4.偽りの姫は異国の世継ぎと出会う
王城の門をくぐった馬車が停まると、リリーシャは礼儀正しく乗り込んできた魔術師の立ち会いのもとで誓約書に署名するよう求められた。
魔術師は、署名をするとアーデンフロシアの王族を直接害することはできなくなり、その代わりにリリーシャの安全は保証されると説明した。
それでも尚王族を傷つけようとしたならば心臓に衝撃が走って命を失う恐れがあると忠告されたが、その仕組みがどうなっているのかはさておき、リリーシャにとっては何でも無いことだった。閨に剣や毒を持ち込むことを危惧されているのかと思ったが、リリーシャにはもとよりそんな大それた企てを立てる気概もない。
やがて城内に通されたリリーシャは、天窓から春の陽射しがさし込む大広間に敷かれた絨毯の上に膝を突いてアーデンフロシアの若き世継ぎの到着を待った。
程なくして、若々しい澄んだ声が面を上げよと告げる。
リリーシャははいと頷いて、ゆっくりと前を見据えた。
まず目に入ったのは、ゆったりと椅子に坐した下肢だった。
思いの外ほっそりとした足は白の軍礼装に包まれて、花と蔦模様が刺繍された長靴がこちらを向いている。次に目に入ったのは、ぐっと絞られた腰のくびれだった。
そろそろと視線を上げれば、華やかな刺繍に彩られた上衣を豊かに張り出した胸が押し上げているのが見えた。危うい程に細い首は濃緑の襟で包まれており、手袋をはめた手の上に載せられた顎はつんと尖っている。白い肌のなめらかさといったら、リリーシャの母がもし生きていたならば嫉妬しただろう。
何より、そのかんばせ。
ご機嫌そうに結ばれた唇のつやめき、細く高い鼻筋、花びらのように色づいた頬。そして、無造作に垂らされた金の巻き毛と同じ色をしたふたつの瞳が輝いている様がリリーシャのことばを奪った。
恐ろしいことに、化粧の類いを一切していないにもかかわらず、その小作りの顔は今まで見た誰よりも美しく、美しいと評することさえ憚られるほどの麗しさをいっぱいに湛えていた。
やすやすと想像することが出来ない類いの麗しさを持つひとだった。
これまでリリーシャが見たどんな人よりも、眩いひとだった。明るい陽射しのせいだろうか、その身体は光り輝いているようにも感じられる。
そして、どう見ても女性だった。
驚きに声も出ないリリーシャの視線の先で、その人はからりと笑った。
「うん、聞いていた以上に可憐な姫だな。このまま膝を突かせておくのは忍びない。さあ、お立ち。アーディレイ、椅子を持て」
呆然と差し出された椅子に腰を下ろしたリリーシャを、その人はとっくりと眺めている。
「長旅で疲れたことだろう。そこのアーディレイやガネージュにやった文官たちから、姫が大変行儀良く心根のよい人物であると報告を受けている。私も姫が気に入った」
殿下、とアーディレイが声をかけるのに、リリーシャは否応なしに現実に引き戻された。
さっと青ざめたリリーシャの顔色を眺めながら、麗しいその人は頷いた。
「リリーシャ姫。私が新たにアーデンフロシアの世継ぎとなった、レイデーアだ。そして、此度の戦の発端となった姫でもある。姫の祖国を戦に晒したことを詫びる身と思われるかもしれないが、我が国もリーデンバーグとの戦で多くを失った。戦のきっかけを作ったのは私だが、その購いはこの身を国に捧ぐことで果たす。
挨拶としてはこんなところでよいだろうか。ん? ……おい、姫?」
リリーシャは驚いたようにこちらへと差しのばされる腕を見つめながら、遠くの方でぼんやりと、真に美しい人は指の先まで整っているのだなと思った。
どうしよう。リリーシャが最初に思ったのは、それだった。
アーデンフロシアの若き王太子のお傍に侍って、ご寵愛を得て。子供を産んで。そうしたら、併呑されたガネージュの国民の役に立てるのではないかと思っていたのに。
……否、そうではない。そんなのはただの建前で、ただのちっぽけなリリーシャは大好きなリガードの役に立てればそれでよかった。この先一生をそのために使うと決めたのだ。お兄様のことを好きなリリーシャを葬って、ただのお人形になろうと覚悟を決めていた。
だのに、ただのお人形になるはずだったリリーシャを迎えたのは同じ年頃の娘だった。
ただ麗しいだけであったなら、まだどうとでもできたのに。これでは、どう足掻いてもリリーシャの存在は用を為さない。女性同士では子を作れない。なら、どうやってリガードの利になる結びつきを得ればいいのだろう?
(これでは、お兄様のお役に立てない……!)
その瞬間、リリーシャを深い絶望が襲った。
――なら、どうして私は生きているのだろう?
そこで張り詰めていたリリーシャの意識はふっと途切れ、暗闇のなかに沈んでいった。




