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婚約者は鴉天狗  作者: 天笠恭介
第五章 勝負・互いの距離・そして――
23/31

その1



 二人が決別してしまった翌日、小太郎は学校を休んだ。表向きは病欠という事だったが、真希はもう二度と小太郎が学校に来る事は無いだろうと思った。


 ――あたしのせい、だよね。


 小太郎と別れてから、真希はずっと自分の言った事を後悔していた。言うべき事ではなかった。言う必要もなかった。全部が全部、真希のわがままとも言えるような内容ばかりだ。


 鬱々とした真希の心とは裏腹に、その日は澄み渡る空模様だった。耐え切れずに盛大な溜息を吐き出してしまう。

 家では再び真希の様子を不審に思った美春から、学校では小太郎の不在を不審に思った十和子から、それぞれ質問攻めに遭っていた。

 美春に対しては大丈夫の一点張りで切り抜けたが、十和子の追及を逃れる自信は今の真希には無い。


 沈んだ気持ちのままその日の授業を終えた直後、真希は十和子に拉致された。その小さな身体のどこにそれだけの力がと感心してしまうほど強引に――どうやって使用許可を取ったのか分からないが――生徒相談室へと連れ込まれた。

 ガチャリと鍵を閉められてしまい、逃げ場も断たれる。


「さあ真希。ちゃんと話してもらうよー。ここ防音だから、包み隠さず全部ね」


 十和子は両手を腰にあて、椅子に座る真希にずずいっと顔を近付けてくる。口調はいつも通りのようだが、少しばかり怒気を含んでいた。

 真希は降参の意を表明するために両手を挙げる。

 昨日の一部始終を、真希はこと細かに十和子に話して聞かせた。本当は誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。

 十和子は黙ってメモ帳にペンを走らせ続け、真希の話に口を挟む事なく軽く頷いて相槌を打つのみで最後まで一言も喋らなかった。


「――というわけで、多分あいつはもう学校には来ないわ」


 全てを話し終え、真希は脱力する。誰かに話せば少しはすっきりするかと期待していたが、何も変わらなかった。

 むしろ自分のあまりに愚かな行動に余計気が滅入ってしまう。


「まあ、大体は分かったよ。私からすれば、なんでこんな事でそんな事になるのかなーって感じなんだけどねー」


 パタンとメモ帳を閉じ、十和子はペンを指で弄びながら責める様にして真希を見た。


「ねえ、真希」

「……何?」

「小太郎君の言葉の、何が許せなかった?」


 真希が沸騰してしまった小太郎の言葉。それは――


「…………」


 言おうとして、真希は言葉に詰まる。あの時は確かに激しい怒りを覚えた言葉だった。けれど、今はそれほどの怒りを感じられない。むしろどこかで小太郎の言葉を肯定している自分がいる。


「何かもう分かってるような感じだけど、一応私の口から言っちゃうよ? こういうのって、自分で分かってても誰かに言ってもらわないと踏ん切りつかないからさー」


 ふう、と小さく息を吐き出してから、十和子は淡々と真希に向けて言葉を放って行く。


「小太郎君が真希は特別だけど他の人間はどうでもいいって言った事。別にこれは彼が妖怪だから、人間が嫌いだからって事じゃないんだよ。だって私たちだって親しくない人の事なんて全然意識してないし、どうでもいいって無意識に思ってるんだもん。言葉にはしないだけ」


 真希は何も言わない。しかし、その言葉は確かに真希の中に響いていく。自分でも、同じ考えを持っているから。


「そりゃ、小太郎君の言った事を全面的に肯定する気はないよ。その女の子がもし本当に死んでいたら真希は絶対に深く傷付いたと思うから。真希を助けたいと思うなら、身体だけじゃなくて心も助けてもらわないとねー」


 あの時真希が間に合わなければ、強く抱いていなければ、少女は真希の目の前で無残な死に方をしていただろう。

 その光景を見ていたとしたら、烏丸真希という人間はどのように変質していたのか。


「けどその子と真希、どちらか片方しか助けられないのだとしたら、たとえ真希がその子を助ける事を望んでいたのだとしても絶対に真希の方を助けるよ。それが、ううん、それも、小太郎君の言った特別って意味」


 十和子が真希の反応を確かめる事はない。それはすでに結果の出ている事だから。

 故にこれはただの茶番。けれど必要な儀式のようなもの。


「ねえ、真希。妖怪と人間はさ、きっと考えてる以上に違う存在じゃないんだよ。もちろん彼らの行使する力は人間から見れば常軌を逸しているけどね。でも内面の、精神的な構造は、それこそせいぜいが日本人とアメリカ人くらいの違いしかないんじゃないかなー。小太郎君みたいにまだ全然永く生きていない妖怪は特に」


 それは真希も感じた事である。真希が空を飛んだ時、それを自分の事のように喜んでいた小太郎は、妖怪とか人間とかそんなものを意識してしまう相手ではなかった。

 相手が妖怪だから。自分が人間だから。そんな固定観念など入り込む余地すらなかったのだ。


「きっと真希と一緒にいる時の小太郎君は、妖怪とか人間とか、そんな事を考えてなかったんだと思うよ。だからこそ真希を傷付けるような事を言っちゃったし、真希の言葉にも傷付いた。真希はそんな事を意識していない人だと思っていたから。ありのままの自分を、受け入れてくれているって思ってたから」


 この辺りは推論だけどねー、という十和子の言葉は、真希にとっては重かった。そんな勝手に期待されても困るというのが真希の本心であるが、同時にそこまで信用してくれていたのだろうかと思うと胸の内が熱くなる。


「たぶんだけど、結局さ、二人とも相手に甘えてたんだよ。詳しく聞かないで、真希は小太郎君の事を分かったつもりになっていた。詳しく話さないで、小太郎君は真希に分かってもらっているつもりになっていた。その歪みがこんな形になっちゃったんだと思うんだよねー」


 たぶん、と十和子は言ったが、それは正しいのだろうと真希は思う。口論の中で裏切られたと感じたのは、結局自分の中の小太郎という存在と現実とのギャップにショックを受けただけなのだ。

 これほど自分勝手な裏切り認定もないだろう。


「……十和子」

「何ー?」

「あたし、どうすればいいのかな?」


 十和子の顔が一瞬驚いた表情になり、すぐに呆れの表情に切り替わった。


「えっと、それも言ってあげないと駄目なのー?」

「……ううん。言ってみただけ。分かってるよ」


 真希の中ですでに答えは出ている。やらなければならない事など、決まっているのだ。


「でも、恐いのよ。今更、どんな顔して会えばいいんだろうって。もしも、もしも拒絶されたらって思うと、恐くて、恐くて仕方がない……」


 真希の目に潤みが増し、徐々に涙が溜まっていく。


「あたしは、あいつを傷付けた。あんな事、言いたかったわけじゃないのに。あんな、あんな顔にさせるつもりなかったのに」


 今も脳裏にくっきりと残るのは、あの悲しそうな小太郎の姿。お面の下で諦めたような、辛いような、寂しい顔をした小太郎の姿。


「あいつ、絶対に泣いてた。あたしが泣いてたから見た目に泣いてはいなかったけど、絶対に泣いてた。あたしが、泣かせた。泣かせちゃった」


 涙がとめどなく溢れてくる。後悔が真希の身を苛み締め付ける。自分の身を強く抱き締め、小さく震えた。


 強張っていた真希の体は、突然柔らかなものに包まれた。温かくて、嘘みたいに気持ちが安らいでいく。ちょうど母に抱かれているような、そんな安心感があった。


「……うん。辛いよね。苦しいよね。何でこんな事になったんだろうって気持ちは、私も感じた事があるから」


 真希の頭上から、優しい声が聞こえてくる。真希を抱き締めた十和子の声だ。


「大丈夫だよ。真希はまだやり直せる。まだ、真希と小太郎君の絆は切れてないよ」


 十和子が真希の頭を撫でながら、ゆっくりと、諭すように言い聞かせていく。

 その胸に抱かれながら、真希は小太郎との日々を思い出していた。雨の日の出会い。一緒に空を飛んだあの日。学校での生活。妖怪の住処での事。二人で行った買い物。


「……十和子」

「なーに?」


 真希は友人のふくよかな胸に頭を預け、十和子はそんな彼女の頭を優しくなで続ける。


「あたし、小太郎に謝りたい」

「うん」

「謝って、またあいつと話がしたい」

「うん」


 十和子が真希の頭を撫でる手を止める。少し経って、真希はゆっくりと十和子から身を離した。


「ありがとう。十和子」

「どういたしまして。私に出来るのはこれくらいまでだから、後は真希次第だよー」


 にっこりと笑う十和子に、真希は力強く頷く事で応える。決心はついた。ならば行動あるのみだ。

 涙を強引に拭い去り、真希はすっと立ち上がると、自分のカバンを手に取った。その中には大事な物が入っている。


「きっと、小太郎君も真希みたいに苦しんでる。だから私がしたように、小太郎君も抱き締めてあげてね」

「あはは。考えとく」


 十和子の恥ずかしい声援に、真希は苦笑いで応える。


「それじゃ、行って来るね」

「うん。行ってらっしゃい」


 真希は十和子を残して廊下へ出る。小太郎に会うといっても、どこにいるかは分からない。さしあたって小太郎の父である剛錬に尋ねるのが上策か。


「このままじゃ、終わらせない」


 真希はポケットから携帯を取り出し、剛錬への連絡を取り付けるべく、まずは父である昇治の番号を呼び出した。きっかり三コール目で、電話がつながる。


『もしもし? どうしたんだ真希。こんな時間に、というか私にかけてくるなんてひどく珍しいじゃないか』


 どことなく弾んだ昇治の声。娘からの電話がそんなに嬉しいのだろうかと真希は不審に思うが、そんな事はどうでもいい。


「お父さん。剛錬さんに連絡を取れない?」

『剛錬さんに? まあ、取れるといえば取れるが、何だってまた?』

「詳しい説明は後でするから、とにかく剛錬さんにあたしが会いたいって言ってるって伝えて欲しいの」

『……小太郎君絡みで何かあったんだね?』


 真希が剛錬に連絡を取りたいと願う理由は限られるため、昇治は簡単に理由を察したようだった。今更隠す事でもないので、真希ははっきりと言ってしまう。


「喧嘩したの。でも、会って謝りたい。仲直りがしたいの」


 それが真希の、嘘偽りのない本心だった。


『……分かった。えっと、そうだな。学校の校門前にいてくれ。剛錬さんにすぐそっちに行ってもらうようにお願いするから』

「うん。お父さんありがとう」

『どういたしまして』


 通話を切り、真希は急いで校門へ向かう。

 はたして、真希が校門に到着すると、見覚えのあるヒゲもじゃの巨漢が待っていた。おそらく、文字通り飛んで来るかどうかしたのだろう。


「あ、あの――」


 真希が口を開こうとするのを、剛錬は手で制した。


「分かっています。昨日、帰ってきてから様子がおかしかったので聞いてみたのですが、何でも無いの一点張りでしてな。今朝は今朝で私に何も言わず出かけてしまいまして。学校には病欠と連絡を入れましたが……」


 剛錬は深い溜息を吐き出した。


「倅がご迷惑をおかけします」

「いいえ。昨日の事はあたしが悪いんです。だから、あたしはもう一度会わなくちゃいけないんです」

「……ありがとうございます」


 剛錬は真希に深く頭を下げた。


「あの、それで小太郎がどこにいるかは……?」

「すみません。私もまだ見つけておりません。別件の用事がありまして、あまり捜す時間が取れないものですから。おそらくこの町のどこかにいるとは思うのですが、おかしな事に気配も妖気も感じられません。何かしらの結界を張って隠れているのかもしれませんな」

「そう、ですか……」


 剛錬なら居場所を知っているかと思ったが、当てが外れてしまって真希はいきなり手詰まりになった。


「真希さんは倅の行きそうなところに心当たりはありませんか?」

「心当たり……」


 問われて、真希は必死に記憶を穿り返す。真希が知っている、小太郎の行きそうな場所の心当たりは――


「いくつかありますけど、多分どれも違うと思います。どこも人が多い場所ですから」


 小太郎はあまり人の多いところが好きではない。だからこそと言えなくもないだろうが、可能性は低いと真希は思った。


「ふーむ、はてさてどこへ行ったのやら」


 しばし二人で悩み、しかしこのままでは埒があかないと、


「とにかくあたしも捜してみます。剛錬さんは携帯をお持ちですか?」

「はい。仕事柄重宝しますので」


 剛錬がスーツのポケットから携帯を取り出した。最新式のモデルである。


「じゃあ、番号の交換をしておきましょう。互いに見つけたら連絡するという事で」

「心得ました」


 赤外線を用いて交互に番号を送りあう。これで完全に一人で捜すよりは、幾分か効率的になったはずだ。


「それじゃ、あたしは手当たり次第に町を回ってみます」

「お願いします。私も出来得る限り捜してみますので」


 互いに頷き合い、そしてそれぞれに動き出す。


 ――小太郎。


 消えたその影を求め、真希は町の中を駆け抜けて行く。



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