緑の指輪
死への恐怖から、僕は極端に臆病だった。
高校を卒業し、特に目標もないのでフリーターとなった僕だったが、毎日働いては食いつなぐ様な人生には、ほとほと嫌気がさしていた。しかしながら、生きているという感覚だけは僕にとって最も安心できる感覚だった。死ぬのはこわい。何が待ち受けているのか分からないし、たぶん感覚すらもない、永遠の時間。その闇のなかに放り込まれることは、死ぬ際に受ける果てのないであろう痛みよりも、たぶんずっとこわい。
そんな僕だが、最近になって妙な広告を見ることが多くなった。疲れた体で家に帰り、バイト先で買ったカップラーメンをすすりながらホイールを転がすと、たまに見る、あの広告。
「100万円でリレイズかけます。」
リレイズっていうのは、たぶんあの某ゲームの魔法のことなんだと思う。そのゲームでは、リレイズをかけられた人間は、一度死んでもすぐに生き返ることが出来る。それにしても、なんて無粋な広告なんだ。そんなことは出来るわけがないのに、堂々と広告しやがって。
そんな感情を抱きながら、たまに見るようになってから少しずつ僕の中には興味がめばえていた。とくに生き返りたい願望なんてないし、死にそうな職業についているわけでもない。でも考えてみると、死なない保障が100万円で買えるなんて、破格だとおもう。もしホントウにリレイズをかけてもらえるのだったら、この100万円は、払っておくべきだと思う。
僕はそんなことを考えながら、ついには広告をクリックしてしまった。疲れていたんだと思う。いろいろに。
広告の先はとても簡素な申し込みフォームだった。お試しサービス・料金後払い制とあり、1度死ぬまでは支払う必要はない、とある。つまり、1度死んだときに生き返れば、100万円を払えばいいのである。死んだあとの自分の貯金なんてそもそも、どうやっても使えないのだから100万円払って生き返るほうが、絶対イイ。僕はそう思って、そのつたない申し込みフォームに書き込んだ。住所だけ。名前とかいろいろを書くと、後々面倒なことになりそうだ。いや、思えば、住所もそうだったか?送信ボタンを押した後に思いかえって、すこしコワい思いをする。
そんなことをしている間に、僕は眠りに落ちた。あまりに短時間の、いたずらのようなコトだっただけに、次の日にはそんなことをしたことを一時的に忘れてしまっていた。しかし驚くことに、狭い1Kの玄関に行くと、封筒が入っていた。中に紙以外が入っているのか、少し重たい。
何気なく封筒をあけると、青色の細い指輪が入っていて、小さい名刺サイズのメモが入っていた。
【この指輪を付けると リレイズが掛かっていることを確認できます 掛かっているときは緑色になります】
何処で調べたのか、僕の指にピタリとあうその指輪は、指につけたとたんに緑色に変色した。僕はいたずらにも程があると思ったが、これがもし、ホントウに僕だけに反応する指輪だったのなら、もしかしたら、ホントウにリレイズが掛かっているのかもしれない。特に体調に変化はないし、玄関の鍵もかかっている。だれかが忍び込んだ形跡なんてない。
僕は指輪が本当のものなのか確かめる意味も込めて、バイト先のコンビニのアカネさんにつけてもらおうかと思う。僕は指輪を外して、街に出た。
コンビニにつくと、もうアカネさんが入っている。交代したばかりのシゲさんがカップラーメンを買っていた。アカネさんに指輪をつけてもらうっていうのもヘンな話だ。ちょっと恥ずかしい。年のころも近いし、何か勘違いされるんじゃないかと思って、シゲさんにつけてもらおうかな、と思う。レジが終わったシゲさんに、ちょっと手招きをして事務所に入った。
「シゲさん、この指輪をためしにつけてもらえませんか」
シゲさんは基本ノリのいい人だ。年齢は僕よりもひとまわり上だが、お、プロポーズか、なんて笑いながら指輪を付けてくれた。青色の指輪が、緑色に変化すれば、この指輪はだれにつけても緑色に変化するただの指輪だ、って分かるわけだ。
しかし、指輪は緑色じゃなく、赤色に変化した。
「え――――」
僕は唖然とした。ということは、僕には本当になんらかの魔術がかかっているのか?すこし動揺しながらも、色の変わったことに気づかないシゲさんから指輪を返してもらう。少し僕より指が太いのか、取るのにすこしかかった。
ひとりだけじゃ、まだまだわからない。すこし気は引けるが、アカネさんに時間があるときにつけてもらって、もう一度だけ確かめたい。本当に僕に蘇生魔法が掛かっているのかどうかを。バイト中のアクセは基本ご法度だから、終わってからか、ウォークインに引けているときに話してみようと思う。
バイトに入って4時間が経ち、あと2時間で終わるという頃。この時間帯が一番疲労感のある時間だ。アカネさんは僕と同じくらいのタイミングではいっているが、この4時間で抜けて交代することになっている。アカネさんを引き継ぐのはシゲさん。といっても、こっちのシゲさんは、さっきのシゲさんとは違う人で、たまたま同じ名前の人が入っているのだ。こっちのシゲさんはどちらかというと無愛想で扱いにくい人。だから俺はあんまりかかわりたくないというのがあるのだが、あと2時間はいずれ付き合わないといけない。その前にアカネさんに指輪をつけてもらおう。
事務室に入ったアカネさんを追って、客の居ないフロアからドアを開けた。
アカネさんは制服を着替えている最中だった。
「アカネさん」
僕はこの指輪をつけて欲しいと頼むと、アカネさんは少し恥ずかしそうになりながらその指輪を見て、固まってしまった。
「え コレって」
なんと、アカネさんはこの指輪のイミを知っていたのである。アカネさんはすっと指につけてみせると、指輪は緑色に変化した。
「いつかけてもらったの?」
聞くアカネさんに、つい昨日のことだと言うと、アカネさんは笑った。かなりの親近感を覚えたのか、バッグから自分の指輪を取り出すアカネさん。指輪を受け取ってつけるとやはり、緑色に変化する。
アカネさんにもリレイズがかかっている。つまり、このリレイズがホントウかどうか、互いに確かめ合うことが出来るのである。どのくらいのタイミングで生き返ることが出来るのかはわからないが、なにかきっとイベントを経験しなければ、人が死ぬなんて事はない。僕はこのリレイズがホントウの魔術なのかもしれないと思い、すこし期待をした。とはいっても、この日本で、人が死ぬなんてコト、そうそうにない。もしあったとしたら、人なんて絶滅してるのだ。
僕は指輪を返してもらい、残りの二時間をシゲさん2と働いた。アカネさんが買ったカップラーメンはいつもと違う、細めんタイプ。好みが変わったのかな?それとも新商品は食べてみないと気がすまないタイプ?
2時間はあっという間に終わってしまう。僕もアカネさんのカップラーメンを買って、シゲさん2からおつりを受け取る。シゲさん2はこれから夜まで入っているので、まだまだ先は長いが、無口で無愛想だが比較的タフなひとなので、きっと大丈夫だ。
僕は次の日、コンビニに向かうと愕然とした。コンビニの周りにパトカーが何台も止まっている。黄色のテープが張り巡らされて、高校生の野次馬がたくさんたむろって居るのだ。