魔王を倒して五十年、今も変わらずあなたを愛している 〜あの時、言えなかったさよならの理由〜
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かつて世界を救った70歳の元勇者と、彼がすべてを捨てて選んだ幼なじみの妻を描いた、ほのぼの純愛短編です。
日常のちょっとした合間に、ほっと一息ついて心温まる時間を過ごしていただけたら嬉しいです。
※『魔王を倒して五十年、今も変わらず君に恋をしている 〜伝説の英雄夫婦は、今日も庭先でのんびりお茶を飲む〜』
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作中の妻視点でお送りいたします。
左手薬指の軽さに気づいたのは、朝のお茶を淹れようと茶葉をすくった瞬間だった。
いつもそこにあったはずの、小さくて、すこし無骨な銀の指輪がない。
「……嘘」
息が止まりそうになった。
台所を探し、エプロンのポケットを探し、着替えの引き出しをひっくり返したけれど、どこにも見当たらない。
歳をとって指が痩せてしまったせいだ。
大切なものを失くした申し訳なさと焦りで、胸がぎゅっと押し潰されそうになる。
あの指輪は、私にとってただの記念品ではない。
レオンがすべてを投げ打って私を選んでくれた――ふたりの絆の証なのだから。
――五十年前。
勇者として魔王を倒して帰還したレオンは、世界の誰もが知る英雄になっていた。
それと同時に、どこにでもいるただの村娘でしかなかった私の周りには、見えない「圧」が日増しに重くのしかかるようになった。
『身の程をお知りなさい』
『英雄様の隣に立つのは、世界を共に救った聖女様や、高貴な公爵令嬢様であるべきだ』
『王女と婚約すると聞いたぞ』
『あなたのような平民が隣にいては、レオン様の将来の足を引っ張ることになりますよ』
王国の使者や貴族たちからの、冷ややかな視線と含みのある言葉。
何より重かったのは、「レオンを愛しているなら、彼の輝かしい未来のために身を引くべきだ」という、正しいように思える理屈だった。
レオンには、口が裂けても言えなかった。
ただでさえ魔王討伐で心身ともに傷ついている彼に、こんなドロドロとした話を聞かせるわけにはいかない。
(私が身を引けば、レオンは立派な屋敷で、美しい聖女様と幸せになれるのかもしれない)
夜、何度も枕を濡らした。
彼を愛していればいるほど、「私が去らなければ」という思いは強くなっていった。
置き手紙を書き、荷物をまとめ、そっと彼の前から消えようとしたあの日。
異変に気づいたレオンは、なりふり構わず私を追いかけてきたのだ。
豪華な衣装も、王からの褒賞もすべて放り出して、汗だくになりながら私の手を握りしめた。
『俺にとっての聖女は、無事を祈って待っていてくれた君だけだ! 名誉も爵位もいらない、君のいない未来なんていらない!』
大声で叫んだ彼の姿を、私は生涯忘れない。
その後、彼は本当にすべての地位を辞退し、手元に残ったわずかなお金で、この小さな銀の指輪を買ってくれた。
レオンが私を一番に愛してくれていることは、痛いほど分かっている。
けれど……ふとした瞬間に、胸の奥で小さな迷いが顔を出すことがある。
(困った人を見過ごせない、誰にでも優しいレオンだから……。本当に、私なんかが勇者の妻でよかったのかしら)
聖女様のように魔法で誰かを救えるわけでもない。
高貴な方のように彼の名声を高められるわけでもない。
私が彼にしてあげられることなんて、毎朝お茶を淹れることくらいなのだから。
それでも。
不器用で、まっすぐで、誰にでも優しい彼が、私に注いでくれる深い愛だけは信じている。
「ねえ、レオン……実はね、ちょっと困ったことがあって」
意を決して指輪がないことを明かすと、レオンの表情が一瞬で変わった。
かつて世界を救ったあの鋭い眼光が宿り、「俺が必ず見つけてくる」と頼もしく立ち上がる。
「大丈夫だ。部屋で待っていてくれ」
そう言って、まるで大敵に挑むかのような背中で庭へと飛び出していく彼。
(ふふ……困っている人を見ると放っておけないのは、おじいちゃんになっても変わらないのね)
庭の草むらを真剣な顔で見つめる元勇者の背中を見つめながら、私は冷めかけたお茶を一口啜った。
◇
やがて空が茜色に染まり始めた頃。
庭の奥から、少し弾んだ足音が近づいてきた。
「エリス!」
縁側で待っていた私の前に、レオンが少し息を荒らせて戻ってきた。
その顔は、まるで宝物を見つけた少年のように輝いている。
「あったぞ、エリス」
レオンが大きな手のひらをそっと開くと、そこには夕日を受けてきらりと光る、小さな銀の指輪があった。
「ああ……よかった……!」
溢れ出しそうになる涙を堪えきれず、私は胸の前で手を合わせた。
レオンは私の前にそっと膝をつくと、五十年前と同じように丁寧な手つきで、私の薬指に指輪をはめ直してくれた。
「少し指が細くなって、緩くなったな。……新しいものを買い直そうか?」
「いいえ、これがいいの。……あなたがすべてを断って私を選んでくれた時の、世界で一番大切な指輪だもの」
そう答えると、レオンは愛おしそうに私の手をぎゅっと握りしめ、少し照れたように呟いた。
「五十年間、毎日見ているというのに……今でも君を見るたびに、胸が鳴って仕方がないんだ」
「ま、待ってレオン! 『胸が鳴る』って……ドクドク言っているの!? 息苦しさはない!?」
「ち、違う、エリス! そういう病気的な意味ではなくてだな……!」
「だめよ、急に不整脈でも出たらどうするの! 明日の朝は二人でちゃんと薬草茶を飲みましょうね」
慌てる私を見て、レオンは困ったように、けれど幸せそうに目を細めた。
魔法も使えない、特別な力もない私。
けれど、この人が愛してくれた「ただのエリス」として隣にいられることが、私の人生で最高の幸せだ。
すっかり暗くなった空に一番星が光る中、私は大好きな夫の肩にそっと頭を預け、冷めかけたお茶の続きをふたりで楽しんだ。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
50年連れ添ってもなお初恋のようにときめく夫と、真面目に不整脈を心配する妻のやり取りを、楽しんでいただけましたら幸いです。
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前作と合わせて掲載したかったのですが、やり方がわからず別々にアップしました^^;




