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偽りの姫は辺境の地で花開く 【全年齢版】  作者: 七緒菜生(ななな)


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8/13

8.偽りの姫は秘書官見習いとして働き始める

 翌朝、リリーシャはくたりと寝台にうつぶせになっていたところを女官に揺り起こされた。


 マノアと名乗った若い女官はリリーシャがろくに眠っていないと知って驚いたが、ゆったりとしたドレスを着せ付けてくれ、食事の支度を調えてくれた。

 戦後のガネージュで出されていたものよりもうんと栄養価が高く量もしっかりある食事を前に、リリーシャはしばし躊躇った。しかし、いまここで残してもガネージュに回るわけではない。食べはじめると、味つけはガネージュとは異なるものの、久しぶりに量を気にすることなく取れた食事はおいしかった。


 この後アーディレイが顔を出すということだったので、リリーシャは居間の長椅子に腰掛けて待っていた。

 リリーシャに与えられた小部屋は、二間続きの部屋である。寝室には浴室が備え付けられており、壁紙も設えも上等だ。リリーシャはアーデンフロシアでも中途半端な身の上だが、貴族の娘として扱われているということだろう。

 だからリリーシャはこの部屋に相応しく、背筋をしゃんと伸ばして座っていた。


 ややあって扉が叩かれて、アーディレイが顔を出した。彼はリリーシャを一目見ると、おやと眉を上げてみせる。


「ちゃんと寝たのか?」

「ほとんど寝ていません。……レイデーア殿下は私にひと息に話をなさいました」


 アーディレイは、リリーシャを送り届けたときの丁重さをすっかり脱ぎ捨てて、主とおなじく捌けた気安さのことばをかけてくる。もう姫ではないのだから、それに準じた扱いをするということだろう。


「さて、リリーシャ。寝不足のところ悪いが、俺も我が主より命を受けている。その顔だと、本は読んだな?」

「はい。章ごとに言語が違う本など、初めて読みました」


 レイデーアが気軽に投げて寄越した本は、全八章で構成されており、章ごとに言語も書式も異なるという代物だった。読む者の基礎知識を問うものなのだろうが、お蔭でリリーシャは読み進める度に頭を切り替えねばならず、いつもの倍の倍の時間をかけて読む羽目になった。


 アーディレイから本に書いてあったことを訊ねられては答えるのをくり返すうちに、リリーシャはようやくのことで彼が章に合わせて言語を切り替えていたことに気がついた。興味深そうなアーディレイの反応を見るに、リリーシャは無事に問いに合わせた言語で回答できていたらしい。


「寝足りなくて少々迂遠な回答ではあるが、まあよしとしよう。高度な教育を受けていたんだな。確かに、リガードが賢いと言っていただけのことはある。書類仕事はどんなものを任されていた?」


 レイデーアの側近のようだから不思議ではないが、どうやらアーディレイもリガードと顔見知りらしい。リリーシャは瞬いて、それからおずおずと答えた。


「私に任されていたのは、下読み程度のものです」

「いいから、何を渡されていたのか言ってみて」


 リリーシャがぽつぽつと書類の種類を挙げると、妙に長いその最後まで聞き終えたアーディレイはため息する。そうして、今日はしっかり寝て、明日から仕事をするようにと言いつけたのだった。

 レイデーアには三日やると言われたが、ひとまずは合格をもらえたようで、リリーシャは少しだけ安堵した。



 翌朝、リリーシャは初めて与えられた部屋を出た。

 今日のリリーシャは、レイデーアがおしのびに使っていたというお古のドレスを着付けられていた。胸元に余裕がある理由がわかったリリーシャが憮然としているのを見て取って、マノアは「殿下が特別なのですよ」と笑っていた。


「リリーシャ様。お(やす)みの時は騎士が警護します。出歩く際には、必ず私がご一緒します。もし私がお供できない場合は、直接私が紹介した者がお連れします。万一誰もお供できないときは、必ずお連れした道をお通りくださいね」

「わかりました」


 マノアがさらりと述べ立てたのは、リリーシャへの監視と警護の意味を兼ねた念押しだった。勝手に出歩くなということだが、リリーシャはもとより人質だ。異論はない。

 マノアは道を覚えやすいよう目印となるものを小声で教えてくれながら、足を進めた。道すがら、リリーシャはちらほらと興味深そうに眺められたものだが、前を向いたまま気に留めなかった。


 たどりついたその場所は、どうやらレイデーアの執務室らしかった。

 扉の前で居合わせたアーディレイは、リリーシャの顔を見てよく眠れたらしいなと笑った。ちょうど中から返事が聞こえたので、連れ立って室内へと足を踏み入れる。


「うん、揃っているな。おはよう、今日もいい朝だ。さっそくだが、仕事が山積みだ。手伝え」


 ちらりとこちらに顔を向けたレイデーアは、今日もあまりに美々しかった。

 よくよく見れば、その髪は無造作に首の後ろで一つにくくられており、軍礼装を簡略化したような男装姿ではあったが、その美を損なうことはまったくなかった。むしろ、却ってその身に備わった輝きが剥き出しにされているようだった。


 ……というか、比喩ではなく物理的に眩しい。

 昨日は色々ありすぎてよく分かっていなかったが、何と言うべきか、レイデーアの肌は文字通り輝いているのだ。内側から光が滲み出ているかのように、きらめきを纏っている。


 不思議に思いつつ目を細めたリリーシャは、マノアからそっと囁かれる。


「特に朝のうちは、私たちも殿下を見ると眩しいのですよ。お昼過ぎには目も慣れますし、殿下もお疲れになってくるので光も多少ましになりますから」

「おいマノア、人を発光体のように言うな」

「お言葉ですが、殿下は発光しておられます」


 むうと唇を尖らせたレイデーアはマノアにお茶を淹れるよう命じると、リリーシャのほうを向いた。眩しさを直に受けて反射的に目を瞑ったリリーシャに、マノアとアーディレイが声を立てて笑った。


「申し訳ございません。ですが、眩しくて……」

「わかったわかった。慣れるまで顔を背けていることを許す。

 これから、リリーシャには週休二日で働いてもらう。昼食は正午、それからお三時も付く。効率を求めるために、原則リリーシャたちは定刻で上がる。賃金は週払いだ、受け取りの手続きはマノアに聞け。私に一番近い机がアーディレイ、その隣の特別席をリリーシャに貸そう。いいか、一刻後に私付きの文官たちがやってくる。それまでに書類を捌け。それがリリーシャの最初の仕事だ。後は、逐次アーディレイが指示を出す」


 矢継ぎ早に飛んでくる説明に、リリーシャは目を瞬かせながら頷いた。人質なのに賃金をもらえるのかとも思ったが、口を挟む隙がなかった。

 昨日も思ったことだが、レイデーアは頭の回転が著しく速く、おまけに口の動きも淀みない。あまりに色んな事をひと息に告げられるものだから、アーデンフロシア語が母語ではないリリーシャはそれだけでいっぱいいっぱいになってしまう。


「リリーシャ。この執務室での決まり事はふたつだ。それだけ覚えておけばいい。いいか? 

 一つ。ここに所属する者は、この執務室で交わされる如何なる会話にも口を挟める。

 一つ。この執務室では身分の上下は忘れろ。私は忙しい。戦の後で人手も足りない。逐一礼儀に適った口上で時間を潰すな。最低限の丁寧語に収めること。以上だ」


 ぱんと手を打ち鳴らしたレイデーアに急かされるようにして、リリーシャは与えられた席に腰を下ろした。


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