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婚約者は鴉天狗  作者: 天笠恭介
第六章 目覚め・繋がり・確かな約束
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その2



 病室の中で一人、真希はどこかぐったりとベッドに横たわっていた。

 美春に抱き締められた後、両親から散々小言を言われ、真希は半ばグロッキー状態なのである。つい先ほど、あれやこれやとなだめすかして二人を追い返し、ようやく落ち着けたところであった。


 ところが、スッと病室の引き戸が開く気配がしたので、真希はベッドの上から様子をうかがう。


「……小太郎?」


 何となくそんな気がして真希は呼びかけてみた。すると案の定、小太郎がおずおずと角から顔を出す。


「今は、大丈夫なのか?」


 今は、と言うのは先ほどの事を意識して言っているのだろう。それはそれでまた物を投げたくなる真希だが、ここはぐっと抑えておく。


「大丈夫よ。それにしても、何かあんたとあたしって間が悪い事が多いわね。相性悪いのかしら?」

「そんな事はない!」


 特に含みもなく言った真希の言葉に、不自然なほど小太郎が反応を示した。それに真希がびっくりしていると、


「いや、すまん。急に大きな声を出してしもうた」


 一気に大人しくなる。何かイメージが変わったなと、真希は相手の様子を観察した。


「……なんじゃ、じっと見おってからに」


 何かの挑戦とでも思ったのか、小太郎がじっと真希を見つめ返して来る。しばしのにらめっこが続き、


「ぷふっ……」

「かっ……」


 二人で同時に噴き出した。


「あははは。いやだ、なんでこんな事してんだろうあたしたち」

「かっかっかっ。知らん知らん。じゃが、悪うないのう」


 そうやってちょっとの間笑い合って、どちらともなく静かになる。先ほどまでの騒がしさから一転、痛いほどの沈黙が病室を支配した。

 何か言わなきゃ。そう真希は思うが、なかなか言葉にならない。


「あ、ほら、せっかく椅子があるんだからそこに座りなよ」


 真希は近くの椅子を小太郎に勧める。結局、彼女の口から出たのはそんな言葉。言いたい事は他にもあるのに、言い出せない。


「お、おう」


 小太郎が返事をする。しかしなぜか動かない。その様子に真希が首を傾げると、


「ああ、いや、おう。行かせてもらう」


 わけの分からない事を言いながら、小太郎がギクシャクと歩いてくる。見事に同じ側の手足が同時に出ていた。


「どうしたの? 何か変じゃない?」

「いや、おかしなところなんぞないぞ」


 やはりギクシャクと椅子に座りながら、小太郎が答える。やはりおかしい。


「ん? なんでそんな変な座り方してるの?」


 真希は小太郎が椅子に半分しか腰掛けていない事に気が付いた。真希に近い方を半分残して、もう半分の方に座っている。


「う、む。あれじゃ、最近ちょいと鈍っておったけえ。修行じゃ修行」


 かっかっかと、どことなく渇いた笑い方をする小太郎。

 修行なら空気椅子じゃないだろうかと真希は思ったが、鴉天狗と人間では修行法が違うのかもしれないと思い無視する事にした。

 それにいつまでも違う話をしてはいられない。真希は一度大きく深呼吸をして、


「えっと、お父さんとお母さんに聞いた。あたしが気を失ってる間の事。あんたが、あたしをここまで運んでくれたんだってね」


 本題を切り出した。


「まあ、そういう事になるんかのう」


 どことなく曖昧な小太郎の言葉に真希は内心小首を傾げるが、とりあえず話を進める事にした。


「で、さ。あたし、自分で言うのもなんだけどかなり大怪我してたと思うのよ。何かもう身体動かないし、意識遠くなるし。まあ、落っこちてからの事はぼやけててよく覚えてないんだけど」

「ほうじゃな。急いで儂も下に降りたが、いくつか言葉を交わしてすぐに気を失いおった。死んだかと思うてかなり焦ったがの」


 小太郎が軽い感じで受ける。そこに嘘があるのかどうか、真希には分からなかった。


「まあ、そこはいいんだけどさ。でも、やっぱりおかしいのよ」

「……何がじゃ?」

「あたしの身体、傷がないのよ。あれだけ派手に落ちたのに、さすがにおかしいわ」


 起きてすぐに確認した自分の身体。痣一つない綺麗な状態だった。それが余りにも腑に落ちない。


「何じゃそんな事か」


 ところが、小太郎はあっさりとそう言った。


「え?」

「忘れたんか? これじゃこれ」


 小太郎が懐をまさぐって、大きめの二枚貝を取り出した。真希はまじまじとそれを見つめ、


「三平さんの傷薬……?」

「ほうじゃ。一回説明したじゃろうが」

「……あ、そっか。これで大抵の傷はたちまち治るんだっけ」


 クオンノトリの卵から作るという軟膏のようなそれは、切り落とされた腕すら元通りつなげるというありえないほど高効能な傷薬だ。

 使う機会が無かったため、真希はすっかり妖怪の住処で小太郎にしてもらった説明を忘れていた。


「他にも何か儂から聞きたい事はあるか?」


 真希にとって最大の謎が解けた今、特にあの一件に関して聞いておきたい事は無い。強いてあるとすれば、


「一つだけ」

「おう。何でも答えるぞ」


 小太郎の安請け合い。それを受けて真希はちょこっと悪戯心が芽生えた。だが、この時ばかりはそれをあっさりと捨て去る。そういうのはまたいずれの機会で構わない。そのいずれを手に入れるために、今聞かなければならない事がある。


「小太郎」


 スッと、真希は小太郎に向けて手を伸ばした。言葉では聞かない。だが、ただそれだけで小太郎には全てが伝わったようだった。


「おう」


 今度は迷いなく、小太郎が真希の手を掴んだ。あの日あの時届かなかった二人の手は、今ようやく届いたのだ。


「ごめんね。小太郎」

「儂もすまんかったな。真希」


 手を取り合って、互いに見つめ合う。何だか胸がドキドキとしている。その高鳴りが大きくなるにつれ、徐々に二人の距離が近くなって――


「やっほー。真希元気ー?」


 元気な声が病室に響き渡り、二人は弾けたように離れてしまった。


「あ、小太郎君いたんだ」


 角からひょっこり顔を出したのは十和子だった。制服のままという事は学校から直接やって来たのだろう。


「……あれー? ひょっとして私空気読みそこなったー? 接吻五秒前っていう感じな雰囲気の残り香があるんだけどー」


 真希と小太郎の微妙な位置関係から割り出したのか、十和子がちょっと嬉しそうな感じでそんな事を言って来る。


「ないないないない!」

「そ、そうじゃ! それに儂はほれ、こんなもんつけておるんじゃしそんな事出来んぞ?」


 慌てふためく二人を疑いの眼差しでみる十和子。その間に時々ちらりと病室の中を確認するのは、いったい何を考えての事なのだろうか。


「まあ、証拠を押さえる機会はまだまだあるだろうからいいかー」


 何かぼそりと不穏な発言が聞こえるが、真希は努めて無視をしておいた。


「ところで真希ー」


 十和子の顔が一変し、可愛らしいいつもの顔に戻る。


「な、何?」

「いつまで入院なのー?」

「あ、もう二日くらいかな。頭も打ってるから、目が覚めた後にまた精密検査やるんだってさ」


 両親との会話の中に確かそんな話があったはずと真希は十和子に伝える。


「じゃあ、ともかく真希はあと二日は学校に来れないんだよね?」

「うん。授業どうしようかな……」


 今日を入れて三日分の遅れは高校生には結構痛い。勉強は好きではないが、しないでいいものでもないのだから。


「あ、ノートはとってあるから、退院したら見せてあげるよー」


 にこっと笑うその姿はまさに天使、いや女神だった。


「ありがとう十和子。やっぱり持つべきものは友達よね」


 真希は十和子の両手を自分の両手で包み込み、感謝の意をこめて額に押し当てる。


「うんうん」


 十和子もその姿を満足そうに眺めていた。


「あ、もうこんな時間。私ちょっと用事があるから今日はこれで帰るね。また明日様子見に来るからー」


 時計を確認した十和子はそう言い終えるや否や、風のように去って行ってしまった。

 病室の中は再び二人だけ。しかし、もうさっきのようなムードにはならない。


「……さて、儂もそろそろ帰るかのう」

「うん」

「儂もまた明日来るけえ。寂しくても泣くんじゃないぞ?」

「泣かないわよ」


 小太郎が椅子から立ち上がり、真希に背を向けて歩き出す。角に消える直前で、真希はその背中に声をかけた。


「小太郎」

「なんじゃ?」

「ちゃんと学校行くのよ。あたしもすぐに戻るんだから」


 小太郎はすぐには答えなかった。そうして少し考え込むような仕草をしてから、


「無断欠席した場合はどこに謝ればいいんじゃ?」


 真面目にそんな事を聞いてくる。ちょっと予想外だった。


「剛錬さんが病欠扱いにしてくれたから大丈夫よ」

「ほうか。それならいいんじゃ。ではの。また明日じゃ」

「うん。また明日」


 小太郎が角の向こうに消え、病室を出て行った。残されたのは真希一人。けれども彼女は独りじゃない。


 また明日。


 確かな約束が、そこにはある。



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