その8
――あれ? この苗木どっかで見たような……?
思い出そうと記憶を探る。幼い頃。森の中。捨てられたゴミの山。そして――
「どうかしたか?」
小太郎の言葉に、真希は思考を中断される。既視感はあっという間に薄くなっていき、やがて気のせいだという結論が彼女の中で出された。
「……ううん。で、それ何? 枯れてるみたいだけど」
辛うじて立ってはいるが、少し触れただけで倒れるかぽっきりといってしまそうなほどの、普通に見れば死んだ苗木である。
「これはな、儂の夢じゃ」
「夢……?」
唐突な宣言だった。枯れた苗木を夢といわれても、真希としては反応に困る。普通、これから生長していく苗木をもって夢というのが普通ではないだろうか。
「ふむ。その顔は枯れた苗木の何が夢なのかと思っておる顔じゃな」
「いやだって、普通はこれから大きくなっていく苗木を持ってくるところじゃない?」
枯れた苗木ではまるで夢が終わってしまったかのようで、逆に縁起が良くないと真希は思う。
「この苗木はただの苗木ではないぞ。霊樹の苗木じゃ」
霊樹、と聞いて、真希は一度その名前の意味を掴む事に失敗した。それがあまりにも自分の中で結び付けられていたものとかけ離れていたせいである。
いくらか遅れて改めてその名前を掴んだ時――
「――ええええっ!?」
真希は驚愕の声を上げた。
霊樹と言えば今まさに真希が立っている場所。地面の代わりに全てを受け止めている巨木の事である。その雄大な姿と目の前の枯れた苗木が、どうしても繋がらない。
「そんな驚くもんでもなかろう。霊樹に限らず、そこらの木々も初めはこんなもんじゃろうが」
「いやそれはそうなんだけど、あの大きさを見た後だとね……」
真希は小太郎の持つ霊樹をまじまじと見つめる。小さな鉢に収まる苗木が、四千年後には高層ビルのような巨木になるところを想像しようとして、出来ないので諦めた。
「それでこの枯れた苗木が霊樹だとして、何が夢になるわけ?」
よもやこの苗木の生長が夢という事はあるまい。枯れた苗木が成長するはずが無いのだから。
「儂の夢はな、この霊樹の苗木を蘇らせる事じゃ」
「…………はい?」
力強く宣言されたのは、真希にとってあまりに突拍子のない事。どころか、自然の摂理にすら逆らうような内容だった。
「いやいや、いくらあんたたち妖怪が不思議な力を持ってるって言っても、さすがに枯れた植物を蘇らせるってのは無理じゃない?」
真希の認識では植物が枯れるという事は死ぬ事である。死んだものは生き返らない。それが自然の摂理だ。
「普通は、な。じゃが、その絶対の死に挑戦した者が、長い妖怪の歴史の中に数多く存在する」
その言葉は、真希の頭の中に不老不死や死者蘇生という言葉を連想させた。人間の歴史においても、死の克服は幾度となく試されてきた事柄である。
小太郎は一度そこで口を閉ざすと、真希に背を向けて部屋の奥へ向かった。鉢を再び台の上に戻した後にその場に胡坐をかくと、座布団を自分のやや前に配置して真希に手招きをする。
誘われるままに真希は小太郎の前まで移動し、座布団の上で正座をする。それを待ってから、小太郎が再び口を開いた。
「あるんじゃよ。自然の摂理に反する秘術が」
その声には、ここだけの秘密と言って話を切り出すような、独特の雰囲気があった。
「もっとも、あまりに危険な術じゃ言うて、禁術とされておるがの。一応伝わってはおるが、他にも無数にある禁術をまとめた禁書は、とある場所に封印されておる」
「危険て、やっぱり悪用されないように?」
「それもある。が、まあ大部分は使うたらほぼ確実に寿命が縮んで、最悪結構な確立で死ぬからじゃな」
さらりと爆弾発言が飛び出した。
「死ぬって、それ危険どころじゃないじゃない!」
使用したら死ぬ術なんて、それは禁止されても当然だと真希は思う。だが、思った直後に一つの疑問が浮かんだ。
「あれ? けど、そういう術を使った本人が死ぬのなら、罰としてはこれ以上ないくらいじゃない? というか、死ぬのが分かってて使う人はいないと思うけど……」
「ふむ。確かにそうじゃ。じゃが、使えば死ぬと分かっていてもなお使いたいと思う者もおる。で、大概そういう連中は自分は死にたくないという自分勝手な考えの持ち主じゃ。さて、死にたくはないが禁術は使いたい。こういう状況になった時、何が起こるじゃろうな?」
聞かれて、真希はわずかに思考を巡らせ、すぐに一つのあまりよろしくない答えに思い至る。
「いわゆる生贄を見付けて、代わりに術を使わせると思うわ」
効果だけを得て代償から逃げるための方法としては一般的なものだろう。真希としては許容し難い行為だが、程度の違いこそあれ似たような事例は幾つもある。
「その通りじゃ。何らかの契約に基づく同意の上でならまだ問題はないが、大半は強制的じゃったり上手く騙くらかしたりしてという事になるじゃろうな」
小太郎が胡坐のまま片肘を立てて手を顎に添え、何となく呆れたような声を出した。この辺り、自分と同じような価値観を持っているらしいと感じて真希は少し安心する。
「それに、もし運良く死ななかったとしても、確実に寿命が減る、妖怪の寿命については三平から少し聞いておったじゃろう?」
「うん」
妖怪にとって寿命は強さだと三平は言っていた。ならば意図的に寿命を削らせる事で妖怪は弱くする事が出来るという事になる。真希は妖怪の社会についてまだそれほど詳しくはないが、序列の様なものはあるだろうと思っていた。ならば相手を蹴落として上に行きたいと考える者もまた、いるだろう。
「混乱の元じゃいう事で、寿命が減ったり死んだりする術は禁術になったわけじゃな。じゃけえ、今は禁術の存在は知っていても使う事の出来る妖怪はほとんどおらん」
「けど、それでも手を出そうとする妖怪はいるんじゃないの?」
「禁じられたばかりの頃は結構おったらしいが、手を出そうとしたもんは見せしめに殺される事が多かったからのう。今ではめったにおらん」
「か、過激ね……」
この辺りは人間社会より厳粛なようだ。人を殺してもなかなか極刑にならない事例をよく知る真希は、妖怪社会の徹底振りに軽く恐怖を覚える。
「それほどのもんという事じゃ」
小太郎は姿勢を戻すと、一度台の上に置いた霊樹の苗木の方へ顔を向けて、再び真希へ視線を戻した。
「で、かなり話がそれたが、ともかくこの苗木を蘇らせる方法はあるゆう事じゃ」
「でも、それって禁術なんでしょ? 使える妖怪はほとんどいないって言ったじゃない」
「全くおらんとは言うておらんぞ」
「そうだけどさ。仮に使える妖怪がいるのだとしても、寿命縮むような術を使うとは思えないけど?」
霊樹が妖怪にとってどれくらい重要な物なのか分からないが、真希の考えでは命を投げ出せるほどに重要な物かどうかは怪しいものだ。
「そこじゃ。普通に禁術を行使すれば確かに寿命が縮んでしまう。じゃがな、それはあくまで自分の力だけで術を行使した場合じゃ」
「……どういう事?」
わざわざ言葉の一部を強調したのはそこが肝になるということなのだろうが、真希はまだ明確なイメージが浮かばない。
表情からそれを読み取ったのだろう。小太郎は続けて、
「お主はここに来る時に、飛天屋の輿の上に乗ってきたな?」
「うん」
「飛天屋がおらんかったら、自力で飛んで来ることになったじゃろう。じゃが、実際は飛天屋がおったおかげで、お主は自分で飛ぶという労力を払わずに済んだわけじゃ」
その例えで、真希はピンと来た。小太郎の説明を別な形に言い換えるなら、火を起こすためには木々を必死に擦り合わせるよりもマッチやライターを使った方が苦労しないという事になる。
「つまり、自分以外の力を利用する事で寿命が縮んだり死んだりする危険性を回避しようって事?」
「その通りじゃ」
小太郎は懐に手を差し入れると、一つの小瓶を引っ張り出した。三平の家でもらった、赤い粉末の入った小瓶である。
「これは儂の夢を達成させるために必要な道具の一つじゃ。材料を手に入れるのがなかなかに難しくての。まだそんなに量が無い。他の物も徐々に揃えてはいるが、量は似たり寄ったりじゃな」
小瓶を台の上において、小太郎は軽くそれを指で弾いた。透き通った高い音が真希の耳を打つ。
「それを使うと、寿命を減らさずに禁術が使えるの?」
「理論上はな。まあ、さらに術の効果を最小限に絞ってという条件付じゃがの」
「最小限に絞る?」
「普通は使えば一発で復活するんじゃが、それをやるとさすがに何を使っても寿命が縮む事は避けられんからな。中途に使っても中途に寿命が減ってしもうて意味が無い。やるなら死ぬ気でか、または影響無くを目指さねばならん」
一度で達成できる代わりに寿命を縮めるか、苦労して準備を整えながら徐々に蓄積していくか。それはどちらも大きな苦痛を伴う作業だ。
「ねえ。その効果を絞って術を使った場合、どのくらいでその霊樹は生き返るの?」
「ん。これも計算上じゃが――」
顎に手を当て、顔を斜め上に向けた小太郎はなんでもないような口調で、
「――大体千年くらいじゃな」
その年月を口にした。
瞬間、真希の周囲から音が消えた。続く小太郎の声が、一切耳に届かなくなる。
「千……年……?」
真希の顔が凍り付く。
その途方も無い年数に、彼女は強いショックを受けた。三平と話していた時に無意識に閉じた蓋が、その衝撃で開けられてしまう。
――『人と妖怪の寿命をぉ、同列に考えちゃぁいけないよぅ』
鴉天狗の寿命は三千年。千年はその三分の一だ。これを人間の寿命で考えると、大体三十年という事になるだろうか。
――違う。
比率の上では同じ計算だが、片や残り二千年。片や残りおおよそ六十年。これが同列なはずは無い。
――だから、あたしじゃ――
小太郎の語った夢は、決して真希には理解の出来ない、決して届く事のないものだ。真希が人間である以上、その夢の先を見ることは出来ない。例え、どんな奇跡が起きようとも。
「真希? どうしたんじゃ?」
「え……?」
いつの間にかうつむいていたのか、真希は顔を上げて小太郎を見た。お面に隠れて見えないはずなのに、困惑している様子がよく分かった。そして――
「なっ! おい真希どうしたんじゃいきなり!」
突然大きな声を上げて、小太郎は真希の顔に向かって手を伸ばし、ビクリと動きを止めた。真希は映心の時の経験で躊躇したのだろうかと考えたが、
「……あ、れ?」
視界が急に滲み、頬を何かが伝う感触があったので真希は自分で手を伸ばした。指先が湿り気を帯びる。少し離して見てみると、水滴に濡れていた。
「あたし、なんで、泣い……て……」
そこが限界だった。ぎゅっと胸を締め付けられるような感じを覚え、
「うぅ……ぁ……」
真希は嗚咽を漏らしながら自分を強く抱き締める。身体が前に倒れ、涙の雫が床に跳ねた。
「な、な、何事じゃあ! 真希ぃ! おいしっかりせい! 真希!」
大慌てになった小太郎が真希の身体を揺するが、その嗚咽は止まらない。
――駄目……なんだ。あたしじゃあ、駄目なんだ。
妖怪の住処へ来て、それなりの時間を小太郎と一緒に歩いてきた。隣を歩いている気になっていた。
けれど違う。隣を歩けていたのは、小太郎が真希の歩幅に合わせていたから。置いていかないように、彼が気を配っていたから。
真希の力じゃない。全部が全部、小太郎のおかげ。彼女は何もしてはいない。
その事実に気付いてしまった。千年という年月を、なんでもない事の様に語る彼を見て。三平が言った言葉を思い出して。気が付いてしまった。
――あたしじゃ、小太郎の隣を歩けない。
真希の嗚咽は止まらない。今までに感じたことのないほどの苦しさが胸を締め付け、その身を苛んでいた。