7.偽りの姫は燃え立つ瞳に見入られる
「……それでな。私の臣下になれと言ったら、リガードは妹の命乞いをしたのだ。妹は美しく賢い娘です、滅びゆく国に残すのは忍びないと。妹くらい自分で守れと言ったんだが、リガードは頑固でな。
それに、ガネージュの重臣たちは少々おつむが弱そうだったから、姫をしょうもない駆け引きに使いそうだと思った。才を見込んだ男があれだけ言うのだ、ならば取引してやろうと決めたのだ」
――その代わり、お前はこの先一生を私に捧ぐのだぞ。死ぬまで私の臣下でいろ。
そして、死ぬまで自分が売り渡した国の亡骸の上に立ち、女神の国を守れ。
レイデーアがそう求めると、リガードは微笑んで頷いたそうだ。
そうして、リリーシャは即位までは特に性別の誤解を訂正するつもりはなかったレイデーアの噂を利用するかたちで嫁がされる運びとなった。
供が許されなかったのは、レイデーアを一目見れば本当の結婚ではないとわかるからだろう。それに、併呑した敗戦国にわざわざ御丁寧に真実を教えてやる必要はないのだ。単純だが巧妙な輿入れだった。
いまあちらでリリーシャがどのような扱いになっているのかはわからないが、リガードとレイデーアの内々の取引によって行われた輿入れは、アーデンフロシアでは何の書類にも記録されないものであるはずだ。
呆然としたリリーシャは、何度か口を開けては閉じた。
そのまま何も言えないでいるうちに、爪を短く整えた指が頬をつんと突いた。
「え、あ……何でしょう?」
「無理も無いが、栄養が足りていないな。姫、もう少し太れ。そんなに薄い身体ではすぐに折れてしまう」
リリーシャは、自分とさして変わらぬ細さのレイデーアの身体を見つめた。そうして、明らかに差がある胸元に気づくと身体を抱きしめる。
そこのことではないんだがとレイデーアが笑ったのに、頬に熱が灯るのがわかった。そして、まだ鈍い頭を必死に働かせて訊ねた。
「私は、これから何をすればいいのでしょう? 義兄との約定があるからには、こちらに置いていただけるのでしょうが……どうやって、殿下のお役に立てばよいのでしょうか。女官でしょうか」
うん? と声を漏らして、レイデーアは唇を閉ざした。
金の瞳が一際強く輝いて、至極なめらかで素早い動きでもって寝台の上に身を乗り出してくる。片手をリリーシャのすぐ脇について、レイデーアはぐっと顔を寄せて来た。
それは一瞬の出来事で、反対の手で顎をすくい取られても尚、リリーシャは自分がいまどんな体勢なのか理解するのに時間を要した。
「そうだなぁ」
天蓋の暗がりの中にあっても尚、レイデーアの瞳は輝いていた。まるで自ら輝く術を知っている輝石のように……否、むしろそれ自身が光だと言わんばかりの瞳だった。その光彩の揺らめきとまなざしは、リリーシャの胸をぞっとかき立てた。
――そう、これは畏怖だ。
頭の隅で、受けた教育が知識を思い浮かべさせる。
アーデンフロシアの王族は女神の血が濃いあまり、人ならぬ力を持って生まれるのだと。
ガネージュにも信仰はあるが、精霊と人の間にはもっとゆるやかな関係が結ばれている。
リーデンバーグが圧倒されたような、武力に対抗しうる神秘はガネージュにはない。それだけ、アーデンフロシアは特異な国だった。
くいと顎を上向けられて、リリーシャは否応なしにレイデーアと視線を重ねた。
「私がお前に望むのは、ほとんど一つきりだよ」
「ひとつ、ですか?」
うんと頷いて、優美な指先がリリーシャの唇の線をつうっとたどった。ひどく優しくて、かすかな動きだった。
「リリーシャ。どうか私に、命を燃やすお前を見せてくれ。命を燃やして輝く姿を見せてくれないと、きっと私はすぐに飽いてしまうだろう」
暗がりに濡れたそのかんばせが浮かべた笑みはリリーシャが知る何よりも美しく、何よりも苛烈だった。
命を燃やせと告げるレイデーアの瞳は、金色の炎のように燃え立っていた。過激で、刺激的で、無意識のうちに他者を服従させてしまう瞳だった。
ぱっと手が離されて、レイデーアはにこりと微笑んで酒の小瓶を手に取った。
小机の上に置かれていた本がぽんと投げて寄越されて、リリーシャの膝に落ちる。そこでようやく、リリーシャの喉は呼吸を思い出した。
「リガードと約束したのは、姫でも何でもないリリーシャをアーデンフロシアに迎え入れて、ちゃんとした嫁ぎ先を世話することだけだ。それ以上でも以下でもない。だが、私も忙しいのでな。リリーシャだけにかまってやることはできない。アーデンフロシアは傷みを乗り越えていかなくてはならない。だからリリーシャも、女官の仕事ならできるのではと自分の能力を低く見積もるのは止せ」
それに、女官の仕事も大変だぞ? とからかうように言われて、リリーシャの顔は羞恥に染まった。確かに、リリーシャは偽りの姫ではあるものの、自分の手で掃除をしたこともなければ寝台を整えたこともない。思い上がりだと言われればその通りだろう。
「いいか、リリーシャ。謙遜は美徳では無いし、女は微笑んで佇む人形ではない。美しく生まれついたのは幸いかもしれないが、お前の価値はその見目にしかないのか? リガードは、そんな愚かな妹のために我が身を差し出したのか? お前はもっと、リガードと私の取引に値する娘だろう。違うか」
レイデーアは至極穏やかに、厳しいことばをリリーシャに投げかけた。
何も言えないでいるリリーシャに、レイデーアは艶然と微笑んだ。
「お前に三日やろう。身体を休めてよく食べて、その本を読んでおけ。お前には、私の信頼する女官を一人付ける。明日アーディレイを寄越すから、質問に答えるように。まずは私に能力を示せ。それからだ」
いいなと告げて、レイデーアは返事も聞かないうちに身を翻した。
ぱたりと扉が閉まると、部屋の中はふっと暗くなった。まるで嵐が過ぎ去ったかのような静けさが訪れて、それから明らかに光量が落ちた。
リリーシャはしばし寝台の上で固まっていたが、ややあって頭で理解しようとすることを止めた。おそらく、アーデンフロシアの神秘に明確な理由を求めてはいけないのだと。
心はいまだに動揺していて、頭は勝手にぐるぐると回って色んなことを考えようとする。
けれども、まずはここで生きていかなくてはならない。そうでないと、リガードの立場を危うくしてしまう。リガードとリリーシャは、互いに互いの人質なのだ。それが、リリーシャの王子様が色んなものを擲って手に入れてくれたのだろう約束だった。
でも、ちっぽけなリリーシャでは圧倒的に釣り合いが取れていない。
リガードは、敵国が……アーデンフロシアが懸念を承知で手に入れることを決めた有能な人なのだから。
リリーシャは首を振って、レイデーアが置いていった本を膝の上で開いた。
そうしていなければ、リガードのことを考えずにはいられなかったから。




