その1
小太郎が真希の学校に編入生としてやって来てから、あっという間に丸一週間とちょっとが経過した。当初こそその奇抜な様相から多少敬遠されたりもしたものだったが、三日目辺りにはごく普通にクラスに溶け込んでいた。
生来の明るさしかり、意外にも勉強が出来た事も要因だろうか、と真希は思う。
知らぬ間にクラスの男子連中に宿題を見せていたりするのだから、クラスでの確固たる地位を確立させるのも時間の問題だろう。
「小太郎君、ずいぶんとクラスに馴染んできたよね」
授業の合間の短い休み時間。真希は十和子とともに隣の席に座る小太郎を観察していた。彼の周りには数人のクラスメイト。全員がノートを持っており、小太郎が何か言う度にちょこちょこ書き込みをしている。
「最初はどうなることかと思ったけどね。まあ、付き合ってみれば悪い奴じゃない事は分かるし、外見の奇抜さに慣れちゃえばただの一生徒よ」
「小太郎君って豪快な性格をしてるからねー。兄貴分って感じで、そのうち人気が出てくると思うよ。最近はそういった男の子が少ないから」
十和子の言葉に真希は概ね同意した。ただ後で付け加えられた「うかうかしていられないんじゃない?」という言葉には、さっぱり意味が分からないと返しておく。
確かに小太郎はわずかの間に学校の中に溶け込もうとしている。それは先の彼自身の性格などによるものの他に、人里へ来る上での最低限必要な知識を予め覚えていた事も一因だろう。
それこそ物語でよくありそうな一般常識に欠けるキャラが暴れ回るという展開も予想出来たのだが、小太郎はせいぜい一昔前の人といったところか。
それでも一部、一昔どころかどこの時代の人だと突っ込みたくなる面があったりもするが、基本的な学校社会の仕組みは理解しているし、一般人の金銭感覚も持っている。真希はおそらく剛錬が仕込んだのだろうと納得していた。
結果、真希や十和子のフォローも最低限で済んでいるので最初に思っていたほどの苦労は無い。
そんな事を考えているうちに予鈴が鳴り、時間に正確な白衣の科学教師が直後に教室の中に入ってきた。
「あ、じゃあ私、席に戻るね」
「うん」
十和子以外の席を離れていた生徒もそれぞれ自分の席へと戻り、それを確認してから科学の教師は授業を始めた。
授業が始まってしばらくしてから、真希はちらりと横目で小太郎の様子を探ってみる。教師が板書を行う度に小太郎は結構な速さでノートにそれを書き留めていく。
何度かそのノートを見せてもらった事があるが、恐ろしく綺麗な字が書いてあった。あれだけの速度でどうやって綺麗に文字を書いているのかと不思議に思ったものである。
「――では、教科書の七十八ページを開け」
教師の声に反応して、教室内で一斉に紙を擦る騒音が巻き起こる。小太郎もまた教師の指示通りに教科書をめくっていた。
小太郎はすでに自分の教科書を手に入れているので、いつかのように二人で教科書を共有するようなことはもうない。それが何故かちょっとだけ寂しいと思い、そう思った直後に真希は首を振った。
――なんでそんな事考えてんのよ。
自分で自分に突っ込みを入れ、小さく深呼吸をする。それでも何かもやもやした物が胸のうちに残っているようで釈然としなかった。
どことなく悶々としたまま真希は授業を流し気味にこなし、気が付けば全ての授業が終わっていた。土曜授業なので午前中のみという事もあり、各々寄り道談義に部活の用意にと騒がしい。
真希は特に約束も無く、また部活にも入っていない。帰り支度を整えるために黙々と手持ち鞄に教科書を突っ込んでいると、
「真希。ちょっと構わんか?」
「何?」
隣で同じ様に帰り支度をしていたはずの小太郎が真希に話しかけて来た。前時代的な格好に不釣合いなスポーツバッグを肩に下げて突っ立っている彼は、何となく緊張しているような様子である。
「あー、その、じゃな。よければ、今日この後ちと付きおうてくれんか?」
「……へ?」
小太郎の言葉に、真希の思考が一瞬凍りついた。だがそれはすぐに融解し、彼女がどういう事かと聞き返そうとして、
「なになになに? デートのお誘い?」
耳聡く聞き付けてきた十和子の言葉に邪魔されてしまった。その手には何を書くつもりか、彼女の標準装備であるメモ帳とペンがある。
「……『でーと』とは何じゃ? 儂は単に付きおうて欲しいと言っただけじゃが」
「まさにそれだよー小太郎君。男の子がー、女の子にもがもが……」
腕を組んで首を傾げた小太郎に、ビシッとペン先を突き付けて説明しようとした十和子の口を、真希は左手を伸ばして塞いだ。
「真希?」
「ああ、いいのいいの。気にしないで。この子、たまに暴走するから」
「もがー!」
十和子が不服を現すように両手を上に挙げて睨みつけてきたが、仕草の可愛いさで眼力が半減しており全く恐くない。
「まあ、で、付き合って欲しいってのはつまり、あんたの用事に付きあって欲しいって事?」
思考停止直後は飲み込めなかったが、ちょっと落ち着いて考えれば簡単な事だった。
小太郎の口からデートの誘い等出るはずがないのだから、つまりは用事に付き合ってくれと言う意味での発言だろうと、真希は当たりを付けたのだ。
――不覚にもちょっとびっくりしたけどね。
真希の言葉に対して、小太郎は変わらず不思議そうな感じだった。自分の言った言葉がそれ以外の意味を持つとは考えていないのだろう。
この調子ではきっと、異性にドギマギした経験など無いに違いない。
「で、結局どっちなんじゃ? 付きおうてくれるのか、くれないのか」
「いいわよ。別に、これといって用事もないし」
「もが……ぷはっ。私も、私もついて行っていい?」
真希の手を振りほどき、十和子が期待の視線を小太郎に向ける。だが――
「……あー、すまん。今日付きおうて欲しいのはちょっと特別な用事での」
お面の表面をポリポリとかきながら、小太郎が申し訳無さそうな声を出した。真希は何故彼がそんな事を言うのか分からなかったが、十和子にはそれだけで伝わったようで、
「そっかー。残念だけど、そっちの話じゃ私は無理だねー」
彼女は残念そうにシュンと肩を落とした。
――ああ、そういうことか。
十和子の言葉を受けて、真希はようやく小太郎の特別の意味を察した。落ち着いて考えてみればそれ以外にはあり得ない事だ。
「うむ。邪険にしてすまんのう」
「ううん。しょうがないよー。私が知ってるのはそちら側にとっては完全にイレギュラー。間違いだもん」
あの屋上での一件で十和子に小太郎の翼を見られてしまった結果、彼女は部外者でありながら妖怪という存在を知る人間になった。もちろん部外者に知られたという事実は真希の両親にも剛錬にも隠してある。
ばれたら非常にややこしい事になりかねないので十和子にも慎重な対応を求めてあり、あっさり引き下がったのはそういう理由からだ。
「じゃあ今日はこれでー」
バイバイと手を振って、真希の席を離れた十和子は自分の席に放置してあったカバンを手に教室を出て行った。
手を振り返していた真希はその姿が見えなくなると同時に、
「それで、どこに付き合えばいいの?」
改めて小太郎に尋ねた。
「おう。とりあえず、ここを出ようかの。外で親父が待っとるはずじゃけえ」
「剛錬さんが?」
その言葉に真希は首を傾げた。だが、たった今一つだけ確信したことがある。それはこれが本当にデートのデの字もない用事だということだ。
――いやいや、だから分かってたって。
心の片隅で、ほんのわずかに残念な気持ちを抱いた真希は、そんな自分に盛大な突込みを入れておいた。




