境界線上の英雄
長編にするか悩んだものを、設定色々省略したり変えたりして短編にしました。楽しんでいただければ何よりです。
遥か昔から、天使は魔族と終わりのない戦いを繰り返していた。やがて、人間界が誕生すると、魔族と天使の両者は人間達をこの戦いに終止符を打つための鍵になると考え、魔族は人間界への進出を図り、天使は人間を祝福して魔族と戦う力を与えた。
魔族が人間界へと進行する度に、人間はその祝福を支えにして戦った。だが、魔族の長、魔神の前には、その祝福さえも儚き力であった。人間界を覆い混沌を招く魔族たち。しかし、その度に人の中から、一際大きな力を持った者が現れた。彼らはその力を持って幾度もの戦いに勝利し、魔神たちを魔界へと封印した。人々は希望の象徴であるその者を勇者と呼んだ。以来、五回に及ぶ魔族の進行を跳ね除けて、人間界は一応の平穏を保っていた。そう、あくまでも、表面上は…。
さんさんと降り注ぐ陽光に包まれながら、人々の喧騒で賑わう街。
大通りには人の波ができ、商人から冒険者まで様々な人で溢れかえっている。そんな人の波の中、一人だけ顔を俯かせて歩く人影があった。
「暑い、喉渇いた、お腹空いた」
無感動な声でぼやきながら歩いて行く人影、頭をすっぽりと覆うフードからは綺麗な銀髪が覗いている。
「もう…、無理」
やっとの思いで人の波から抜け出し、少年は大通りの外れの小道に座り込む。太陽の光の当たらない小蔭で涼みながら被っていたフードを取る。
この大陸では見られない銀髪に金の瞳を併せ持ち、その顔はまるで職人の作った人形の様に整っていた。その姿はまるで、子供に読み聞かせる絵本の中の住人の様だ。
少年は額に浮かぶ汗を拭い、外套のポケットから小袋を取り出す。以前は中に入っていた硬貨でパンパンに膨れていた袋は、今は見る影もなく痩せ細っている。
「………」
けれども、その現実を直視せずに少年は袋を逆さにする。しかし、硬貨が出てくることがなければ、ぶつかりあう音もしない。
「………」
それでも少年は根気強くその袋を振る。そうして出てきたのはやはり硬貨ではなく、ただの糸くずであった。
「はぁ…」
無感動な声が響くが、その姿には哀愁を誘う物があった。
明日のご飯はどうしよう。
最早、今日の食事はないと考え。明日を考えるその姿は、諦めが良いと言うのか、前向きだと言うべきか。
彼は腰を上げると外套をパンパンと叩きながら再び大通り(じごく)へと出た
「………」
数時間後、夕暮れ時になり人の疎らとなった大通りの外れの小道、そこには路上に倒れ伏す少年の姿があった。
あれから幾つもの商人や冒険者に護衛や魔物の討伐に参加させてもらえないか売り込みをしたが、その尽くにフラれたのだ。そもそも、護衛を雇う場合も、冒険者同士でパーティを組む場合も、何よりも必要となるのは信用だ。身元がしっかりとした者であり、過去に何かしらの形で面識を持っていることなどによって、ある程度の許容範囲内となり、その為人を知って入ればなお良しだ。面識がなくとも、最低限身元さえしっかりしていれば受け入れる者もいる。しかし、少年は全て断られた。それは運がなかった、と普通であれば慰めるだろう。しかし、少年はその最低限の物すら持っていなかったと言えばどうであろう。皆、当たり前だと少年を叱責するだろう。
「お腹…空いた」
今にも消えてしまいそうな声で、彼は空腹を訴えてくる自身の腹を小さく摩る。
せめて水だけでも…。
その内幻覚を見るのではないかと思う彼の視界の端に、ふと茶色の物体が覗く。それに視線を移すよりも早く、香ばしい匂いが彼の鼻から侵入し、空腹の胃袋を誘惑する。
―――ごくり
思わず齧り付きそうになる衝動を抑えて、その物体を捉える。
そこには焼き立てのパンがあり、誰かが自分へと差し出しているのが分かる。そうしてその腕を辿っていけば、そこには肩ほどまでの長さで切りそろえた茶髪の少女がいた。
「どうぞ」
笑顔でパンを差し出す少女。少年は少女とパンを交互に見比べて、やがて我慢が出来なくなったのか、差し出されたパンにかぶりついた。
「ええ!?」
少女も、まさか自分から受け取ることなくかぶりつくとは思いもしなかったのだろう。少女が驚いている間に、パンは瞬く間に少年の口の中に消えていき、あっという間に少女の手も口の中へと飲み込まれてしまった。
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「ごめん」
謝罪する少年に、涎の付いた手を洗った少女は、その手を拭いながら苦い笑みを零す。
「良いですよ。驚きはしたけど、もう気にしてませんから」
少女の言葉に少年は下げていた頭を上げる。
「それにしても、まさかあんな所で人が倒れているなんて思いませんでした。この地方の人じゃさなそうですけど…」
「ん、魔界出身」
「ふふ、だったら私なんてあっという間に食べられちゃいますね」
少年の言葉を冗談と受け取った少女は、にこやかに笑いながら先を行く。
しかし、それもそうだろう。魔界は魔人や魔物たちの巣窟、奴隷外の方法で人間が住める場所ではないのだから。
少年が少女に連れられてやってきたのは一軒の店だった。店の扉を開け中を見れば、壁には剣や盾が飾られ、鍛冶屋なのだということが分かる。
「お父さーん、お客さーん!」
少女が店の奥に叫べば、あいよー!という野太い声が返って来て、やがて大男が暖簾をくぐって現れる。
「いらっしゃい」
まるで熊の様なもじゃもじゃの髭とずんぐりとした体躯。男は娘の連れてきた客を上から下まで眺めると口を開く。
「見たところ何も武器は持っていなさそうだが、注文はなんだい?」
「違うよ、お父さん。お客さんだけど家に武器を作りに来たわけじゃないよ」
「あ?じゃあ、何の用だい」
「家に泊まるお客さん。お金がなくて路上で倒れてたの」
「はぁ?また、お前は…ったく、おい、坊主」
「はい」
「名前はなんだ」
男の言葉に少年は僅かに悩んだ仕草を見せて、口を開く。
「ウィリアム…、ウィリアム・コンストラッド」
「そうか、ウィリアム、俺はこの鍛冶屋の店主のゴードンだ」
「よろしくね、ウィリアム君、私はこの鍛冶屋の娘のエリカよ」
少年、ウィリアムの言葉に男は頷き、自らの名を名乗る。すると、少女も笑顔を浮かべて今更ながらの自己紹介をした。
「なんでぇ、お前も名乗ってないのか」
「えへへ、ちょっとあってね」
親子の会話を聞きながら、ウィリアムは店内の武器や防具を眺めていく。
「これらはゴードン…さんが?」
「おう、俺の作った武器よ」
「そう…、良い武器。しっかりと鍛えられていて、作った人が愛情を捧げてるのが分かる」
胸を張って言い放ったゴードンも、ウィリアムの言葉には僅かに照れを浮かべてしまう。
「お前さん、中々見る目のあるやつだな。気に入った、お前が滞在する間は家で泊まっていけ。案内は娘がする」
そう言い放つとゴードンはずんずんと店内の奥へ再び姿を消す。それを見送ったエリカはウィリアムへと微笑む。
「お父さんも貴方のことが気に入ったみたいで良かった。着いてきて」
そう言って店内の奥にある扉を開けてウィリアムを家へと招く。先程までは如何にもと言った様に無骨な店内とは打って変わり、至って普通の家であった。
「少し狭いけど、一室だけ空いてるんだ。遠慮なんていらないから自由に使っちゃって」
「ありがとう。こんな怪しいのに」
「良いよ。困ってる人を助けるのに怪しいも何もないもん」
エリカの言葉に久しぶりに良い人に出会えたと内心思いながらウィリアムはもう一度礼を述べた。
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ウィリアムがエリカに家に招かれて三日が経っていた。その間何の手伝いもしないのも心苦しく、ウィリアムはゴードンの仕事や、家事の一部を手伝っていた。
「ウィリアム君、そこにある食器取ってー」
「分かった」
エリカと二人、並び立ちながら夕飯の支度をする
「エリカ、ここ最近、悪い噂を聞く」
「悪い噂?」
「うん、人攫いが起きてるって」
「ああ、そう言えば私も聞いたよ」
「買い物、一人じゃ危ないから着いて行く」
「平気だよ。ウィリアム君は心配し過ぎだよ。そんなに暗い時間に買い物をして来る訳じゃないし、人の目だってあるんだから」
「でも…」
「大丈夫だって」
心配するウィリアムに苦笑しながらエリカは大丈夫と言ってその話題を打ち切る。
「そんなことより、もうすぐご飯出来るからお父さん呼んできて」
「…わかった」
頷き、ゴードンがいるであろう工房へと歩を進める。工房が近づくにつれ、ウィリアムの耳に話し声が聞こえるのが分かる。
工房ではなく店にいるのだろうか。
近づていく内に、話し声には怒りが交っているのが分かった。店へと続く扉の前まで来ると、ウィリアムはゴードンと誰かの会話に耳を傾ける。
「―――だからこうして!」
「ふざけてんじゃねぇ!!テメェ何かにやる金は一銭もねえんだよ!!とっとと出ていきやがれ!」
「待てよ!だから――」
互いに頭に血が上っているのか、その声が次第に大きくなっていく。ウィリアムは短く呼吸を整え、扉をノックする。
「ゴードンさん、入るよ」
扉を開け放って中を見れば、そこにはゴードンの他に黒髪の男がいた。無精髭を生やし、薄汚れた外套を纏う男の顔は怒りからなのか赤くなっていた。
ウィリアムの出現によって、大声で怒鳴りあっていた二人の大人はバツが悪そうに顔を背ける。
「っち、また来るよ」
「二度と面見せんな!」
背を向けて去っていく男の背に怒鳴りつけてゴードンは忌々しそうに舌打ちする。
「悪かったな、嫌なもん見せちまった」
「良いよ、気にしてない」
「それで、何の用だ」
「もうすぐ夕飯が出来るから呼んで来てってエリカが」
ウィリアムの言葉にゴードンは先程から一転し、笑顔を浮かべる。
「おお、そうか。じゃぁ、俺は此処片付けてから行くから、直ぐ行くと伝えといてくれ」
ゴードンの言葉に頷いて、ウィリアムはエリカの下へと戻って行った。
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陽が落ち、真っ暗になった道を男は歩いていた。
ゴードンの店から去った男はふらふらとした足取りで薄暗い通りを抜けると、一軒の寂れた店に入る。
そこは、荒くれ者や表では出来ない仕事を請け負う者達ばかり集う場所であった。声を気にせず騒ぐことから、この街では密談をする場所としては打って付けの場であった。周囲は見ざる、聞かざる、言わざるを忠実に守り、干渉しない。その為、外に漏れる心配もない。
男はカウンターの一席に座ると、思い溜息を吐く。
男の名はダニエルと言った。
ダニエルはゴードンとは同じ血の通った兄弟であった。兄であるゴードンが鍛冶屋をやっているのに対し、ダニエルは冒険者として生きてきていた。
しかし、その生活を続けられていたのは十年ほどだ。ダニエルは、ある任務で失敗し、その自信を失い、戦場に立つことが出来なくなった。しかし、まだ他の道が残っていなかった訳ではない。にも関わらず、以来、ダニエルは何もせず、ただ酒を浴びていた。最初の頃は、失敗した弟を不憫に思い金を貸していたゴードンも、弟が何も仕事をせず酒に溺れた生活を続けていく内にその縁を切っていた。
なけなしの硬貨で安い酒を頼むと、ダニエルはちびりと口に含む。
「よう、元気にしてるか」
そんなしょぼくれた男の背に声をかける影があった。ダニエルの隣に座ったヘビの様な目をした男は、陽気な声を上げてその背を叩く。
「これが元気に見えるか?」
「いいや、全然見えねえ」
馬鹿にしているのか。怒りが沸き上がるが、仮にも相手は今の自分に仕事を提供してくれている人物なのだ。ここで下手なことをするべきではない。ダニエルは怒りを自制しいつも通り男に対応する。
「で、次の仕事は?」
「ああ、他の奴にも頼んでるんだが…、お前さんにもやってもらおうとな」
そう言って男が小袋から取り出したのは一枚の硬貨。しかし、その硬貨にダニエルは目を見張った。
「こりゃぁ…!」
「おっと、でけぇ声を出すなよ?これは手前が成功したら出す予定の報酬だ」
そう言って男は一枚の銀貨を男に投げ渡す。この国では、銀貨一枚あれば普通に生活していれば一か月は持つだけの金額になる。今までの依頼とは正しく桁違いのその報酬にダニエルは目が眩む。
「本物だろ?」
「あ、ああ…」
投げ渡された銀貨を確かめるダニエルからは驚愕が抜けきっていない。戸惑うダニエルの姿に薄く笑いながら男は口を開く。
「商品の納期が近いんだが、上からお達しされた数にちっとばかし数が達してなくてね。人手が必要なんだ」
「しょ、商品?」
「人間だよ。働けるんなら男だろうと女だろうと構わない。ああ、怪我やら病気もちはごめんだぞ?」
男の言葉にダニエルは自身の鼓動が強く鳴り響くのを感じた。
人攫い、それは今までやらされてきた仕事の中では遥かに危険度の高いものとなる。憲兵にバレれば只では済まないだろう。 しかし、その報酬も今までよりも遥かに良い物だ。
男の喉が鳴る。
「わ、分かった。や、やるよ」
その言葉を聞いて、男はその口元をにぃと歪めた。
「だったら話は早い。なあに、お前は一人捕まえてくるだけだ。簡単だろ?心配だったら、これを使え」
そう言って男は小瓶をダニエルの目の前に置く。
「あ、ああ」
「それじゃ、頼んだぞ」
そう言って男は席から立ち上がるとダニエルの背を叩いて去っていく。去っていくその背を見る余裕すらなく、ダニエルは緊張で震える手を握った。
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夕暮れ時の店内の中、ウィリアムとゴードンは素材集めに出かけている為、エリカは一人、店を閉めて掃除をしていた。
エリカが工房で道具や武器の手入れをしていると、カランカランという音が鳴り誰かが店に入ってきたのが分かる。
二人が帰って来るにはまだ早い時間だ。誰だろうかと思いながらエリカは店内へと顔を出す。
「すみませーん。今日はお店は閉めてるんです」
そう言いながら店内に姿を現すと、エリカは入ってきた人物を見て僅かに顔を曇らせた。
「ダニエル叔父さん」
「やぁ、エリカ。元気にしてるか」
そこにはダニエルが立っていた。その姿は以前に見た時よりも酷く、身体が細かに震え、その目は血走っていた。
「は、はい」
ダニエルの言葉に返事をしながら、どうしたものかとエリカは視線を左右に移す。そんな様子に気付くことなく、ダニエルは工房へと目をやった。
「兄貴はいないのか?」
「はい、今は外に出かけています」
「―――そうか」
エリカの言葉に口元を歪ませ、ダニエルは嗤った。
「なら丁度いいや」
そう告げると同時にダニエルはエリカの腕を掴み、その口元に布を押し付ける。
「んぅ!!?」
突然のことにエリカは抵抗する暇もなく、やがて、視界が揺らぎ、その意識は闇に落ちた。
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その夜、ゴードンの店の中には憲兵達が来ていた。
ウィリアムとゴードンが帰って来た時にはエリカはおらず、最初は出かけているのかと思った。
しかし、工房内には手入れの途中の武器や道具が置いてある。一人前とは言わずとも鍛冶屋の娘だ。手入れ途中でどこかに消えるなど絶対にすることはなかった。
二人は直ぐに憲兵隊に連絡を付けるとエリカの捜索に当たっていた。
しかし、この街の規模は大きい。探すにしてもそう簡単には見つけられない。
「最近起きている人攫いの可能性がありますね」
憲兵の言葉を、頭を抱えながらゴードンは聞く。普段の大きな体躯が、今はとても小さなものに見える。
「エリカ…、エリカ…っ!」
神に祈る様に娘の名を必死に呼ぶゴードンを見つめるウィリアムは、その身を翻すと止めようとする憲兵を意にも介さず外へと駆けだした。
「身体強化、発動」
呟くと共に、ウィリアムは夜闇の中の空を舞い、屋根の上に立つ。先とは比べ物にならない身体能力は、ウィリアムが魔法を使用した証。肉体が強化され、通常では不可能なことでさえ、今のウィリアムならばやってのける。
更に五感さえも強化され、今ならば、遥か遠くの景色が鮮明に見え、人々の呟きさえも聞き取ることが出来る。
エリカの臭いは覚えている。
耳でエリカの声が聞こえないかを探り、ウィリアムはエリカの臭いを辿っていく。まるで迷路のような道を進んでいく内、ウィリアムはついにその耳に決定的な情報を捉えた。
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街の外れに建てられた倉庫街。その一角に彼らはいた。
「何とか納期に間に合ったぜ。ほれ、約束の報酬だ」
ヘビの様な瞳の男はダニエルへと銀貨を渡す。
「へへ、楽勝だったぜこんなこと」
既に酒が回っているのか、渡された銀貨をしまいながらダニエルは豪快に笑う。そこには以前の卑屈さなど微塵もない。顔を真っ赤にしながら、簡素なテーブルを囲み騒ぐ男たちの輪へと混ざる。
その姿を眺めながら、男はぺろりと唇を舐める。
「まぁ、そこそこか」
騒ぐ男たちに背を向けて、倉庫の隅、そこに蹲る者達の下へと歩み寄る。
「よう、どうしたそんな辛気くせぇ面してよ」
そこに蹲る者は皆手足を枷で封じられ、口には猿轡を噛まされていた。蹲る殆どの者が、その顔を絶望で染める。中には、碌な食事も与えられていない為か反応しない者もいた。
一同の顔を眺めながら男は舌なめずりをする。
「安心しろよ。これから行く所は楽しいからよ。毎日騒ぎ放題だぜぇ?…尤も、俺達からしたらだがな」
そう言って男はくっく、と笑いを零す。
「これだから人攫いの任は止められねぇ…」
絶望している顔を抓みにしながら愉快そうに酒を呷る男。
しかし、次の瞬間その笑みは消えた。
派手な音を奏でながら、倉庫の扉を突き破って見張りの男が飛んできたのだ。飛ばされた男はその勢いのまま壁に叩き付けられると、地面に倒れ伏し、やがて動かなくなる。
突然のことに理解が追いつかず、酒を呷っていた男たちもヘビの男も呆然とする。
そんな中、カツカツと音を鳴らせながら倉庫の中へと誰かが踏み入る。
全員がその人物へ視線を向ける。その視線の先、そこには銀髪に金の瞳の少年。
「友達を返しにもらいに来た」
ウィリアム・コンストラッドが立っていた。
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これは夢だ。きっとそうに違いない。
目の前の光景に腰が引け地面に尻餅を着きながら、ダニエルそう自分に言い聞かせていた。しかし、そう思いたくなるのも仕方ないことだろう。その視線の先には、たった一撃で大の男が地に沈む光景が広がっていたのだから。
「――っしゃぁ!!」
振るわれた長剣を左腕で沿うようにして逸らせる。その瞬間、長剣は粉々に砕け、その柄を握っていた男の手にビリっと電流が走る。思わず手を引っ込める男のその隙を逃さず、ウィリアムは男の側頭部を蹴り昏倒させる。
触れただけで剣が砕ける。通常であれば有り得ないその現象は、今少年を覆っている光にあった。
「…破邪の法衣!」
「ば、馬鹿な!?五代目は死んだ筈だ!」
その姿を見た男たちが驚愕に目を見開く。
破邪の法衣。それこそが少年が纏う魔法の名前だ。あまりにも有名すぎるその魔法を知らぬ者はいないだろう。大気に満ちる魔素を自身に収束させて、自身の鎧として変幻自在に扱う魔法。先に長剣を破壊した方法は、その刃に魔力を流し込んで亀裂を作ったのだ。
これを知らぬ者がいない理由は簡単だ。この魔法は五代目勇者の代名詞と言ってもいい魔法であったからだ。
ウィリアムの姿が掻き消え、次の瞬間には男の目の前に現れる。
「うおおおぉぉぉぉ!!?」
男が刃を振るうが、混乱して出鱈目な軌道のその剣ではウィリアムを捉えることは出来ない。振るった刃を砕き、そのまま拳が男の頬に突き刺さる。体重80㎏は行きそうな大男の身体が浮かび、壁へと叩き付けられる。
最早男たちは戦意を失っていた。そのあまりにも異常な光景に我先にと逃げ出す。
しかし、逃げ場はウィリアムの入ってきた入口しかありはしない。逃走する男たちは懸命にその足を動かすが、それは彼にとってあまりにも遅かった。
ウィリアムの姿が再び消え、次に現れた時には男たちは全て倒れ伏していた。
「後は…お前だけ。大人しく、捕まれ」
倉庫の奥に立つヘビの男にそう言い、ウィリアムは大地を蹴る。彼我の距離は瞬く間に縮まり、ウィリアムはその拳を振るう。
ダン!という鈍い音と共に他の者達同様壁に叩き付けられる男。しかし、ここで違ったのはその姿だった。男の右腕が捥げ、本来右腕があったそこには、その身体にはあまりにも不釣り合いな巨大な腕があった。
「成程、以前聞いたことがあったが…お前がそうか」
壁に叩き付けられた男の身体がメキメキと膨らみ、皮膚が裂けて中から何かが這い出てくる。
それはまるで脱皮の様だ。人の皮を脱ぎ捨て、ぬるりとした鱗がに覆われた身体が抜け出る。それは正しく蛇と表現するに相応しい姿だった。しかし、普通の蛇と違うのは、その全長が通常の蛇の何十倍もの大きさであること、そして両腕を持っていることだろう。
「…蛇人?」
ウィリアムは自分の知っている魔人と照らし合わせる。疑問形であるのは系統的にはそうであるのだろうが、その姿が自分の知っている蛇人より蛇に近いためであろう。
正体を現した蛇人はその蛇の顔を歪ませてくっくと嗤う。
「その銀の髪と金の瞳…。かつて、人にも魔人にも成り切れない半端者が生まれたと聞いたが…、貴様がそうか。勇者の力を持っていたことには驚いたが…」
蛇人はその瞳を細め、真っ赤な舌をチロリと出す。
「所詮は小童よ!」
言うが否やその身体を撓らせ、鋭く尾を槍の様にして動かす。その一撃を右腕で逸らすが、あまりの力にウィリアムの足が浮く。
「ハァっ!!」
嘲笑と共に、逸らされた尾はウィリアムの背後へと回り串刺しにせんと迫る。
「―――ッ!」
先に地に着いた片足で体を反転させる。結果、尾はウィリアムの身体を貫くには至らず、その腹を裂くだけであった。
必死に動くウィリアムの姿を見て蛇人は愉快に笑う。
「今度はどうよける!」
再び放たれる尾。
受け止めてしまえば…。
ウィリアムは構えを取るが、尾が来るよりも早くその場から飛び退く。次の瞬間、先程までウィリアムが立っていた場所が紅蓮に染まる。
蛇人がその口から火炎を放ったのだ。その炎を突き破り、ウィリアムへと迫る蛇人の尾。宙へと跳んでいたウィリアムはそれを回避することが出来ず―――その尾に貫かれた。
ウィリアムは悲鳴さえ上げることが出来ず、その身体はピクリとも動かない
「っは、ひぃはっはっはっは!!」
その姿を見て蛇人はより一層笑みを深めて声高々に嗤う。捕まっている者達も、その光景に思わず目を背けた。
「ひぃー、ははは…は…?」
しかし、蛇人の声は次第に静かになり、首を傾げる。死体を投げ飛ばし、その尾を見た瞬間、それは絶叫に変わった。
「があああぁぁぁぁぁぁ!!!?」
自身の尾が、ウィリアムを貫いた箇所から先が消えていたのだ。有り得ない、何が起きた。驚愕する蛇人は、先程投げ飛ばしたウィリアムの死体を睨み付ける。
「何をしたぁ!!」
蛇人の視線の先には、ぴくりとも動かなかった筈のウィリアムがいた。彼は二本の足でしっかりと立ち、その身体が痛みで揺れている様子はない。顔を上げれば、そこにはいつも通りのあまり感情の見られない表情がある。蛇人に貫かれた筈の胴には、穴などなく、腹を真っ赤に染めるのは先程裂かれた腹部からの血と蛇人の返り血だ。
「食べた」
「…何?」
呟くウィリアムの腹部にピシリと裂け目が出来、左右に割れる。そこには光を全く通さない闇が広がり、その奥を見通すことは出来ない。
その姿に初めて蛇人の目に恐れが生じる。
「ば…ばかな、そ、そそそそれは暴食の…!魔神の…!!」
その身を知らずの内に一歩後ろへと退かせる。蛇人は自身の中に生まれた恐怖を消すように、その口から炎を吐く。
しかし、それは無意味だった。ウィリアムを燃やさんと迫る炎は、その身に触れようとした瞬間に消え去る。否、喰われたのだ。
「今度は、こっちのばん」
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だウソだうそだぁ!!!」
目の前の現実が信じられず、男は闇雲に幾つもの火球を放つ。しかし、それらはウィリアムが腕を振るいう度に、その掌によって喰われる。直撃させようとも無駄だ。火炎はその身を焦がすより早く、闇の中へと消えていくのだから。
「貴様が魔神である筈などぉ!!」
ついに彼我の距離は五歩程度となる。既に、蛇人は彼の戦闘可能距離内に入ってしまっていた。
「魔神じゃない」
振るわれた拳は蛇人の肩へと炸裂し、閃光が走る。刹那、拳の触れた部分に光が収束し、内側から張り裂けた。
「でも、勇者でもない」
ただ淡々と事実のみを語る。
蛇人の腹部を捩じるようにして撫で、その胴を両断する。吹き上がる鮮血に染まりながら、ウィリアムは脚に力を込める。
「僕は僕だ」
宙に舞い、拳に光を収束させる。最早蛇人にそれを回避する手段はない。
放たれた光は蛇人を飲み込み、倉庫の壁を突き破る。
「う…そ、だ…」
蛇人の最期の言葉も飲み込む光は、やがて消えていき、後には半壊状態の倉庫と、攫われた人たちと倒れ伏す人攫いの男たち、そしてウィリアムが立っているだけだった。
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「今までありがとう」
陽が昇る街の中、ウィリアムはお世話になったエリカとゴードンに頭を下げる。
「何言ってやがる。こっちこそ、お前には一生かかっても感謝しきれねえんだ。ありがとうな」
「ウィリアム君、ホントにありがとう」
涙ぐみながらも笑顔を浮かべるエリカとゴードン。
蛇人を倒したあの後、光を目撃した憲兵達の到着によって攫われた人たちは助けられ、人攫いもまた、牢へと投獄された。多くの人に感謝されながら、ウィリアムは憲兵達の質問に嘘三割、真実七割で何とか誤魔化した。
「これ、お礼」
そう言ってウィリアムはエリカへと小袋を差し出す。
「え、良いよ。寧ろ私たちがお礼したいくらいなんだから!」
「…じゃあ、パンのお礼」
そう言ってウィリアムはエリカの手に無理矢理小袋を握らせる。
「それじゃあ、もう行く」
「え、う、うん、ホントにありがとう。またこっちに来た時は家に来てね」
「おう!最高の持成しをしてやる!!」
二人の言葉にウィリアムは初めて笑みを浮かべる。
「うん、二人とも元気で」
そう言ってウィリアムは街の門へと向かって歩き出した。
その背を見送りながら、エリカは先程ウィリアムが渡した小袋の中を見る。
「何が入ってたんだ?」
「ん~?なんだろ、これ」
そう言って取り出したのは紫色の小さな宝石のような珠。持ち上げるそれを見たゴードンは目を剥いて驚愕の声を上げる。
「そりゃあ、魔法石じゃねえか!!?」
「何それ?」
「馬鹿野郎お前、魔界でしかとれねえ魔力の結晶だ。色んなことに使える万能石だが希少でな…、そんだけでけぇのなら十数年は遊んで暮らせるぞ!!」
「ふーん…」
職人としてからか、興奮した様子で語るゴードンの言葉を聞き流しながらエリカは魔法石を天に掲げる。光を受けてキラキラと光るその姿は、本当に宝石の様だ。
「―――あ」
ふと、父の言葉にウィリアムの言葉が蘇る。
『ん、魔界出身』
その言葉にエリカはウィリアムの歩いて行った方角を見る。
「本当だったんだ」
彼は何者なんだろうか。
そんな疑問が過るが、それも一瞬だ。彼女は笑みを浮かべる。
「ま、いっか」
誰であろうと関係ない。彼は、他の人の為に立ち向かうことの出来る人なんだ。エリカは笑みを浮かべながら、その魔法石を握りしめた。
「ありがとねー!!」
彼に聞こえてはいないだろう。ただ、もう一度伝えたかった。彼女は振り返ると、未だに興奮しているゴードンの手を引いて、家へと戻って行った。
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門を抜けて、草原を歩きながらウィリアムはその顔に笑みを浮かべていた。
ありがとう
少女の言葉は彼にしっかりと届いていた。
「次も良い人に会えると良いな」
そんな期待を胸に、ウィリアムは一人草原を歩いて行った。