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婚約者は鴉天狗  作者: 天笠恭介
第三章 訪問・衝撃・妖怪の住処にて
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その2



「お久しぶりです。真希さん」


 校門を出た所で、真希は髭もじゃでスーツ姿の巨漢――剛錬の出迎えを受けた。

 その姿は非常に特異であるため、通りがかる人々がその重厚な存在感に一瞬目を奪われ、しかしすぐさま視線をそらしてそそくさに立ち去っていく。


 ――別に怖い人じゃないんだけどなぁ。


 小太郎に比べればずいぶんと普通の格好をしている剛錬だが、やはりその熊の如き体躯をスーツが覆っている姿は、良い意味でも悪い意味でも目立つのだろう。


「本日は無理を言ってお付き合い頂き、真に申し訳ありませんでした」


 深々と、剛錬が真希に頭を下げてくる。

 大男に頭を下げられる女子高生と言うのは世間的に見てどう映るのだろうか。真希はそんな事を考えつつ、


「いえ、別に無理ってわけじゃないですよ。今日は特に用事もありませんでしたし」

「ほうじゃ。本人がええと言うておるんじゃ。何も問題は無い」

「それ、あんたが胸張って言う台詞じゃないから」


 ありがとうございますと謝罪を感謝の言葉に言い直して、剛錬は背筋を伸ばした。

 実直な人だなと真希は思う。


 ――ああ、人っていうか妖怪だっけ。


 ともすれば、彼らが妖怪であることを忘れてしまう。それくらいに、真希にとっての妖怪というものは人間とあまり変わりがないものだった。


「それで、あの、結局今日はどういった用事なんですか?」

「はい。実は、今日は真希さんに我らの住処を見て頂きたいと思いまして」

「……それってつまり、剛錬さんのお宅にお邪魔になるという事ですか?」


 住処を見ると聞いて、真希が真っ先に思いついたのがそれだった。考えて見れば、この鴉天狗の親子が真希の家に来る事はあっても真希が相手の家に行く事は今まで一度もなかった。

 そう思うと俄然興味が湧いてくる。よもやごく普通の人間と同じ家に住んでいるわけではあるまい。


「はい。ああ、いえ、そちらも是非ご覧頂きたいですが、本当の目的は、我ら『妖怪が住処としている場所を見て頂く事』です。無論、場所だけではなくそこに住む妖怪たちも含めて」

「……え?」


 真希はその言葉を上手く飲み込む事が出来ず、微妙な顔を作ってしまった。どうも最初に考えた内容とはズレが生じているようだと今一度剛錬の言葉を反芻する。


「……えーっと、つまり今からあたしは剛錬さんや小太郎が普段生活している、他の妖怪たちも暮らしている場所に行くって事ですか?」

「ご理解頂けたようで幸いです」


 どうもそういう事らしい。自分で言っておいて、真希はこれから見るであろう光景を想像してちょっとの間固まってしまった。

 その隣で小太郎は欠伸でもしたのだろう。ちょっと顔を上に向けて右手をお面の前にかざし、わずかな間小刻みに震えていた。


「ともかく、少し移動しなければなりません。もうしばらくで足が参りますので少々お待ちを」


 剛錬に言われて大人しく少し待っていると、真希の前に一台のタクシーがやって来た。促がされるままに乗り込み、移動すること約一時間。真希の住む町を離れ、タクシーはとある峠道の途中で停車した。


「車ではここまでです」


 助手席にどうやって収まっているのか乗り込むときから不思議だった剛錬が、タクシーの運転手に運賃を支払いながら真希に降りる様に促がしてきた。小太郎はさっさと降りてしまっていたので、真希も言われるままにタクシーを降りる。そして――


「うっわー……」


 降りた先、本来なら山の斜面があるだけの所に年代を感じさせる苔むした長大な石段がある事に気が付いた。百や二百では済まないその石段を目で登っていくと、遥か上のほうに鳥居のようなものの一部が見える。何となく、いや、確信的に嫌な予感がしたが、それでも真希はあえて疑問を口にした。


「登るんですか?」

「当然じゃ」


 真希の問いに、剛錬ではなく何故か小太郎が答える。そしてそのままトントンと石段を登り始めてしまった。女の子の扱い方を全く理解していないようである。

 小太郎に優しい言葉を求めても仕方が無い事だと真希自身分かっていたが、それならそれでまた別の言い方というか、何かがあるだろうと不満に思ってしまう。


 ――こう、やる気を起こさせる様な――

「なんじゃ真希。この程度の石段を登る事も出来んわけじゃなかろう?」


 石段の途中で振り返り、小太郎が文字通り真希を見下ろしながら安い挑発を仕掛けてきた。これが小太郎ではない別の誰かのものであれば余裕を持って受け流せたところだが、


「……言ってくれるじゃない」


 真希は進んでその挑発に乗る。長大な石段を前に、弱気になっていた気持ちを奮い起こすために。


「登ってやるわ。石段の二百や三百、登りきってやろうじゃない」


 肩を怒らせながら真希はさっさと小太郎を追い抜き、ズンズン石段を登っていく。


「そんな調子で登ると、後で崩れるぞ」


 真希の背後からそんな忠告が飛んできた。だが、真希は登る速度を緩めない。


「ふん。あたしをそこらの女子高生と同列に考えない方がいいわよ。これでも結構鍛えてるんだから」


 祖父に習った武術の基礎訓練は、毎日欠かさず行っている。部活にこそ入っていないが、真希は体力においては運動部にも負けていないという自負があった。


「なら、いいんじゃがのう」


 小太郎の声は明らかに信じていないものだった。それがますます真希を奮い立たせる。


「少なくとも、飛ばないあんたには負けないわ。あ、そういえば飛んでる時の勝負もあたしの勝ちだったわね」


 真希はさっき見下ろされた仕返しとばかりにくるりと小太郎へ振り返り、若干胸をのけぞらせながら勝ち誇った笑みを浮かべた。

 カチン、と聞こえるはずの無い音が聞こえ、


「ほほう……あのまぐれ勝ちをひけらかすか」


 小太郎がずんと重い一歩を踏み出してきた。そのまま真希と同じ高さまで登り、横に並ぶ。その行為の理由は互いに理解していた。


「ここから始めようかの」

「勝敗はどちらが先にこの石段を登り切ってあの鳥居を通過するかでいいのよね?」

「無論じゃ。それと、妨害は無しじゃ。あくまで上だけを目指す」

「上等じゃない」


 真希と小太郎は同時に背後を振り返り、黙って後に続いていた剛錬にそれぞれ荷物を差し出した。


「すみませんがお願いします」

「親父、頼む」


 急に荷物を差し出された剛錬は、やや戸惑いの表情を浮かべながらも何か納得したような笑みを浮かべ、黙って荷物を受け取った。


「せっかくですから私が開始の合図を請け負いましょう」


 その言葉に真希も小太郎も無言で頷き、一度互いに睨み付け合った後、ただ頂上のみに狙いを定めた。


「では参ります」


 真希の背後で剛錬が大きく息を吸い込む音が聞こえて来る。一拍の時間を置いて――


「始めぃ!!」


 轟雷の如き爆音が背中を押し、周囲の木々から鳥たちが一斉に飛び立つ様を合図に真希は一気に石段を駆け上り始めた。すぐ隣には同じように駆け上る小太郎の姿がある。

 ほんの一瞬その横顔を確認した後、真希は視線を前に戻してひたすらに遥か頂上を目指す。

 石段の一つ一つはそこまで高くない。真希は序盤から一段飛ばして駆け上がっていた。


 ――今度も勝たせてもらおうじゃない。


 一段飛ばしをキープしたまま、真希は再びちらりと隣を流し見る。すると、半身ほど遅れて小太郎が同じように一段飛ばして駆け登っていた。つまり現状は真希の一歩リードである。

 平地では身長による足の長さ、歩数や歩幅で真希が圧倒的に不利だが、こと石段登りではそのメリットはかなり薄まる。むしろ小太郎と比較して小柄で軽いはずの真希の方に分があるといっていい。


 ――体力で負けない限り、あたしの勝ちは揺るが無い!


 登り始めておおよそ三分。そろそろ頂上が近い。真希はここでスパートをかけて一気に小太郎を引き離そうとするが――


「ここらでいいじゃろう」


 すぐ隣でそんな声が聞こえたかと思うと、真希の視界の左側に突然小太郎の姿が映り始めた。前を向いた状態で視界に映るという事は、完全に追い抜かれているという事に他ならない。


「え……?」


 真希が驚いているうちに小太郎はぐんぐん真希を引き離していき、さっさと頂上に到達してしまった。その数秒後に真希が頂上に達した時には、小太郎はすでに真希から見て左側の鳥居の柱に寄りかかっていた。

 最後の最後で呼吸を乱してしまったため、真希は荒い息を吐きながら小太郎とは反対側の柱に手を付き、深呼吸をして息を整える。吹き出てきた汗をハンカチで拭い、わずかに肩で息をしながら小太郎を見れば、


「儂の勝ちじゃのう」


 おそらく思いっきりニヤニヤしながら、全く呼吸を乱す事なく真希を見返してきた。

 どう見ても完敗である。


「あんた……なんで全然、疲れてないのよ」

「そりゃあ、妖怪と人間の体力を比べること自体間違いじゃろ」

「っ……。そう。じゃあやる前から、あたしの負けは……決まっていたのね」


 体力で負けなければという前提は最初から成り立っていなかったという事だ。


「さすがに二回も負けるわけにはいかんからのう。前回の勝負は真希が幸運じゃったが、今回は儂の力を見誤った事が不運じゃな。運も実力の内、なんじゃろう?」


 前回の競争の時に言った言葉を、真希は見事に返されてしまった。悔しさがこみ上げるが、同時にどこか晴れ晴れとした気分にもなる。


「そうね。今回はあたしの負けだわ。でも、これで一勝一敗。五分と五分よ」


 完全に呼吸を整え、真希は勝気な表情で小太郎を見据えた。それに対し、


「ふん。相変わらず強気じゃのう。まあ、三回目の勝負はいずれまた機会が巡ってくるじゃろう。それで雌雄を決するとするかのう」


 小太郎は両出を組み、真っ向から真希の視線を受け止める。

 二人の間を緩やかな風が通り過ぎ、木々がさわさわとざわめいた。


 そんな静かに流れていく時を、獣の唸り声が破壊する。

 その直後、真希は頬を赤く染めてうつむき、


「ん? 何じゃ今の唸り声は。ここらに猛獣はおらんはずじゃが」


 小太郎はきょろきょろと辺りを見回し出す。


「真希。お主も聞い――何じゃ? 具合でも悪くなったか?」

「え? ああいやそうじゃなく――」 


 顔を上げた真希の言葉を遮るように、二度目の唸り声。小太郎の視線が真希の腹部に集中する。


「……そういえば、昼を取っておらんかったのう」


 多分、苦笑いをしているなと思いつつ、


「うん。実は今、すごいお腹減ってる」


 真希は正直に自分の状態を相手に伝えた。乙女の見栄が無いわけではないが、盛大に腹の虫を聞かれてしまった以上は取り繕う意味が無い。最早開き直りだった


「では、ここでお昼にいたしましょう」

「わっ!」

「おう、親父か」


 突然ぬっと湧いて出た巨漢に、真希は思わずビクリと身体を反応させてしまった。


「おや? 驚かせてしまいましたか」


 少し申し訳無さそうな視線を向けてきたのは剛錬だった。いつの間にか追い付いて来ていたらしい。


「あ、その、すいません。いきなりだったので」

「いえいえ。大丈夫です。さて、では改めて、お昼にいたしましょう」


 言って、剛錬はひょいとその体躯に似つかわしい、けれど可愛らしくもある大きなバスケットを持ち上げた。お茶もありますと、これもまた大きな水筒を持っている。


「自信作の弁当です。いかがですかな?」


 パカリと開けられたその中身は、ぎっしり並んだ握り飯と、大根やきゅうりの漬物だった。海苔の香りがふわりと広がり、三度真希のお腹が唸りをあげる。


「……頂きます」

「あ、儂も食うぞ」


 全員石段の最上段に腰掛け、真希は剛錬の作った定番の梅干握りを食べる。高い場所からの絶景を眺めつつの昼食は、非常に気分がよかった。

 すっかり昼食を平らげると、


「ではそろそろ目的の場所へ向かいましょう」


 空になったバスケットと水筒を社の中に置いて戻った剛錬が、今回の遠出の目的を改めて口にした。


「そういえばこの神社まで来たのは何故なんですか?」


 石段での競争に加え、のほほんと昼食を取っていたために忘れていたが、ここへ来たのは妖怪の住処へ赴くためだ。

 しかしいくら寂れて人気のない神社とはいえ、ここが妖怪の住処という事はないだろうと真希は思っていた。それは今の剛錬の言葉でも証明される。


「それは今からご説明します。あ、真希さんの荷物は社の方へ隠してありますので、帰る時に回収いたしましょう」


 そう付け加えて、剛錬は鳥居の柱になにやら札をぺたりと貼り始めた。左右二本の柱に一枚ずつ貼り付け終えると、


「あれ?」


 真希の目の前で、鳥居に囲まれた空間がゆらゆらと揺らぎ始めた。錯覚かと目を擦り、改めて観察してみても揺らぎは収まっていない。


「えっと……?」


 何が起こっているかわからずに真希が混乱していると、


「親父。儂は先に行っているぞ」


 言うや否や、小太郎は揺らいだ空間を持つ鳥居をスッと潜って――消えた。


「はい?」


 真希は思わず鳥居に駆け寄り、まじまじと向こう側を見る。揺らぐ空間のせいでウネウネと揺れる社は見えるが、たった今鳥居を潜ったはずの小太郎の姿が無い。一瞬にして消え失せてしまっていた。


「真希さんもどうぞ。安全は保障します」


 脇に立つ剛錬が手で鳥居を示している。つまりは小太郎のように潜れという事なのだろう、と真希は理解した。


 ――うーん……


 試しにと真希は恐る恐る手を伸ばして、揺らいだ空間に触れる。ちょうど水に触れているかのような微妙な感触だ。もちろん水ではないので濡れはしない。

 しばし考えて、真希は方針を決めた。数回深呼吸をし、ぎゅっと目をつぶって一息に鳥居を潜る。水に飛び込んだような感覚を味わった後、真希の目はまぶた越しの白い光に包まれた。




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