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婚約者は鴉天狗  作者: 天笠恭介
第三章 訪問・衝撃・妖怪の住処にて
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その3



 目を開いた時、最初に真希の目に飛び込んできたのは道だった。左右を青々とした木々に挟まれた、石畳の道。つい先ほどまであったはずの社は、跡形も無く消え失せていた。

 思わず背後を振り返ると、そこには潜ったものとは違う立派な鳥居がぽつんと立っており、緑の世界に唯一つの朱として存在していた。

 石畳の道は鳥居の向こうにも続いている。絶景はすでに無く、当然石段も存在しない。明らかにあの神社が存在した場所とは違う場所だった。唯一変わらぬものは青い空くらいなものである。


「ようこそ。我ら妖怪の住まう世界へ。歓迎いたしますよ。烏丸真希さん」


 声に反応して、真希は再び後ろへ振り返った。視線の先にはにっこりと笑う剛錬と、腕を組んで何となく得意そうな小太郎がいる。


「えっとここ、どこですか?」


 急激な変化に思考が追いつけなくなっていた真希は、反射的に質問を口にした。


「じゃけえ、妖怪の住んどる場所じゃと――」

「いやそうじゃなくて、物理的にここはどこなのかって事。だって明らかにさっきの神社とは別の場所じゃない」


 右手は生い茂る木々。左手もまた同じ。前方にはすぐそこで右に曲がる石畳の道。後方には鳥居と、彼方まで長く続く道。

 先ほども確認して、今改めて確認してもここにはそれしかない。


「あー……親父。どう説明すればいいんじゃ?」


 ポリポリとお面の頬をかいて、小太郎は隣に立つ剛錬に視線を向けた。

 話を振られた剛錬はふむとしばし黙考して、


「申し訳ありませんが、ここが具体的にどこなのかはお教えする事が出来ません。無論、真希さんを信用していないというわけではないのですが、ここには我々以外にも多くの妖怪が住んでいますので」


 何卒ご理解ください、とその大きな身体を曲げて真希に頭を下げた。


「いえ、あの、こちらこそ無遠慮な質問をしてすみませんでした」


 真希は自分の短慮さを恥じ、改めて自分が微妙な立場にいるのだと認識した。よくよく考えてみれば、ここは隠れ里のような扱いなのだろう。おいそれと所在を明かすわけにはいかないのは当然だ。

 真希が頭を下げると、剛錬は再び笑顔になって、


「分かって頂けたようで何よりです。……さて、私は少々準備がありますので、ここからは小太郎に案内をさせます。一通り見て回ったら我が家にお立ち寄り下さい。では、いったん私はこれにて」

「は?」


 真希がその言葉に驚いている間に、剛錬は豪快な音を立てて翼を生やしてあっという間に空に浮かび上がってどこかへ飛び去ってしまった。後にはキョトンとした顔で剛錬の飛び去った空を見る真希と、静かに佇む小太郎だけが残される。


「え? なにこれどうい――ちょっと、どこ行くのよ」


 状況を把握し損ねた真希は小太郎に説明を求めようとするが、当の小太郎は真希に背を向けてすでにスタスタと歩き始めていた。

 呼び掛けても止まる気配が無いので真希は慌ててその背中を追う。すぐに追いつき、横に並んだところでもう一度小太郎に疑問をぶつけようとしたが、


「親父が言うとったじゃろうが。ああ、具体的に言うとじゃな、お主には妖怪がどういった生活をしとるんかとか、どういったものがおるんかについてちっとばかし知ってもらおうと思うとる」


 小太郎は歩みを止めずに先の真希の質問に答えた。


「いや、それは分かってるんだけど……」


 小太郎の横を歩きながら、真希はきょろきょろと周囲を見回した。歩き始めてすぐに道なりに曲がってきたが、曲がった先は遠くまで道が続いているだけで景色に代わり映えが無い。


 ――想像してたのと大分違うなぁ。


 最初に剛錬の話を聞いた時、真希の頭の中ではもっとこうそれっぽい雰囲気の場所に有象無象の妖怪たちがあちらこちらで群れている光景が思い描かれていた。

 ところがいざ来てみるとまるで森の遊歩道が如きのどかさである。多少静か過ぎるのが不気味といえば不気味だが、それだって別に大した事ではない。


「なんじゃ。さっきから落ち着きが無いが、どうした?」

「え? あー、いやほら、ここって妖怪の住処なわけでしょ? 何かもっとこう、いかにもそれっぽい感じの所かと思ってたから」


 妖怪の住処が森や山というのはイメージ的には悪くはないが、どこか整備されているかのようなこの石畳の道は真希としては非常にイメージに合わない気がした。


「それっぽい、と言われてものう……」


 真希の言葉に歩きながら腕を組んだ小太郎は、しばし黙考した後に突然ポンと手を打った。


「ああ、もしや今儂らがおる所に妖怪たちが住んでおると思っておるのか?」

「え? 違うの?」

「いや、完全に間違いではないぞ。そうじゃな。結界の概念なんぞ説明したところで分からんじゃろうから、真希に分かり易いように言うとじゃな」


 歩きながら、小太郎は人さし指をピッと立て、真希に説明を始める。


「考え方としては、じゃ。今儂らのおる所は学校で言う廊下に当たる場所じゃと思えばええ」

「……廊下?」


 いきなり非日常の世界から日常の世界へ戻ったような、そんな錯覚を真希は覚えた。このどことも知れない場所が学校の廊下と言われてもピンと来ない。確かに余り広くない一本道は廊下と思えなくもないが、やはり違い過ぎる。


「あくまで真希と儂が確実に知っておるものに例えればじゃ。廊下の様なものじゃ言うたんは、もうちょいすれば理解出来るはずじゃ」

「ふうん……」


 話が飲み込めない真希だったが、とりあえず小太郎の言う事を信じてもう少し待ってみる事にした。それでも分からなければまた聞けばいいのだし、もう一度聞いてなお分からなければ――


 ――とりあえずは投げよう。


 そう納得し、真希は黙って小太郎と並んで道を進んで行った。


    ◇


「さて、この辺りじゃな」


 あの後五分ほど黙々と道なりに進んで来たところで、小太郎が突然足を止めた。それにわずかに遅れて真希も足を止め、先行した分だけズリズリと足を戻して横に並ぶ。


「相変わらず森しか見えないんだけど、何がこの辺りなの?」


 小太郎が立ち止まった場所は、歩き始めてからほとんど変化の見られない道の途中。ここから百メートル先に行ってから同じ事を言われても、やはり何も変わらないのではないかと真希は思う。

 そんな所だというのに、小太郎は真希の問いを無視して進行方向右手に生えている木に近寄ると、そっと手を触れた。途端、小太郎の手を中心として水の波紋のような物が広がりはじめ、景色が揺らいだ。


「あ……」


 それはここに来るときも見た光景だ。鳥居に囲まれた空間が同じように揺れていた様は、しっかりと真希の頭に残っている。


「さっき儂がこの道は廊下のようなものじゃと言うたじゃろう? つまり、この先は教室にあたるわけじゃな」


 言われて、真希の頭の中でいくつかのピースがかっちり合わさった。変わり映えのないこの景色の中には、おそらくここと同じように見えないけど存在する場所が他にもある。


「もしかして、妖怪の住処ってこんな風に個々に分かれてるの?」

「おう。大きさもまちまちじゃし、必ずしも一種族毎に分かれているわけではないがの。妖怪が住める場所も昔に比べてずいぶんと狭くなってしまったそうでな。結界で無理矢理領域を確保しとるんじゃ」


 真希には全く理屈が分からないが、どうもずいぶんと便利で凄いものなのだという事は分かった。

 空を飛ぶ時に使った見えなくなる札といい、ここに来るために使ったであろう不思議な仕掛けといい、妖怪たちの力は現代科学を軽く凌駕しているんじゃないかとすら思う。


「妖怪の力ってすごいのね……」

「何じゃ?」

「ううん」


 真希は小さく首を振り、


「それで、その先には何があるの?」

「ん? おう。この先には河童の住処がある。儂の生まれた時からの馴染みもおってな。そいつにちょいと用事があるんじゃ」


 どことなく楽しそうに、小太郎はこの先にある者についての説明を始めた。

 曰く、大沼を中心とした湿地帯の領域で、他種族用に桟橋が用意されているらしいとの事だった。基本的に河童族は人間との共存を望む者が多いのだと言う。


「まあ実際に会う方が理解も早いじゃろう。他にもいくつか回る場所もあるけえ、とっとと行くか」


 小太郎は再び先の木の前に立ち、そっと左手で触れる。途端に波紋が広がり、景色が揺らぎ始めた。


「真希」


 小太郎が真希に向かって右手を差し出してきた。だが何の意味があって差し出された手なのか分からず、真希は反応に戸惑う。


「ここへ来る時は親父の札があったが、基本的に今の真希では一人で結界を渡る事が出来ん。じゃから、儂が手を引いて渡らねばならんのじゃ。いわば儂が札の代わりという事じゃな」

「あ、そうなんだ」


 とても単純な事実に納得して、真希は小太郎の手を取ろうと左手を伸ばし――固まった。


「……何じゃ? どうした真希」


 固まった真希見て、小太郎が不思議そうな声を出した。ただ手を取るだけだというのに何を躊躇しているのかと思っているのだろう。


 ――あたし、男の子と手を繋ぐのっていつ以来だっけ。


 特に潔癖に生きて来たつもりはないが、真希はあまり男子と直接触れ合う機会を経験して来なかった。

 中学時代には誰かと付き合った事もあるが、付き合った相手はかなり奥手で、そういう雰囲気を経験する事なく自然に別れてしまっている。

 だからなのか、今ここに来て小太郎の手を取る事が何故か恥ずかしい。別に特別な事ではない。握手のようなものと頭で考えていても、どうしても手が先へ動かない。


「えっと、どうしても手をつながないと駄目?」

「……儂の話を聞いておったか?」

「いや、うん、そうなんだけどね」


 頭の中がぐるぐる回って、視界までぐるぐる回っているかのような錯覚を覚える。


 ――落ち着け。落ち着けあたし。こんなの普通の事よ。


 必死にそう言い聞かせて心を落ち着かせようとするが、一向に真希の気持ちは収まらない。

 半ばパニックになりかけたところで、


「よう分からんが、ほれ」

「あ……」


 途中まで伸ばされていた真希の手を、小太郎がひょいとつかんだ。その瞬間、真希の中でぐるぐると回っていたものが全て吹き飛び、直後に顔の温度が急上昇したのを感じる。


「行くぞ」

「…………うん」


 真希の目の前で小太郎の左手がズプリと揺らぐ景色の中に入って行き、そのまま腕から全身を沈めるようにして進んで行く。やがて小太郎の身体はほとんどが見えなくなり、唯一真希と繋がる右手だけが残っていた。

 そこだけ見ると実に猟奇的な光景だが、掴まれた手に真希は小太郎の確かな存在を感じていた。紅潮した顔は、すでに元に戻っている。

 真希にとっては幸いな事に、手をつかんですぐに小太郎は前に向き直っていたため、紅潮した顔を見られる事はなかった。だが、もし見られていたのなら彼はいったいどんな反応をしたのだろうかと真希は思う。

 ただ首を傾げただろうか。慌てて顔をそらしただろうか。それとも――


 ――……馬鹿らしい。


 自分の考えを自分で笑って振り払う。そうしている間にも真希の手はぐいぐいと引かれ、やがて彼女も揺らぐ景色の向こうへと消えて行った。



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