれた。私が何をした? いいや、何もしてないさ。生まれてきた、それが以外で私が人様に迷惑をかけたことなんかない。ただ、それだけで十分と言われた。なら、その間違いを正してやろう。つまり、死のう」
先輩はここでようやくこちらに向き直った。表情はいつもと変わらない余裕の笑み。ただ、どこか悲しげで、全てを諦めたような目をしていて、ドキッとしてしまう。
「ただ、本当に人間ってやつは私を縛る。縛り付ける。いい加減にしてくれっ」
この時、僕は初めて先輩が「怒り」を露わにしたところを目にした。目を吊り上げて、肩を震わせて、語尾を強める姿は、いつもとは違っていた。そして、その怒りの意味を僕は自然と理解できて、無意識に口に出していた。
「魔法少女は、自殺できない……」
そう、香月の家を先輩と二人で調べたとき、少し話した、あの事実。あれこそが先輩を怒らしている。
「そう、その通り。私たちは、産まれることを勝手に決められ、生きることを義務付けられ、死ぬことを許されない。天国も地獄もない、生き地獄だけを味わい続ける。それが、魔法少女だ」
そこで先輩は「あはは」と乾いた笑い声をあげはじめた。ずっと、ずっと、笑い続けた。空しいその声は、夜にやたらと反射して、周囲に嫌に響いて、鼓膜を揺らしてくる。
「けど私たちは、人間と同じだ。そんな無限地獄、早く終わらせたい。ならどうするか、もうわかるだろ?」
「……殺される、ですか?」
ナイフを渡されたところで、もしかしたらという嫌な予想はしていた。そしてそれは的中していたようで、先輩はうんと頷いた。
「本当は香月さんだけでよかった。けど、警察が仕事を怠ったせいで、うまくいかなかった。だから今度は亜理紗さんを殺した。わざわざ死ぬ間際に君に通信まで許して。そのナイフ、彼女を脅したものだよ」
先輩はそこでようやく僕に一歩近づいた。表情は、いつもの穏やかなものに戻っている。
「さあ、殺してくれ。私を、終わらせてくれ」
また先輩が両手を広げて、無防備になる。僕はいまだに足もとに転がったナイフを拾っていなくて、先輩を見つめ続けていた。
「どうしてっ、どうして僕なんですかっ」
「せっかくの最期なんだ。殺されるなら、殺されてもいいと思える人がいい。君には悪いけど、私にとってそれは君だった」
「だからって香月や亜理紗を」
「うん。彼女たちには申し訳ないことをしたよ。だけど、仕方ないよ。私はもう、壊れちゃってるんだ。ただ壊れかけであって、壊れてない。だからここで壊してくれ」
先輩がまた一歩こちら近づいてくる。どういうわけか、僕はそこで一歩退いてしまった。その反応に、彼女が戸惑う。
「何をしているんだい、いいからナイフを手に取れ。私が、憎いだろ」
憎くないわけない。殺してやりたいとも思う。だけど、どうしてもそれができなかった。
「君がそういう性格なのはわかっていた。だからこそ、あの二人に手をかけた。殺してくれと頼んでもこそうはしてくれないだろうから、殺させるように仕向けたんだ。私はただただ自分のため、君の大切な二人を殺し、君の人生をめちゃくちゃにしたんだ。いいから、殺すんだ。今君が私を殺しても、暴走した危険な魔法少女を止めたと処理され、罰せられない。早く――」
「せ、先輩だって、僕にとっては大切な人なんですっ!」
やっと自分の思いを声に出せて、それを叫んだ。先輩は最初、ぽかんとして口を開けて驚いていたけど、すぐにあの柔らかい笑み浮かべ、小さく噴き出した。
「君らしいな、ありがとう。……ただ、時間切れみたいだね」
「え」
僕が声を漏らすと同時に、先輩と僕の間に何か黒くて短い筒状のものが転がってきた闇のせいで一瞬それが何かわからなかったけど、すぐに手榴弾の類だと気づいた。
「スタングレネードか。古い手だ」
先輩がそうつぶやいたとき、それが破裂して夜が一瞬で終わるような閃光に周囲が包まれた。
何か強烈に細くて攻撃的な音もして、無音と閃光の世界が目の前に広がる。そんな中、僕は知らない間に何人もの警官に体を掴まれ、まるで保護されるように先輩と力づくで離される。
無音と閃光の中、僕が最後に見た光景はきっと一生に忘れないものだ。武装した警官隊が何人も先輩を取り押さえ、地面に押さえつけた。先輩は抵抗することもなく、こちらをまっすぐと見つめて、また笑顔を浮かべて、何か言った。聞こえなかったけど、唇の動きでなんと言ったかわかった。
僕が「先輩っ!」と叫ぶと同時に、押さえつけられていた先輩の頭部に、武装警官隊がマシンガンの銃口を向けた。
今まで何も聞こえなかったのに、銃声だけははっきりと週に響いた。
次回で最終話となります。