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精霊国物語

【精霊国物語番外編】思い違いの酒戦

作者: 夢野かなめ
掲載日:2026/05/18

「それで、ヨンム様の隊は今、どのような研究を進めているのですか?」


 しっとりと深みのある声が言った。


 手にしていた装置を卓の上に置き、ヨンムはゆっくりと顔を上げた。


 滴り落ちた夜露のような顔をしたエイスターが、それを見せつけるように笑みを深める。


「そうだね……ノノミから届く情報を基に潜水船の改善と、僕個人ではマリーエルが居ない場でも祓えの力を使えないか……つまり、疑似的な力を精霊石に込め、扱う装置を考えてる。後は、レティシア姉上の力も、どのように扱えば役立てることが出来るのか……。それには、国王対影隊の情報も必要になってくるけどね。いつも助かってるよ」


 ヨンムは、必要な情報だけを口にし「もうこれで満足だろう」という気持ちを込めてエイスターを見た。


 しかし、エイスターは何を考えているのか、笑みを浮かべたまま、今度は猛々しい雄牛のような体を見せつけるようにして腕を組んだ。


「成る程……。私にはヨンム様の行っている研究について深く理解することは叶いませんが、それが実用化されれば影や鬼に対するのも随分と楽になるでしょうね」


 言いながら、エイスターは勧めてもいないのに椅子に腰かけると、ヨンムの手元を見やり、そうして再びヨンムを見つめた。


「……何か、僕に用があるの? 喪失の谷での主だった作戦については、エイスター貴方に一任している筈だけど。報告書はひと通り目を通してあるし、聞き取りもしてる。特に異変もなく、これまで通りで良いと思うけど」


 ヨンムが言う間、エイスターはまるで雑談でもしているかのように楽しささえ滲ませていた。


 ──遣り辛いんだよな。僕相手にそう敵愾心(てきがいしん)を向けられても、争う場が違うだろうに。


 ヨンムは表面上では穏やかに見えるように意識しながら注意深く話し、そうしてエイスターの反応を待った。


 エイスターはゆっくりと腕を組みなおし、僅かに首を捻った。


「用という用はないですよ。ただ、話がしたいだけで」


 その答えを呑み込むのに、ヨンムは暫く黙り込んだ。


 エイスターはそれを愉快そうに見つめている。


「用がなければ話してはいけませんか? 今は、作業に集中しなければならない時でもないでしょう?」


 そこでやっとエイスターの言葉の意味を呑み込み、そうした上で意図を掴めなかったヨンムは、眉を寄せた。


「用がないのに話す……? 何について……?」


 心底疑問に思ったヨンムは、そう呟き、眉間の皺を深くした。その顔を見て、エイスターは思わずといった風に笑い声を漏らす。


「……いきなり、何なんだ? 僕はこの装置の点検をしたいんだけど」


 ひとしきり笑ったエイスターは、ひらひらと手を振ってから、非礼を詫び、まだうっすらと笑みを浮かべたまま前のめりになった。


 瞳の奥に真剣さを滲ませて言う。


「いえ、ヨンム様はつい最近までただお一人で研究を進めてらした。様々な機会に恵まれ、今はこうして我が国王対影隊と共に任を担っている。実際に話してみれば、想像していたよりもずっと話の通る方だということは理解出来ました。ですが、我等兵としては、まだひとつ貴方というものを捉えられていない」


 エイスターの言葉に、ヨンムはクッザールの言葉を思い返していた。


『好意的には受け入れられない』


 それはそうなのだろう、と観測所に居を移して暫く経った今、ヨンム自身もそう考えている。


 ──特に、会話を必要とはしていなかったけど。報告を受けて、指示を出す。僕の隊はそれでうまくいってるのに。


 黙り込んだヨンムに、エイスターはそこで悩むような顔をした。


「これは、ヨンム様を貶めようという訳でも、だからどうだというつもりもありません。そうですね……」


 エイスターは首を捻り、じっと視線を天井に向けると、顎を擦った。


「直接的な言い方をするなら、貴方との仲を深めたい……我々兵のやり方で。という所でしょうか」


「仲を深める……兵のやり方で」


 繰り返したヨンムは、じっと考え、ひとつ頷いた。


「判った。明日の鍛錬には僕も参加しよう。とは言っても、僕が扱えるのは弓──」


 あぁ、とヨンムの声に重なるようにして、エイスターは落胆の声を上げた。


「違います。違いますよ、ヨンム様。酒ですよ、酒」


「酒?」


 そこで、ヨンムの中で様々なことが繋がった。


 他の兄弟や見知った兵達は皆、やたらと酒を呑みたがる。


 最初こそ、真面目に任について、将来について話し合っているのに、大抵は話し合う必要のない内容へと変じていく。時にはどれだけ酒が呑めるかと競ったりもする。


 それなのに、何故か楽しそうに語り合い、酒を呑み交わす。


 ヨンムは、あの場が苦手だった。


 そんなことをするくらいなら、少しでも早く自室に戻り、研究を進めたい。


 そもそも、すぐに潰れるということはないが、酒は苦手だった。


 だが──。


「判った。酒戦だね。今夜でいいの?」


 ヨンムは、内心渋々ながらそう答えた。


 クッザールが言っていたこと、行ってきたこと、振る舞い、それらに考えを巡らせる。


 ──兵には、こういうことも必要。


 しかし、ヨンムが顔を向けると、エイスターはぽかんと口を開いていた。


 夜露のような顔も、間抜けに見えることがあるんだな、とヨンムはこっそりと思った。


「……どちらが多く呑めるかを競うんだよね? それとも、他に意味があるの?」


 ヨンムが訊くと、エイスターはハッと我に返り、緩く頭を振った。


「いえ……こうも簡単に承諾して頂けるとは思いませんでした。──では、今夜。楽しみにしています」


 そう言って、笑みを浮かべながら出ていったエイスターを見送ってから、ヨンムは様々な部品を詰めた箱から、幾つかの部品を取り出し、組み立て始めた。




 夜。


 観測所の広間は、妙な緊張感に包まれていた。


 一応は、通常の夕餉よりも豪華な宴の体を成しているが、皆食事も酒もそこそこに、ある一点に気を向けていた。


 真ん中に設えられた卓に、向かい合うようにして座るヨンムとエイスター。


 二人の顔を見比べ、兵達が固唾を吞んで見守っている。


「それじゃあ、酒比べを──」


「ちょっと待って」


 ヨンムは、足元に置いていた小箱からひとつの装置を出すと、卓の上に置き、装置から伸びる帯を腕に巻いた。


「先程から気になってはいましたが、何事ですか」


 エイスターの問いに、ヨンムは装置を起動しながら答える。


「これは酒の成分を分解する装置だよ。体内の水分に反応して影響を及ぼすんだ」


 その言葉に、エイスターは眉を(ひそ)める。


「実力で挑まねば、卑怯では?」


 思わず、といった風に口から出た言葉を訂正することなく、エイスターは不快さを隠すように笑みを浮かべ、問うような視線を向けた。


 それを静かに受け止め、ヨンムはうっすらと笑みを作った。


「実力というならば、僕にとってそれはこの頭脳だ。そもそも貴方は酒豪として知られている。一方で、僕はそれほど酒を呑む訳じゃない。同じ条件で勝負したところで、結果は見えてる。貴方だって、ただ僕をいたぶりたい訳ではないでしょう? これは、貴方の胃の腑と、僕の頭脳の競いだ」


 その言葉に、エイスターはニヤリとまるで獲物を狙う獣のような顔をした。


「いいでしょう。確かに、此度は貴方の〝研究〟というものが、どれ程のものかを皆に見せるにもいい機会でしょう。──では、始めましょうか」


 エイスターは目の前の杯を手に取った。


 それに倣うようにしてヨンムも杯を手に取り、掲げた。


 互いに頷き合い、くいと杯を呷る。


 喉がカッと熱くなり、ヨンムは久し振りに酒を味わった。


「流石に、一杯だけでどうにか……は、なりませんね。安心しました」


「当然だよ。この装置もあるからね」


 装置の中で精霊石が微かに光り、その力が体の中を巡っていくのが判る。


 ──単純に勝つことは無理でも、どうにか納得のいく決着をつけなくちゃならない。


 酒を進めながら、ちらと兵達に目を向ける。


 緊張の面持ちだった兵達は、二人に釣られるように酒を呑み、今は何処かその表情も緩んでいる。既に酒精に染まり始めた者も出始めた。


 一杯、また一杯と胃の腑に収めていく。


「ヨンム様は、研究をされない時は、何をして過ごされているんですか?」


 ふいにエイスターが訊いた。


 杯を口元に運んでいたヨンムは手を止め、目を瞬いた。


 僅かに首元を寛げたエイスターは、何処か柔らかな調子で笑って、肴に手を伸ばす。旨そうにそれを食べてから、杯を掲げて見せて、もう一杯。


 ヨンムはそれに続くようにして、杯を傾けた。


「いえね、ただ顔を突き合わせて酒ばかり呑んでいるのでは、味気ないと思いまして」


「酒戦って、そういうものじゃないのか?」


 エイスターは愉快そうにクツクツと笑う。


「勿論、そういう場合もありますが、私としては話をしながらでもいいかなぁ、と」


 それで? とエイスターは答えを促した。


 ヨンムは酒を呷ってから、その問いに答えた。


「研究をしない時は、隊の報告を精査したり、他の部との連絡事項を確認したり──」


「えーと……それは、隊長としての務めですよね。流石にその姿は見ているので判ります。私が訊いているのは、お休みの時ですよ。まぁ、我々には完全に気を抜く暇などないのは理解していますが、それにしても、こう何も予定や勤めがない時があるでしょう? そういう時のことを訊いているんですよ」


 その言葉に、ヨンムは固まった。


 研究、それ以外には何をするでもない。書物を漁るのも、何をするのも全てが研究に繋がっている。


 あとは食事に、睡眠に……。それは、生きるということそのものだ。


 黙りこくったヨンムに、エイスターは卓に立てた肘を外し、体を起こした。


「研究、それだけをされてきたと……?」


 呆気に取られたというような声音に、ヨンムは無言で杯を掲げて一杯呷った。エイスターが続いて杯を傾けようとして、空の酒器を倒した。


 それを取り繕うように笑みを浮かべ、酒を注いで一杯呷る。


 その顔には一切表れていないが、流石のエイスターも酔いが回ってきているらしい。


 装置に酒を分解させているヨンムも、対処しきれない酒が体を巡り、時折視界が揺れている。


「こういう言い方をしていいのか判りませんが、長いこと、私達にとって貴方は式典の時にしか顔を見せない王子様でした。研究をしているといったって、それが何かは判らない」


 そこで一度言葉を止めると、エイスターは立てた手に顎を乗せ、辺りを見回した。


 殆どの兵達は、酒精に染まり、何処か楽しそうに笑っている。話し合ったり、二人の様子を窺ったりと様々だ。


「研究の内容については、共に任を熟す内に徐々に理解していきました。原理はさっぱりですが。ただ、貴方が幼い頃から研究ただそれだけに尽くされてきた結果が今だというのなら、私は深く、深く頭を垂れねばなりません」


 そう言って、エイスターは頭を垂れる。


「私は、幼い頃より兵として……そして国王隊として誇りを持って生きてきた。グランディウス王に仕えてきた。だから、急に姿を現わした貴方に、疑問がなかった訳ではありません。ですが、今はこうして貴方と酒を交わせることに喜びを見出している」


 エイスターの話は、段々と取り留めがなくなってきている。聞くヨンムも、どう答えるべきなのか、何が正解なのかを考えているつもりが、ただ夜露のようなエイスターの顔を見つめているだけの自分に気が付いて、杯を傾けることが増えた。


 そうして酒が進む内、微かな音を立てて装置の精霊石が砕け散った。


 ヨンムはそれを頭の隅で感じ取り、腕に巻いた帯を取り去った。


「おや、装置の力は……使わないのですか?」


「もう……使えない、よ。エイスター、貴方もだいぶ酔いが回っているようだ。その様子なら、この場は僕が勝つ」


 その宣言に、エイスターがクックッと笑う。


「何をおっしゃる……〝頭脳〟を失った貴方など、ひとひねりですよ」


 しかし、幾度か杯を掲げ合った二人は、同時に長い溜め息を吐いた。


「……此処までにしましょう。流石に、貴方に勝つ為に醜態を晒す訳にはいきません」


 エイスターが杯を卓に置いた。


 コンッ、という音が響き、その音に兵達が寝惚けたような視線を向ける。


 ヨンム様か? という声がそこここで囁かれる。


 それを耳にしたヨンムは、同じように杯を置いた。


「助かった……正直、僕もこれ以上は無理だ。水をくれ……いや、横になりたい」


 そう言うと世話役が駆けて来て、床の上に敷物を広げてヨンムを抱えるようにして運んだ。背当てに寄り掛かり、ぼんやりとエイスターを見つめたヨンムは、小さく手招いた。


 ふらふらとした足取りで歩み寄って来たエイスターは、横に屈み込むと、長い息を吐いた。


「久し振りに、こんなに呑みました。完敗です」


「完敗ではないでしょう。引き分け……いや、単純な強さなら、エイスター貴方の方が優れている」


 言い終えると、ヨンムは再び長い息を吐いた。


 完全に酔っていた。それでも、何処か嫌な感覚はなかった。


 酒戦が始まる前の緊張感は何処へやら、今はこの酔人しか居ない広間で、その一部になった心地がしていた。


「そういえば、私が誘ったのは酒戦じゃありません」


 おもむろにエイスターが言った。


「え?」


「ただ、皆を交えて酒を交わしたかっただけです」


 その言葉が上手く呑み込めなかった。ヨンムはゆっくりと顔を横向け、探るようにエイスターを見つめ、呻いた。


「……早く言ってくれよ。勝手に競いたがって、僕が馬鹿みたいじゃないか」


 エイスターは心底楽しそうにクツクツと笑う。


「まぁ、いいじゃないですか。良い娯楽になりましたし、貴方の知らない一面も見られましたから。もしかしたら他の者から声が掛かるかもしれないですよ」


「嫌だ。もう酒戦はやらない。次、また呑む時は競わないで呑む」


 エイスターは一瞬だけ目を瞬いてから、笑みを深めた。


「判りました。じゃあ、明日はどうですか」


「休ませてくれよ。得意じゃないって言っただろ」


「そうですね、ではまた次の機会に」


 気安い調子で答えるエイスターに、ヨンムはちらと視線を向けてから、ぼんやりと周囲に目を向けた。


 すっかり酒の入った者達は、ヨンム達を真似て横たわり始めていた。


 何処かから誰かが小さく口ずさみ始めた。それに釣られるようにして、一人、また一人と声を重ねていく。


 自然とヨンムもそれに声を合わせていた。


 ふっ、と笑みが零れた。


 ──僕がこんなことをしたって、アイツが知ったら驚くだろうなぁ。


 そうして声を重ねながら、ヨンムは初めての感覚に、暫く身を任せていた。


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