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婚約者は鴉天狗  作者: 天笠恭介
第一章 雨・見合い・橙空の飛翔
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その4



「ちょっと。今度は何?」


 急ごうと言ったばかりだというのに、真希はそれに反する小太郎に少しの苛立ちを覚えた。

 だが、ただ立っているだけに思えた小太郎の体が小刻みに震えている事に気がつくと、慌てて近くによって彼の顔を見上げる。お面に隠れて表情は見えないのだが、反射的な行動だった。


「え? え? ちょっと本当にどうしたの?」


 そこでふと、真希は家で剛錬が行った折檻の事を思い出す。常人が喰らっていれば入院必至の攻撃だったはずだ。さすがの妖怪であっても実は結構堪えていたのではないだろうか。


「あんたまさかさっき怪我と――」

「かっかっかっ!」


 心配する真希の言葉は、突然発せられた小太郎の大声に掻き消された。その大声は、どう考えても笑い声にしか聞こえない。


「…………え?」


 あまりの出来事にきょとんとせざるをえない真希。それを見て、さらに小太郎が笑う。彼は腹を抱え、しまいには膝を突き、とうとう地面をバシバシ叩き始めた。


「ほ、ほ、本当に、お主こそ面白い奴じゃ。儂は今までこんな人間に出会うた事がない」


 なおも笑い続ける姿を見るに、どうやら怪我云々の心配は必要が無さそうだった。それはよかったのだが、真希としては何か心配した分損した気になる。

 けれど、その笑う姿が余りにも普通だったので真希もなんだかおかしくなって、一緒に笑ってしまった。こんなに笑うのは久しぶりだった。


 ひとしきり笑いあって、二人はまた歩き始めた。立ち位置は変わらなかったが、さっきよりずっとその距離は近くなった。


「すごい時間食っちゃったから急がないとね」

「そうじゃな」


 腕時計の示す時間は五時十二分。真希はちょっと笑い過ぎたと思った。


「あー、いっそ本当に飛んで行ければいいわね」


 若干薄暗さをのぞかせはじめた空を見て、真希は何の気無しにポツリと言う。


「おう。一緒に飛んでくか?」

「そうね。そう出来たらいいわね……って、え?」


 真希は思わず振り返っていた。やはりお面に隠れて見えないが、その雰囲気から小太郎がニヤニヤ笑っているような感じは受け取れた。


「飛んでくかって、あんたはともかくあたしは飛べないわよ?」


 何かの間違いでこうして妖怪と話してはいるが、烏丸真希は一応ごく普通の人間である。妖怪が先祖にいようがいまいがその事実が変わる事は無い。


「いや、多分飛べるじゃろ。まあ、ちょい試してみよか」


 しかし小太郎はやけに自信がありそうな様子で懐をまさぐり、何やらお札のような物を二枚取り出した。その一枚を真希に差し出してくる。


「ほれ。とりあえずこれを持っとけ。結界を張るための札じゃ」


 無造作に渡され、真希はとっさに受け取ってしまう。それは古びた紙になにやら不思議な模様や記号が描かれている物だった。それ以外は何の変哲もない、ただのお札にしか見えない。


「っと、次は……」


 突然小太郎の身体から力が抜けたような感じを見て取る。その次の瞬間、真希の耳はいつかの雨の日に聞いた空気を打つ音を捉えていた。


「え?」


 真希の視線は目の前の光景に釘付けになる。何故なら、小太郎の背中に漆黒の翼が生えていたからだ。

 古来より人は綺麗な黒色を鴉の濡れ羽色と称するが、真希はその艶やかな美しさに目を奪われた。


「……って、ちょっとちょっとここ町中」


 数秒見とれてしまってから、真希は慌てて周囲を警戒した。いつの間にか周りの視線に慣れてしまって忘れかけていたが、人目が無くなっていたわけではないのだ。


「大丈夫じゃ。この札で、周りのもんは儂らを認識出来ん」


 焦る真希に対して、小太郎はひらひらとお札を示す。確か、結界とか何とか言ってたが、つまりはこれのおかげで自分たちは見えなくなっているという事だろうか。

 真希は思わずまじまじとお札を眺め、こんな物も実在したのかと感心してしまう。


「さてこれからが本番じゃ。お主、ちょい後ろ向いとけ」


 ちょいちょいと指で回れ右をしろと合図が来る。


「……変な事するつもりじゃないでしょうね?」


 なんとなく素直に言葉に従うのは癪だったので、真希は軽口を叩く。しかし返ってきたのは、


「阿呆。真面目な話じゃ」


 言葉は乱暴なままだが、ひどく静かな、ともすれば優しい声だった。


 ――むむ。


 肩透かしをくらった真希は何とも手持ちぶたさになってしまい、結局言われるままに小太郎に背を向けた。


「ちっとちくっとするかも知れんが、一瞬じゃ。安心せい」

「え? ちくって――痛っ!」


 言われたように真希の背中にちくりとした痛みが走る。


「何するのよ!」


 慌てて振り返ると、小太郎は何事も無かったかのように平然とそこにいた。真希は思わず詰め寄ろうとするが、


「そろそろじゃ」

「え? なに言っ……て?」


 直後、真希は背中に違和感を覚えた。若干身体が重くなったような気持ちになり、次いで(けん)甲骨(こうこつ)付近に何かの感触を感じる。


「あれ? なんか変な感じ……が……?」


 真希は恐る恐る肩越しに背後をのぞき見た。すると、その視界に何故か小太郎と同じような黒い翼が飛び込んで来る。


「え? え? ええええっ!?」


 驚愕する真希の背中には一対の黒翼が生えていた。なんとはなしに肩甲骨に力を入れると、バサバサと動く。感じた事のない感触に背筋がぞわわとなるが、不快かと思えばそうでもない。


「ほう。これは見事なもんじゃ。想像以上じゃな」


 一人頷く小太郎。だが真希はまだ混乱したままだ。


「ちょ、何で感心してんのよ! 何これどういう事!?」


 真希は小太郎の胸倉をつかんで説明を求める。かなり必死だった。だから詰め寄られているのに嫌がるどころかやや嬉しそうな小太郎のおかしさには気が付かない。


「自分に妖怪の血が混ざっとる事は聞いたじゃろ? 妖怪の血が入った人間に混ざっとるのと同属の妖怪が力を分ければ、活性化させる事が出来るんじゃ」


 胸倉をつかまれたまま、小太郎がそんな説明する。


「妖怪の血を活性化? それって、あたしも妖怪になるって事?」


 真希の問いに、小太郎が首を横に振る。


「いや、妖怪にはなれん。じゃが、妖怪の持っとる力を一時的に使えるようにはなる。今は儂の羽根を一枚刺してやったんじゃが、まあそれだけでこうも見事な翼が生えるとは思わんかったがのう」

「えっとつまり、あんたがあたしに力をくれたからあたしの背中に翼が生えたと?」


 今度は縦に振った。


「ほうじゃ。飲み込みが早うて助かる」


 小太郎から手を離し、真希はふらっと一歩後ろに下がる。もう何でもありだった。事実は小説より奇なりとはよく言ったものだと思う。


「ほんじゃ、早速飛んでみようかの」

「え? ちょ、ま、あたし飛び方なんて知らないわよ!?」

「最初は儂が手助けするけえ。とにかく慣れじゃ。ほれ」


 わたわたと取り乱す真希の手を小太郎がつかむ。この間は気が付かなかったが、ちょっとごつごつした、男の人の手だった。それに気が付いて、真希は少しだけ身体が熱くなった気がした。


「よし、行こか」

「まっ、心の準備が――きゃあっ!」


 浮遊感。次いで風を身に受け、真希は思わず目を閉じてしまった。暗闇の中で感じるものは、なんとなくジェットコースターに乗っているようなものに似ている。

 しばらくの後、風を切る感覚はそのままに水に浮いているような浮遊感だけが残った。


「ほれ、しっかり目え開いて、自分でも風をつかまえんかい!」

「う……」


 恐る恐る目を開く。目の前に遠くの街並みが見えた。ただし、見えるものはほとんどが建物の屋根だ。


「うわわわっ!」


 驚いて真希は身をよじる。だが、不思議と水に浮いているような浮遊感は崩れなかった。とても高い位置にいるのに、ひどく安心出来る。


「大丈夫か!?」

「え?」


 きょろきょろと周りを見た。真希のすぐ隣を、小太郎が飛んでいる。その手はしっかりと彼女の手を掴んだままだ。


「ええか! 背中にあるもんを、自分の腕と同じような感覚で意識するんじゃ! 大きく開いて、風を感じるんじゃ!」


 風の流れる音に負けないようにだろう。小太郎は声を張り上げてそう言った。


「安心せえ! 絶対に落としたりせん! 儂の命に代えても、お主は守る!」


 真希の心臓がドクンと脈打つ。


 本人の意味するところは違うのだろうが、こんな状態でそんな事を言われて反応せずにはいられなかった。


 ――これは釣り橋効果釣り橋効果釣り橋効果……


「ん? どうした!? 降りた方がええか!?」


 真希の様子の変化に気付いたのか、小太郎が少し心配そうに言う。


「う、ううん! 大丈夫!」


 動揺を悟られないように、真希は威勢よく返事をしておいた。


「お……。ほうか! じゃあ、儂が言った様にやってみい!」


 多少首をかしげながらも、とりあえずは気にしない事にしたようだ。小太郎は再び真希に行動を促して来る。


「……よし」


 助言された通りに真希は背中の翼を意識した。自分の両手を広げるように、ゆっくりと翼を動かしていく。


「お? ええぞ! その調子じゃ!」


 一度感覚を覚えてしまえば思ったよりも簡単だった。真希は自慢げに翼を広げたり閉じたりという行為を繰り返す。


「かっかっかっ! いきなりそれだけ動かせる奴は初めてじゃ! お主実は妖怪なんじゃなかろうな! 儂が翼出した時も驚いとらんかったしのう!」


 快活に笑う小太郎。それは本当に楽しそうだった。


「ふふん。これくらいどうって事ないわ!」


 だから真希もそれに調子を合わせる。彼女もまた、今この時を楽しんでいた。


「かっかっかっ! 次は広げたまんまで風を感じてみい! 身体で感じるもんと翼で感じるもんを分けて感じるんじゃ!」


 最後の部分は少し意味不明だったが、真希は言われるままに翼を広げ、風を意識した時にその言葉を理解する。

 翼の角度によって翼のみが感じる風と、身体全体で感じる風の流れがあることに気付いた。同時に一定の角度で風を受ける事で強い浮遊感を感じ、別の角度に変える事で右へ左へ身体を流せる事も理解する。


「よしよし。大分慣れたようじゃの! ほじゃ、ちょいっと手を離すけえ、自分で飛んでみい!」

「え?」


 突然、掴まれていた手から感触が消えた。真希の心に少しの不安がよぎる。だが――


「飛べる!」


 自分を鼓舞するように言葉を発し、真希はバランスを崩す事なくそのまま空を飛び続けた。


「おうおう! 見事じゃあ!」


 小太郎の嬉しそうな声が聞こえる。そんな彼を見て、真希は思う。容姿はともかく、妖怪の内面は人間とそう変わりはないのではないか、と。


「ねえ!」

「なんじゃ!?」

「あんたの名前、もう一回教えてよ!」


 多分、また三つの丸を作ったなと真希は思った。相変わらずお面で見えないが、絶対にそうだという確信があった。


「……おう! 小太郎じゃ! 鴉天狗の小太郎じゃ!」

「小太郎! あたしは真希! 烏丸真希!」


 名乗りあう二人。この時が、二人にとって本当の出会いだった。


「おう! 真希! せっかくじゃ! ちっと競争と行こか! あの一本杉までどちらが先につけるか勝負じゃ!」


 小太郎が指した方向に、明らかに周囲の建造物に勝る一本の木が小さく見える。距離は三キロメートルくらいだろうか。周囲は開けた広場になっているようだ。

 それを確認して、真希は自分の変化に気が付く。翼が生えただけでなく視力もずいぶんと上がっているらしい。


「いいわよ! 負けた方が勝った方の言う事を何でも聞くっていうのはどう!?」

「ええじゃろう! 罰があったほうが盛り上がるけえ!」

「えっちいのは禁止だからね! それじゃ始め!」


 真希はさっと宣言し、自分のタイミングで先にスタートを切る。


「あ! こら待たんかい!」


 後ろから小太郎の声が聞こえるが、真希は無視した。これくらいのハンデは相手との年季の差からいって必要だろう。

 だが、すぐに背後に大きな風の流れを感じる。やはり意地があるのか。ついさっき飛ぶ事を覚えた彼女に負ける気はないらしい。


「だけど!」


 真希にしても負けるつもりはさらさらなかった。さらに速く飛ぶべく、翼の角度を調節しながら飛び続ける。


 誰の目にも映る薄闇に包まれ始めた空を、誰の目にも映らない二対の黒翼が翔けて行く。



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