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婚約者は鴉天狗  作者: 天笠恭介
第四章 決意・事故・悲しい決別
18/31

その1



 その日は朝から快晴の空だった。部屋の窓から見上げるそれは、見る者の心を洗うような清々しいまでの濃い青を一面に広げている。

 だがそんな天気とは裏腹に、真希の心はどんよりと曇っていた。原因はもちろん妖怪の住処を訪れた時の一件である。


 あの後、戻って来た剛錬が勘違いをして小太郎に鉄拳制裁を加えるまで、真希は一人で泣き続けていた。

 本来は夕飯まで振舞われる予定だったらしいが、真希の様子を心配した剛錬によって自宅に送り届けられる次第になった。


 帰宅後、美春や昇治に何かあったのかと問われたが、真希は黙って首を振るだけに努めた。自分の中でもまったく整理が付いていない事を誰かに話す事は出来ない。

 話したところで支離滅裂。意味不明なものを撒き散らすだけになってしまうと分かっていたから。

 上の空のまま風呂場で汗を流し、その日はそのまま落ちる様に眠ってしまった。


 次の日は日曜で休みだったが、何もする気になれずにごろごろと寝て過ごした。その流れのまま月曜日の今日、学校を休んでいる。

 ズル休みをしたのも、基礎訓練をサボったのも、初めてだった。それくらい真希は無気力になっている。


 少し時間を置いても何も変わらなかった。いや、逆に時間を置いたことでぐちゃぐちゃになったものが余計にわけの分からないものに変質してしまったようにすら思う。

 苦しくて、悲しくて、辛くて。けれど何でそんな感情を抱くのかが分からなくて。

 それは、人間と妖怪の決定的なまでの差を見せ付けられたからなのか。それによって、小太郎の隣を歩けないことに気が付いてしまったからなのか。

 例えそうなのだとして、何故これほどまでにそのことにショックを感じるのか。それが真希には分からない。


 これほどまでに胸を締め付けられ、自分が自分でないかのような錯覚を覚えるほどの感情の正体は、いったいなんなのだろうか。


 ――…………ん?


 真希がベッドの上で悶々とし続けていると、玄関で呼び鈴がなった。

 動くのが億劫な彼女は無視を決め込むが、少しの間を置いて再度呼び鈴が鳴り、その後も一定間隔で鳴らされ続ける。


 ――し、しつこい……


 あまりの諦めの悪さに抵抗する事に萎えた真希は、よろよろとベッドから起き上がり、何とか身支度を整えてからドアホンにて対応に出た。


「どちらさまですか?」

「あ、真希ちゃん? もー。いるならさっさと出てよねー」


 ドアホンの画面に映し出されたのはセミロングの黒髪の女性だった。どことなく美春によく似たその女性を、真希はとても良く知っている。


「彩夏叔母さん……?」


 画面に映る来客は美春の妹の彩夏だった。

 真希は急いで玄関に向かい、ドアを開ける。


「やっほー。久しぶりね。真希ちゃん。ちょっと大人っぽくなったんじゃない?」


 ドアの向こうに立つ彩夏は、向日葵のような笑顔をしていた。


「えと、お久しぶりです。半年くらいですから、そんなに変わってないですよ」

「あら、そうでもないわよ。貴方くらいの年頃の女の子ってね、凄い速さで変わっていくのよ。自分ではなかなか気が付かないかもしれないけれどね」

「そう、かなぁ……」


 真希はさっと自分の姿を確認する。この半年で何かが変わったようには思えない。むしろ一部の部分は中学生の時から芳しくない。自分の身体の変化は自分では気付き難いというが、それにしてもである。


「そうそう、今日は私だけじゃなくてね」

「え?」


 突然彩夏が横に避けたかと思うと、それまで彼女が壁になって見えなかった位置にラフな格好をした男の人が一人。眠った赤ん坊を抱いて立っているのが真希の視界に入ってきた。


「やあ、こんにちは」

「姪の真希ちゃんよ。源尚げんしょうさん覚えてる?」

「ええ。結婚式の時にお会いしましたね」


 源尚は彩夏の言葉に頷いて、柔らかな眼差しで真希を見て来た。

 短くさっぱりとした黒髪に整った精悍な顔つきをしたこの男性は、この冬に彩夏と結婚した人だ。いや、実際は人ではない。


「さて、真希さんも私たちの事情を知ったとうかがってますので、改めて自己紹介をさせてください」


 源尚は抱えていた赤子を彩夏に渡すと、スッと一歩を踏み出し、真希の前に立った。小太郎より少し低いくらいの彼はその場で姿勢を正し、


「鴉天狗の源尚と言います」


 一礼しつつ、そう名乗った。


「あ……そう、なんですよね。そういえば」

「ええ。あの時はまだ真希さんがこちらに関わるかどうかは確定的ではなかったものですから、情報は伏せるようにと言われていました」


 ニコリと笑う源尚は、まさにどこにでもいそうな感じのいい男性である。小太郎のように目立つ格好をしていないという事もあるのだろうが、真希の目にはやはりただの人間にしか見えなかった。


「自己紹介といえば、この子もね」


 源尚の後ろに控える形になっていた彩夏は、腕に抱く小さな命を真希に差し出してきた。


「抱いてみて」

「え……と……」


 恐る恐る彩夏の手から赤子を受け取り、彼女の指示通りに真希は腕に抱く。確かな重さと温かさを感じ、真希の心臓は早鐘を打った。


かけるっていうの。字は飛ぶっていう意味の翔」


 少し目を細めて、彩夏は嬉しそうに赤ん坊の頬に触れた。それに反応して、真希の腕の中で小さな声が聞こえてくる。

 最初は可愛らしく耳をくすぐるような声だったが、徐々に大きくなり始めたので真希はちょっと慌てて、


「叔母さんこの子――」

「あらあら。さすがに敏感ね」


 彩夏は慣れた手付きで真希から赤ん坊を受け取ると、どこかで聞いたような歌を口にしながらゆっくりと漂うように動き始めた。それは愛情という感情が目に見えるのではないかと思うほどに、慈愛に満ち溢れた光景だった。

 ふと、真希は視線を源尚へと移す。彼の眼差しもまた、慈しみに溢れた優しいものだった。それは何も赤ん坊だけに向けられたものではない。彩夏も含めた、彼の妻と子に対してのものだ。

 そこに確かな絆を感じた真希は、一つの決断を下す。


「彩夏さん。いらして早々なんですけど、ちょっと相談に乗ってくれませんか?」


 歌を止め、ピタリと動きも止めて、彩夏はキョトンとした顔で真希を見た。源尚もまたやや不思議そうな表情で真希を見ている。


「とても、大切な事なんです」


 胸に手を当てながら、真希は強い意思を宿した目で彩夏を見た。

 その瞳から何を感じ取ったのかは分からないが、彩夏は赤子を源尚に預けると、


「源尚さん。悪いんだけど少し翔の面倒を見ててもらえる? ちょっとデリケートな話題になりそうだから」

「そうなのかい? それじゃあ、男の僕は大人しく退散するとしよう。どこかの部屋を借りさせてもらうよ」

「ええ。ぐずったら荷物にミルクもあるから、お願いね」


 その他あれこれと彩夏は指示を与え、愛してるわと言って源尚に軽くキスをした。真希の目の前だったことで気恥ずかしかったのか、彼はやや頬を赤らめながら赤ん坊を抱えて家の中へ入って行く。それを見送ると、


「とりあえずここじゃなんだから、私たちも中へ入りましょうか」

「あ、はい」


 二人は玄関から居間に移動すると、それぞれ手近な椅子に腰をかけた。

 真希は二度三度と深呼吸をして心を落ち着けると、


「……えっと、彩夏さんは、どうやって源尚さんと知り合ったんですか?」

「ああ、真希ちゃんの相談事ってそっちの話なのね。そっかそっか。ずいぶんと思いつめた目をしてるから何事かと思ったけど、もうそんなことを考えちゃうくらいにはなったんだ」


 真希はまだ一言しか喋っていないのに、彩夏はそこから何かに思い至ったようで、一人得心がいったとうんうん頷き始めた。


「あの、彩夏さん?」

「え? ああ、ごめんごめん。やっぱり若いと早いなぁって思ってさ。私が真希ちゃんの悩みと同じ事でつまづいたのって、それなりに後だったからさ。多分、若干悩みの質も違うんだろうし。なんて言うか、ここが社会人と学生の差なのかもしれないわね」

「はあ……」


 彩夏と同じ思考があれば真希にも今の説明で何か分かったのかもしれないが、現状何を言っているのかさっぱりだった。

 そんな真希の様子を知ってか知らずか、彩夏がひとしきり頷いた後に改めて話をし始める。


「それで、私と源尚さんの馴れ初めだったわね。私と源尚さんが知り合ったのは、本当にただの偶然よ」


 出会ったばかりの頃、会社に勤めていた彩夏はとある企画で別の会社から出向してきていた源尚と仕事をする事になった。その時は特に何も無かったのだが、ある夜にばったり社外で出くわし、一緒に食事をしてから急速に知り合うようになっていったそうだ。


「会う度に、不思議なくらいに惹かれて行ったわ。最初はちょっといいかなって思ってるくらいだったのにね」


 テーブルに肘を着いて顎を上に乗せ、彩夏はその記憶を懐かしむような目で宙に視線を向けていた。


「でも、その時はまだ源尚さんが妖怪だって事は知らなかったんですよね?」


 今まで聞いた話の中で、源尚の正体が明かされていた様子は無い。出会った時から正体を告げられていた真希と違って、彩夏は彼の正体を知らずに付き合っていたはずだ。


「そうね。しばらくそんな関係を続けて、そのうちに押さえきれなくなった私の方から告白したわ。もう何年振りだったかしらね。誰かに好きですって言ったのは」


 自分の気持ちを伝えた彩夏に、しかし源尚は嬉しさと恐怖をないまぜにしたような表情を作ったという。嬉しさはもちろん彩夏に好きだと言ってもらえた事。そして恐怖は――


「今思いだしてみれば、凄い変な顔をしていたわね。でも、あの時は何でそんな顔をするのか分からなくて、私も困惑したわ」


 何か気に障るような、傷付けるような事を知らずにしてしまったのかと焦る彩夏に対し、源尚は「これ以上貴女を騙したくは無い」と言って自分の正体をさらけ出したのだという。


「驚いたわ。たぶん、私の生涯で一番の驚きがあの時だと思う。だって、ねえ。作り話の世界にしかいない妖怪が目の前にいたんだもの」


 それがまるで笑い話であるかのように、彩夏はケラケラと笑った。


「怖いとは思わなかったんですか?」

「そりゃちょっとは思ったわよ。姿形は別人、というか明らかに人間じゃなかったしね」


 真希は天狗の住処で見た鴉天狗たちを思い出す。この場にはいない源尚が予備知識の無い状態でいきなりあの姿になったとして、真希は果たしてそれに耐えられるだろうか。


「でも、ね。確かに全く別人に見えたけど、彼の目とか今にも泣き出しそうな雰囲気とか、そういったものは何も変わってなかったわ。だから私は彼を見失わなかった」


 要はそういった着ぐるみを着てるだけみたいな感じかな、と言う彩夏に対し、真希は素直に凄いと思った。彩夏と同じ事が出来る人がいったいどれだけいるだろうか。


「そこから先はトントン拍子ね。恥ずかしながら結婚は出来ちゃった婚みたいになったけど、元々一緒になろうとは――」


 さらりと流されそうになった気がして、


「あ、そこです」


 真希は彩夏の言葉に被せて止めた。それに対して彩夏は優しげな笑みを浮かべ、


「分かってるわ。真希ちゃんの悩みはここでしょう? 私たち人間と、源尚さんたち妖怪の大きな違い」


 真希はコクリと頷き、そしてわずかにうつむいた。胸の痛みが再発し、ギシリと軋む。


「それで、最初に言ったのだけど、たぶん私が悩んだ事と真希ちゃんが今悩んでいる事は、元は同じだけどちょっと質が違うと思うわ。あと、根本的な私と真希ちゃんの価値観の違いもある。だから、その点は気をつけてね」


 そう断ってから、彩夏は真希の抱える悩みに触れる話題を始めた。




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