最上香月の秘密
香月が学校に来てないということに不安を覚えた優は、亜里砂とともに香月の自宅へ向かうのだが、そこで待っていたのは……。
5
香月と裕香さんの両親は海外で働いていて、今は姉妹二人で暮らしている。その一軒家に到着した頃には、僕も亜理紗もひどく息があがっていて、呼吸もままならない状態だった。
「ゆ、優……じ、状況、説明」
亜理紗が荒れた息のまま、またそれを求める。
「香月が昨日、誰かと遊ぶって言って帰ってないらしいんだ」
「で、でもここは香月の家」
「未成年の女の子が一人で街の中いたら、コンピューターが自動に個人を特定して、保護者に通報が入るよ。裕香さんはそんなこと言ってなかった」
「つまり?」
「香月はここにいる」
未成年保護法がいつから、未成年を守るのではなく、未成年を監視する法律になったかは知らない。とにかく現在では、僕らに埋め込まれた端末が、保護者の許可なく夜街に出ていたら保護者にコンピューターから自動に連絡がはいるようになってる。
裕香さんはきっと昨日香月から連絡をもらって、僕と亜理紗の家にいた場合は通報がはいらないように設定したと思う。けど、僕も亜理紗も香月を知らない。
なら彼女がいるのは自宅しかない。なんで端末に応答せず、裕香さんに嘘をついたのかはわからないけど。
玄関先にあるインターホンを押すと『パスコードをどうぞ』と機械音声が鳴った。
「優です」
『音声を認識しています』
しばらくするとガチャっというロックを解除する音がしたので、僕はドアを開けて中に入っていた。
中は昼間なので外からの日差しがあり、暗くはなかったけど、家中の電気が消えていて不穏な雰囲気に包まれていた。それを感じたのか、亜理紗が僕の袖をぎゅっと握った。
玄関で靴を脱いで、二人で家の中を進む。もう何度も訪れている場所なので、何がどこにあるかは完全に把握していた。
「香月、いるの?」
リビングについたとき、そう呼びかけても返答はなくて、静かな生気を感じない空間に僕たち二人だけが引っ付くように立っていた。
「香月、応答を」
亜理紗が珍しく声を張ってそう呼びかけるけど、これにも返答はなかった。
「……部屋かな」
香月の部屋は二階にあり、僕たちはそこへ向かうことにした。
息を殺しながら階段を登ってるとき、亜理紗が「きゃっ」と小さく悲鳴を上げた。
「どうしたのっ」
「……な、何か、踏んだ」
彼女は怖くて下を向けないのか、上目づかいで僕を見ながら、自分の足もとを指さす。
恐る恐る、それに目を向けた。瞬間、目を疑いたくなると同時に、恐ろしいほど冷静になってしまった。そのものを前にして、混乱することさえ忘れてしまった。
「……亜理紗、下向いちゃダメ、絶対だよ」
「ゆ、優、状況を」
僕はまた亜理紗の望みをきくことなく、彼女の目を右手でふさぎながら、彼女を引っ張っていく。速足で、呼吸を乱しながら。自覚できないけど、もしかしたら泣いているかもしれない。
亜理紗が踏んだのは、指だった。
見覚えのある、きれいな指だった。
香月の部屋の前につくと、ドアノブについてある指紋認証機に人差し指のお腹を乗せた。彼女の部屋のロックは僕の指紋でも開くようになっている。
ドアのロックの解除された音がして、僕は唾をのんだ後、ゆっくりとドアを開いた。
そこはほぼいつもと変わらない香月の部屋だった。ベッドとデスク、そして音楽が趣味だった彼女が愛用していたスピーカーの類。綺麗に整頓された部屋の真ん中に、僕の目は釘付けになった。
脱力した僕の手を払いのけて、亜理紗もその光景を目の当たりにして、「ひっ」という小さな悲鳴をあげると、尻餅をついてそのまま震えだした。
そんな彼女に構うこともなく僕は一歩、部屋の中へ入っていく。
香月はたしかに部屋の中にいた。いや、正確には「あった」と表現した方がいい。
部屋の真ん中に、彼女の首だけがあった。目を閉じて、本当に眠っているかのような穏やかな表情の彼女の首だけが、まるでインテリアのようにそこに置かれていた。
どこかに意識がとびかけていた僕を呼び戻したのは、全てを引き裂くような亜理紗の大絶叫だった。
6
あれから十日経ち、僕はようやく出席した。あの日、警察に通報して、事情を聴かれて、頭の整理がつかない中で血相を変えて駆けつけた両親と先生に「しばらく学校を休みたい」と申し入れると、すんなり聞き入れてくれた。
香月の葬儀に参列したのは、僕と亜理紗、そしてごく少数の彼女の親類だった。学校の知り合いは一人も来ることなく、警察も捜査にそこまで力をいれなかった。だから葬儀は騒がしくもなく、物々しくもない質素なもので寂しいものになった。
警察は、昨日、捜査を打ち切った。犯人は捕まってない。それなのにそうした。理由はとっても単純で、あれが殺人事件じゃなかったからだ。
香月が、魔法少女だったからだ。
あの場では気づかなかったけど、彼女は人間じゃなくて、魔法少女だった。それがわかるやいなや、警察は顔色を変えた。殺人としては捜査できない、器物破損になる。これが警察の主張で、世間の常識だった。
香月が魔法少女だとわかると、高校の友達も態度を変えた。騙されたと憤って、葬儀に参列しなかった。近隣の住人もそうで、本当に侘しいものだったけど、そんな人たちにあの場にいてほしくなかったので、あれでよかったんだと思ってる。。
葬儀で会ったとき、裕香さんは真っ青な顔でこう教えてくれた。
「あの子は、私が妹が欲しいって両親にせがんで、買ってもらったの……。母はもう病気で子供ができない体だったから。でも……でも本当に、家族として、愛していたのよ」
震える涙声でそう告白すると、そのまま泣き崩れた。
亜理紗も知っていたようで、申し訳なさそうに僕に謝り、どうして今まで黙っていたのか教えてくれた。
「香月の口癖……怖いって。優に、避けられるのが」
「そんな」
「私、言った、何度も。優はそんなことはしないと。ただ……」
それでも怖くて、今の今まであの三人の中で僕だけが知らなかった。それについて、僕は一切恨んでいない。亜理紗の言う通り、そんなことくらいで僕が香月を避けるはずもない。
ただ、寂しさが残るは事実だった。僕はずっと彼女の傍にいたけど、秘密を打ち明けてもらえるほどの信頼はなかったというのが、胸に突き刺さった。
登校した僕の机にあったのは一枚の紙だった。このご時世、紙でメモを残すなんて面倒なことをするのは、誰がやったかわからないから。電子だと証拠が残りやすい。
『裏切り者』
赤い文字でそれだけ書かれていた。意味することは、考えるまでもなくて無表情で紙を引きちぎって、ゴミ箱へ捨てに行くとき、何人もの視線が自分に突き刺さっているのが分かったけど、うつむき加減で歩き、それらを全て無視した。
きっとこの十日で、僕はここで大切にしていたもののほとんどを無くしたんだ。
それでいい、わかっていた。魔法少女は差別対象、それくらい知ってた。警察がろくに捜査しないのも、皆が途端に態度を変えたのも、当然なんだろう。勝手にすればいい。僕はやらない、それだけだ。
席に戻ろうとしたとき、誰かが僕の前に立った。
「……どいてよ」
「あんたが仲良くしてたあの女は魔法少女だった、私たちを騙してね」
棘のある言葉の主は、クラスメイトの市原だった。彼女はこのクラスのリーダー格。彼女が僕の目の前に立ちふさがり、数名の取り巻きが逃がさない様に円になっていた。
「だから、なに?」
「あんただって知らなかったんでしょ? なのにどうして落ち込んでるわけ? あんたが一番長い時間騙されてたのに、どうして?」
他人から直接言われると、言葉が出なくなった。そんな僕の反応に、市原はいやらしい笑みを浮かべた。
「ねえ、私たちも鬼じゃないのよ。むしろ私とあんたは一緒、騙された被害者。あんたも正直になればいいのよ、魔法少女はキ●ガイで悪だって。あんたの口からそう言ってくれれば、私たちの関係は前と同じに戻る。ねえ、言ってみてよ?」
踏み絵だ。ここで僕が魔法少女を否定すれば、人間を受け入れることになってそれでこの場は収まり、僕は日常に戻る。それが彼女たちの望み。僕という存在じゃなくて、同じく魔法少女を否定する者が一人増えればいいだけだけど。
僕は自然と笑ってしまった。そんな反応が気に障ったのか、市原が目の色を変える。
「なによ?」
「なんで僕が、お前らに気に入られるようにしなきゃいけないの」
香月を否定してまで、そうしなきゃいけない理由が真剣にわからなかった。僕にとって、彼女らと香月は天秤にかける必要さえないほどの違いがあるのに。
「……そう。なら、お前は敵だね」
まるで示し合わせたように、市原が一歩詰め寄ってきて、取り巻きたちも同じように距離をつめてきた。きっと、ひどい目にあうんだろう。ただもう抵抗するのも面倒だ。
市原が手を伸ばして、僕の首を掴もうとしたその瞬間に、教室の外の廊下が急に騒がしくなったので、彼女を含め全員が動きをとめて、閉まっている教室の扉へと目を向けた。
静かに扉が開き、教室にいた全員が驚愕のあまり目を見開いた。
「先輩……」
いつもと変わらない西上院先輩が立っていた。彼女が校舎に姿を見せるなんて、初めてのことで驚きのあまり僕もなんと言っていいかわからなかった。
先輩は驚いてる生徒たちを気にすることなく僕の方へ歩み寄ってきた。そして大きなため息をついて「呆れたよ」と切り出した。
「予想通りになっているね。まったく、面白くないよ」
先輩が近づくと、取り巻きの数名が彼女を避け、自然と僕にとっての逃げ場ができて、彼女はその隙間から僕の手をとった。
「ほら、行くよ」
先輩が僕を引っ張って、そのまま外へと連れ出された。突然のことでいまだに言葉が出ないのに、抵抗しようとかそういう考えは一切浮かばなくて、むしろなすがままにされる現状に安心感さえ覚えた。
しばらく廊下を進んだところで、後方から「おい!」という怒号が聞こえてきて、先輩が足を止めた。ただ振り向きはしないので、おおよそ何が起きているかわかっている僕だけが振り向いた。
教室の前で市原が目を吊り上げながら、肩を震わせ立っていた。
「お前ら二人ともふざけんじゃないわよ! ここは人間の場所なのよ! 魔法少女を認めるやつも、ましてや魔法少女なんていらないんだよ! いいかっ、明日からお前らの場所がここにあると思うなよっ! 絶対っ、絶対に後悔させ――」
「あー、ごめんね」
市原がまだ何か怒鳴ろうとしていたのを遮った先輩は、そこでようやく振り向いて彼女と向き合った。
「私はあまり優秀な魔法少女じゃなくてね、一度にあまり多くのことを言われても理解できない。それどころか、処理機能が追いつかなくて」
ここで先輩はとびきりいい笑顔を見せた。
「エラーを起こしてしまうかもね」
周りにいた生徒たちが恐怖のせいで顔を青くさせて、市原も言葉を失ったようで、口をぱくぱくさせて何も続けなくなった。
そんな周囲の様子を楽しみように先輩は市原に手を振って、笑顔でその場を後にした。
次回は少し短めで。